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第2章 土熊一族
第12話
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村人を人質に取られ、神話に語り継がれる和賀ノ実を探す旅に出た柰雲《なくも》は、候虎《こうこ》の稀葉《まれは》にまたがって深く暗い森を進んでいた。
村を出立してから、がむしゃらに東を目指し、氣がつくと一週間は経っていた。
深い森をいくつも抜け、谷を何度も渡った。切り立った崖のような道を進むこともあれば、踏み固められた地面を発見し、辿って行った先に人里を見つけることもあった。
太陽と星を見ながら方角を定め、伝説でしか聞いたことのない地を目指すということは、想像以上に不安なことだ。
立ち寄った村や里で和賀ノ実のことや神常《かむどこ》の神域の話を尋ねるが、誰一人としてその詳細を知る者とは出会うことがなかった。
それはいつの間にか柰雲胸に不安となって渦巻き始めている。
このまま見つけられなかったら、万が一自分だけが生き残ってしまったらと考えると、今すぐにでも逃げ出したい気持ちに駆られる。
稀葉に乗って村に戻って、阿流弖臥《あるてが》たちを皆殺しにしてしまおう。
何十回とそんな考えが浮かんだが、そんな勇気もない。一軍を倒したところで、二軍三軍がやってくるだけだ。そこまでの戦力が一族にあるとは思えなかった。
そして万が一村が戦場となってしまえば、田畑が焼かれるのは間違いない。そうなってしまえば、復興にも再生にも、膨大な時間と労力がかかる。それは、今までの先祖たちがしてきたことを、水の泡にしてしまう行為だ。
「大丈夫、きっと見つかる。みんなはそれまで安全だし、あの土地は複雑だから、土地のことをわかっていないと作物を育てられない。阿流弖臥という人が、それを知っている村人たちをみすみす殺すとは思えない」
それに、なによりもハシリ一族にとって魅力的なのは、候虎の存在だろう。
阿流弖臥が稀葉を脅威に思ったと同時に、欲しいと思ったのは候虎の戦闘力に違いなかった。
しかし候虎の育て方は門外不出で、一族以外には誰にも話してはいけない。もし掟を破れば、教えた方も聞いた方も、すぐさま候虎のエサにされてしまう。
「大丈夫、見つけられる……わたしと、稀葉なら」
木の幹に身体を預けながら、一休みして柰雲は調子を整えた。脚はけだるく重たく、じっとりとした森の湿気は身体にまとわりつく。緑の匂いが濃く、目を閉じれば自分も森になってしまったかのような感覚に陥ってくる。
夜に寝ようと思うと、殺した兵士たちが柰雲に襲い掛かってくる悪夢を見る。
血のにおいが鼻の奥にこびりついて、取れることがない。いつの間にか両手も血に染まり、生温かい返り血が顔にかかる。
足元を見ると、自分が殺した兵士たちが底のない暗闇の沼から這い上がってきて、引きずり降ろそうとする。
いやだ、と腕を振り回してその場から逃げようとする手を、血の涙を流した兵士がぬうと現れて、掴んで離そうとしない――。
脂汗をびっしりと額にかいて、夜中に何度も目を覚ます。稀葉はその度に大丈夫だよとでも言いたそうに柰雲を撫で、柔らかな毛並みに顔をうずめて寝る日々が続いていた。
苦しい旅路だったのは、たしかだ。事情がありそうな柰雲を、多くの村はあまり歓迎しなかった。自分たちが食べるだけで精いっぱいの中、旅人にまでわけ与える食料はないのだ。
その都度、身体を休めるだけでいいと伝えた。森で獲物を見つけては獲り、余ったものを持ち込むことにした。すると、村人たちはみな一様に自分たちの食い扶持を脅かすことがないとわかり、ほっとした顔をして受け入れてくれる。
候虎とともに村にしがみついていた柰雲にとって、他部族との交流は、自分の見識の狭さをひしひしと突き付けてきた。
旅の理由を聞かれ、ハシリ一族の話をかいつまんで話をすると、人々は表情を曇らせて押し黙った。
和賀ノ実の話をすれば、それは神話だからとほとんどの人がけらけらと笑うだけで、誰も本気にしない。
「それもそうだ。和賀ノ実があると知っていたら、誰もがその地を目指す」
厩舎の隅を借りて稀葉に話しかけながら寝るのが、柰雲が里に入ったときの寝方だ。部屋を勧められることもあるのだが、稀葉と一緒の方が落ち着くと言うと、快く厩舎を貸してくれた。
