11 / 67
第1章 東へ
第8話
しおりを挟む
稀葉の緊張が和らいでいることから察するに、今はひとまず危険はないのだとわかる。どうしていいかわからないままでいると、稀葉がぴったりと横にくっついてくる。
起こすから少し寝てくれと言わんばかりに甘えられ、言われるがまま柰雲は稀葉にくっついて寝てしまっていた。
目を覚まして飼葉から身を起こすと、稀葉がすぐに柰雲の頬をぺろりと舐めた。
「……こんな状況で寝るとは。我ながら、図太いようだ」
外を見ると、とっくに日は高くまで昇っていて、まぶしい青空が見える。それでも鳥たちの鳴き聲からして、早朝だというのがわかる。チチチチとさえずる美しい鳥たちのさえずりを聞きながら、村からいつもと違う気配が漂ってきているのを感じた。
緊張感と、悲しみ。そして、いつもと違う者たちがいる。そんな気配を肌で敏感に察知する。稀葉を一度見つめてから、ふうと息を吐いた。
「稀葉、一緒に来てくれ」
立ち上がった柰雲に首を寄せて、稀葉はごろごろと喉を鳴らした。厩舎近くに人がいないのを確認して、稀葉に銜《はみ》を噛ませる。それをつけると、稀葉は自分が今どうするのが一番良いかを理解する。
「みんな、危なくなったら逃げるんだ。いいね?」
言いながら柰雲は、厩舎の候虎《こうこ》たちの止め板を外しておいた。
「なにかあっても決して戦ってはいけない。お前たちを、戦争の道具にはさせない」
候虎たちの頬を軽く撫で、稀葉の準備を整えるとそっと厩舎を出た。柰雲の姿を、何頭もの候虎たちが見送る。飼い主の意思を汲んで、賢い候虎たちは自分の主を静かに見送った。
「まずは、父さんたちの屋敷に行こう。裏から回って行けば、誰にも気づかれない。様子を見ないと」
柰雲は一番の相棒である稀葉をそっと連れ出して、遠回りをして屋敷の裏手へ回った。稀葉にまたがれば、足音を消すことができる。案の定、誰にも見つかることなく裏に回ることができた。藪に潜みながら、人々の動きを見る。
「あれは……村のみんなだ!」
見たことのない重厚な短甲をつけた兵たちが立ち並んでいて、屋敷を取り囲んでいた。屋敷前の広場に、村人たちが全員集められている。筋骨隆々な兵士たちに取り囲まれて縄を打たれているのは、柰雲の父と兄妹たちだ。稀葉が鼻をくんくんと動かす。
「……見たこともない服装だ。刺青もない。やはり、北方民族か」
みんなが無事だったのを確認できてほっとしていると、兵士たちの間からすらりと背の高い、白い装束に身を包んだ女性が現れた。柰雲は彼女の雰囲気を感じ取った瞬間、稀葉の後ろの藪に身体を深く沈める。
こちらに一瞬だけ視線を向けたその女性は、赫土《あかつち》を施した顔に鋭い笑顔を乗せていた。長い裳に長い領巾《ひれ》が、地面を撫でるように滑る。手や首から下げた多くの珠や鈴がしゃらしゃらと涼やかな音を立て、肩から斜めにかかる襷が目を引いた。
女がゆっくり歩いてくると、屈強な兵たちが深々とお辞儀をする。ただものではない雰囲気に、その場の誰もが息を飲んだ。
異様な雰囲気の女は、一番手前で縛られた大王《おおきみ》を真っ直ぐ見つめる。挑戦的な瞳には迷いも恐れもなく、好奇心と喜びが口元に浮かぶ。しっかりした形の眉には意志の強さを、鋭い眼光は野生動物を思わせた。
「私がハシリ一族の一軍隊長である阿流弖臥《あるてが》だ。そなたたちが候虎使いの一族だな」
阿流弖臥と名乗った女は、涼やかでよく通る聲でにこりと笑う。唇に差された真っ赤な紅が、彼女を妖艶にも恐ろしいものにも魅せていた。
「今からこの村と一族は、我がハシリ一族の傘下とする。異存はあるまい」
否定を一切受け付けない、決定的な一言が下されていた。すべてての異存に対して拒絶する意思が現れていて、絶対的な自信が言葉の隅々からみなぎってる。それは同時に、断ろうものならどうなるかわかっているのか、という脅迫も含まれていた。
大王が頷こうとしたところ、遮るように速玖而《はやくじ》が「ふざけるな!」と叫んだ。阿流弖臥は優雅に首をかしげる。しゃらしゃらと、身体のあちこちにつけられた玉飾りや鈴が鳴る。それは、神聖な響きで、空気を震わせた。
「とつじょ理由もなく攻めてきて、いきなり傘下になれとは、あまりも横暴ではないか!」
速玖而が縄をぶちぶちと数本引きちぎりながら、憤怒の表情で立ち上がった。そんな速玖而に兵士たちは驚きつつも、阿流弖臥を守ろうと武器を突き出す。だが、いきり立つ兵士たちを牽制し、なお、阿流弖臥は勝ち誇った笑みを見せた。
「話し合いをすれば、この土地を譲ったか? そんなわけあるまい。抵抗しなければ傷つけない。そなたたちが、我らに敵うはずもない……たとえそのように莫迦力だとしても」
絶対的な武力による力の差がある、と阿流弖臥は態度で示す。
「いくら猛獣使いの一族でも、我らは戦闘民族。戦力や戦術において、我らの右に出る者はいない。そして、私たちは第一軍。つまりなにを意味しているかわかるか? 精鋭中の精鋭という事だ」
女は紅を引いた口元からは笑みが、瞳からは哀れみにも似た視線を速玖而に向けていた。
起こすから少し寝てくれと言わんばかりに甘えられ、言われるがまま柰雲は稀葉にくっついて寝てしまっていた。
目を覚まして飼葉から身を起こすと、稀葉がすぐに柰雲の頬をぺろりと舐めた。
「……こんな状況で寝るとは。我ながら、図太いようだ」
外を見ると、とっくに日は高くまで昇っていて、まぶしい青空が見える。それでも鳥たちの鳴き聲からして、早朝だというのがわかる。チチチチとさえずる美しい鳥たちのさえずりを聞きながら、村からいつもと違う気配が漂ってきているのを感じた。
緊張感と、悲しみ。そして、いつもと違う者たちがいる。そんな気配を肌で敏感に察知する。稀葉を一度見つめてから、ふうと息を吐いた。
「稀葉、一緒に来てくれ」
立ち上がった柰雲に首を寄せて、稀葉はごろごろと喉を鳴らした。厩舎近くに人がいないのを確認して、稀葉に銜《はみ》を噛ませる。それをつけると、稀葉は自分が今どうするのが一番良いかを理解する。
「みんな、危なくなったら逃げるんだ。いいね?」
言いながら柰雲は、厩舎の候虎《こうこ》たちの止め板を外しておいた。
「なにかあっても決して戦ってはいけない。お前たちを、戦争の道具にはさせない」
候虎たちの頬を軽く撫で、稀葉の準備を整えるとそっと厩舎を出た。柰雲の姿を、何頭もの候虎たちが見送る。飼い主の意思を汲んで、賢い候虎たちは自分の主を静かに見送った。
「まずは、父さんたちの屋敷に行こう。裏から回って行けば、誰にも気づかれない。様子を見ないと」
柰雲は一番の相棒である稀葉をそっと連れ出して、遠回りをして屋敷の裏手へ回った。稀葉にまたがれば、足音を消すことができる。案の定、誰にも見つかることなく裏に回ることができた。藪に潜みながら、人々の動きを見る。
「あれは……村のみんなだ!」
見たことのない重厚な短甲をつけた兵たちが立ち並んでいて、屋敷を取り囲んでいた。屋敷前の広場に、村人たちが全員集められている。筋骨隆々な兵士たちに取り囲まれて縄を打たれているのは、柰雲の父と兄妹たちだ。稀葉が鼻をくんくんと動かす。
「……見たこともない服装だ。刺青もない。やはり、北方民族か」
みんなが無事だったのを確認できてほっとしていると、兵士たちの間からすらりと背の高い、白い装束に身を包んだ女性が現れた。柰雲は彼女の雰囲気を感じ取った瞬間、稀葉の後ろの藪に身体を深く沈める。
こちらに一瞬だけ視線を向けたその女性は、赫土《あかつち》を施した顔に鋭い笑顔を乗せていた。長い裳に長い領巾《ひれ》が、地面を撫でるように滑る。手や首から下げた多くの珠や鈴がしゃらしゃらと涼やかな音を立て、肩から斜めにかかる襷が目を引いた。
女がゆっくり歩いてくると、屈強な兵たちが深々とお辞儀をする。ただものではない雰囲気に、その場の誰もが息を飲んだ。
異様な雰囲気の女は、一番手前で縛られた大王《おおきみ》を真っ直ぐ見つめる。挑戦的な瞳には迷いも恐れもなく、好奇心と喜びが口元に浮かぶ。しっかりした形の眉には意志の強さを、鋭い眼光は野生動物を思わせた。
「私がハシリ一族の一軍隊長である阿流弖臥《あるてが》だ。そなたたちが候虎使いの一族だな」
阿流弖臥と名乗った女は、涼やかでよく通る聲でにこりと笑う。唇に差された真っ赤な紅が、彼女を妖艶にも恐ろしいものにも魅せていた。
「今からこの村と一族は、我がハシリ一族の傘下とする。異存はあるまい」
否定を一切受け付けない、決定的な一言が下されていた。すべてての異存に対して拒絶する意思が現れていて、絶対的な自信が言葉の隅々からみなぎってる。それは同時に、断ろうものならどうなるかわかっているのか、という脅迫も含まれていた。
大王が頷こうとしたところ、遮るように速玖而《はやくじ》が「ふざけるな!」と叫んだ。阿流弖臥は優雅に首をかしげる。しゃらしゃらと、身体のあちこちにつけられた玉飾りや鈴が鳴る。それは、神聖な響きで、空気を震わせた。
「とつじょ理由もなく攻めてきて、いきなり傘下になれとは、あまりも横暴ではないか!」
速玖而が縄をぶちぶちと数本引きちぎりながら、憤怒の表情で立ち上がった。そんな速玖而に兵士たちは驚きつつも、阿流弖臥を守ろうと武器を突き出す。だが、いきり立つ兵士たちを牽制し、なお、阿流弖臥は勝ち誇った笑みを見せた。
「話し合いをすれば、この土地を譲ったか? そんなわけあるまい。抵抗しなければ傷つけない。そなたたちが、我らに敵うはずもない……たとえそのように莫迦力だとしても」
絶対的な武力による力の差がある、と阿流弖臥は態度で示す。
「いくら猛獣使いの一族でも、我らは戦闘民族。戦力や戦術において、我らの右に出る者はいない。そして、私たちは第一軍。つまりなにを意味しているかわかるか? 精鋭中の精鋭という事だ」
女は紅を引いた口元からは笑みが、瞳からは哀れみにも似た視線を速玖而に向けていた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
後宮の棘
香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
とある婚約破棄の顛末
瀬織董李
ファンタジー
男爵令嬢に入れあげ生徒会の仕事を疎かにした挙げ句、婚約者の公爵令嬢に婚約破棄を告げた王太子。
