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第六章 青い春と甘辛美味しいぜいたくすき焼き

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 混雑時のピークを過ぎた頃、顔をホクホクさせた順平が犯人を捕まえたことを報告しに、『はぐれ猫亭』に立ち寄ってくれた。

「お二人も、ご協力ありがとうございます!」
「捕まってよかったね。鞄も取り返せたのかな?」
「はい。そうだ、その中身の確認してもらわなきゃで……ああ、久しぶりの大事件で、やることいっぱいっす!」

 順平は二人にお礼を伝えると、仕事のため慌ただしそうに戻っていく。朝代が軽傷ですみ、そして犯人も逮捕できたということでひとまず一件落着のようだ。
 夜空がせわしない気持ちでいたためか、今夜のお客さんたちの引きも早い。今夜はお客さん少ないかもねと善が言っていたとおり、ピークの時間はすぐに去ってしまった。
 店内が静まった夜の九時。『はぐれ猫亭』の入り口にタクシーが停車する。夜空が外まで行くと、光治と朝代がお店に立ち寄ってくれた。

「大丈夫でしたか?」

 夜空が近づくと、足をひねったという朝代は夕方よりも顔色がだいぶよくなっている。幸いなことに大事には至らなかったのと、犯人逮捕、それに鞄も戻ってくると言うことで安心したそうだ。
 しかし、やっぱり油断は禁物で今は緊張しているから平気だが、気が抜けると痛くなるかもしれないという。
 今夜はゆっくりしたほうがいいというのだが、どうしてもお礼を言いたいとお店まで寄ってくれたらしい。

「ああ、ひとまずよかったです。どうぞどうぞ、お座りください」

 善が勧めたのは、カウンターの横並びの席だ。
 夜空が温かいおしぼりを渡すと、朝代は手を拭きながら「あったかい」と目を細めていた。

「光治さん、付き添いありがとうございました」

 善がカウンターから声をかけると、光治はなんだか嬉しそうにしている。

「おいぼれでも、役に立つことがあるもんだね」
「いただいたベビーリーフ、さっそくサラダに使っちゃいました。大好評です」
「ああ、それを聞いたら私は小腹が減ってしまったなあ」

 光治の言葉に、朝代も頷く。
 一連の騒動で飲まず食わずだったのを思い出し、お腹の虫が騒ぎ始めたようだ。

「でしたらとっておきをお作りしましょう。朝代さんも、一口召し上がりますか?」

 それに朝代はためらったのだが、光治が「善くんのお料理はなに食べてもおいしいんですよ」とつけ加えると、小さく頷く。

「今日はお世話になりっぱなしですね。ありがとうございます」
「いえいえ。いいんですよ。助け合って生きていくのが人間の基本です」

 善はニコニコしながら、冷蔵庫に手を伸ばす。調理を始める傍らで、夜空は片付けをしながら光治と朝代の様子を窺っていた。
 五十年ぶりに出会った興奮からか、朝代も光治も頬を上気させて機嫌がよかった。まるで青春に逆戻りしたようになっている二人に、夜空もやっと胸をなでおろす。
 パニックと痛みで今はお腹が空いていなくとも、家に帰れば疲れと空腹に気がつくはずだと、一口だけでもいいからお腹にたべものを入れておくことを光治が勧めている。
 善はなにを作っているのだろうと、気になってしまう。切り終わった野菜が、まな板の上できれいに並べられていた。
 夜空の視線に気づいた善が、棚の中から小さな土鍋を出してくる。

「二人には、特製すき焼きを作るんだ」

 やりとりが耳に入った光治が、善に視線を向けた。

「すき焼きかあ。いいねえ、さすが善くん。私たちの時代は、牛肉なんてめったに食べられなくてね……」

 光治はいつものルーティーンである新聞を取ることもせず、朝代と楽しそうに会話を弾ませている。
 彼女も同年代の人と話すのが楽しいのか、ころころと鈴が鳴るように笑いながら楽しんでいた。
 そのうち、ジュワ―っという音とともに肉が焼けるにおいが漂ってくる。善はお肉を一枚一枚土鍋の底で焼いていた。

「あれ、すき焼きなのに焼くんですか?」
「うん。そうだ、夜空くん。手があいていたら、ニンジンの型抜きしてくれる?」
「もちろんです」

 料理が気になっていた夜空は、野菜の型抜きの仕事を与えられたおかげで、善の料理する姿を近くで見ることができた。
 肉が焼き終わると、今度はネギ、白菜、春菊を入れる。

「あら。お肉を焼くのはうちと一緒です。私の母が、関西の人でして。関東では、お野菜を先に入れて、お肉は後から入れて割り下で煮ますよね」

 料理の手順を見ていた朝代が、表情をぱあっと輝かせた。
 まさか、朝代が関西の味付けを好んでいるから、善はすき焼きをこの作りかたにしたのだろうか。夜空が驚いていると、善はくしゃっと笑った。

「僕にお料理を教えてくれた人が、この作りかただったんですよ」

 ふわりと、甘じょっぱいタレの匂いが立ち込めてくる。いいにおいすぎて、夜空までお腹がぐるぐる鳴ってしまいそうだ。

「その人も関西のかただったの?」
「実家は岐阜のほうで、あちこち転勤していたみたいです」

 夜空はそういえば、と記憶を辿る。
 善に料理を教えてくれたのは、たしか婚約者だった人だ。
 どんないきさつがあるのかわからないが、彼女の話をする時、善はちょっとだけ遠い目をする。

「関東の作りかたもできますけど、今日はこっちの気分だったので」

 たまらなくよい香りを漂わせ、善は手元をせっせと動かした。
 しばらくして出来上がったすき焼きは、カラフルな鍋敷きの上に乗せられて、二人の前に出された。


 〇本日のお夜食プレート
 青い春と甘辛美味しいぜいたくすき焼き
 タコの柔らか煮
 大根の千切りサラダ


 土鍋を前にした二人は、蓋を開けた途端に広がる湯気に子どものように目を輝かせた。夜空が型を抜いた桜の花のニンジンが、いい彩りのアクセントになっている。

「んー、いい香り。これは絶対に美味しいはずだ!」
「ほんとうに……お腹が減っていなかったんですけれど、お出汁の匂いで食欲が出てきました」

 生卵を入れたシンプルなデザインのとんすいを、善は二人に渡す。

「卵、おかわり自由でーす」

 茶目っ気たっぷりな言いかたに、光治も朝代もくすくす笑いながら両手を合わせる。
 卵黄がプリッと立っている卵を溶くと、二人はホカホカのすき焼きを菜箸で取りわける。
 さらに、たっぷりの甘じょっぱいたれが滲みた肉をからめた。
 口に運び入れてから、二人は顔を見合わせて微笑んだ。
 美味しいという言葉がなくとも満足そうな顔を見れば、それがどんな味なのかは想像がつく。

「〆にご飯かうどん……量も調節できますよ。先に出すのでもオッケーです」
「私はご飯が欲しいかな。朝代さんは?」
「私も……少な目でお願いしてもいいですか?」

 二人は味の好みも合うようで、昔に食べたものや懐かしの話題に花を咲かせながら、絶品すき焼きを堪能した。
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