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第2章 土熊一族
第19話
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領主の屋敷に入れたのは、夕暮れが近くなってからだった。
領主は恰幅の良い男性だ。しかし女物の着物を纏い、口には紅が引かれている。彼が腰かけている板の間の手前は土間になっていて、謁見を申し込んだ人はそこで話を聞いてもらえる仕組みらしい。
柰雲が土間に入り一礼すると、背筋に寒気を覚えるような笑顔を向けられた。彼の脇には、今にも倒れそうなくらい痩せた奴隷の少女が、虚ろな様子で給仕をしている。眉をひそめていると、なにも言わない柰雲に領主みずからが声をかけてきた。
「……あんた、この子が気になるかい?」
少女の胴体に巻かれた縄を無理やり引っ張って、領主は彼女を自身の近くまで引き寄せた。思わず柰雲は強い視線を向けてしまう。
「この子はずっとここで働いてもらっていているんだけどねぇ、氣になるなら売ってやるよ」
妙に耳にまとわりつく甘ったるい声だ。手元には太い葉巻をくゆらせ、吸い込んだ煙を少女の顔に吐き出す。少女はゴホゴホとむせた。
「人の命を売り買いしていいのですか?」
柰雲の言に、領主は軽蔑するように目を細めてため息を吐いた。
「これだから田舎もんは困るわねぇ。家畜の売買は良くて人間がダメだなんて、誰が決めたんだか。これがアタシの商売だからねぇ。だからこの街は大きくなれたんだ。いまさら辞めるわけないよ」
領主は不機嫌そうに顔を歪めた。
「ところであんた、アタシになにか聞きたくて来たんじゃないのかい? 口布を取りな、礼儀もなってないやつと話したくないよ」
奴隷の少女を突き飛ばして、領主はでっぷりした身を乗り出してきた。柰雲は眉間に皺を刻んだが、ひとまず言われた通り布を外す。
「神常《かむどこ》の神域の場所を知っていますか?」
「うーん、聞いたことがあるけど場所は知らないねぇ。そこへ行って、どうするのさ?」
「和賀ノ実を、神からわけてもらいます」
領主は目を見開いて一瞬動きを止めたあと、ゲラゲラ笑い始めた。あまりにも笑い過ぎて、目の端から涙を流している。
「ああ可笑《おか》しい! 神話を信じるっていうのかい? そんな実があったとして、この世界が変わるわけないだろう?」
「なにか知っていることはありませんか?」
「仮に神域に和賀ノ実があったとしても……人の本質はかわりゃしないよ。実を欲してまた争いが起こるだけさ」
「それでも、手に入れなくてはならないんです」
領主は葉巻をもう一本取り出して火をつけ、柰雲を吟味するように顎を上げた。
「神話を信じたところで救いなどないさ。この奴隷を哀れに思うなら、あんたが買ってやったらいい。それだけで、この娘は自由になる」
「手持ちの金銭はないのです。実を持ち帰って分けるのではどうですか?」
「莫迦言うんじゃないよ」
領主は身を乗り出してきた。先ほどまでとは比べ物にならない迫力に、柰雲ではなくてその場にいた奴隷や付き人のほうが縮こまった。
「商売は先払いだ。アタシは誰も信用なんかしない。たとえ実が手に入るとしても、それとこれは話が別だ。商売を辞める気もないしね」
「お金よりも大事なものになるかもしれません」
「世の中は金と欲で回っているのさ。アタシは金以外は信じないよ」
柰雲は唇を引き結んだ。一日並んで待ったというのに、情報は手に入らず空振りに終わってしまった。
奴隷は救ってやりたかったが、彼女一人を助けたところで街にいる全員を救えるわけではないのだ。それに、奴隷の少女は助けを求めていない。
それが、柰雲の良心を傷つけた。
「話はそれだけならとっとと行きな」
一礼すると奈雲は謁見室を去った。
一方、柰雲の背中を領主はじっと見つめ、凶悪な笑みを口の端に乗せる。
「ちょいと、あの青年の後を追いな。高く売れそうだから逃がしちゃ勿体ない」
