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第2章 土熊一族
第16話
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用意された夕餉は、柰雲が村を出てから一番豪華と言えるものだった。今日は大きな獲物が獲れたということも相まって、幸運な人だともてなされる。
厨房で女たちが料理をしたものが、長老をはじめとする村の重鎮たちのいる天幕に運ばれている。
「良かったな、今日は豪華だ。無い時は本当になにも無いからな」
山羊の乳から作られた酒を豪快に飲み干し、サジはけらけらと笑う。長老たちも機嫌が良いようで、どんどん料理を食べるように勧めてくる。
よくよく煮込んだ猪の肉は疲れた身体中にしみわたり、噛みしめると自身の血となり肉となる感覚がわかった。ろくに食事をとっていなかったのも相まって、久方ぶりの糧はこみ上げてくるものがある。
「女子《おなご》や子どもたちは、食べないのか?」
柰雲が料理を運んでくれている女子を気にして問うと、向こうの天幕で食べているとサジが答える。柰雲はそれにホッとして、みんなで分ける量があることに感謝した。
「優しいな。さっきの女子が、お前が氣にかけたことに顔を赤らめていたぞ。今ごろ、あっちの天幕じゃ女子たちが騒いでいるだろうな。これだけの美男子だ」
「そんなことない。わたしは不甲斐ないばかりだ」
そう責めるなよ、とサジが酒を追加する。柰雲は注がれた酒を一口含んだ。
豊潤な香りと濃厚な味わいが心地好い。しばらく宴を楽しんでいるうちに、胃に温かいものが入り、体中が温まってきた。
「ところで。和賀ノ実を探しているのだったな?」
族長が彫りの深い顔に笑みを乗せて柰雲を見つめた。それに柰雲は酒杯をいったん置いてから、神妙な面持ちで頷く。
「老賢者よ、聞いたことがありますかな?」
族長の問いかけに、隣に座っていた枯れ枝のような老人が身動きする。長い眉毛に隠れた瞳をきらめかせた。深い皺に刻まれた頬を動かし、ふうむ、と息を吐く。
「和賀ノ実の神話はもちろん聞いたことがありますがね、それがあるのは神常《かむどこ》の神域だとしか……」
ほんの少し期待に膨らんでいた胸がしぼんでいった。東の果てということ以外の情報がない中、そろそろ本格的な手がかりが欲しい。急いだところで仕方がないのだが、村人の命がかかっているからこそ、早く真相を知りたくて焦った。
「すまないな。我らも人里から遠く離れた生活をしている。山に生き、山を守り、獸たちと暮らす……噂にさとくないのだ」
落胆した様子の柰雲を、族長がすまなそうに見つめる。仕方ないと首を横に振り、ご好意に感謝していますと柰雲は頭を丁寧に下げた。
ここまで来てもなお、なにも掴めていないまま時間だけが過ぎている感覚に胸が痛む。捕虜として生活している村人たちを思うと、いたたまれなくて急に食欲が失せた。
「……奥之比良《おきのひら》というところが、ここより南下したところにあります。とてつもなく大きい町で……我ら一族は近寄らぬが、參ノ國の旅人や商人が集まる榮えた土地です。そこならば有益な情報が得られるやも」
気落ちしていたが、柰雲は老賢者の言葉にほんの少し顔を輝かせた。今以上の手掛かりが得られるのであれば、闇雲に東を目指すより南下する方が良い。
「ありがとうございます。明日、早速向かってみます」
もう行くのか、と数名が声を上げる。彼らが惜しんでくれるのはありがたいが、故郷の村人たちの命が懸かっていることを告げると納得してくれた。
一族は、全員まとめて家族と言っても過言ではない。村全体がすべて自分の大事な宝物だ。発つ準備をしなければと思っていると、老賢者がぴくりと眉を上げた。
「青年よ、気をつけて行くがよろしいでしょう。奥之比良は巨大で派手やかで裕福な町です……言い方を変えますと、參ノ國で一番、腐敗しきった場所です」
「腐敗、ですか?」
老賢者の言い方は、どこか物々しさを含んでいる。
「左様。この原因不明の世界の均衡の崩れたるを、最も象徴する町でしょう。権力と欲に、人の本質を忘れ去りつつある。奴隷狩りに充分気を付けなさい。乗獣狩りもおりますゆえ、武器と候虎の手綱を手放してはなりませぬぞ」
「……わかりました」
柰雲は神妙な面持ちで頷き、宴の場から浮ついた気配が消える。奥の天幕から、女子と子どもたちの笑い聲が聞こえるほど、空気が静まり返った。
「ちょっと脅し過ぎましたかの。そなたほどの手練れであれば、自分の身を守ることくらい容易でしょう。あの賢い候虎もいるとあれば心配ないとは思いますが、氣をつけるに越したことはありません」
