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第3章 逃走

第23話

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「領主は約束を守るような人には見えない。それに、たとえ自由になったとしても、君はすぐに別の人に捕まるんじゃないか?」

 カイは顔を上げて悔しそうにしている。

「君は武器を持っているのか? 人を殴った経験は? 殺される前に人を殺す覚悟は?」

 柰雲の質問に、カイは押し黙った。

「カイ、教えてくれ。追っ手は近くまで来ているのか?」

「近くまでは三人。だけど、入り口の門のところでおそらくもっと多くが待っている。お前は、領主さま直々のご所望だそうだ」

「そうか」

「柰雲。私に武器はないが、殺される前に相手を殺す覚悟だけは持って出てきた。私と一緒に逃げないか?」

 柰雲はふっと笑った。

「もちろんだ」

 カイは柰雲の胸中を確かめるように見つめてきた。

「カイ。三人くらいの追っ手なら、わたし一人でどうにかなる」

「なにを言って……駄目だ、戦わずに逃げるほうがいい」

「それこそ駄目だ。君を助ける。その代わり、神常かむどこの神域の話を聞かせてくれるね?」

「もちろんだ。だが、私は走れない」

 カイは、先ほど宿屋の主に蹴られたところを柰雲に見せる。酷い傷ではないけれど、かといって全速力で長距離を逃げきれるとは言えない。

 カイの額には脂汗が滲んでいる。痛みがこれからさらにひどくなるだろうことが予想できた。

「稀葉に乗れば逃げられる」

「柰雲は?」

「心配いらない」

 どうにかできないのなら、はじめからこんなことは言わない。柰雲がそう付け加えると、カイはほんの少しためらってからうなずいた。

「わかった。しかし先に聞いておきたい。柰雲が神域を目指す理由はなんだ?」

 神話でしか語られることのない、三人の賢人である神々が帰ったと言われる場所。そこをまさか大真面目に探している人間など、この世界にいるとはカイも思っていなかったようだ。

「……和賀ノ実わがのみを探しているんだ」

 カイは大きな釣り目を見開いた。しかし、カイが何かを言う前に柰雲が口を開ける。

「わたしの故郷は毒麦の民に襲われ、一族が人質に取られている。みんなの命はわたしが和賀ノ実を持って帰ってこられるかどうかにかかっている」

「お前は領主なのか?」

「違う。でも、和賀ノ実を探すしか村人が助かる方法はない」

 カイが横からじっと見つめてきた。柰雲は一つ息を吐くと、口を開く。

「稀葉はこの時期なら夜でも走れる。どうする、カイ?」

 カイはほんの少し考えてから、しっかりうなずいた。

 柰雲はほほ笑むと、立ち上がって少ない荷物をまとめる。それを稀葉の鞍に付けると、カイに「荷物を頼むよ」と伝える。カイが了承したのを確認すると、彼女の手を引っ張って、稀葉の背に乗せた。

「稀葉、あとで落ち合おう。カイは絶対に手綱を離さないように」

「待て、柰雲。お前はどうする? 走るのか?」

「言ったはずだ。三人くらいどうにかなるって。追ってこられないようにしなければ、この先永遠に追われる」

 柰雲の言葉を理解した稀葉は、鼻を摺り寄せてくる。稀葉の背を叩いて走るように伝えると、素晴らしい勢いで走り始めた。

「柰雲っ――!?」

「手綱を放すな!」

 稀葉に乗って走り去るカイの後姿を見つめていると、背後から馬に乗って駆け付けてくる人の音が聞こえてきた。振り向いて、柰雲は三人の兵士を見つめた。

 彼らの目には怒りが見て取れる。

「……黙って、逃がしてはくれないですよね?」

「莫迦を言うな。お前も、あの娘も領主さまに引き渡す!」

「お断りします」

 襲い掛かってきた男たちに向かって、柰雲は大刀《たち》を鞘に納めたまま腰から引き抜いた。
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