13 / 68
第二章 懐かしのほくほくじゅわぁ肉じゃが
10
しおりを挟む
*
善は三年ほど前にこの街に越してきて、祖父の残した『はぐれ猫亭』を切り盛りするようになったのだという。
祖父の好きだったクラシックのレコードと内装はそのまま、オリエンタルな敷物や調度品をうまく組み合わせ、夜にプレートだけを提供する喫茶店へと変えた。
光治は再オープン当時から通い詰めている。彼に似合うのは、上品で気高いという形容詞。中折れ帽子に小鳥のついたステッキが似合う人は、そうそういないと夜空は思う。
キッチンから漂ってくるにおいに、光治は頬を緩めた。
「今日は肉じゃがだったね」
「そうです。僕も大好きな肉じゃがですよ」
光治は満足そうに頷いてから、夕刊に目を通して出来上がりを待つ。
今日は、光治のほかに二人お客さんが来ていた。
飲み物を飲みながらくつろいでいる仕事帰りのサラリーマンと、大学生風の女の子が携帯電話とにらめっこしている。
彼らも本日のプレートを注文していた。
水のおかわりをついで回ってから、カウンターの中に入って善の様子を見た。
ホーロー鍋には、昼間のうちに仕込んでおいた肉じゃがが、てりてりと艶めきながら入っている。
「美味しそうですね」
思わず口から呟きが漏れると、善は美味しいよと返事した。
「僕は、この肉じゃがが一番好き。ほかの店じゃ絶対に肉じゃがは食べないって、決めてるくらい気に入っているんだ」
肉じゃがの味の違いはよくわからなかったのだが、それほど美味しいのならぜひ食べたい。
「善くんの肉じゃがは、本当に美味しいんだよ。懐かしい味というか、死んだ嫁さんが作ってくれた味に、どことなく似ているというかね」
「そうなんですね」
「家庭の味なんだよ、善くんの料理って。だから、私も毎週来て楽しめている」
光治と話をしていると、横から善が口を開いた。
「僕は器用じゃないから、料理は昔からぜんぜんできなくてね」
「そうなんですか? すごく上手に見えますけど」
善は苦笑いしながら全然だよと肩をすくめた。
少なくとも、一人暮らしをしていた夜空よりも料理は上手だ。人に提供できるくらいなのだから、自分と比べるまでもないのだが。
夜空には善の言っていることが嘘のように思えた。
「料理は、教えてもらったんだよね」
「お爺さんにですか?」
善は首を横に振る。
「ううん、婚約者だった人に」
そうなんだと頷いてから、夜空は目を見開いた。
「――えっ!?」
婚約者がいたというのは初耳だ。善の周りには婚約者らしき人もいないし、結婚している様子もない。不思議に思っていると、善は夜空を見つめた。
「肉じゃが、温まったみたい。ご飯をよそってくれる?」
「あ、はい!」
夜空はぼうっとしかけたのだが、仕事中だったのを思い出して夜空はプレートの準備を始めた。
〇本日のプレート
懐かしのほくほくじゅわぁ肉じゃが
さっぱり醤油味マグロステーキの小鉢
ネギと豆腐と油揚げのお味噌汁
深皿にたっぷりの肉じゃがが入り、プレートの上にセッティングされる。白ごまが食欲をそそる。絹さやの縁色が、美しい彩りを添えていた。
ご飯とお味噌汁を手前に載せると、ミニサラダに、表面を軽く焼いたマグロステーキの小鉢をつけ足した。
最後にデザートもあることをつけ加えながら、出来上がった食事を夜空は配膳する。デザートは夜空作の、豆腐とチーズで作ったクリームチーズケーキだ。
来店客のほころぶ顔を見ると、夜空まで心が満たされる。
美味しいごはんは、明日の身体をつくってくれる。
善はカウンターから光治にプレートを渡す。待っていましたと光治は新聞紙を丁寧に畳んだ。
善は三年ほど前にこの街に越してきて、祖父の残した『はぐれ猫亭』を切り盛りするようになったのだという。
祖父の好きだったクラシックのレコードと内装はそのまま、オリエンタルな敷物や調度品をうまく組み合わせ、夜にプレートだけを提供する喫茶店へと変えた。
光治は再オープン当時から通い詰めている。彼に似合うのは、上品で気高いという形容詞。中折れ帽子に小鳥のついたステッキが似合う人は、そうそういないと夜空は思う。
キッチンから漂ってくるにおいに、光治は頬を緩めた。
「今日は肉じゃがだったね」
「そうです。僕も大好きな肉じゃがですよ」
光治は満足そうに頷いてから、夕刊に目を通して出来上がりを待つ。