「ご忠告ありがとうございます。氣を引き締めて向かいます」
柰雲は朝に兄妹たちを稀葉に乗せたら、すぐにこの村から発つことを決めた。宴はしばらく続き、もう食べられないと思うほど馳走になってしまった。
夜も更ける頃、客人用の天幕に戻ってやっと、柰雲はふうと息を吐いた。
厨房で女たちが料理をしたものが、長老をはじめとする村の重鎮たちのいる天幕に運ばれている。
「良かったな、今日は豪華だ。無い時は本当になにも無いからな」
山羊の乳から作られた酒を豪快に飲み干し、サジはけらけらと笑う。長老たちも機嫌が良いようで、どんどん料理を食べるように勧めてくる。
よくよく煮込んだ猪の肉は疲れた身体中にしみわたり、噛みしめると自身の血となり肉となる感覚がわかった。ろくに食事をとっていなかったのも相まって、久方ぶりの糧はこみ上げてくるものがある。
「女子《おなご》や子どもたちは、食べないのか?」
柰雲が料理を運んでくれている女子を気にして問うと、向こうの天幕で食べているとサジが答える。柰雲はそれにホッとして、みんなで分ける量があることに感謝した。
「優しいな。さっきの女子が、お前が氣にかけたことに顔を赤らめていたぞ。今ごろ、あっちの天幕じゃ女子たちが騒いでいるだろうな。これだけの美男子だ」
「そんなことない。わたしは不甲斐ないばかりだ」
そう責めるなよ、とサジが酒を追加する。柰雲は注がれた酒を一口含んだ。
豊潤な香りと濃厚な味わいが心地好い。しばらく宴を楽しんでいるうちに、胃に温かいものが入り、体中が温まってきた。
「ところで。和賀ノ実を探しているのだったな?」
族長が彫りの深い顔に笑みを乗せて柰雲を見つめた。それに柰雲は酒杯をいったん置いてから、神妙な面持ちで頷く。
「老賢者よ、聞いたことがありますかな?」
族長の問いかけに、隣に座っていた枯れ枝のような老人が身動きする。長い眉毛に隠れた瞳をきらめかせた。深い皺に刻まれた頬を動かし、ふうむ、と息を吐く。
「和賀ノ実の神話はもちろん聞いたことがありますがね、それがあるのは神常《かむどこ》の神域だとしか……」
ほんの少し期待に膨らんでいた胸がしぼんでいった。東の果てということ以外の情報がない中、そろそろ本格的な手がかりが欲しい。急いだところで仕方がないのだが、村人の命がかかっているからこそ、早く真相を知りたくて焦った。
「すまないな。我らも人里から遠く離れた生活をしている。山に生き、山を守り、獸たちと暮らす……噂にさとくないのだ」
落胆した様子の柰雲を、族長がすまなそうに見つめる。仕方ないと首を横に振り、ご好意に感謝していますと柰雲は頭を丁寧に下げた。
ここまで来てもなお、なにも掴めていないまま時間だけが過ぎている感覚に胸が痛む。捕虜として生活している村人たちを思うと、いたたまれなくて急に食欲が失せた。
「……奥之比良《おきのひら》というところが、ここより南下したところにあります。とてつもなく大きい町で……我ら一族は近寄らぬが、參ノ國の旅人や商人が集まる榮えた土地です。そこならば有益な情報が得られるやも」
気落ちしていたが、柰雲は老賢者の言葉にほんの少し顔を輝かせた。今以上の手掛かりが得られるのであれば、闇雲に東を目指すより南下する方が良い。
「ありがとうございます。明日、早速向かってみます」
もう行くのか、と数名が声を上げる。彼らが惜しんでくれるのはありがたいが、故郷の村人たちの命が懸かっていることを告げると納得してくれた。
一族は、全員まとめて家族と言っても過言ではない。村全体がすべて自分の大事な宝物だ。発つ準備をしなければと思っていると、老賢者がぴくりと眉を上げた。
「青年よ、気をつけて行くがよろしいでしょう。奥之比良は巨大で派手やかで裕福な町です……言い方を変えますと、參ノ國で一番、腐敗しきった場所です」
「腐敗、ですか?」
老賢者の言い方は、どこか物々しさを含んでいる。
「左様。この原因不明の世界の均衡の崩れたるを、最も象徴する町でしょう。権力と欲に、人の本質を忘れ去りつつある。奴隷狩りに充分気を付けなさい。乗獣狩りもおりますゆえ、武器と候虎の手綱を手放してはなりませぬぞ」
「……わかりました」
柰雲は神妙な面持ちで頷き、宴の場から浮ついた気配が消える。奥の天幕から、女子と子どもたちの笑い聲が聞こえるほど、空気が静まり返った。
「ちょっと脅し過ぎましたかの。そなたほどの手練れであれば、自分の身を守ることくらい容易でしょう。あの賢い候虎もいるとあれば心配ないとは思いますが、氣をつけるに越したことはありません」
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