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第4章 神域へ

第44話

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 その光景は、半信半疑だった与那が口をぽかんと開けたくらい衝撃だった。

 月夜の海に現れたのは磯の小路。村長たちが言っていたことは本当で、満月に照らされて角岩《つのいわ》までの海が引き、岩まで続く小路ができていた。

 目を見開いている与那の隣で、カイが額から角をはやす勢いで怒っている。

「だから、嘘じゃないと言ったのに。なんで私の言うことは信じられないんだ!」

「うるせぇな。オレは誰の言うことも信じねーんだよ」

 人が一人通れるくらいの、細い岩の路《みち》が目の前に広がっている。

 路の両脇からは波が小さくぶつかり合っていて、それはまるで、その先に続く見知らぬ世界に誘い込むような印象を与える。

 潮が引いた角岩の周りは、村人たちの言っていたとおり、根元の部分が繋がっていた。海に隠れていない部分が多いため、昨日までよりも数倍大きく見える。

 岸からは角岩の根元に開いているという竇《あな》は見えないのに、すでにおどろおどろしい雰囲気が伝わってきている。

 村人たちは角岩の姿を恐れて、昼過ぎから姿を見せていない。村全体が静まり返っていた。

 満月に照らされて、黒い岩はさらに黒さを増してそびえているように見える。背筋が寒くなるような気配に吞まれそうになっていると、カイが口を開いた。

「柰雲、やめるなら今だぞ……あの先は、私でも視えない。ただ、今まで視てきたものとは違う力を感じる」

 見ると、カイの透き通った瞳の奥が揺らめいている。

「やっぱりやめよう柰雲。今から村に戻って寝よう。なんだかよくない――」

「それはできねぇ。阿流弖臥《あるてが》さまには、柰雲が近々神域に入ると報告してある」

「与那、お前なんてことしてくれるんだ!」

 今にも噛みつきそうなカイを見下ろすと、与那は腕組みする。

「報告がないとオレの首が飛ぶ。でも繋ぎはしばらくいらねぇと伝えた。それがオレのできる精一杯だ」

 与那の衣を摑んでいたカイは、悔しそうに歯を噛みしめた。柰雲は稀葉の顎を撫で、それから覺悟を決めると二人に向き合う。

「わたしは行くよ。潮が滿ちてきたら路がなくなりそうだ」

 しかし、と言いかけたカイと与那の腕を、柰雲は自分のほうへ引っ張る。二人をぎゅっと抱きしめた。

「おい放せ、オレはあんたたちと仲良くするつもりはな――」

「――行ってくる。ありがとう、二人とも」

 暴れて離れようとしていた与那は、柰雲の落ち着いた聲に動きを止めた。そっと肩に手を回してくると、観念したように「ああ」と呟く。カイは柰雲の胸に強くしがみついた。

「生きて歸《かえ》ってこい。実などいざとなったらどうでもいい、生きるのが先だ」

「わかった」

 二人を解放すると、柰雲は月明かりに碧《みどり》に見える与那の瞳を見つめて「頼んだよ」と言う。与那が頷いたのを見届けてから後ろにいた稀葉の首元に強く抱きつく。

 稀葉のにおいを肺いっぱいに吸い込み、美しくやわらかな毛並みに顔をうずめる。稀葉は首を曲げて、柰雲の衣服をいとおしそうに食んだ。ずっと稀葉に触れあっていたい気持ちをこらえ、稀葉の額に自身の額をくっつける。

「稀葉、ありがとう。行ってくる」

 稀葉の大きな舌が柰雲の頬を舐めて、寂しそうな瞳をして鼻面をこすりつけた。

「柰雲、これを持っていけ」

 カイは首から下げていた玉飾りを柰雲の首にかける。シャラン、と鈴の小気味よい音が聞こえた。

「儀式に使う大事な呪具《じゅぐ》だ。持ってきてくれないと私が困る」

「必ず返すよ」

 柰雲は二人に手を振ると、波打ち際を進んで磯の小路の端へたどり着く。

「行ってきます」

 柰雲が再度手をあげて振り返ると、与那がなにかを投げてよこした。空中で摑む。それは、長い紐のついた小さな袋だ。

「ガノムの毒だ。役に立つだろ」

 ぶっきらぼうに言い放つ与那に、柰雲はほほ笑んだ。ありがたく受け取り、紐を首からかけて衣服の中にしまった。

 感謝を伝えてから、シャンシャンと鈴の音を響かせながら磯の小路を歩いていく。二度と振り返らず、黒い闇のようになっている角岩へ近づいた。

 柰雲の鈴の音が遠ざかっていくのを、カイと与那そして稀葉は静かに見守った。

「……見ろ与那。路が……!」

 カイがはっとして自身の立っている足元を見る。与那もカイの視線の先を追って、思わず言葉を飲み込んだ。

「路が、海に消えていってる……」

 不気味なことに、柰雲が通った直後から、音もたてずに路が手前側から海の中に沈み始めていた。

「数刻程度の限られた時間しか入れねぇっていうのは、本当だったのか」

「まるで罠だな。こっちへ来いと言わんばかりの」

 カイは目を細めつつ、岩をじっと見つめた。

「中が視えない。嫌な感じと、神々しい感じが同時に押し寄せてくる……やはりあそこは、肆ノ國の入り口なのかもしれない」

「だとしたら、竇《あな》の先は神の住まう場所ってことか?」

 カイは目を閉じてもう一度心の目で角岩を視ようとする。しかし、靄がかかったようになり、なにも感じ取れなかった。

「……無事でいてくれ、柰雲」

 心配そうにしている稀葉の頭を撫でながら、カイは遠ざかっていく柰雲の後姿を黙って見ていた。
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