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第4章 神域へ
第40話
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カイは漁村へ着くと、神域の話をいきなり村長に持ち掛けた。
神域の話は門外不出だったらしいのだが、カイが隣の漁村の巫女ですでに神域のことを知っているとわかって、隠しても仕方がないと漁村の人々はあきらめた。
彼女の尊大な態度も、有無を言わせなかった。
こういう時のカイは、本当に頼もしい。巫女というのはどの村でも神聖なものだが、神を宿す刺青の巫女は海沿いでは特に信仰を集めているようだ。
カイを見た人々が、神を前にしたように地面に伏したのは、彼女自体に神々しさを感じたからだろう。
そういう訳でで数段飛ばしで入村し、さらに村長ともすぐに話ができた。旅の事情を話したが、村長と村の重鎮たちは渋い顔をしたまま一向に首を縦に振らない。
「――旅人さん。本当に行くんですかい?」
「そのためにはるばる西からやって来ました」
「過去に何人か、神域を目指した人はいます」
「ほら、通しているんじゃないか。だったら柰雲も――」
「しかし」
カイの言葉を村長が遮った。
「行って、戻ってきた人は今まで一人もいないのです」
「知っている」
「一人もですぞ。この參ノ國ができて千年あまり。ずっと、誰も戻ってこない」
カイは口を曲げる。柰雲は茣蓙《ござ》の上に胡坐をかいて、色々なことを考えていた。
「それに、神域には獸の立ち入りは禁止されています。必ず一人で行かなくてはいけません」
戸口で大人しく待っている稀葉を見つめながら、村長はため息を吐いた。
「今まで武装した集団も武の達人も入りました。巫女だから大丈夫だと入って行った人も見ましたが、その後の消息はみな不明です。だから儂らは必死で止めるんです」
それから、人が入っていった翌月は大漁になるが、そのあと数か月は魚が獲れなくなるのだという。それも、彼らが神域に人を寄せ付けたくない最大の理由のようだ。
わかっていただけますかね、と村長がしわの深い表情を曇らせながら伝える。だがしかし、柰雲はピクリとも動かなかった。決意の固い姿を見て、村長がさらに深々と息を吐く。
「……月が次に満ちるのは二日後の夜です。どうか、それまでに心変わりしますように。この村には、いつまでいて下さってもけっこうですから」
柰雲は深々と頭を下げた。
「行くなら、小舟かなにかが必要じゃないのか?」
カイが問うと、それにはみな一様に首を横へ振った。
「この先の岬から人ひとりが通れる道が現れます」
「なるほど。そこからはどう行くんだ?」
「二つ突き出しているように見えるあの角岩《つのいわ》ですが、月が満ちると、潮が引いて隠れている岩の根本が現れます。あの岩は根元が繋がっていて、岩と岩の間に大きな穴があり、神域の入り口となっているのです」
あの穴に入ったら最後戻って来られませんよと、渋面で再度付け加える。
「それは散々聞いたぞ、村長。では、帰りはどうしたらいいんだ?」
「帰ってきた人がいないので……ですが、二つの岩の間に、復路用にと舟を繋いでおいた人もいました」
それを聞くと、カイは「よし、それでいこう!」とこぶしを叩いた。あまりにも威勢よく弾ける音に、場のどんよりとした雰囲気が若干薄れる。
「儂らは、行ってほしくないのですが……死体が打ちあがらないのも、気味が悪いですし」
それは初めて聞く話だ。カイも目を丸くする。
「海で亡くなれば、たとえ魚や和邇《わに》に食べられても、一部は見つかることもありますが……神域に行った人はそれさえもない」
まるで神隠しに自ら遭いに行くようなものだ、と誰かが言う。こわやこわや、と両手を合わせたり短い祓言葉を唱える者もいた。
その様子からは、彼らが本当に神域を恐ろしがっているのが伝わってくる。
「行くと言ったら行く。戻ってくる時用の小舟を用意してくれ。貸してもらえないなら買う」
カイは腰に入れていた袋から砂金をいくつも取り出した。突然出てきたそれに、村人も柰雲も驚いた。
「川で底を眺めたりほじくったりしているとは思っていたけど、砂金を集めているとは思わなかった」
柰雲が素直に口にすると、カイは自慢げに鼻から息を吐いた。
「いつか使い道があると思っていたんだ」
「しまってくれ、カイ。わたしが支払うべきだ」
カイ自身のためではなく柰雲のために砂金を使おうとしている。柰雲は胸が熱くなった。
「いらない。したくてやっているし、私も自分の舟が欲しい」
砂金に目を丸くしていた村人たちだが、冷静になった村長が口を開いた。
「しかし、舟は私たちの命のように大事な道具です。舟がないと収穫量も減って……その量の砂金ではとても足りない」
「それはそうかもしれないが」
カイがそれでもと交渉を進めようとしたところ、家の入り口が騒がしくなった。そちらに目を向けると、背の高い青年が立っている。
「与那!」
カイが驚くのと、与那《よな》が担いでいた木の枝を地面に下ろすのが同時だった。どすん、と置かれた木の枝には、子猪が繋がれている。突然現れた正体不明の男に、誰もが驚き言葉を発せないでいる。
与那はびっくりしている人々にかまわず、口元の布を取ってから周りを見渡した。
「これを渡す。収穫量が減らなきゃいいんだろ? なら、柰雲が帰って来るまでの間、オレが毎日山へ狩りへ出て獲物を取ってくる。どうだ?」
「与那、どうしたんだいきなり……お前、自分で敵だと言っていたじゃないか?」
カイが訝しんでいると、与那はふんと鼻を鳴らした。
「和賀ノ実を取ってきてもらわないと、オレの命だって危ない。阿流弖臥《あるてが》さまに殺される」
カイは与那の本心を視たようで、安心したように「助かる」と息を吐いた。
「村長、そういうことだから舟を譲ってくれ。私も豊作になるまじないをしよう」
「必要なら熊でも鹿でも狩って来てやる。だから小舟をよこせ」
二人の勢いに気おされ、村長はあきらめたように肩を落とした。
「……わかりました。小舟を用意します。月の満ちた翌日は、悪天候になり波が荒くなります。それが過ぎたら、小舟を岩場へ運べばよろしいでしょう」
「私は舟の操縦は得意だ! 二艘で行って、買った一艘を繋げて置いてこよう」
カイが得意げに立ち上がり、与那は胡散臭そうなものを見る目でカイを見ていた。
神域の話は門外不出だったらしいのだが、カイが隣の漁村の巫女ですでに神域のことを知っているとわかって、隠しても仕方がないと漁村の人々はあきらめた。
彼女の尊大な態度も、有無を言わせなかった。
こういう時のカイは、本当に頼もしい。巫女というのはどの村でも神聖なものだが、神を宿す刺青の巫女は海沿いでは特に信仰を集めているようだ。
カイを見た人々が、神を前にしたように地面に伏したのは、彼女自体に神々しさを感じたからだろう。
そういう訳でで数段飛ばしで入村し、さらに村長ともすぐに話ができた。旅の事情を話したが、村長と村の重鎮たちは渋い顔をしたまま一向に首を縦に振らない。
「――旅人さん。本当に行くんですかい?」
「そのためにはるばる西からやって来ました」
「過去に何人か、神域を目指した人はいます」
「ほら、通しているんじゃないか。だったら柰雲も――」
「しかし」
カイの言葉を村長が遮った。
「行って、戻ってきた人は今まで一人もいないのです」
「知っている」
「一人もですぞ。この參ノ國ができて千年あまり。ずっと、誰も戻ってこない」
カイは口を曲げる。柰雲は茣蓙《ござ》の上に胡坐をかいて、色々なことを考えていた。
「それに、神域には獸の立ち入りは禁止されています。必ず一人で行かなくてはいけません」
戸口で大人しく待っている稀葉を見つめながら、村長はため息を吐いた。
「今まで武装した集団も武の達人も入りました。巫女だから大丈夫だと入って行った人も見ましたが、その後の消息はみな不明です。だから儂らは必死で止めるんです」
それから、人が入っていった翌月は大漁になるが、そのあと数か月は魚が獲れなくなるのだという。それも、彼らが神域に人を寄せ付けたくない最大の理由のようだ。
わかっていただけますかね、と村長がしわの深い表情を曇らせながら伝える。だがしかし、柰雲はピクリとも動かなかった。決意の固い姿を見て、村長がさらに深々と息を吐く。
「……月が次に満ちるのは二日後の夜です。どうか、それまでに心変わりしますように。この村には、いつまでいて下さってもけっこうですから」
柰雲は深々と頭を下げた。
「行くなら、小舟かなにかが必要じゃないのか?」
カイが問うと、それにはみな一様に首を横へ振った。
「この先の岬から人ひとりが通れる道が現れます」
「なるほど。そこからはどう行くんだ?」
「二つ突き出しているように見えるあの角岩《つのいわ》ですが、月が満ちると、潮が引いて隠れている岩の根本が現れます。あの岩は根元が繋がっていて、岩と岩の間に大きな穴があり、神域の入り口となっているのです」
あの穴に入ったら最後戻って来られませんよと、渋面で再度付け加える。
「それは散々聞いたぞ、村長。では、帰りはどうしたらいいんだ?」
「帰ってきた人がいないので……ですが、二つの岩の間に、復路用にと舟を繋いでおいた人もいました」
それを聞くと、カイは「よし、それでいこう!」とこぶしを叩いた。あまりにも威勢よく弾ける音に、場のどんよりとした雰囲気が若干薄れる。
「儂らは、行ってほしくないのですが……死体が打ちあがらないのも、気味が悪いですし」
それは初めて聞く話だ。カイも目を丸くする。
「海で亡くなれば、たとえ魚や和邇《わに》に食べられても、一部は見つかることもありますが……神域に行った人はそれさえもない」
まるで神隠しに自ら遭いに行くようなものだ、と誰かが言う。こわやこわや、と両手を合わせたり短い祓言葉を唱える者もいた。
その様子からは、彼らが本当に神域を恐ろしがっているのが伝わってくる。
「行くと言ったら行く。戻ってくる時用の小舟を用意してくれ。貸してもらえないなら買う」
カイは腰に入れていた袋から砂金をいくつも取り出した。突然出てきたそれに、村人も柰雲も驚いた。
「川で底を眺めたりほじくったりしているとは思っていたけど、砂金を集めているとは思わなかった」
柰雲が素直に口にすると、カイは自慢げに鼻から息を吐いた。
「いつか使い道があると思っていたんだ」
「しまってくれ、カイ。わたしが支払うべきだ」
カイ自身のためではなく柰雲のために砂金を使おうとしている。柰雲は胸が熱くなった。
「いらない。したくてやっているし、私も自分の舟が欲しい」
砂金に目を丸くしていた村人たちだが、冷静になった村長が口を開いた。
「しかし、舟は私たちの命のように大事な道具です。舟がないと収穫量も減って……その量の砂金ではとても足りない」
「それはそうかもしれないが」
カイがそれでもと交渉を進めようとしたところ、家の入り口が騒がしくなった。そちらに目を向けると、背の高い青年が立っている。
「与那!」
カイが驚くのと、与那《よな》が担いでいた木の枝を地面に下ろすのが同時だった。どすん、と置かれた木の枝には、子猪が繋がれている。突然現れた正体不明の男に、誰もが驚き言葉を発せないでいる。
与那はびっくりしている人々にかまわず、口元の布を取ってから周りを見渡した。
「これを渡す。収穫量が減らなきゃいいんだろ? なら、柰雲が帰って来るまでの間、オレが毎日山へ狩りへ出て獲物を取ってくる。どうだ?」
「与那、どうしたんだいきなり……お前、自分で敵だと言っていたじゃないか?」
カイが訝しんでいると、与那はふんと鼻を鳴らした。
「和賀ノ実を取ってきてもらわないと、オレの命だって危ない。阿流弖臥《あるてが》さまに殺される」
カイは与那の本心を視たようで、安心したように「助かる」と息を吐いた。
「村長、そういうことだから舟を譲ってくれ。私も豊作になるまじないをしよう」
「必要なら熊でも鹿でも狩って来てやる。だから小舟をよこせ」
二人の勢いに気おされ、村長はあきらめたように肩を落とした。
「……わかりました。小舟を用意します。月の満ちた翌日は、悪天候になり波が荒くなります。それが過ぎたら、小舟を岩場へ運べばよろしいでしょう」
「私は舟の操縦は得意だ! 二艘で行って、買った一艘を繋げて置いてこよう」
カイが得意げに立ち上がり、与那は胡散臭そうなものを見る目でカイを見ていた。
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