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第1章 東へ
第1話
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この世に救いがないと悟ったのは、柰雲が十二歳で元服の儀を終えてすぐのことだった。
體と顔に入れた刺青の痛みや熱よりも、妹の美爾を失ったことの方が、彼を早急に大人へ成熟させた。
精神的な痛みのほうが人は成長する。柰雲はその真実にうっすら氣づいたのを覺えている。
現在、參ノ国とよばれる巨大な大陸に伝わる三賢人の神話から、すでに千年以上の時を経た。
そしてここ数百年のあいだ、參ノ国の均衡は崩れている。
特にこの数年は酷い。
穏やかな性格の獸が共食いし、海の魚は獲れず波打ち際に死骸が寄せられ、山の生き物たちも姿を隱していた。
穀物を育てることで生き延びてきた人間たちを襲ったのは、底なしの干ばつと日照り。さらには異常気象と言える大きな嵐の数々。
自然災害によって作物をごっそり倒され、命が無残に散り、道のあちこちに生き物の骸が転がった。
世界中が飢饉に襲われ、大地はやせ細って貧しく、穀物は多くが育たなくなってしまっていた。精神が暗く澱み、病んでしまう人が多いのは、この先の未来に絶望してしまったからだった。
そんな中でも參ノ国の中央辺りでは、たくましく育つ白壽の稻を植え、貧しくとも生き延びていた。白壽の稻は生命力が強く、痩せた土地でも一生懸命に根を張った。
穫れる小さな粒はそれほど多くなくとも、人々の飢えをしのぐのには十分だ。周辺諸国の住人にとっては大事なものだった。
「美爾《みしか》、今年も実りが少ない。年々、少なくなってきている」
麗しい靑年に成長した柰雲は、村の隅にある墓地で絶望していた。
わずか三歳でこの世を去らなければならなかった、妹の美爾の墓へ手を合わせる。
妹の小さな熱い手のひらを思い出すたびに、柰雲の胸を恐ろしい痛みが襲う。にいちゃ、と呼んだあの可愛い聲を反芻するたびに、激しい後悔の念が押し寄せる。
自分の食べるものなど要らないから、妹の美爾にあげて欲しかったのに。今でも柰雲は妹の死を受け入れられない。
「今年も、きっとたくさん人が死ぬ……」
呟いてから、柰雲は目を開けて立ち上がった。
すらりとした長身に映える美しい貌は、誰もが見惚れてしまう造形であるにもかかわらず、酷く深い翳を落としている。
大王の息子として成人したのに、柰雲は一族の政策には一切かかわろうとしない。美豆良も結わず、畑仕事や狩りにばかり行く。
彼の濡れた黑い瞳に漂う、空を彷徨う憂いは、村人たちのため息の元になっていた。
柰雲は、この村で八人兄妹の末の皇子に生まれた。末っ子の男の子が元服の儀を終えてしばらく経つと、村の後継者を評する太占を兄弟全員が受けるのが習わしだ。
そして、柰雲が大王に精選されたため、兄妹の嫉妬心をあおる結果になったのは、本人にはどうにもできない事だ。
そんな彼の心の支えであった妹の美爾の死の翳は深い。心優しい第八皇子は、妹の死を悲しみ、心を緩やかに閉ざし一人でいることを好むようになった。
それは誰の目から見ても村を治めて行くものの器を持つようには見えない。勇敢な第一皇子を正当な跡継ぎにしてほしいという聲が、日に日に強まっていた。
柰雲はそれを知っていて、一人ふらふらと村のはずれや森にこもっては日々を過ごしている。兄が大王になってくれることを望みながら。
元服の儀から四年あまり――。
やせ細っていく村人に、実りを結ばない穀物が増える現実。
すぐそこまで飢餓が迫っている日々を送る中で、元は明るくたくましい村人たちの気持ちも、だんだん沈みがちになっていた。
柰雲はそれでも政治に関心を向けることはなく、長い髪の毛を垂髪にして、村人に混じって家畜の世話や狩りへ出かける。
(……戻らなければ)
もうすぐ陽が天に届く。
ほんの少しの休憩になると、彼はいつも美爾の墓の前に来る。泣けるくらい小さい石が埋められた地面を見つめてから、その場を後にした。
體と顔に入れた刺青の痛みや熱よりも、妹の美爾を失ったことの方が、彼を早急に大人へ成熟させた。
精神的な痛みのほうが人は成長する。柰雲はその真実にうっすら氣づいたのを覺えている。
現在、參ノ国とよばれる巨大な大陸に伝わる三賢人の神話から、すでに千年以上の時を経た。
そしてここ数百年のあいだ、參ノ国の均衡は崩れている。
特にこの数年は酷い。
穏やかな性格の獸が共食いし、海の魚は獲れず波打ち際に死骸が寄せられ、山の生き物たちも姿を隱していた。
穀物を育てることで生き延びてきた人間たちを襲ったのは、底なしの干ばつと日照り。さらには異常気象と言える大きな嵐の数々。
自然災害によって作物をごっそり倒され、命が無残に散り、道のあちこちに生き物の骸が転がった。
世界中が飢饉に襲われ、大地はやせ細って貧しく、穀物は多くが育たなくなってしまっていた。精神が暗く澱み、病んでしまう人が多いのは、この先の未来に絶望してしまったからだった。
そんな中でも參ノ国の中央辺りでは、たくましく育つ白壽の稻を植え、貧しくとも生き延びていた。白壽の稻は生命力が強く、痩せた土地でも一生懸命に根を張った。
穫れる小さな粒はそれほど多くなくとも、人々の飢えをしのぐのには十分だ。周辺諸国の住人にとっては大事なものだった。
「美爾《みしか》、今年も実りが少ない。年々、少なくなってきている」
麗しい靑年に成長した柰雲は、村の隅にある墓地で絶望していた。
わずか三歳でこの世を去らなければならなかった、妹の美爾の墓へ手を合わせる。
妹の小さな熱い手のひらを思い出すたびに、柰雲の胸を恐ろしい痛みが襲う。にいちゃ、と呼んだあの可愛い聲を反芻するたびに、激しい後悔の念が押し寄せる。
自分の食べるものなど要らないから、妹の美爾にあげて欲しかったのに。今でも柰雲は妹の死を受け入れられない。
「今年も、きっとたくさん人が死ぬ……」
呟いてから、柰雲は目を開けて立ち上がった。
すらりとした長身に映える美しい貌は、誰もが見惚れてしまう造形であるにもかかわらず、酷く深い翳を落としている。
大王の息子として成人したのに、柰雲は一族の政策には一切かかわろうとしない。美豆良も結わず、畑仕事や狩りにばかり行く。
彼の濡れた黑い瞳に漂う、空を彷徨う憂いは、村人たちのため息の元になっていた。
柰雲は、この村で八人兄妹の末の皇子に生まれた。末っ子の男の子が元服の儀を終えてしばらく経つと、村の後継者を評する太占を兄弟全員が受けるのが習わしだ。
そして、柰雲が大王に精選されたため、兄妹の嫉妬心をあおる結果になったのは、本人にはどうにもできない事だ。
そんな彼の心の支えであった妹の美爾の死の翳は深い。心優しい第八皇子は、妹の死を悲しみ、心を緩やかに閉ざし一人でいることを好むようになった。
それは誰の目から見ても村を治めて行くものの器を持つようには見えない。勇敢な第一皇子を正当な跡継ぎにしてほしいという聲が、日に日に強まっていた。
柰雲はそれを知っていて、一人ふらふらと村のはずれや森にこもっては日々を過ごしている。兄が大王になってくれることを望みながら。
元服の儀から四年あまり――。
やせ細っていく村人に、実りを結ばない穀物が増える現実。
すぐそこまで飢餓が迫っている日々を送る中で、元は明るくたくましい村人たちの気持ちも、だんだん沈みがちになっていた。
柰雲はそれでも政治に関心を向けることはなく、長い髪の毛を垂髪にして、村人に混じって家畜の世話や狩りへ出かける。
(……戻らなければ)
もうすぐ陽が天に届く。
ほんの少しの休憩になると、彼はいつも美爾の墓の前に来る。泣けるくらい小さい石が埋められた地面を見つめてから、その場を後にした。
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