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第2章 土熊一族
第14話
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そこは森の中の比較的広い空間だった。いくつもの天幕は、艸《くさ》に紛れ込ませるように張られており、遠くからでは人がいるようには見えないしわからない。
素晴らしい技術を持っているサジの一族は、土熊の民と呼ばれている。
彼らの別名は『森の巡回者』だ。
森と共に暮らし、森と共に朽ち果てる一族でもある。年に数回、天幕ごと移動しながら狩場をめぐっていく最古の民族の一つで、參ノ国に広がる膨大な森や山で生きる知恵を持つ。
ただ、一口に土熊の民と言っても、その詳細は彼らにもわからないほど多種多様の集団があちこちにあるという。
彼ら土熊の先祖はみな一緒で、三賢人たちと共にこの地に降りてきた狩猟の神を先祖に持つらしい。集落ごとに得意とする狩りの方法が違っていて、どの集団も穏やかな性質の人々で形成されている。
柰雲の住んでいた山の付近は候虎の住処のため、土熊の民が近寄ることは滅多になかったが、狩場を探して移動する彼らと出会うことは度々あった。
そんな時には、お互いの特産物を交換し、親しくするのがお互いの一族の習慣だ。
見ず知らずの村ばかりを渡り歩いていた柰雲にとって、少しでもなじみのある民族と出会ったことは心強く、胸の内ではかなりほっとしていた。
サジに案内されて小さな天幕の数々を抜けると、向かった先は集落で一番大きな天幕だ。突然の客に、天幕から多くの人々が珍しそうに顔を出す。柰雲もそれは同じ気持ちだ。
「ただいま帰りました。サジです」
天幕の前でサジが声をかけると、中から独特の言葉で応答するのが聞こえてくる。それを合図に、よく鞣された入り口の革の吊るしをくぐって中に入った。
土熊の民のことは知識として知っていたが、彼らの生活に足を踏み入れたことはない。珍しさと、自分が他部族だという自覚、そして緊張が身体を巡った。
大きな天幕の中に一歩足を踏み入れると、靴を脱ぐように言われた。
革で出来た丈夫な靴を脱ぐと、長旅の間に足には肉刺《まめ》がいくつもできている。よく歩いたなと思いながら、柰雲は稀葉を入り口の前で座らせて待つように伝えた。
天幕の中は外見から想像する以上に広く涼しい。
中央の奥に祭壇があり、その左右に折りたためる椅子が並べられている。椅子には老人たちが座っており、中でも一番豪華な椅子に、よく日に焼けた皴の深い人物が坐っていた。
一目見て、村長だと理解する。彼はサジの帰りを喜びほっくりした笑顔を向けてきた。
「サジ、よく帰ってきたね。それに客人とは珍しい」
「族長。まずはこれが報酬です。無事に鹿の肉は届けました。それから、この人は途中で迷っていたみたいなんで連れてきました」
サジの素直な報告に、族長と並んでいる老人たちが笑った。
「珍しいな、こんな山奥で迷うとは」
「この人は候虎使いの一族だそうです」
それを聞くと族長と周りの老人たちが騒めいた。候虎使いは狩りをしながら移動する民ではない。常に候虎の近くに生き、そこの地に定住する一族だ。
「候虎使いの民が、なぜ村から外れたこの森に……?」
柰雲は顔を上げるように言われて事の経緯を話す。北の民たちの侵略を聞くと、長老たちは渋い顔をして髭を撫でた。
「北の毒稲《どくいね》の民が、すぐ迫ってきているとはな……これでは、大陸の東の民族たちも、恐怖で眠れぬだろうに。我々狩猟民族と違い、農耕民族は土地を持たねば暮らせぬ。土地を奪われるというのは、我らから猟犬を奪うのと同じこと。身を斬るよりも痛いはずだ」
確信を突かれて口を引き結んだ。狩猟民族たちは狩場を求めて山々を移動するため、人同士が争い合うことはほとんどない。
一方、農耕民族は土地を持たなければならず、肥沃な土地を探し求め奪い奪われ合い、敵から守るために幾度となく争いを繰り返してきている。
柰雲たちの祖先は候虎との生活の基盤とするため、肥沃な土地を目指すよりも、猛獣との共存が叶う場所を捜し歩いた。