「どんなにひもじくとも、人々の心までは、誰にも貧しくできない。その人の心のありようで豊かにできるんだ」
稀葉を撫でて、窓から差し込む月の光を見ていると、視線を感じた。稀葉も氣がついているようで、耳をぴくぴくと動かしている。
だが、稀葉が警戒している様子はない。柰雲としても、こちらをうかがってくる視線から殺気を感じなかった。
「やっぱり、ついて来ているのか」
柰雲はその視線が、村を出てからずっと続いているのを感じていた。
「あの切れ者の阿流弖臥《あるてが》が、ただでわたしを逃がすわけないと思ったけれど」
尾行している集団がいることを、柰雲も稀葉もわかっていた。そして、彼らがただの兵士ではないことは確実だ。普通の農民や兵士に、人の後を追ってくるような技術はない。
だとすれば、阿流弖臥の手下の、特別な訓練を受けた密偵がついて来ていると考えるのが自然だろう。
自分を見張るようないくつかの視線を無視し、氣づいていないふりをしてゆっくり稀葉を撫でた。
「和賀ノ実を手に入れるのを見張って、より多く取り分をと考えているのか……いや、違うな。阿流弖臥はおそらく、神常の神域に押し入ろうと思っているんだろう」
追ってきているのは五人から八人のようだ。
尾行が上手いものもいれば、下手なものもいる。そして人数が入れ替わることもある。今はまだ村にも近いこともあり、逐一報告を交替でしていると思われた。
「熱心なことだ。でも、たしかに実を手に入れて……多くの命が助かるというのなら、それに越したことはない」
さらに言えば、柰雲に探させれば自らが探す手間が省ける。その上、その間は自分がするべきことができる。
自分たちの兵士たちに探させればその分兵力は割かれてしまうし、見つけたとしても確実に兵士たちが戻ってくる保証はない。
しかし、柰雲は村人を人質に取られている。これが、柰雲が必ず帰ってくると言える根拠だった。
村人を一人傷つけただけで逆上し、その場に死屍類の山と血だまりを作るほど村のことを思う人物であれば、村人を人質にとるのは敵にとって有効な手段だったのだ。
柰雲の優しさは、阿流弖臥に逆手に取られたのだ。今はあの時欠いた冷静さを嘆いても仕方がない。
「必ず見つけて戻ろう。稀葉、それまでよろしく頼むよ」
ごろごろと甘えて喉を鳴らす稀葉を優しく撫でてから、柰雲は疲れた身体を休めた。
村を出立してから、がむしゃらに東を目指し、氣がつくと一週間は経っていた。
深い森をいくつも抜け、谷を何度も渡った。切り立った崖のような道を進むこともあれば、踏み固められた地面を発見し、辿って行った先に人里を見つけることもあった。
太陽と星を見ながら方角を定め、伝説でしか聞いたことのない地を目指すということは、想像以上に不安なことだ。
立ち寄った村や里で和賀ノ実のことや神常《かむどこ》の神域の話を尋ねるが、誰一人としてその詳細を知る者とは出会うことがなかった。
それはいつの間にか柰雲胸に不安となって渦巻き始めている。
このまま見つけられなかったら、万が一自分だけが生き残ってしまったらと考えると、今すぐにでも逃げ出したい気持ちに駆られる。
稀葉に乗って村に戻って、阿流弖臥《あるてが》たちを皆殺しにしてしまおう。
何十回とそんな考えが浮かんだが、そんな勇気もない。一軍を倒したところで、二軍三軍がやってくるだけだ。そこまでの戦力が一族にあるとは思えなかった。
そして万が一村が戦場となってしまえば、田畑が焼かれるのは間違いない。そうなってしまえば、復興にも再生にも、膨大な時間と労力がかかる。それは、今までの先祖たちがしてきたことを、水の泡にしてしまう行為だ。
「大丈夫、きっと見つかる。みんなはそれまで安全だし、あの土地は複雑だから、土地のことをわかっていないと作物を育てられない。阿流弖臥という人が、それを知っている村人たちをみすみす殺すとは思えない」
それに、なによりもハシリ一族にとって魅力的なのは、候虎の存在だろう。
阿流弖臥が稀葉を脅威に思ったと同時に、欲しいと思ったのは候虎の戦闘力に違いなかった。
しかし候虎の育て方は門外不出で、一族以外には誰にも話してはいけない。もし掟を破れば、教えた方も聞いた方も、すぐさま候虎のエサにされてしまう。
「大丈夫、見つけられる……わたしと、稀葉なら」