領主の付き人たちが、是と言って慌てて出ていった。領主はにんまりとした笑みを口元に乗せ、柰雲が売れた時の料金を頭の中で計算する。
「こんなおいしい商売、やめられるわけないね。儲けしかないんだよ、こっちには」
領主はふふふと笑って、葉巻をさらにくゆらせた。
領主は恰幅の良い男性だ。しかし女物の着物を纏い、口には紅が引かれている。彼が腰かけている板の間の手前は土間になっていて、謁見を申し込んだ人はそこで話を聞いてもらえる仕組みらしい。
柰雲が土間に入り一礼すると、背筋に寒気を覚えるような笑顔を向けられた。彼の脇には、今にも倒れそうなくらい痩せた奴隷の少女が、虚ろな様子で給仕をしている。眉をひそめていると、なにも言わない柰雲に領主みずからが声をかけてきた。
「……あんた、この子が気になるかい?」
少女の胴体に巻かれた縄を無理やり引っ張って、領主は彼女を自身の近くまで引き寄せた。思わず柰雲は強い視線を向けてしまう。
「この子はずっとここで働いてもらっていているんだけどねぇ、氣になるなら売ってやるよ」
妙に耳にまとわりつく甘ったるい声だ。手元には太い葉巻をくゆらせ、吸い込んだ煙を少女の顔に吐き出す。少女はゴホゴホとむせた。
「人の命を売り買いしていいのですか?」
柰雲の言に、領主は軽蔑するように目を細めてため息を吐いた。
「これだから田舎もんは困るわねぇ。家畜の売買は良くて人間がダメだなんて、誰が決めたんだか。これがアタシの商売だからねぇ。だからこの街は大きくなれたんだ。いまさら辞めるわけないよ」
領主は不機嫌そうに顔を歪めた。
「ところであんた、アタシになにか聞きたくて来たんじゃないのかい? 口布を取りな、礼儀もなってないやつと話したくないよ」
奴隷の少女を突き飛ばして、領主はでっぷりした身を乗り出してきた。柰雲は眉間に皺を刻んだが、ひとまず言われた通り布を外す。
「神常《かむどこ》の神域の場所を知っていますか?」
「うーん、聞いたことがあるけど場所は知らないねぇ。そこへ行って、どうするのさ?」
「和賀ノ実を、神からわけてもらいます」
領主は目を見開いて一瞬動きを止めたあと、ゲラゲラ笑い始めた。あまりにも笑い過ぎて、目の端から涙を流している。
「ああ可笑《おか》しい! 神話を信じるっていうのかい? そんな実があったとして、この世界が変わるわけないだろう?」
「なにか知っていることはありませんか?」
「仮に神域に和賀ノ実があったとしても……人の本質はかわりゃしないよ。実を欲してまた争いが起こるだけさ」
「それでも、手に入れなくてはならないんです」
領主は葉巻をもう一本取り出して火をつけ、柰雲を吟味するように顎を上げた。
「神話を信じたところで救いなどないさ。この奴隷を哀れに思うなら、あんたが買ってやったらいい。それだけで、この娘は自由になる」
「手持ちの金銭はないのです。実を持ち帰って分けるのではどうですか?」
「莫迦言うんじゃないよ」
領主は身を乗り出してきた。先ほどまでとは比べ物にならない迫力に、柰雲ではなくてその場にいた奴隷や付き人のほうが縮こまった。
「商売は先払いだ。アタシは誰も信用なんかしない。たとえ実が手に入るとしても、それとこれは話が別だ。商売を辞める気もないしね」
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柰雲は唇を引き結んだ。一日並んで待ったというのに、情報は手に入らず空振りに終わってしまった。
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それが、柰雲の良心を傷つけた。
「話はそれだけならとっとと行きな」
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一方、柰雲の背中を領主はじっと見つめ、凶悪な笑みを口の端に乗せる。
「ちょいと、あの青年の後を追いな。高く売れそうだから逃がしちゃ勿体ない」
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