今日は、光治のほかに二人お客さんが来ていた。
飲み物を飲みながらくつろいでいる仕事帰りのサラリーマンと、大学生風の女の子が携帯電話とにらめっこしている。
彼らも本日のプレートを注文していた。
水のおかわりをついで回ってから、カウンターの中に入って善の様子を見た。
ホーロー鍋には、昼間のうちに仕込んでおいた肉じゃがが、てりてりと艶めきながら入っている。
「美味しそうですね」
思わず口から呟きが漏れると、善は美味しいよと返事した。
「僕は、この肉じゃがが一番好き。ほかの店じゃ絶対に肉じゃがは食べないって、決めてるくらい気に入っているんだ」
肉じゃがの味の違いはよくわからなかったのだが、それほど美味しいのならぜひ食べたい。
「善くんの肉じゃがは、本当に美味しいんだよ。懐かしい味というか、死んだ嫁さんが作ってくれた味に、どことなく似ているというかね」
「そうなんですね」
「家庭の味なんだよ、善くんの料理って。だから、私も毎週来て楽しめている」
光治と話をしていると、横から善が口を開いた。
「僕は器用じゃないから、料理は昔からぜんぜんできなくてね」
「そうなんですか? すごく上手に見えますけど」
善は苦笑いしながら全然だよと肩をすくめた。
少なくとも、一人暮らしをしていた夜空よりも料理は上手だ。人に提供できるくらいなのだから、自分と比べるまでもないのだが。
夜空には善の言っていることが嘘のように思えた。
「料理は、教えてもらったんだよね」
「お爺さんにですか?」
善は首を横に振る。
「ううん、婚約者だった人に」
そうなんだと頷いてから、夜空は目を見開いた。
「――えっ!?」
婚約者がいたというのは初耳だ。善の周りには婚約者らしき人もいないし、結婚している様子もない。不思議に思っていると、善は夜空を見つめた。
「肉じゃが、温まったみたい。ご飯をよそってくれる?」
「あ、はい!」
夜空はぼうっとしかけたのだが、仕事中だったのを思い出して夜空はプレートの準備を始めた。
〇本日のプレート
懐かしのほくほくじゅわぁ肉じゃが
さっぱり醤油味マグロステーキの小鉢
ネギと豆腐と油揚げのお味噌汁
深皿にたっぷりの肉じゃがが入り、プレートの上にセッティングされる。白ごまが食欲をそそる。絹さやの縁色が、美しい彩りを添えていた。
ご飯とお味噌汁を手前に載せると、ミニサラダに、表面を軽く焼いたマグロステーキの小鉢をつけ足した。
最後にデザートもあることをつけ加えながら、出来上がった食事を夜空は配膳する。デザートは夜空作の、豆腐とチーズで作ったクリームチーズケーキだ。
来店客のほころぶ顔を見ると、夜空まで心が満たされる。
美味しいごはんは、明日の身体をつくってくれる。
善はカウンターから光治にプレートを渡す。待っていましたと光治は新聞紙を丁寧に畳んだ。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
命の灯火 〜赤と青〜
文月・F・アキオ
ライト文芸
交通事故で亡くなったツキコは、転生してユキコという名前の人生を歩んでいた。前世の記憶を持ちながらも普通の小学生として暮らしていたユキコは、5年生になったある日、担任である園田先生が前世の恋人〝ユキヤ〟であると気付いてしまう。思いがけない再会に戸惑いながらも次第にツキコとして恋に落ちていくユキコ。
6年生になったある日、ついに秘密を打ち明けて、再びユキヤと恋人同士になったユキコ。
だけど運命は残酷で、幸せは長くは続かない。
再び出会えた奇跡に感謝して、最期まで懸命に生き抜くツキコとユキコの物語。
黒蜜先生のヤバい秘密
月狂 紫乃/月狂 四郎
ライト文芸
高校生の須藤語(すとう かたる)がいるクラスで、新任の教師が担当に就いた。新しい担任の名前は黒蜜凛(くろみつ りん)。アイドル並みの美貌を持つ彼女は、あっという間にクラスの人気者となる。
須藤はそんな黒蜜先生に小説を書いていることがバレてしまう。リアルの世界でファン第1号となった黒蜜先生。須藤は先生でありファンでもある彼女と、小説を介して良い関係を築きつつあった。
だが、その裏側で黒蜜先生の人気をよく思わない女子たちが、陰湿な嫌がらせをやりはじめる。解決策を模索する過程で、須藤は黒蜜先生のヤバい過去を知ることになる……。
親子丼って残酷ですか?
