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第一章
第4話
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命を絶てなかった九月最後の月曜日。この学校で一番空気のような存在である自分が、神様に見つかった――。
それも、美空のための神様だと、彼は確かに言ったのだ。
「神様なんて、嘘みたい……」
でも、本当にいるんだ。美空は興奮することもびっくりすることも通り過ぎて、ただただ夢見心地の不思議な気分だった。
美空は夕が神様だったということに、驚きと納得する気持ちを隠せなかった。なぜなら、美空はクラスでも空気のような存在だ。美空の存在を認知している人間は、クラスにどれほどいるだろうか。それほどまでに美空は地味を極めて、それこそ望んで空気のように生きていた。
だから、自分の存在を、それも全校生徒の憧れの的である葵田夕が、知覚していることには驚いた。それはもはや神業だとしか思えない。
夕と屋上へと続く階段の下で別れて、必ず放課後にもう一度会うと約束をした。必ず来てねと美しい瞳で言われて、美空は彼を裏切ることなんてできないと思う。まるで、必ず美空がやってくることを確信しているような表情だった。
それは、美空を信じているとも言える。なぜか、胸に熱いものが込み上げてきて、美空は必ず来ると約束して、教室へと戻っていた。
丁度チャイムが鳴り終わったところで、廊下には人が溢れ返り、元気な声があちこちから飛び交っている。その中を黙々と歩きながら教室の開いている後ろの扉から、すっと中へ入った。
「委員長、どこ行ってたの? 数学のプリント、先生が集めてって言ってたよ」
そう言われて、屋上から戻った美空は分かったとうなずいた。クラスの中は雑然としていて、ちょっとしかない休み時間なのに、みんな必死に携帯電話をいじったり読書をしたり、友達とおしゃべりしたり忙しそうだ。
そんなみんなを見ながら、前に出てプリントを出してくださいとか細い声を発したが、それに気がついたのは数人だった。
美空のことなど、みんな視界に入れようともしない。先ほど、全校生徒から人気の生徒会長が、自分のことをばっちりと見つめてきたことが、嘘のように誰一人として美空のことを認めていないように感じた。
「ちょっとみんな、委員長がプリント出してだって!」
声の大きい派手なクラスメイトが代わりにアナウンスすると、あっという間にみんな集まって前に押し寄せる。彼女の方が声が大きかったからではない、彼女の方が、クラスに必要な存在だからだ。そんな風に美空は思った。
「みんな委員長を困らせちゃダメだってばー!」
彼女の大きな声、華のある容姿、まとめる力があれば、クラスの団結力は上がるに違いない。しかし、いざクラスの中での役割分担を決める時に、面倒くさい役割なんてごめんだと言わんばかりに、彼女は他のクラスメイトに推薦された〈委員長〉を、美空に押し付けてきたのだった。
坂木さんの方が適任だと思います、と言われて美空が断れるはずも、そんな理由もなかった。ガリ勉な印象をそのまま投影させたかのような、美空の地味な見た目とおさげ髪、そして眼鏡はまさしく委員長にぴったりだった。
先生としては、成績も良くていうことをよく聞く美空の方が良かったので、その場を取り持った形で美空が空気のような委員長になったのは必然の流れだった。
そもそも校則を真面目に守っている生徒が半数以下の、先生も黙認するほどの放任主義な学校で、スカート丈もブレザーもきっちり着ている美空の方が珍しい。絶滅危惧種だと言われたら、まさしくとうなずくしかなかった。
(やっぱり夢だったのかな、さっきの葵田先輩は)
美空は乱雑に置かれて行くプリントを集めながら、何をしているんだろうと思ってしまった。美空じゃなくてもできることなのに、美空に押し付けてくる。それは、必要だから求められているわけではなく、都合よく体よくあしらわれているだけだった。
集まった数学のプリントを持って職員室へと向かい、先生に渡してから去ろうとしたところで、美空は廊下で夕を見つけた。
とっさに立ち止まって、その浮世離れした人物を見る。先ほどまで屋上に一緒にいたのがまるで嘘のように、神様は学校に馴染んで普通の生徒になっていた。
ただ、柔らかい瞳と物腰、白い肌だけが、彼が先ほどの同一人物であると分からせる。神様は普通にいるんだ、とぼんやりと美空は夕を見た。
遠めでも目立つその人物に、屋上から飛び降りようと誘われて、さらにはその胸の中で泣きじゃくったのが、まるで嘘のようだった。それもたった数秒前に。嘘で幻で夢だったと言われたら、確実に納得してしまう。
しかし、嘘じゃなかったと思えたのは、夕がほんの一瞬だけ美空を見つめて、唇を動かしたからだ。〈美空くん〉そう唇がつぶやいていた。
ふとびっくりしてよく見れば、夕の隣にはきれいな女性の先輩がいて、先生と何やら楽しそうに話をしている。瞬間的に沸き起こった自分へのいたたまれない感情を飲み込んで、美空はその場から消し炭になって散ってしまいたいと思いながら退散する。
そんな美空を、夕は目の端で捉え見えなくなるまで見守っていた。それに、美空は気がつかないまま、職員室から逃げ去って教室へと戻る。
激しく胸の中を駆け回る感情があった。
日の当たる世界を生きている人間に対する嫉妬心、自分への自信のなさに、心がまたもや、みるみるとすさんでいく。周りのざわめきが聞こえなくなるほどに、心臓がバクバクしてきた。
(――君の寿命は、あと三ヶ月ある)
走って息を切らせると、夕の声が耳の奥で再生されたような気がした。美空はぜえはあしながら、廊下の片隅で立ち止まって、膝に両手を当てて肩で息をする。目を開けると、目の前に、夕の真っ黒な瞳が浮かび上がるかのようだった。
美空は思わず大きく目を見開く。
(――さあ、どうする?)
