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第4章 神域へ

第37話

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「――あんた、なんでそんな事をオレに話すんだ?」

 やっと口を開いた青年は、ものすごく不満そうな顔をした。

「牽制だ。一族になにか仕掛けたら、痛い返り討ちにあうという事を伝えておこうと思って」

 青年は大きくため息を吐いて頭をポリポリと掻いた。

「わかったよ。つなぎの連中に伝えておく」

 青年もやっと、話の本筋がわかったようだ。人質として捕らえていい民族ではないのが、より強く伝わらなければならなかった。それは家族や村人の命を引き延ばすことにつながる。

「ありがとう、そうしてくれると助かる。わたしは柰雲という。そなたの名は?」

 青年は非常に嫌な顔をしたのだが、カイに「早く言え」とせかされて口を割った。

「与那《よな》」

 青年はつまらなそうにつぶやき、地面にすらすらと文字を書いた。一つは見たこともない文字で、そしてもう一つは參ノ國の文字だ。

 書き終わった瞬間、彼から発せられていたピリピリした空気が消える。それは、与那が柰雲たちと敵として対峙することをやめたしるしだった。

「……死んだ父親《おやじ》が弐ノ國生まれ。本名はジョナスン。この國では発音が難しいから与那《よな》でいい」

「与那か、よろしく。私はカイだ」

 カイがほほ笑むと、与那はふんと鼻を鳴らした。

「よろしくされる覚えはねぇ。いくらあんたたちがオレのことを敵じゃないと言おうと、オレは阿流弖臥《あるてが》さまの手先だ」

 するとカイが半眼になって与那の頬を思い切りつねった。不意打ちのそれに与那は思わず「痛ててて」と驚く。

「嫌味な男だな。柰雲に礼の一つでも言え。鷹匠たちに囲まれた時、柰雲が出ていかなかったらお前は滅多打ちにされるか、皮を剥がされて干物になっていたぞ」

 与那はムッとしつつも、そっぽを向いて「すまん」とつぶやいた。

「私は礼を言えと言ったんだ。謝れとは言ってない!」

「カイ、落ち着いて」

 まくし立てるカイをなだめながら、柰雲がやれやれと苦笑いをした。

「わたしの相棒は候虎の稀葉……与那の相棒の名前は?」

「……昴《すばる》」

「星の名か、美しいな。それに賢く勇敢だ」

 昴を褒められたことが嬉しかった与那は、にやけそうになった顔をしかめて咳払いして話題を変えた。

「それより。さっきの話だが、オレが聞いているのと違うぞ」

「ああ、それは私も思っていた」

 だろうねと柰雲は頷く。与那とカイの話も聞かせてほしいと頼むと、まずは与那が語り始めた。

「オレが聞いた話……といっても、毒稲の民に伝わる話だが、三賢人は人ではなくて獸だったと言っていた。人から和賀ノ実《わがのみ》を奪っていった野蛮な獸の神だ。だから、毒稲の民たちは狩りにおいて容赦がない。獲った獲物の一部を自然に還すこともしないし、獸たちを嫌ってる」

 初めて聞いた話で、柰雲もカイも興味深くうなずいた。続けてカイが口を開く。

「私の村では、三賢人は〈友情の神〉、〈知恵の神〉、〈生と死の神〉の三人だ。生と死を司る神はウミヘビを従えていた。だから私たちの一族は、ウミヘビが浜に打ちあがると丁重に弔い、祠へ祀る。死んでもすぐに生まれ変われるように、身体にウミヘビの神を表す刺青を入れる」

 カイは鷹匠のこの村でも言い伝えが違っていたことを思い出したようだ。

「……だとすると、神話は伝わっていくうちに変化しているということか。それも、各部族に都合のいいように……それぞれの村の特性に合うように書き換えられているんだ」

 柰雲の推測を聞いていたカイが、目を瞬かせた。

「なるほどな。確かに一族に都合のいいように神話が解釈されれば、部族としての団結力が高まる。まさに都合がいい」

「だけど、大筋のところは変わらない。三賢人が神の國から持ってきた和賀ノ実を人に与えたが、人間の欲に辟易して持ち帰ってしまったというところは」

 柰雲のそれに二人が頷いた。

「そして、持ち帰った場所が、神常《かむどこ》の神域……カイが知る場所だ」

 地面に描いた世界樹の絵と、村を出る時に大巫女が言っていた言葉が頭の中で繋がる。

 カイもなにかを感じたようで、二人は弾かれたように見つめ合った。

「柰雲、今もしかして思ったことが同じだったとしたら……?」

「ああ。わたしは村を出る時、大巫女さまに言われた言葉がある。“神常の神域は、神の領域と言われる、人が住むことができない土地”だと」

 柰雲が眉をひそめるのと、与那が首をかしげるのが同時だった。

「なんだそれは。じゃあ、和賀ノ実がある場所は、國ノ国を指しているっていうのか……?」

 再び三人は地面の絵に視線を戻す。

「參ノ國は肆ノ國に一番近い場所にある。ありえなくない話だ」

「待て。それだと、そこへ行くとしたら、本当に神と対峙することになるぞ?」

 そもそも肆ノ國は、人が住む領域ではないと伝えられている。曖昧な表現しかできないのは、肆ノ國から人が来たことも行ったことも、いまだかつて無いからだ。

「行ったら死ぬか、死なないと行けないか。ということなのか?」

 カイが不安そうにすると、難しい顔をして考え込んでいた与那が「そんなことはない」と口を開いた。

「他国間を渡ることは基本的には不可能だ。世界樹が動いているし、どこでどう國どうしが交わるのかわからない。しかし、現にオレの父のように稀人と呼ばれる別の國から流れ込んでくる人間はいるわけで……」

 そこで与那は話を切った。

「弐ノ國生まれの親父の子孫がいる。つまり、生きて他国に行ける。ただ、行った先でどうなるかわからない、ということだろう」

 言ってから与那は眉根を寄せた。

「肆ノ國は、別名『』。人ではない生き物、神や神獣が住まうとされる領域……行けたとしても、參ノ國に戻ってこられる保証はない。オレも親父もずっと參ノ國《ここ》から動けない」

 与那の発言にカイは言葉を詰まらせる。今の話が仮定だったとわかっていても、不穏な空気が流れ始めていた。それを柰雲が打ち破る。

「大丈夫。必ずわたしは帰って来る。わたしにしかできない仕事なら、わたしが死ぬわけがない」

 どこからそんなおかしな自信が湧き上がるんだよと、与那があきれ返ってため息を吐いた。カイが含みのある視線を柰雲に向ける。

「それで、柰雲が死んだらなんと言い訳するつもりだ?」

「その時は、和賀ノ実を持ち帰る役目がわたしではなかったということだ」

 結局、話し合ってみたものの、わかったことは少なかった。

 部族によって三賢人の伝承は違っているが大筋は変わっていないということ、他国間の行き来はできないが、違う國に行ってもすぐに死ぬわけではないということは事実として証明できている。

「そんな曖昧な感じで神域――肆ノ國に行けるのか? 私は心配だぞ」

「行ってみるしかないってことだろう」

 なんとも言えない顔をするカイに向かって、柰雲は穏やかに笑ってみせたのだった。
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