今の場所に落ち着いてからは争いをしていないが、それ以前は土地を求めて彷徨い、多くの他民族と衝突を繰り返した過去がある。
そうやって苦労し手に入れた土地は、替えが利かないほど大事だ。
「ゆっくり休まれるといい。目的の地については、夕食の時に村の老賢者に聞いてみるとよかろう。サジ、夕食まで客人をもてなしなさい」
「御意。柰雲、この先の川に湯が沸きだしているところがあるんだ。一緒に行こう!」
サジも歩き疲れているだろうが、嫌な顔一つせず柰雲を天幕から連れ出してもてなそうとしてくれる。気持を嬉しく思いながら天幕の外に出ると、子どもたちが騒いでいた。稀葉が子どもたちに囲まれているようだ。
「ああこら。この人の相棒だから、いたずらしたり乱暴しちゃダメだよ」
サジが言うと、はーいと大きな返事があちこちから返ってくる。
「候虎が珍しいんだ。あ、あと、俺たちに厩舎はない。夜は囲った柵の中に羊や山羊を入れるけれど、それまでは開けたところに放しておく。この黑い子はどうする?」
「羊たちと一緒に放しておいてもいいか? 稀葉は、無駄に家畜を襲うことはないから、心配しないでほしい。夜はいつも一緒に寝ているんだ」
柰雲の提案に、なるほどとサジは頷く。
「俺たちは天幕に普通の獣は入れないが、猟犬だけは一緒に寝られる。彼らは俺たちの家族で兄弟だからな。柰雲の候虎も家族だろうから、来客用の天幕にお前の候虎の寝床を作るように伝えておこう」
「いいのか?」
「もちろんさ。それに、いくら候虎が家畜を襲わないと言われても、羊たちが怖がるのではと心配する村人もいるだろうからな」
「助かる。ありがとう」
サジは近くにいた村人に、柰雲の天幕に稀葉が一緒に入れるように指示を出す。その間に稀葉の鞍と銜《はみ》を外し解放した。
するとサジは天幕が出来上がるまでの間、稀葉を広い場所に連れていくように一人の男の子に優しく伝える。
男の子は稀葉を怖がりもせず手を伸ばし、「こっちにきて」と慣れた手つきで稀葉に寄り添った。男の子の後ろ姿をぼうっと眺めていた柰雲は、サジに肩を叩かれて驚いた。
「さ、俺たちも行こうぜ」
「ああ、ありがとう」
サジの笑顔につられて、柰雲はその場をあとにした。
素晴らしい技術を持っているサジの一族は、土熊の民と呼ばれている。
彼らの別名は『森の巡回者』だ。
森と共に暮らし、森と共に朽ち果てる一族でもある。年に数回、天幕ごと移動しながら狩場をめぐっていく最古の民族の一つで、參ノ国に広がる膨大な森や山で生きる知恵を持つ。
ただ、一口に土熊の民と言っても、その詳細は彼らにもわからないほど多種多様の集団があちこちにあるという。
彼ら土熊の先祖はみな一緒で、三賢人たちと共にこの地に降りてきた狩猟の神を先祖に持つらしい。集落ごとに得意とする狩りの方法が違っていて、どの集団も穏やかな性質の人々で形成されている。
柰雲の住んでいた山の付近は候虎の住処のため、土熊の民が近寄ることは滅多になかったが、狩場を探して移動する彼らと出会うことは度々あった。
そんな時には、お互いの特産物を交換し、親しくするのがお互いの一族の習慣だ。
見ず知らずの村ばかりを渡り歩いていた柰雲にとって、少しでもなじみのある民族と出会ったことは心強く、胸の内ではかなりほっとしていた。
サジに案内されて小さな天幕の数々を抜けると、向かった先は集落で一番大きな天幕だ。突然の客に、天幕から多くの人々が珍しそうに顔を出す。柰雲もそれは同じ気持ちだ。
「ただいま帰りました。サジです」
天幕の前でサジが声をかけると、中から独特の言葉で応答するのが聞こえてくる。それを合図に、よく鞣された入り口の革の吊るしをくぐって中に入った。
土熊の民のことは知識として知っていたが、彼らの生活に足を踏み入れたことはない。珍しさと、自分が他部族だという自覚、そして緊張が身体を巡った。
大きな天幕の中に一歩足を踏み入れると、靴を脱ぐように言われた。
革で出来た丈夫な靴を脱ぐと、長旅の間に足には肉刺《まめ》がいくつもできている。よく歩いたなと思いながら、柰雲は稀葉を入り口の前で座らせて待つように伝えた。
天幕の中は外見から想像する以上に広く涼しい。
中央の奥に祭壇があり、その左右に折りたためる椅子が並べられている。椅子には老人たちが座っており、中でも一番豪華な椅子に、よく日に焼けた皴の深い人物が坐っていた。
一目見て、村長だと理解する。彼はサジの帰りを喜びほっくりした笑顔を向けてきた。
「サジ、よく帰ってきたね。それに客人とは珍しい」
「族長。まずはこれが報酬です。無事に鹿の肉は届けました。それから、この人は途中で迷っていたみたいなんで連れてきました」
サジの素直な報告に、族長と並んでいる老人たちが笑った。
「珍しいな、こんな山奥で迷うとは」
「この人は候虎使いの一族だそうです」
それを聞くと族長と周りの老人たちが騒めいた。候虎使いは狩りをしながら移動する民ではない。常に候虎の近くに生き、そこの地に定住する一族だ。
「候虎使いの民が、なぜ村から外れたこの森に……?」
柰雲は顔を上げるように言われて事の経緯を話す。北の民たちの侵略を聞くと、長老たちは渋い顔をして髭を撫でた。
「北の毒稲《どくいね》の民が、すぐ迫ってきているとはな……これでは、大陸の東の民族たちも、恐怖で眠れぬだろうに。我々狩猟民族と違い、農耕民族は土地を持たねば暮らせぬ。土地を奪われるというのは、我らから猟犬を奪うのと同じこと。身を斬るよりも痛いはずだ」
確信を突かれて口を引き結んだ。狩猟民族たちは狩場を求めて山々を移動するため、人同士が争い合うことはほとんどない。
一方、農耕民族は土地を持たなければならず、肥沃な土地を探し求め奪い奪われ合い、敵から守るために幾度となく争いを繰り返してきている。
柰雲たちの祖先は候虎との生活の基盤とするため、肥沃な土地を目指すよりも、猛獣との共存が叶う場所を捜し歩いた。
今の場所に落ち着いてからは争いをしていないが、それ以前は土地を求めて彷徨い、多くの他民族と衝突を繰り返した過去がある。
そうやって苦労し手に入れた土地は、替えが利かないほど大事だ。
「ゆっくり休まれるといい。目的の地については、夕食の時に村の老賢者に聞いてみるとよかろう。サジ、夕食まで客人をもてなしなさい」
「御意。柰雲、この先の川に湯が沸きだしているところがあるんだ。一緒に行こう!」
サジも歩き疲れているだろうが、嫌な顔一つせず柰雲を天幕から連れ出してもてなそうとしてくれる。気持を嬉しく思いながら天幕の外に出ると、子どもたちが騒いでいた。稀葉が子どもたちに囲まれているようだ。
「ああこら。この人の相棒だから、いたずらしたり乱暴しちゃダメだよ」
サジが言うと、はーいと大きな返事があちこちから返ってくる。
「候虎が珍しいんだ。あ、あと、俺たちに厩舎はない。夜は囲った柵の中に羊や山羊を入れるけれど、それまでは開けたところに放しておく。この黑い子はどうする?」
「羊たちと一緒に放しておいてもいいか? 稀葉は、無駄に家畜を襲うことはないから、心配しないでほしい。夜はいつも一緒に寝ているんだ」
柰雲の提案に、なるほどとサジは頷く。
「俺たちは天幕に普通の獣は入れないが、猟犬だけは一緒に寝られる。彼らは俺たちの家族で兄弟だからな。柰雲の候虎も家族だろうから、来客用の天幕にお前の候虎の寝床を作るように伝えておこう」
「いいのか?」
「もちろんさ。それに、いくら候虎が家畜を襲わないと言われても、羊たちが怖がるのではと心配する村人もいるだろうからな」
「助かる。ありがとう」
サジは近くにいた村人に、柰雲の天幕に稀葉が一緒に入れるように指示を出す。その間に稀葉の鞍と銜《はみ》を外し解放した。
するとサジは天幕が出来上がるまでの間、稀葉を広い場所に連れていくように一人の男の子に優しく伝える。
男の子は稀葉を怖がりもせず手を伸ばし、「こっちにきて」と慣れた手つきで稀葉に寄り添った。男の子の後ろ姿をぼうっと眺めていた柰雲は、サジに肩を叩かれて驚いた。
「さ、俺たちも行こうぜ」
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