あっさりと受け入れられて拍子抜けするが、それには理由があった。
まあ、なおざりにされたら心は離れるよね。
願いの守護獣 チートなもふもふに転生したからには全力でペットになりたい
戌葉
ファンタジー
気付くと、もふもふに生まれ変わって、誰もいない森の雪の上に寝ていた。
人恋しさに森を出て、途中で魔物に間違われたりもしたけど、馬に助けられ騎士に保護してもらえた。正体はオレ自身でも分からないし、チートな魔法もまだ上手く使いこなせないけど、全力で可愛く頑張るのでペットとして飼ってください!
チートな魔法のせいで狙われたり、自分でも分かっていなかった正体のおかげでとんでもないことに巻き込まれちゃったりするけど、オレが目指すのはぐーたらペット生活だ!!
※「1-7」で正体が判明します。「精霊の愛し子編」や番外編、「美食の守護獣」ではすでに正体が分かっていますので、お気を付けください。
番外編「美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい」
「冒険者編」と「精霊の愛し子編」の間の食い倒れツアーのお話です。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/2227451/394680824
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
元探索者のおじいちゃん〜孫にせがまれてダンジョン配信を始めたんじゃが、軟弱な若造を叱りつけたらバズりおったわい〜
伊藤ほほほ
ファンタジー
夏休み。それは、最愛の孫『麻奈』がやって来る至福の期間。
麻奈は小学二年生。ダンジョン配信なるものがクラスで流行っているらしい。
探索者がモンスターを倒す様子を見て盛り上がるのだとか。
「おじいちゃん、元探索者なんでしょ? ダンジョン配信してよ!」
孫にせがまれては断れない。元探索者の『工藤源二』は、三十年ぶりにダンジョンへと向かう。
「これがスライムの倒し方じゃ!」
現在の常識とは異なる源二のダンジョン攻略が、探索者業界に革命を巻き起こす。
たまたま出会った迷惑系配信者への説教が注目を集め、
インターネット掲示板が源二の話題で持ちきりになる。
自由奔放なおじいちゃんらしい人柄もあってか、様々な要因が積み重なり、チャンネル登録者数が初日で七万人を超えるほどの人気配信者となってしまう。
世間を騒がせるほどにバズってしまうのだった。
今日も源二は愛車の軽トラックを走らせ、ダンジョンへと向かう。
【完結】婚約破棄令嬢の失恋考察記 〜労働に生きようと思っていたのに恋をしてしまいました。その相手が彼なんて、我ながらどうかと思うけど〜
藍生蕗
恋愛
伯爵令嬢であるリヴィア・エルトナはつい先日婚約破棄されたばかり。嘲笑と好奇が自分を取り巻く。
わたくしも自分が婚約していたなんてその時知りましたけどね。
父は昔結ばれなかった女性を今も一途に想い続ける。
リヴィアはそんな父と政略結婚の母との間に産まれた娘で、父は娘に無関心。
貴族だからと言って何故こんな思いをしなければいけないのか、貴族の結婚はそれ程意味のあるものなのか。
そんな思いを抱えるリヴィアは、父と境遇を同じくする第二皇子と知り合い、自身にわだかまる思いを彼にぶつけてしまうのだが……
※小説家になろう・カクヨムでも掲載してます
【完結】側妃は愛されるのをやめました
なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」
私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。
なのに……彼は。
「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」
私のため。
そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。
このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?
否。
そのような恥を晒す気は無い。
「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」
側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。
今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。
「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」
これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。
華々しく、私の人生を謳歌しよう。
全ては、廃妃となるために。
◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる