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第1章 東へ
第4話
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重たい沈黙を破ったのは、次男の阿字多だ。長兄次兄は、父親によく似た顔立ちで、大王と同じように眉をひそめる。
「ですが、恐れながら大巫女さま……もし、攻め入られたら、どうすれば……?」
阿字多の一言に、速玖而も大きく頷く。そんな二人を見て、大巫女はほっほっほと笑った。
「心配するでない。ここは特殊な地形で作物を育てるのが難しい。我らを殺したところで、この地を利用することはできぬ。そんなこと、向こうも百も承知のはずじゃ」
なあ、伝聞師よと言われて、旅人の初老の男は首肯した。
「ここは崖や山が多い特殊な地形です。あなたたちが従える獸たちとの共存にふさわしい。それもあるのか、この地の実りは大きい。特殊な地形が豊作に関係しているなら、知識ある者たちをむやみに殺すはずがありません」
それに、と伝聞師は酒の杯を持ち上げた。
「彼らの頭は悪くありません。好戦的ですが、話のわかる人物がいます」
何人かは表情を緩めたが、大王と兄たちの表情は渋いままだった。伝聞師はぐっと杯の酒を飲み干すと、少し悲しそうな顔をした。
「ですが、この村は東の始まりであり西の終わり。ここが突破されれば、あっという間に參ノ國の東側まで、ハシリ一族が統一していくことでしょう」
伝聞師の言葉は、重くのしかかる。揺れる灯りに彼の疲労と困惑そして絶望が見え隱れしていた。
「あなたたちが眞に恐れるべきは、一族の獸を侵略する際の斥候にされることかもしれませんね」
彼の一言は、毒稲の恐怖よりも一族の心を打った。
「それだけは、させない」
大王がすぐさま言葉を發する。この場にいる全員が同じ思いを胸に抱いた。
「候虎たちを、戦争の道具にすることだけはさせない。我が一族の誇りにかけても」
「そうしてください。候虎は人には懐きませんから、ハシリ一族が手に入れたところで、なにもできないのは目に見えてはいますけれど」
一族の団結した思いに触れて、伝聞師は少々安心したような表情になった。
柰雲たち一族は、平地の農耕民族でありながら、候虎という獸を扱う猛獣使いだ。
家族同然の獸たちを貶められるようなことがあれば、候虎使いたちは絶対に許さない。
「大地が毒稲によって紅く染まるくらいなら、我らの家族を乱雑に扱われるくらいなら、彼らの血を大地に流すべきです」
速玖而が重い口を開けてそう言ったのだが、大王は首を横に振った。
「大巫女さまがならぬと言うのだ。よもや攻め入られたとしても、下手に爭うより大人しく従って機会を待つのがいい。そうすれば、民を傷つけず候虎たちも安全だ」
「父上。機会が与えられるとは限りません。隙があればこの村ももっと東の土地も、あっという間にハシリ一族に侵略されます。それは毒稲が増え、人々の餓えが増すことを意味します」
「速玖而、そう焦るでない」
大巫女が口を開いて、焦る長兄に向けてやんわりと笑った。
「死に自ら足を伸ばそうとするな。たとえハシリ一族が大陸中に痕跡を残したとしても、いずれは収まっていくもの。神話にもあるように、人が行き過ぎた行為をすると、大地が自浄作用を求めて世界が乱れる。だがその後に必ず平穏が訪れる」
「大巫女さま、神話と現実は違います! このままではこの村が無くなってしまいます!」
速玖而は大声で言い放つと、憤怒の顔のまま大広間を去って行ってしまった。大王はため息を吐き、「正義感が強すぎるのも考えものだ」とぽつりと呟いた。
「伝聞師どの、お見苦しいところを見せて申し訳ない。あれは正義感が強く、一族のことを思うが故に、視野が狭くなっているのです。今夜はゆっくりと、疲れを癒してください」
伝聞師は頷きつつ、なんともいえない笑顔で空の杯の底を見つめていた。
「ですが、恐れながら大巫女さま……もし、攻め入られたら、どうすれば……?」
阿字多の一言に、速玖而も大きく頷く。そんな二人を見て、大巫女はほっほっほと笑った。
「心配するでない。ここは特殊な地形で作物を育てるのが難しい。我らを殺したところで、この地を利用することはできぬ。そんなこと、向こうも百も承知のはずじゃ」
なあ、伝聞師よと言われて、旅人の初老の男は首肯した。
「ここは崖や山が多い特殊な地形です。あなたたちが従える獸たちとの共存にふさわしい。それもあるのか、この地の実りは大きい。特殊な地形が豊作に関係しているなら、知識ある者たちをむやみに殺すはずがありません」
それに、と伝聞師は酒の杯を持ち上げた。
「彼らの頭は悪くありません。好戦的ですが、話のわかる人物がいます」
何人かは表情を緩めたが、大王と兄たちの表情は渋いままだった。伝聞師はぐっと杯の酒を飲み干すと、少し悲しそうな顔をした。
「ですが、この村は東の始まりであり西の終わり。ここが突破されれば、あっという間に參ノ國の東側まで、ハシリ一族が統一していくことでしょう」
伝聞師の言葉は、重くのしかかる。揺れる灯りに彼の疲労と困惑そして絶望が見え隱れしていた。
「あなたたちが眞に恐れるべきは、一族の獸を侵略する際の斥候にされることかもしれませんね」
彼の一言は、毒稲の恐怖よりも一族の心を打った。
「それだけは、させない」
大王がすぐさま言葉を發する。この場にいる全員が同じ思いを胸に抱いた。
「候虎たちを、戦争の道具にすることだけはさせない。我が一族の誇りにかけても」
「そうしてください。候虎は人には懐きませんから、ハシリ一族が手に入れたところで、なにもできないのは目に見えてはいますけれど」
一族の団結した思いに触れて、伝聞師は少々安心したような表情になった。
柰雲たち一族は、平地の農耕民族でありながら、候虎という獸を扱う猛獣使いだ。
家族同然の獸たちを貶められるようなことがあれば、候虎使いたちは絶対に許さない。
「大地が毒稲によって紅く染まるくらいなら、我らの家族を乱雑に扱われるくらいなら、彼らの血を大地に流すべきです」
速玖而が重い口を開けてそう言ったのだが、大王は首を横に振った。
「大巫女さまがならぬと言うのだ。よもや攻め入られたとしても、下手に爭うより大人しく従って機会を待つのがいい。そうすれば、民を傷つけず候虎たちも安全だ」
「父上。機会が与えられるとは限りません。隙があればこの村ももっと東の土地も、あっという間にハシリ一族に侵略されます。それは毒稲が増え、人々の餓えが増すことを意味します」
「速玖而、そう焦るでない」
大巫女が口を開いて、焦る長兄に向けてやんわりと笑った。
「死に自ら足を伸ばそうとするな。たとえハシリ一族が大陸中に痕跡を残したとしても、いずれは収まっていくもの。神話にもあるように、人が行き過ぎた行為をすると、大地が自浄作用を求めて世界が乱れる。だがその後に必ず平穏が訪れる」
「大巫女さま、神話と現実は違います! このままではこの村が無くなってしまいます!」
速玖而は大声で言い放つと、憤怒の顔のまま大広間を去って行ってしまった。大王はため息を吐き、「正義感が強すぎるのも考えものだ」とぽつりと呟いた。
「伝聞師どの、お見苦しいところを見せて申し訳ない。あれは正義感が強く、一族のことを思うが故に、視野が狭くなっているのです。今夜はゆっくりと、疲れを癒してください」
伝聞師は頷きつつ、なんともいえない笑顔で空の杯の底を見つめていた。
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