海街喫茶『はぐれ猫亭』の宝石ごはん

神原オホカミ【書籍発売中】

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第二章 懐かしのほくほくじゅわぁ肉じゃが

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 善は三年ほど前にこの街に越してきて、祖父の残した『はぐれ猫亭』を切り盛りするようになったのだという。
 祖父の好きだったクラシックのレコードと内装はそのまま、オリエンタルな敷物や調度品をうまく組み合わせ、夜にプレートだけを提供する喫茶店へと変えた。
 光治は再オープン当時から通い詰めている。彼に似合うのは、上品で気高いという形容詞。中折れ帽子に小鳥のついたステッキが似合う人は、そうそういないと夜空は思う。
 キッチンから漂ってくるにおいに、光治は頬を緩めた。

「今日は肉じゃがだったね」
「そうです。僕も大好きな肉じゃがですよ」

 光治は満足そうに頷いてから、夕刊に目を通して出来上がりを待つ。
 今日は、光治のほかに二人お客さんが来ていた。
 飲み物を飲みながらくつろいでいる仕事帰りのサラリーマンと、大学生風の女の子が携帯電話とにらめっこしている。
 彼らも本日のプレートを注文していた。
 水のおかわりをついで回ってから、カウンターの中に入って善の様子を見た。
 ホーロー鍋には、昼間のうちに仕込んでおいた肉じゃがが、てりてりと艶めきながら入っている。

「美味しそうですね」

 思わず口から呟きが漏れると、善は美味しいよと返事した。

「僕は、この肉じゃがが一番好き。ほかの店じゃ絶対に肉じゃがは食べないって、決めてるくらい気に入っているんだ」

 肉じゃがの味の違いはよくわからなかったのだが、それほど美味しいのならぜひ食べたい。

「善くんの肉じゃがは、本当に美味しいんだよ。懐かしい味というか、死んだ嫁さんが作ってくれた味に、どことなく似ているというかね」
「そうなんですね」
「家庭の味なんだよ、善くんの料理って。だから、私も毎週来て楽しめている」

 光治と話をしていると、横から善が口を開いた。

「僕は器用じゃないから、料理は昔からぜんぜんできなくてね」
「そうなんですか? すごく上手に見えますけど」

 善は苦笑いしながら全然だよと肩をすくめた。
 少なくとも、一人暮らしをしていた夜空よりも料理は上手だ。人に提供できるくらいなのだから、自分と比べるまでもないのだが。
 夜空には善の言っていることが嘘のように思えた。

「料理は、教えてもらったんだよね」
「お爺さんにですか?」

 善は首を横に振る。

「ううん、婚約者だった人に」

 そうなんだと頷いてから、夜空は目を見開いた。

「――えっ!?」

 婚約者がいたというのは初耳だ。善の周りには婚約者らしき人もいないし、結婚している様子もない。不思議に思っていると、善は夜空を見つめた。

「肉じゃが、温まったみたい。ご飯をよそってくれる?」
「あ、はい!」

 夜空はぼうっとしかけたのだが、仕事中だったのを思い出して夜空はプレートの準備を始めた。


 〇本日のプレート
 懐かしのほくほくじゅわぁ肉じゃが
 さっぱり醤油味マグロステーキの小鉢
 ネギと豆腐と油揚げのお味噌汁


 深皿にたっぷりの肉じゃがが入り、プレートの上にセッティングされる。白ごまが食欲をそそる。絹さやの縁色が、美しい彩りを添えていた。
 ご飯とお味噌汁を手前に載せると、ミニサラダに、表面を軽く焼いたマグロステーキの小鉢をつけ足した。
 最後にデザートもあることをつけ加えながら、出来上がった食事を夜空は配膳する。デザートは夜空作の、豆腐とチーズで作ったクリームチーズケーキだ。

 来店客のほころぶ顔を見ると、夜空まで心が満たされる。
 美味しいごはんは、明日の身体をつくってくれる。
 善はカウンターから光治にプレートを渡す。待っていましたと光治は新聞紙を丁寧に畳んだ。
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