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第5章 賢人
第45話
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カイにもらった首飾りがシャランシャラン鳴る音を聞きながら、柰雲《なくも》は磯の小路を歩いた。
角岩は近づくにつれておどろおどろしさが増していく。ついに黒い岩で視界が覆いつくされた時、ちょうど月が真上に来ていた。
月を確認しようとすると、頭上に二つの黒い岩の突起が見える。しめ縄に分断された満月が揺らめいていた
「大丈夫だ。まだ、死ぬと決まったわけじゃ……」
鼓舞しながら岩場を進み、角岩の根元を見る。そこには巨大な真っ黒い竇《あな》が開いていた。思わず言葉を失うほどの威圧感が、ひしひしと伝わってくる。
そこから吹き上げてくる風と音で、柰雲の全身の産毛が瞬時に逆立った。風と波が激しく岩の向こうでぶつかり合い、不気味な音が耳に届けられる。
穴の縁まで行って中を覗くと、下からごおおという音が聞こえてくる。昼間はそこに海があったので、海水が竇の中に入っているのかと思いきや、深い水たまりになっているようには感じられない。
どういうわけか生ぬるい風が竇の中からこちら側へ向かって吹いてきていた。それは、この先が海ではないことを示している証拠のように思える。
「肆ノ國……死ノ國。予想が本当なら、この先は人以外の國だ。食べ物は口にするな。干し肉は持ってきている。大丈夫だ」
生きて戻ってこなくてはならない。
「行こう」
竇の縁に腰を下ろし、足を中へ下ろそうとした瞬間。まるで強いなにかに引っ張られるようにして、柰雲は体勢を崩した。
「――――……っ!」
落ちて底の部分にぶつかると思い身体を丸めたのだが、衝撃は一向に来なかった。
目を開けて確認すると、どうやら水の中にいるようだ。水中だと認識すると、途端に呼吸が苦しくなり、慌てたせいで口から空気がごぼごぼと抜けていく。
しかし、落ちた感覚も水に入った音もしなかったことを思い出して、頭が一瞬で冷静になる。
國を超えるのだから、なにが起こっても不思議ではないのだ。
頭上を見上げると、すぐそこだと思っていた竇の縁は、こぶし一つ分くらいの大きさになっている。
息が続かず苦しさが襲い掛かってくる。空気を求めて浮上するには、すでに地上は遠すぎた。
上に戻ろうとしていると、妙な液体がまとわりついて押しとどめる。無理だと思った瞬間、鼻から水を吸ってしまった。
感じたのは痛みではなく空気だった。
「……な、なんだ、これは……?」
思わずつぶやいて、もう一度鼻から水を吸い込む。すると簡単に呼吸ができた。空気があるのならば、瞬時に冷静さ取り戻せた。
体勢を立て直し歩くように脚を前へ進めていくと、先ほどまでまとわりつくようにしていた水たちが、急に滑らかになった。
「どういうことだ?」
わけがわからないまま暗い道を歩くと、そのうちに地面が現れる。そして、その先には横堀りされたような竇が続いている。
青白く光る奇妙な形をした生物たちがたゆたっていて、暗い中をほんの少し明るくしていた。近づいてみると、魚やクラゲのようなもの、地上の獸のよりも大きなものもいる。
半透明のそれらは、柰雲には見向きもせずに竇の先へまっすぐ向かっていく。
「これは、生き物たちの魂か?」
いつの間にか辺りに満ち溢れていた青白い生命体たちを見て、柰雲はなぜかそう感じた。
見たことのある陸の生き物も、半透明の身体となっている。そして、自分の指先を見てぎょっとして目を見開き立ち止まった。
「透けている……!」
周りを泳ぐ生き物たちと同様に、柰雲自身もまた青白く半透明になってしまっているようだ。
「わたしは死んだのか?」
わからないまま止まっていると強い視線を感じた。辺りを見回してみたが、生き物たちの青白い魂は、柰雲のことを気にしている様子はない。
柰雲は視線のほうに意識を集中する。そうしているうちに、竇の奥からかすかに風を感じとった。
さらにその奥から、生き物の気配と視線を感じる。柰雲は透明になった両手を下ろすと、竇の奥へ進んでいった。
この先になにがあろうとも、今起こっていることが夢か現実かわからなくとも、先に進まなければなにも始まらない。
路の終わりを感じ始めると、急に周りを泳ぎ始める生命たちの姿も増えて密度が増す。いつの間にか光る生命体たちの大所帯になっている。
