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第3章 逃走
第33話
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夜が明けると、井戸の水で体中を洗い清め、大刀の手入れを終えた。
朝ごはんの支度を始めるというミタキにおはようと言い、手伝いをしていたところで誰かが駆け足でやってきた。
「あんた、生まれたよ! 女の子だって!」
息を切らして入ってきたのはサミだ。ミタキは「本当か!?」と驚くと、手に持っていた火吹きだけを落っことしそうになって慌てた。
「無理だって言われていたのに、逆子もけろりと治って……初産だったから時間はかかったけど、母子ともにピンピンしてるよ。二人とも見に行っておいで。朝食はあたしが作っておくから」
柰雲はためらったのだが、すでにミタキが早く早くと言いながら駆け出している。柰雲は稀葉にそこに残るように伝えてから、出産したという妊婦の家に向かった。
その家はすでに人だかりができており、人々の嬉々とした様子がうかがえた。
「おう、俺らと旅人さんにも拝ませてくれや」
ミタキの声に人々が道を作ってくれる。人垣を進んでいくと、生まれたてのしわしわの赤子が、母親のお乳を飲んでいた。
その横で、満足そうな顔をしたカイが産婆と共にどっしりと座り込んでいる。
「カイ」
声をかけると、カイは破顔した。カイはいつの間にか、彼女の全身の刺青にも似た、複雑な模様が描かれた装束に着替えている。
「柰雲、無事に生まれたぞ。女の子だ、可愛いだろう。それにこの衣装、この産婆さんが持ってたんだ。もう村に呪術師も巫女もいないから、私にくれるって!」
カイの手足や首には、玉飾りがたくさんついている。カイが動くとじゃらじゃらとそれらが鳴った。神々しく思える姿に、柰雲は思わずほほ笑んだ。
「――あなたがカイの旅のお連れさんだね?」
急に声をかけられて振り返れば、お乳をあげ終わって衣服を整えた母親が、産婆に寄り添われて柰雲を見つめていた。
「カイのおかげで逆子も治り、無事に生まれてきてくれました。恩にきります」
「わたしはなにもしていない。礼ならカイに」
恐縮していると、母親は首を横に振った。
「あなたと共に旅をしなければ、この村に寄ることもなかったと聞きました。これもなにかのご縁です。それに、私たちの一族に伝わる神話では、獣を連れた神が人々に豊穣をもたらしたと伝えられています」
初めて聞く話に、柰雲は目を見開いた。
「三賢人の話ですか?」
「ええ。賢人は大きな獣を引き連れて人々に恵みをもたらしたと。だから私たちは、獣を敬い、獣たちと共に暮らす鷹匠の一族なのです」
それに言葉が出せなくなった。
自分が知っている神話とはにわかに違っていたが、三賢人の話は同じだ。混乱しかけていると、横にカイが来て柰雲の背を強く叩いた。
「お腹が空いた。サミが朝食を作ってくれていると言ってた。ひとまず私も休みたい」
カイの申し出に、柰雲はああ、とうなずく。
「アタギ、また後で来る。その子の長寿と健康を祝うまじないをしよう」
「ありがとうね、カイ。ゆっくりしてからきておくれ」
赤子の出産に立ち会ったカイは、久々の巫女としての仕事に興奮冷めやらぬ様子で、柰雲とミタキと共に屋敷へ戻った。サミが朝餉の準備をしており、ミタキと柰雲はすぐに手伝った。
食べ終わってからしばらくすると、カイは疲れたのか眠ってしまう。衣装を脱がないことから、相当気に入ったのだろう。奴隷の姿しか見ていないが、ひょっとするとカイはもともとこういう着物を普段から来ていたのかもしれない。
柰雲はカイの上に薄い布団をかけてやると、荷物の手入れや薪割りを手伝って過ごした。
夕方になるとカイはのそのそと起き、まじないの支度をして出かけていく。しばらくして、朝と同じように嬉しそうな顔をして戻ってきた。
サミとカイから出産の話を聞きながらの夕食は、この旅を始めて以来、一番心が温まった夜のように感じた。
生命の誕生は希望に満ち溢れており、聞いていると柰雲も心にきらめきの光が灯るようだった。
話は尽きることなく、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。そのため、あてがわれた部屋に戻ったのは夜もだいぶ更けてからになった。
長く、ゆっくりとした一日だったのだが、疲労感はなく喜びが満ちている。久しぶりの心地好さに、柰雲も気持ちが晴れやかになっていた。
朝ごはんの支度を始めるというミタキにおはようと言い、手伝いをしていたところで誰かが駆け足でやってきた。
「あんた、生まれたよ! 女の子だって!」
息を切らして入ってきたのはサミだ。ミタキは「本当か!?」と驚くと、手に持っていた火吹きだけを落っことしそうになって慌てた。
「無理だって言われていたのに、逆子もけろりと治って……初産だったから時間はかかったけど、母子ともにピンピンしてるよ。二人とも見に行っておいで。朝食はあたしが作っておくから」
柰雲はためらったのだが、すでにミタキが早く早くと言いながら駆け出している。柰雲は稀葉にそこに残るように伝えてから、出産したという妊婦の家に向かった。
その家はすでに人だかりができており、人々の嬉々とした様子がうかがえた。
「おう、俺らと旅人さんにも拝ませてくれや」
ミタキの声に人々が道を作ってくれる。人垣を進んでいくと、生まれたてのしわしわの赤子が、母親のお乳を飲んでいた。
その横で、満足そうな顔をしたカイが産婆と共にどっしりと座り込んでいる。
「カイ」
声をかけると、カイは破顔した。カイはいつの間にか、彼女の全身の刺青にも似た、複雑な模様が描かれた装束に着替えている。
「柰雲、無事に生まれたぞ。女の子だ、可愛いだろう。それにこの衣装、この産婆さんが持ってたんだ。もう村に呪術師も巫女もいないから、私にくれるって!」
カイの手足や首には、玉飾りがたくさんついている。カイが動くとじゃらじゃらとそれらが鳴った。神々しく思える姿に、柰雲は思わずほほ笑んだ。
「――あなたがカイの旅のお連れさんだね?」
急に声をかけられて振り返れば、お乳をあげ終わって衣服を整えた母親が、産婆に寄り添われて柰雲を見つめていた。
「カイのおかげで逆子も治り、無事に生まれてきてくれました。恩にきります」
「わたしはなにもしていない。礼ならカイに」
恐縮していると、母親は首を横に振った。
「あなたと共に旅をしなければ、この村に寄ることもなかったと聞きました。これもなにかのご縁です。それに、私たちの一族に伝わる神話では、獣を連れた神が人々に豊穣をもたらしたと伝えられています」
初めて聞く話に、柰雲は目を見開いた。
「三賢人の話ですか?」
「ええ。賢人は大きな獣を引き連れて人々に恵みをもたらしたと。だから私たちは、獣を敬い、獣たちと共に暮らす鷹匠の一族なのです」
それに言葉が出せなくなった。
自分が知っている神話とはにわかに違っていたが、三賢人の話は同じだ。混乱しかけていると、横にカイが来て柰雲の背を強く叩いた。
「お腹が空いた。サミが朝食を作ってくれていると言ってた。ひとまず私も休みたい」
カイの申し出に、柰雲はああ、とうなずく。
「アタギ、また後で来る。その子の長寿と健康を祝うまじないをしよう」
「ありがとうね、カイ。ゆっくりしてからきておくれ」
赤子の出産に立ち会ったカイは、久々の巫女としての仕事に興奮冷めやらぬ様子で、柰雲とミタキと共に屋敷へ戻った。サミが朝餉の準備をしており、ミタキと柰雲はすぐに手伝った。
食べ終わってからしばらくすると、カイは疲れたのか眠ってしまう。衣装を脱がないことから、相当気に入ったのだろう。奴隷の姿しか見ていないが、ひょっとするとカイはもともとこういう着物を普段から来ていたのかもしれない。
柰雲はカイの上に薄い布団をかけてやると、荷物の手入れや薪割りを手伝って過ごした。
夕方になるとカイはのそのそと起き、まじないの支度をして出かけていく。しばらくして、朝と同じように嬉しそうな顔をして戻ってきた。
サミとカイから出産の話を聞きながらの夕食は、この旅を始めて以来、一番心が温まった夜のように感じた。
生命の誕生は希望に満ち溢れており、聞いていると柰雲も心にきらめきの光が灯るようだった。
話は尽きることなく、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。そのため、あてがわれた部屋に戻ったのは夜もだいぶ更けてからになった。
長く、ゆっくりとした一日だったのだが、疲労感はなく喜びが満ちている。久しぶりの心地好さに、柰雲も気持ちが晴れやかになっていた。
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