楽しそうにほほ笑んでいた口元、キラキラとした瞳。流れる風に乗って紡がれた、ほんの少し最後だけ掠れる声。美空は、胸が苦しくなった。
「……どうするって言われても。どうしていいか分かんないんだってば」
美空の独り言は、廊下を移動していく生徒たちの喧騒にかき消されて、空気の中へと溶けだし誰にも気づかれることがない。例え泣いていたって、眼鏡の奥の瞳を赤くした顔に、誰かが気がつくはずもないのだ。
ざあああと音を立てるようにして、耳に周りの音が戻ってくる。美空は使い果たした涙は出てこなかったものの、喉が焼け付くように痛んだ。
そうして、現実と自分とのギャップにもがき苦しむだけ無駄だということを再確認しながら、それでもなぜか夕との約束を破る気にはならなかった。
ばかばかしいと思いながらも、屋上で全校生徒の憧れの生徒会長が待っているという事実に、美空は優越感がせり上がる。あの人と秘密を共有してしまったことに、胸が高鳴る。
冷たい小指の感触を思い出しながら、放課後美空は屋上へと向かった。神様との約束を果たすために。
それも、美空のための神様だと、彼は確かに言ったのだ。
「神様なんて、嘘みたい……」
でも、本当にいるんだ。美空は興奮することもびっくりすることも通り過ぎて、ただただ夢見心地の不思議な気分だった。
美空は夕が神様だったということに、驚きと納得する気持ちを隠せなかった。なぜなら、美空はクラスでも空気のような存在だ。美空の存在を認知している人間は、クラスにどれほどいるだろうか。それほどまでに美空は地味を極めて、それこそ望んで空気のように生きていた。
だから、自分の存在を、それも全校生徒の憧れの的である葵田夕が、知覚していることには驚いた。それはもはや神業だとしか思えない。
夕と屋上へと続く階段の下で別れて、必ず放課後にもう一度会うと約束をした。必ず来てねと美しい瞳で言われて、美空は彼を裏切ることなんてできないと思う。まるで、必ず美空がやってくることを確信しているような表情だった。
それは、美空を信じているとも言える。なぜか、胸に熱いものが込み上げてきて、美空は必ず来ると約束して、教室へと戻っていた。
丁度チャイムが鳴り終わったところで、廊下には人が溢れ返り、元気な声があちこちから飛び交っている。その中を黙々と歩きながら教室の開いている後ろの扉から、すっと中へ入った。
「委員長、どこ行ってたの? 数学のプリント、先生が集めてって言ってたよ」
そう言われて、屋上から戻った美空は分かったとうなずいた。クラスの中は雑然としていて、ちょっとしかない休み時間なのに、みんな必死に携帯電話をいじったり読書をしたり、友達とおしゃべりしたり忙しそうだ。
そんなみんなを見ながら、前に出てプリントを出してくださいとか細い声を発したが、それに気がついたのは数人だった。
美空のことなど、みんな視界に入れようともしない。先ほど、全校生徒から人気の生徒会長が、自分のことをばっちりと見つめてきたことが、嘘のように誰一人として美空のことを認めていないように感じた。
「ちょっとみんな、委員長がプリント出してだって!」
声の大きい派手なクラスメイトが代わりにアナウンスすると、あっという間にみんな集まって前に押し寄せる。彼女の方が声が大きかったからではない、彼女の方が、クラスに必要な存在だからだ。そんな風に美空は思った。
「みんな委員長を困らせちゃダメだってばー!」
彼女の大きな声、華のある容姿、まとめる力があれば、クラスの団結力は上がるに違いない。しかし、いざクラスの中での役割分担を決める時に、面倒くさい役割なんてごめんだと言わんばかりに、彼女は他のクラスメイトに推薦された〈委員長〉を、美空に押し付けてきたのだった。
坂木さんの方が適任だと思います、と言われて美空が断れるはずも、そんな理由もなかった。ガリ勉な印象をそのまま投影させたかのような、美空の地味な見た目とおさげ髪、そして眼鏡はまさしく委員長にぴったりだった。
