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第八章 家族団らんほっこりキーマカレー

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 夜空は、善にイタリアが好きなのかを聞くことができずにいる。なんだか、聞いてはいけないような気がしていた。
 パソコンをずっと見つめている姿は、『はぐれ猫亭』で働いている時とはかけ離れている。パソコン用の眼鏡のせいではないだろう。安易に踏み込んではいけない気がしたので、夜空はなにも聞いたりしていない。

 さて、今日のプレートメニューは、キーマカレーだ。昨日のうちに作って一晩寝かせて味を落ち着けている。
 今日のぶんは大丈夫だと予想しているが、繁忙期はなにがあるかわからない。
 コーヒーや紅茶は善が発注をしたので間に合ったが、最近では人が店の前に並ぶこともある。なので、念には念をということで商店街へ買い出しに向かっていた。

 夏は海で遊んでから、『はぐれ猫亭』で食べてから帰るというお客さんもたくさん来る。さらに、毎年足を運んでいるファンまでいる。
 祖母が作ってくれたような柔らかい味が、海水浴で疲れた体にしみわたるのだとか。そして、夜遅くに食べても胃もたれせず、翌日もスッキリ会社に行けるなどと好評らしい。
 さすが、菩薩の善だ。
 決して家庭で出せない味ではないのに、お店の客足が途絶えることはなかった。

「夏は忙しいね。あとずっと思っていたんだけど、僕ね、千手観音様が一番魅力的だと思うんだ」
「どうしたんですかいきなり。もうすでに、観音様みたいなお顔と雰囲気ですよ?」

 二人して大量の荷物を抱えながら、商店街から帰る途中。善は突拍子もないことを言い始めた。

「だってね、千手観音様って千本も腕があるわけでしょ? そしたら、いろんなこと一気にできると思わない? キャベツ切って、こっちの手で珈琲淹れて、こっちで盛りつけして、洗い物も同時にできるよ」
「家事や仕事のためじゃなくて、人を救うための手だった気がしますけど……」
「あ、そうだね。じゃあやっぱり無理だよね」
「善さんならなれる気がしますけど」
「そうだった、僕魔法使いだったもんね」

 まさか、自分で言い出した設定を忘れたわけじゃあるまい。
 夜空が半分呆れかえっていると、騒々しい怒鳴り声が耳に届く。
 もうすぐ『はぐれ猫亭』に到着する手前というところで、男女二人が大喧嘩している。

「あら、喧嘩かなあ」
「みるからに喧嘩ですよ。というか、もしかして、好美さんじゃないですか?」

 夜空が目を見開く。善は「えっ!?」と驚いて、二、三歩前に進んで二人をじっと見つめてから、すごい勢いで振り返った。

「夜空くん、好美さんだよ! どうしよう!」
「いや、ちょっと善さん……空気読んで……」

 善の驚きの声のほうが大きく、言い争いをしていた二人が、ばっと同時にこちらを向いた。
 好美はすごい形相だが、大声を出していた男性もものすごい剣幕だ。夜空は思わず後ずさりしたくなる気持ちを呑み込む。
 ぐっと腹に力を入れて「店の前なのでご遠慮ください」と言おうと口を開けかけた時。

「えっ!?」

 男性は夜空に気がつき、ハトが豆鉄砲をくらったような顔をした。

「橋本先輩ですよね?」

 夜空の声に、橋本和也は気まずそうに眉根を寄せた。
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