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第4章 精霊狩り
第34話 ウァール
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翌朝、ノックもなしに部屋に入ってきたのは、ウァールという薬師だった。
暗い目の底に、何を考えているのか分からない飄々としたいで立ちが、なんとも不思議な男だ。
ニケに「来い」とだけ言って、戸口に立ちふさがっていた。
とっくに起きて水浴びをし、朝に従者の女性が持ってきてくれた服に着替えていたニケは、その横暴な態度に腹が立ってついついにらんだ。
「お前、名前は」
「答えたくない」
「あっそ。じゃあチビだ」
小さくないもん、と反撃すると、くだらないものを見る目でニケを見てから、急ぐように伝えた。
のろのろと戸口へ向かうと、片方の腕に縄を巻かれ、その縄の端はウァールの腰紐にがっちりと結ばれる。
「逃げないってば」
「これは保険だ。逃げたところで、すぐに見つかるけどな」
ニケはあからさまに不機嫌な顔をしたのだが見事に無視され、二人そろって歩き出す。
「どこ行くの?」
「精霊樹の所だ。そこにいる精霊を説得しろ。それがお前の当分の仕事だ。精霊を説得して土地をフォッサに分けてくれさえすれば、そこに住む精霊を俺たちの好きなようにできる。交渉ができないなら、力ずくで破壊すると伝えろ」
「そんなの、調律師の仕事で私の仕事じゃない!」
そんな目的なら行かない、とニケが足に力を入れると、腕に巻かれた縄を引っ張られた。
「暴れるなら縛りつけて持ってくぞ」
「あなた、嫌な薬師だね」
「とうに辞めたよ、薬師なんて。俺は精霊が嫌いだ」
ニケは引っ張られてよろけながら、ウァールに連れられて外に出た。どうやら城だったようで、小さな裏門の出口から外へ出ると、すでにそこには王と騎乗した兵士たちがいた。
「待っていたよ、お嬢さん。案内するから、行こう」
フォッサ王は顔色は悪いものの、穏やかな笑みを見せた。騎乗した兵士たちに前後を囲まれながら、ニケはウァールと並んで歩いた。
「ねえ、なんで精霊が嫌いなの?」
ニケの質問に、ウァールはちらりとニケを見やってから、前を向いた。
「〈竜の患い熱〉で両親も兄弟も死んだ。村も滅びた。それ以来、治療法を探すことよりも、精霊を殺すことに専念している」
小さいけれども、鋭い刃物のような響きでウァールがそうつぶやいた。
「なんてひどいことして……!」
「ひどいのは精霊の方さ。俺の家族はあんなに苦しんで死んだのに、自分たちはぴんぴんしている。だから、殺してやろうと思った。そうしているうちに、死ぬ間際に精霊たちが魔力を凝縮させることが証明できて……それを利用して薬を造ったら、効果が現れた」
ウァールは周りの騎馬兵たちに聞こえない程度の声で、ニケにゆっくりと話をした。それを聞いてしまったニケは、整備されていない森へと顔面蒼白になりながらついて行く。
「そこで、金に困っていそうな国を探して話を持ち掛けたら、フォッサが乗ってきた。慈悲深くて賢い王だ。精霊が見えないから、俺の言うことをすべて信じる」
「あなた、悪魔みたい」
「なんとでも言え。俺は、家族の敵を討ちたい」
ポケットから金色の液体を取り出し、ニケに手渡す。
「飲んでみるか? 精霊と碧海苔の味がするぞ?」
ぞわりと背中の毛が逆立って、ニケは手渡されたそれを慌ててウァールに突き返した。そのニケの様子に低く笑って、ウァールは楽しそうに森の中を進む。
精霊の森独特の暖かさを感じて、ニケは気分が落ち着いてきた。
「ねえ、碧海苔のあの洞窟は、この国の物だよね?」
「そうだ」
「王様がお金に困っているなら、碧海苔を売れば相当な金額になるよ。あの洞窟一面にある碧海苔すべて売りさばいたら、それこそ百年先まで困ることはないはず」
お前こそ嫌な薬師だなとウァールがニケを白い目で見た。
「だったら、精霊を殺さなくったって、あの碧海苔だけで」
そこまで言って、ニケはウァールの手で口をふさがれた。
「それ以上大きな声で言ったら、お前今ここで俺に殺されるからな」
見ると、ウァールの手首に巻かれた革の腕当てに、針が仕込んであるのが見えた。
刺されたら、すぐに死ぬような毒でも塗ってあるのだろう。突然死に見せかけて人を殺すなどたやすいぞと、ウァールの目が物語っていて、ニケは騒ぐのをやめた。
「金儲けするだけじゃ、俺の復讐にならない。精霊をこの手で殺し尽くさなければ、気が済む話じゃない」
ウァールのその物言いに、ニケは歪んでいると思った。ウァールがやっているのは、ただの八つ当たりだ。
ウァールの家族が亡くなってしまったのは残念だ。しかし、それをもたらした精霊を憎んだところで何も始まらない。憎むべき対象は他にあって、精霊ではないはずなのに、やり場のない怒りの矛先は、向ける場所を見失っていた。
「だから、あなたは復讐を?」
「そうだ。俺は、この手で精霊を抹殺したい。だから、それができる隠れ蓑にフォッサになってもらうことにした。精霊を殺してもいという正当性が無ければ、俺はただの精霊殺しの犯罪者だ。だけど、後ろ盾さえあれば、俺はいくらでも正式に精霊を殺せる。フォッサは新薬によって金が儲かる。悪い話じゃない」
ウァールの自信にあふれた物言いに、ニケは息が詰まった。
「でも、精霊を殺すなんて」
「いいか、チビ。人は病の元が精霊だと確信してしまったら、俺がしなくても世界中の人間が精霊を皆殺しにするだろう。これは事実だ。
万が一、全面戦争になったら今度困るのは俺たちだ。俺が少しでも、精霊から〈竜の患い熱〉の薬が造れるなんて広めてみろ、どうなるか分かるだろ?」
ニケは察しがついた。そんなことをしたら、世界のあちこちで精霊狩りが始まってしまう。それこそ、人と精霊の全面戦争が起きてしまうのだ。
「俺とこの秘密に製造された薬が、それをさせない抑止力になるんだ。俺は自分の手で殺せる範囲の精霊を殺したいだけであって、人と精霊が戦うのを見たいわけじゃない」
ウァールは、憮然とした表情だった。
「皮肉だがな、精霊によってもたらされる病が、精霊によってしか治療できないのだったら、全ての精霊が居なくなることは薬が造れなくなることを意味するんだ。居なくなってほしいのに、全部居なくなったら今度はこちらが困る。むかつく話だ」
それは、いかにも薬師らしい発言だった。ウァールの心の葛藤を垣間見てしまったニケは、気分が落ち込んだ。
精霊は憎い。病も憎い。その根源を根絶やしにしたい気持ちと、その憎い病の元でしか治せない病があることへのもどかしさ。ウァールの抱え込んでいる絶望は、底が見えることはない。
世界は絶妙な均衡によって保たれている。
それは、もはや神の手によるものとしか考えられないほどに、緻密に。
その均衡をほんの少しでも変えてしまうのは、人がしていいことなのだろうか。
「ついたぞ、チビ」
考え込んで黙っていたニケが引っ張られて足を止めると、そこには大きな精霊樹があった。
フォッサ王が、ニケに振り返る。
「さあ、薬師のお嬢さん。腕の見せ所だよ」
ニケは気分が重くなったが、精霊樹の前に引き出された。
暗い目の底に、何を考えているのか分からない飄々としたいで立ちが、なんとも不思議な男だ。
ニケに「来い」とだけ言って、戸口に立ちふさがっていた。
とっくに起きて水浴びをし、朝に従者の女性が持ってきてくれた服に着替えていたニケは、その横暴な態度に腹が立ってついついにらんだ。
「お前、名前は」
「答えたくない」
「あっそ。じゃあチビだ」
小さくないもん、と反撃すると、くだらないものを見る目でニケを見てから、急ぐように伝えた。
のろのろと戸口へ向かうと、片方の腕に縄を巻かれ、その縄の端はウァールの腰紐にがっちりと結ばれる。
「逃げないってば」
「これは保険だ。逃げたところで、すぐに見つかるけどな」
ニケはあからさまに不機嫌な顔をしたのだが見事に無視され、二人そろって歩き出す。
「どこ行くの?」
「精霊樹の所だ。そこにいる精霊を説得しろ。それがお前の当分の仕事だ。精霊を説得して土地をフォッサに分けてくれさえすれば、そこに住む精霊を俺たちの好きなようにできる。交渉ができないなら、力ずくで破壊すると伝えろ」
「そんなの、調律師の仕事で私の仕事じゃない!」
そんな目的なら行かない、とニケが足に力を入れると、腕に巻かれた縄を引っ張られた。
「暴れるなら縛りつけて持ってくぞ」
「あなた、嫌な薬師だね」
「とうに辞めたよ、薬師なんて。俺は精霊が嫌いだ」
ニケは引っ張られてよろけながら、ウァールに連れられて外に出た。どうやら城だったようで、小さな裏門の出口から外へ出ると、すでにそこには王と騎乗した兵士たちがいた。
「待っていたよ、お嬢さん。案内するから、行こう」
フォッサ王は顔色は悪いものの、穏やかな笑みを見せた。騎乗した兵士たちに前後を囲まれながら、ニケはウァールと並んで歩いた。
「ねえ、なんで精霊が嫌いなの?」
ニケの質問に、ウァールはちらりとニケを見やってから、前を向いた。
「〈竜の患い熱〉で両親も兄弟も死んだ。村も滅びた。それ以来、治療法を探すことよりも、精霊を殺すことに専念している」
小さいけれども、鋭い刃物のような響きでウァールがそうつぶやいた。
「なんてひどいことして……!」
「ひどいのは精霊の方さ。俺の家族はあんなに苦しんで死んだのに、自分たちはぴんぴんしている。だから、殺してやろうと思った。そうしているうちに、死ぬ間際に精霊たちが魔力を凝縮させることが証明できて……それを利用して薬を造ったら、効果が現れた」
ウァールは周りの騎馬兵たちに聞こえない程度の声で、ニケにゆっくりと話をした。それを聞いてしまったニケは、整備されていない森へと顔面蒼白になりながらついて行く。
「そこで、金に困っていそうな国を探して話を持ち掛けたら、フォッサが乗ってきた。慈悲深くて賢い王だ。精霊が見えないから、俺の言うことをすべて信じる」
「あなた、悪魔みたい」
「なんとでも言え。俺は、家族の敵を討ちたい」
ポケットから金色の液体を取り出し、ニケに手渡す。
「飲んでみるか? 精霊と碧海苔の味がするぞ?」
ぞわりと背中の毛が逆立って、ニケは手渡されたそれを慌ててウァールに突き返した。そのニケの様子に低く笑って、ウァールは楽しそうに森の中を進む。
精霊の森独特の暖かさを感じて、ニケは気分が落ち着いてきた。
「ねえ、碧海苔のあの洞窟は、この国の物だよね?」
「そうだ」
「王様がお金に困っているなら、碧海苔を売れば相当な金額になるよ。あの洞窟一面にある碧海苔すべて売りさばいたら、それこそ百年先まで困ることはないはず」
お前こそ嫌な薬師だなとウァールがニケを白い目で見た。
「だったら、精霊を殺さなくったって、あの碧海苔だけで」
そこまで言って、ニケはウァールの手で口をふさがれた。
「それ以上大きな声で言ったら、お前今ここで俺に殺されるからな」
見ると、ウァールの手首に巻かれた革の腕当てに、針が仕込んであるのが見えた。
刺されたら、すぐに死ぬような毒でも塗ってあるのだろう。突然死に見せかけて人を殺すなどたやすいぞと、ウァールの目が物語っていて、ニケは騒ぐのをやめた。
「金儲けするだけじゃ、俺の復讐にならない。精霊をこの手で殺し尽くさなければ、気が済む話じゃない」
ウァールのその物言いに、ニケは歪んでいると思った。ウァールがやっているのは、ただの八つ当たりだ。
ウァールの家族が亡くなってしまったのは残念だ。しかし、それをもたらした精霊を憎んだところで何も始まらない。憎むべき対象は他にあって、精霊ではないはずなのに、やり場のない怒りの矛先は、向ける場所を見失っていた。
「だから、あなたは復讐を?」
「そうだ。俺は、この手で精霊を抹殺したい。だから、それができる隠れ蓑にフォッサになってもらうことにした。精霊を殺してもいという正当性が無ければ、俺はただの精霊殺しの犯罪者だ。だけど、後ろ盾さえあれば、俺はいくらでも正式に精霊を殺せる。フォッサは新薬によって金が儲かる。悪い話じゃない」
ウァールの自信にあふれた物言いに、ニケは息が詰まった。
「でも、精霊を殺すなんて」
「いいか、チビ。人は病の元が精霊だと確信してしまったら、俺がしなくても世界中の人間が精霊を皆殺しにするだろう。これは事実だ。
万が一、全面戦争になったら今度困るのは俺たちだ。俺が少しでも、精霊から〈竜の患い熱〉の薬が造れるなんて広めてみろ、どうなるか分かるだろ?」
ニケは察しがついた。そんなことをしたら、世界のあちこちで精霊狩りが始まってしまう。それこそ、人と精霊の全面戦争が起きてしまうのだ。
「俺とこの秘密に製造された薬が、それをさせない抑止力になるんだ。俺は自分の手で殺せる範囲の精霊を殺したいだけであって、人と精霊が戦うのを見たいわけじゃない」
ウァールは、憮然とした表情だった。
「皮肉だがな、精霊によってもたらされる病が、精霊によってしか治療できないのだったら、全ての精霊が居なくなることは薬が造れなくなることを意味するんだ。居なくなってほしいのに、全部居なくなったら今度はこちらが困る。むかつく話だ」
それは、いかにも薬師らしい発言だった。ウァールの心の葛藤を垣間見てしまったニケは、気分が落ち込んだ。
精霊は憎い。病も憎い。その根源を根絶やしにしたい気持ちと、その憎い病の元でしか治せない病があることへのもどかしさ。ウァールの抱え込んでいる絶望は、底が見えることはない。
世界は絶妙な均衡によって保たれている。
それは、もはや神の手によるものとしか考えられないほどに、緻密に。
その均衡をほんの少しでも変えてしまうのは、人がしていいことなのだろうか。
「ついたぞ、チビ」
考え込んで黙っていたニケが引っ張られて足を止めると、そこには大きな精霊樹があった。
フォッサ王が、ニケに振り返る。
「さあ、薬師のお嬢さん。腕の見せ所だよ」
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