先生としては、成績も良くていうことをよく聞く美空の方が良かったので、その場を取り持った形で美空が空気のような委員長になったのは必然の流れだった。
そもそも校則を真面目に守っている生徒が半数以下の、先生も黙認するほどの放任主義な学校で、スカート丈もブレザーもきっちり着ている美空の方が珍しい。絶滅危惧種だと言われたら、まさしくとうなずくしかなかった。
(やっぱり夢だったのかな、さっきの葵田先輩は)
美空は乱雑に置かれて行くプリントを集めながら、何をしているんだろうと思ってしまった。美空じゃなくてもできることなのに、美空に押し付けてくる。それは、必要だから求められているわけではなく、都合よく体よくあしらわれているだけだった。
集まった数学のプリントを持って職員室へと向かい、先生に渡してから去ろうとしたところで、美空は廊下で夕を見つけた。
とっさに立ち止まって、その浮世離れした人物を見る。先ほどまで屋上に一緒にいたのがまるで嘘のように、神様は学校に馴染んで普通の生徒になっていた。
ただ、柔らかい瞳と物腰、白い肌だけが、彼が先ほどの同一人物であると分からせる。神様は普通にいるんだ、とぼんやりと美空は夕を見た。
遠めでも目立つその人物に、屋上から飛び降りようと誘われて、さらにはその胸の中で泣きじゃくったのが、まるで嘘のようだった。それもたった数秒前に。嘘で幻で夢だったと言われたら、確実に納得してしまう。
しかし、嘘じゃなかったと思えたのは、夕がほんの一瞬だけ美空を見つめて、唇を動かしたからだ。〈美空くん〉そう唇がつぶやいていた。
ふとびっくりしてよく見れば、夕の隣にはきれいな女性の先輩がいて、先生と何やら楽しそうに話をしている。瞬間的に沸き起こった自分へのいたたまれない感情を飲み込んで、美空はその場から消し炭になって散ってしまいたいと思いながら退散する。
そんな美空を、夕は目の端で捉え見えなくなるまで見守っていた。それに、美空は気がつかないまま、職員室から逃げ去って教室へと戻る。
激しく胸の中を駆け回る感情があった。
日の当たる世界を生きている人間に対する嫉妬心、自分への自信のなさに、心がまたもや、みるみるとすさんでいく。周りのざわめきが聞こえなくなるほどに、心臓がバクバクしてきた。
(――君の寿命は、あと三ヶ月ある)
走って息を切らせると、夕の声が耳の奥で再生されたような気がした。美空はぜえはあしながら、廊下の片隅で立ち止まって、膝に両手を当てて肩で息をする。目を開けると、目の前に、夕の真っ黒な瞳が浮かび上がるかのようだった。
美空は思わず大きく目を見開く。
(――さあ、どうする?)
楽しそうにほほ笑んでいた口元、キラキラとした瞳。流れる風に乗って紡がれた、ほんの少し最後だけ掠れる声。美空は、胸が苦しくなった。
「……どうするって言われても。どうしていいか分かんないんだってば」
美空の独り言は、廊下を移動していく生徒たちの喧騒にかき消されて、空気の中へと溶けだし誰にも気づかれることがない。例え泣いていたって、眼鏡の奥の瞳を赤くした顔に、誰かが気がつくはずもないのだ。
ざあああと音を立てるようにして、耳に周りの音が戻ってくる。美空は使い果たした涙は出てこなかったものの、喉が焼け付くように痛んだ。
そうして、現実と自分とのギャップにもがき苦しむだけ無駄だということを再確認しながら、それでもなぜか夕との約束を破る気にはならなかった。
ばかばかしいと思いながらも、屋上で全校生徒の憧れの生徒会長が待っているという事実に、美空は優越感がせり上がる。あの人と秘密を共有してしまったことに、胸が高鳴る。
冷たい小指の感触を思い出しながら、放課後美空は屋上へと向かった。神様との約束を果たすために。
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