木の幹に身体を預けながら、一休みして柰雲は調子を整えた。脚はけだるく重たく、じっとりとした森の湿気は身体にまとわりつく。緑の匂いが濃く、目を閉じれば自分も森になってしまったかのような感覚に陥ってくる。
夜に寝ようと思うと、殺した兵士たちが柰雲に襲い掛かってくる悪夢を見る。
血のにおいが鼻の奥にこびりついて、取れることがない。いつの間にか両手も血に染まり、生温かい返り血が顔にかかる。
足元を見ると、自分が殺した兵士たちが底のない暗闇の沼から這い上がってきて、引きずり降ろそうとする。
いやだ、と腕を振り回してその場から逃げようとする手を、血の涙を流した兵士がぬうと現れて、掴んで離そうとしない――。
脂汗をびっしりと額にかいて、夜中に何度も目を覚ます。稀葉はその度に大丈夫だよとでも言いたそうに柰雲を撫で、柔らかな毛並みに顔をうずめて寝る日々が続いていた。
苦しい旅路だったのは、たしかだ。事情がありそうな柰雲を、多くの村はあまり歓迎しなかった。自分たちが食べるだけで精いっぱいの中、旅人にまでわけ与える食料はないのだ。
その都度、身体を休めるだけでいいと伝えた。森で獲物を見つけては獲り、余ったものを持ち込むことにした。すると、村人たちはみな一様に自分たちの食い扶持を脅かすことがないとわかり、ほっとした顔をして受け入れてくれる。
候虎とともに村にしがみついていた柰雲にとって、他部族との交流は、自分の見識の狭さをひしひしと突き付けてきた。
旅の理由を聞かれ、ハシリ一族の話をかいつまんで話をすると、人々は表情を曇らせて押し黙った。
和賀ノ実の話をすれば、それは神話だからとほとんどの人がけらけらと笑うだけで、誰も本気にしない。
「それもそうだ。和賀ノ実があると知っていたら、誰もがその地を目指す」
厩舎の隅を借りて稀葉に話しかけながら寝るのが、柰雲が里に入ったときの寝方だ。部屋を勧められることもあるのだが、稀葉と一緒の方が落ち着くと言うと、快く厩舎を貸してくれた。
「どんなにひもじくとも、人々の心までは、誰にも貧しくできない。その人の心のありようで豊かにできるんだ」
稀葉を撫でて、窓から差し込む月の光を見ていると、視線を感じた。稀葉も氣がついているようで、耳をぴくぴくと動かしている。
だが、稀葉が警戒している様子はない。柰雲としても、こちらをうかがってくる視線から殺気を感じなかった。
「やっぱり、ついて来ているのか」
柰雲はその視線が、村を出てからずっと続いているのを感じていた。
「あの切れ者の阿流弖臥《あるてが》が、ただでわたしを逃がすわけないと思ったけれど」
尾行している集団がいることを、柰雲も稀葉もわかっていた。そして、彼らがただの兵士ではないことは確実だ。普通の農民や兵士に、人の後を追ってくるような技術はない。
だとすれば、阿流弖臥の手下の、特別な訓練を受けた密偵がついて来ていると考えるのが自然だろう。
自分を見張るようないくつかの視線を無視し、氣づいていないふりをしてゆっくり稀葉を撫でた。
「和賀ノ実を手に入れるのを見張って、より多く取り分をと考えているのか……いや、違うな。阿流弖臥はおそらく、神常の神域に押し入ろうと思っているんだろう」
追ってきているのは五人から八人のようだ。
尾行が上手いものもいれば、下手なものもいる。そして人数が入れ替わることもある。今はまだ村にも近いこともあり、逐一報告を交替でしていると思われた。
「熱心なことだ。でも、たしかに実を手に入れて……多くの命が助かるというのなら、それに越したことはない」
さらに言えば、柰雲に探させれば自らが探す手間が省ける。その上、その間は自分がするべきことができる。
自分たちの兵士たちに探させればその分兵力は割かれてしまうし、見つけたとしても確実に兵士たちが戻ってくる保証はない。
しかし、柰雲は村人を人質に取られている。これが、柰雲が必ず帰ってくると言える根拠だった。
村人を一人傷つけただけで逆上し、その場に死屍類の山と血だまりを作るほど村のことを思う人物であれば、村人を人質にとるのは敵にとって有効な手段だったのだ。
柰雲の優しさは、阿流弖臥に逆手に取られたのだ。今はあの時欠いた冷静さを嘆いても仕方がない。
「必ず見つけて戻ろう。稀葉、それまでよろしく頼むよ」
ごろごろと甘えて喉を鳴らす稀葉を優しく撫でてから、柰雲は疲れた身体を休めた。
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