きのたまご
ライト文芸
高校のクイズ研究部に所属する二人、夏恋と次郎。いつものようにお昼ごはんを一緒に食べていると、夏恋が作ってきたお弁当を見た次郎が、自分が旅行先で遭遇した奇妙な出来事を思い出してクイズにしてくる。日常系ミステリー短編です。
不眠症の上司と―― 千夜一夜の物語
菱沼あゆ
ライト文芸
「俺が寝るまで話し続けろ。
先に寝たら、どうなるのかわかってるんだろうな」
複雑な家庭環境で育った那智は、ある日、ひょんなことから、不眠症の上司、辰巳遥人を毎晩、膝枕して寝かしつけることになる。
職場では鬼のように恐ろしいうえに婚約者もいる遥人に膝枕なんて、恐怖でしかない、と怯える那智だったが。
やがて、遥人の不眠症の原因に気づき――。
よこはま物語 壱、ヒメたちとのエピソード
セキトネリ
ライト文芸
ぼくの中学高校の友人で仲里というヤツがいる。中学高校から学校から徒歩20分くらいのところに住んでいた。学校帰り、ぼくはよく彼の家に行っては暇つぶしをしていた。彼には妹がいた。仲里美姫といって、ぼくらの学校の一駅手前の女子校に通っている。ぼくが中学に入学した時、美姫は小学校6年生だった。妹みたいなものだ。それから6年。今、ぼくは高校3年生で彼女は2年生。
ぼくが中学1年の時からずっと彼女のことをミキちゃん、ミキちゃんと呼んでいた。去年のこと。急に美姫が「そのミキちゃんって呼び方、止めよう!なんかさ、ぶっとい杉の木の幹(みき)みたいに自分が感じる!明彦、これからは私をヒメと呼んで!」と言われた。
「わかった、ヒメ。みんなにもキミのことをヒメと呼ぶと言っておくよ」
「みんなはいいのよ。明彦は私をそう呼んで」
「ぼくだけ?」
「そういうこと」
「・・・まあ、了解だ」みんなはミキちゃんと呼んで、ぼくだけヒメって変だろ?ま、いいか。
「うん、ありがと」
ヒメはショートボブの髪型で、軽く茶髪に染めている。1975年だから、髪を染めている女子高生というだけで不良扱いされた時代。彼女の中学高校一貫教育のカトリック系進学校では教師に目をつけられるギリギリの染め方だ。彼女は不良じゃないが、ちょっとだけ反抗してみてます、という感じがぼくは好きだ。
黒のブランドロゴがデザインされたTシャツ、デニムの膝上15センチくらいのミニスカートに生足。玄関に立った彼女の目線とぼくの目線が同じくらい。
ポチャっとしていて、本人は脚がちょっと太いかなあ、と気にしている。でも、脚はキレイだよ、無駄毛の処理もちゃんとしてるんだよ、見てみて、触って。スベスベだよ、なんて言う。小学生の時だったらいいが、ぼくも高校3年生、色気づいていいる。女子高生に脚を触ってみて、なんて言われても困る。彼女は6年前と変わらず、と思っていた。
「よこはま物語」四部作
「よこはま物語 壱½、ヒメたちとのエピソード」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/913345710/343943156
「よこはま物語 弐、ヒメたちのエピソード」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/913345710/245940913
「よこはま物語 参、ヒメたちのエピソード」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/913345710/59941151
「よこはま物語 壱、ヒメたちとのエピソード」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/913345710/461940836

復讐するは彼にあり~超獣戦線~
板倉恭司
ライト文芸
そう遠くない未来の日本。
黒田賢一は、理由もわからぬまま目の前で両親を殺され、自らも命を落とす。だが賢一は、冥界にて奇妙な姿の魔王と取り引きし、復讐のため現世に舞い戻る。人も獣も超えた存在・超獣として──

田舎女子、初の合コンで他人の恋愛に巻き込まれる
ハル
ライト文芸
簡単な思い付き短編を書きました。毎週土曜日公開で5話完結です。4話は本編、1話は後日談
お付き合いください。
大学進学のために上京したのだけど、入学早々、初対面の人から合コンなるものに誘われてしまい、断るひまもなくそのまま会場へ。
場違いだと思わせるお店と服装。それだけならいいのだが、恰好だけでなく身に着けているものも何となく集まった集団が放つもの全てに釣り合っていない。あきらかに自分だけハブられている感があるのだが、どうにも帰れないオーラにさらされてしまい、上京したばかりで断る根性もなくそのまま居座ることになる。
もうここまで来たら、空気でやり過ごすしかない!!
タダだから!!
あれ?なんだかどんどん空気がおかしくない?
なんでこんなに私男女の間に挟まれているの!!

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる