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第4章 神域へ

第43話

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 夜に目が覚めた柰雲は、みんなが寝静まっているのを確認してそっと外へ出た。

 海の上にぽっかりと浮かんだ月は、煌々と金色の輝きを発している。浜辺に座りこんで波が打ち寄せるのを眺めていると、誰かが近寄ってくる足音が聞こえくる。

 隣に腰をおろしたのは与那だ。

「カイは、寝ている?」

「あんなに威勢よかったのに、寝ると言ったらすぐだった。まるでガキだな」

「与那、ありがとう」

 隣に座った与那は肩をすくめてから、視線を海へ移した。

「ここ数カ月あんたたちを見てきたが、オレの心を動かすものがあった」

 柰雲は黙って聞いていた。

「あんたらはいつだって、追っ手のオレたちをまいて逃げられたはずだ。それに、オレがお前を殺す可能性だってあったのに。なぜ逃げなかった?」

「それで物事が良くなるならそうする」

「そうか。そうだな」

「与那は、阿流弖臥のことを恨んでいるのか?」

 わからないと与那は首を横に振った。

「つらいことも苦しいこともあった。けど、それでも乗り越えられたのは、あの人がオレを密偵として信じてくれたからだ」

 与那の声は淡々としていて涼やかだ。そこには恨みも憎しみもないように聞こえる。

「信じるものがあれば人はぶれずにいられる。それだけだ」

「そうだね……この先、与那が信じ続けられるものがあればいい」

 阿保だな、と与那は吐き捨てた。

「オレは、命じられたらいつだってあんたの首をとる」

「それはわたしも同じだ。間合が近い戦闘は与那にとって不利になる。見ていただろう? わたしが一族の村で毒麦の兵を惨殺したのを」

 与那は思い出したと言わんばかりに瞬きすると、口を引き結んで押し黙った。

「わたしは、心の底にいつも憎しみを持っている。この不条理な世界にも、変わらない現状にも、勝手に回り出す運命も。それに翻弄されるしかない弱い自分にも」

 世の中すべての物事を、自分一人でどうにかできるわけがない。

「世界は、誰にとっても不平等であることだけが平等なんだ」

 与那のそれに同意してから、柰雲は月の浮かぶ海を見つめて口を開く。

「……だから余計やるせない。不平等こそが、現実世界の確固たる平等だとわかっているから……」

 世界をどうにかしたいとは思わない。けれど、もしどうにかできるのであれば、平和で飢えや苦しみのない世界を望む。それが柰雲の願いだ。

「ところで、わたしが実を持ち帰ったら、与那はそのあとどうする?」

「オレは、そうだな。できるなら密偵を辞めて、山小屋で昴と二人で暮らしたい」

「与那にぴったりだ」

 深い山奥でひっそりと暮らす与那と昴の、幸せな姿が想像できる。それが叶うのであれば、みんなの理想が叶うのであれば、実を必ず持ち帰ろうと柰雲は心に決める。

 やるせなさや怒りや憎しみを解消するには、実を持ち帰って、それぞれがそれぞれの理想とする生活に戻るしかない。

「わたしがどうにかする。どうにかできない部分は、与那の力を貸してほしい」

「はあ? 嫌に決まっている。お前が自分で行くと決めたんだ、自分一人でなんとかしろ」

「それは責任を持つ。だから、和賀ノ実を持ち帰ったあとにわたしが死んだら、カイと稀葉をよろしく頼むよ」

 与那は渋い顔になる。

「縁起でもねぇこと言うな。誰があのうるさい女と、おっかない候虎なんか……自分一人でも手いっぱいだっていうのに」

「昴の面倒をみれるんだから、あと二人増えたって大丈夫さ」

「冗談じゃない、昴はオレの相棒だぞ、生まれた時から一緒だ。訳が違う」

 それに柰雲はくすくす笑った。

「与那は、カイに舌を治してもらってから、ずっと恩義を感じているだろう? それは与那の優しさだ。君は、優しくて友達思いの人だ」

「うるせぇ。ずっと困っていた舌が治ったんだ。礼くらいする」

「よろしく頼む」

 柰雲が握手をしようと手を伸ばすが、与那は訳がわからないという顔をした。一拍おいて与那はその意味を理解したようだが、握り返すことはせずに柰雲の手をパンと叩いた。

「――しょうがねぇな」

 冷えてきたので小屋へと戻ると、カイは相変わらずすやすや寝ている。柰雲は稀葉の懐に入り込み、身体を丸めた。

 稀葉のにおいを鼻孔深くに吸い込んでから、毛並みに顔をうずめて眠った。





 柰雲が寝静まるのを見てから、与那はため息を吐いた。

「オレのことなんか放っておけばいいのに……」

 そう言いつつも、生まれて初めてできたに与那は頬が緩んだ。それを隠すように、膝を丸めて茣蓙へ横たわって目をつぶった。
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