自分よりも先を行く生き物たちの魂を追うようにして、竇の終わりへ柰雲も駆けだしていた。
角岩は近づくにつれておどろおどろしさが増していく。ついに黒い岩で視界が覆いつくされた時、ちょうど月が真上に来ていた。
月を確認しようとすると、頭上に二つの黒い岩の突起が見える。しめ縄に分断された満月が揺らめいていた
「大丈夫だ。まだ、死ぬと決まったわけじゃ……」
鼓舞しながら岩場を進み、角岩の根元を見る。そこには巨大な真っ黒い竇《あな》が開いていた。思わず言葉を失うほどの威圧感が、ひしひしと伝わってくる。
そこから吹き上げてくる風と音で、柰雲の全身の産毛が瞬時に逆立った。風と波が激しく岩の向こうでぶつかり合い、不気味な音が耳に届けられる。
穴の縁まで行って中を覗くと、下からごおおという音が聞こえてくる。昼間はそこに海があったので、海水が竇の中に入っているのかと思いきや、深い水たまりになっているようには感じられない。
どういうわけか生ぬるい風が竇の中からこちら側へ向かって吹いてきていた。それは、この先が海ではないことを示している証拠のように思える。
「肆ノ國……死ノ國。予想が本当なら、この先は人以外の國だ。食べ物は口にするな。干し肉は持ってきている。大丈夫だ」
生きて戻ってこなくてはならない。
「行こう」
竇の縁に腰を下ろし、足を中へ下ろそうとした瞬間。まるで強いなにかに引っ張られるようにして、柰雲は体勢を崩した。
「――――……っ!」
落ちて底の部分にぶつかると思い身体を丸めたのだが、衝撃は一向に来なかった。
目を開けて確認すると、どうやら水の中にいるようだ。水中だと認識すると、途端に呼吸が苦しくなり、慌てたせいで口から空気がごぼごぼと抜けていく。
しかし、落ちた感覚も水に入った音もしなかったことを思い出して、頭が一瞬で冷静になる。
國を超えるのだから、なにが起こっても不思議ではないのだ。
頭上を見上げると、すぐそこだと思っていた竇の縁は、こぶし一つ分くらいの大きさになっている。
息が続かず苦しさが襲い掛かってくる。空気を求めて浮上するには、すでに地上は遠すぎた。
上に戻ろうとしていると、妙な液体がまとわりついて押しとどめる。無理だと思った瞬間、鼻から水を吸ってしまった。
感じたのは痛みではなく空気だった。
「……な、なんだ、これは……?」
思わずつぶやいて、もう一度鼻から水を吸い込む。すると簡単に呼吸ができた。空気があるのならば、瞬時に冷静さ取り戻せた。
体勢を立て直し歩くように脚を前へ進めていくと、先ほどまでまとわりつくようにしていた水たちが、急に滑らかになった。
「どういうことだ?」
わけがわからないまま暗い道を歩くと、そのうちに地面が現れる。そして、その先には横堀りされたような竇が続いている。
青白く光る奇妙な形をした生物たちがたゆたっていて、暗い中をほんの少し明るくしていた。近づいてみると、魚やクラゲのようなもの、地上の獸のよりも大きなものもいる。
半透明のそれらは、柰雲には見向きもせずに竇の先へまっすぐ向かっていく。
「これは、生き物たちの魂か?」
いつの間にか辺りに満ち溢れていた青白い生命体たちを見て、柰雲はなぜかそう感じた。
見たことのある陸の生き物も、半透明の身体となっている。そして、自分の指先を見てぎょっとして目を見開き立ち止まった。
「透けている……!」
周りを泳ぐ生き物たちと同様に、柰雲自身もまた青白く半透明になってしまっているようだ。
「わたしは死んだのか?」
わからないまま止まっていると強い視線を感じた。辺りを見回してみたが、生き物たちの青白い魂は、柰雲のことを気にしている様子はない。
柰雲は視線のほうに意識を集中する。そうしているうちに、竇の奥からかすかに風を感じとった。
さらにその奥から、生き物の気配と視線を感じる。柰雲は透明になった両手を下ろすと、竇の奥へ進んでいった。
この先になにがあろうとも、今起こっていることが夢か現実かわからなくとも、先に進まなければなにも始まらない。
路の終わりを感じ始めると、急に周りを泳ぎ始める生命たちの姿も増えて密度が増す。いつの間にか光る生命体たちの大所帯になっている。
自分よりも先を行く生き物たちの魂を追うようにして、竇の終わりへ柰雲も駆けだしていた。
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