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127.壊れた懐中電灯①(怖さレベル:★★☆)

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(怖さレベル:★★☆:ふつうに怖い話)

いやぁ、おれがいわゆる心霊体験をしたのは、
たった一度きりなんですけどね。

その一回が、なんとも記憶に残る、
おそろしい出来事だったんですよ。

あの夏の日、おれは客先から無茶ぶりされた仕事を片付けるために、
夜の十時まで社内に缶詰状態でした。

『過去数年分の売り上げを、明細込みで明日までにまとめて送り直して欲しい。
明後日には監査が入るから、至急頼む』なんて言われちまって。

データの洗い出しから、まとめ作業、
過去の請求と差異がないかの照らし合わせ、
なんて色々やっていたら、一日の作業時間をすべてその作業に持っていかれ、仕事が終わらない終わらない。

なんせ、小さな事務所でしたから、経理関係はおれともう一人っきり。
その一人はパートで、はやばやと午前中には帰って、残ったのはおれ一人でした。

「あー……これで、データのまとめは終わり。あとは請求書のFAXか」

 ようやくパソコンとにらめっこする作業が終わって、おれはハァ、とため息をつきました。
 あとはこのデータをメールで送った後、請求書をFAXし直せば終わりです。

メールとFAXで分けるなんて、時代遅れもいいところだよなぁ、なんて自嘲しつつ、
デスクから腰を上げて、ハッとしました。

「FAX……FAX? ……あ、原本が倉庫か!」

うへぇ、と声をもらしつつ、おれは事務所の懐中電灯を取り出しました。

うちの会社は、事務所と倉庫が別々の建物で分かれています。

請求書がしまわれている倉庫は、事務所を出て社員用駐車場を通り抜けた、少し離れた場所にありました。

おれは内心めんどくささに不満タラタラでしたが、
このまま事務所でボケッとしているわけにもいきません。

請求書を積み込むための荷台カートを引っ張り出して、
しぶしぶ倉庫へ向かうことにしました。

「うわ、暗っ」

ガラガラとカートを押しつつ、おれは懐中電灯片手にボソッとつぶやきました。

夏場とはいえ、夜の十時ともなれば周囲はまっくら闇で、
ポツポツと道路に並ぶ街頭も、
なんだか不気味さを際立たせているように思えてなりません。

(さっさと請求書の処理して、早く帰りてぇな)

とまらないため息をこぼしつつ、
駐車場にポツンと一台残った自分の車の横を、
スーッと通り抜けたときでした。

キュッ……キャキャキャッ……

「うおっ」

目の前を、奇妙な声を上げながらサーッと黒い影が駆け抜けていきました。

「なんだ今の……キツネか……?」

ネコともイヌとも言えない、獣のような甲高い鳴き声。

一瞬、視界をよぎった影は細長く、
ひとの気配に驚いたのか、そのまま道路の向こうへと消えて行ってしまいました。

ノラネコは、たまにうちの事務所の周囲で見かけたこともありましたが、
キツネらしき姿を見るのは、さすがに初めてです。

(いや、キツネじゃなくて、タヌキかもしれない。
 ……でも、しっぽみたいなのがやたら長かったんだよなぁ)

車の下にでも隠れていて、
人の気配にビックリして逃げていったのだろう。

おれはそう判断して、特に追いかけることもなく、
懐中電灯を片手に、そのまま倉庫へと向かいました。



(請求書、請求書……っと)

倉庫の棚に懐中電灯を置いて、
中を照らしつつ、必要なものを探り始めました。

ホコリっぽい倉庫内にケホケホと軽くせき込みつつ、
貰い物の置き物だとか、こわれた扇風機や事務イスなどをどかして、ダンボールをチェックしていきます。

そして、おれは十分ほどかけてようやく、
サインペンで【〇〇年度】と書かれた昨年分の請求書のダンボールを引っ張り出しました。

「ハァ、これだけで疲れたわ……さ、はやく事務所に戻って作業を」

ゴトン、と荷台カートにダンボールをのっけて、
おれは置いたままだった懐中電灯を拾い上げました。

すると、

シュッ

「……ん?」

一瞬、目の前をなにかが素早くよぎりました。

「なんだ……?」

ほんの一瞬、懐中電灯を持ち上げる間の短い間。
ついさっき目にした、キツネのような細いしっぽが見えたのです。

(……中に入ってきちまったのか?)

倉庫は、開けっぱなしで作業をしていました。
もしかしたら、明かりに惹かれる虫のように、中へと入ってきてしまったのかもしれません。

「おーい、出てこねぇと閉めちまうぞ!」

おれは慌てて懐中電灯で倉庫の中を照らしつつ、
大声で出てくるように促しました。

しかし、ダンボールや不要物でいっぱいの倉庫は、
シーンと静まり返ったままで、なにも反応はありません。

(まいったなぁ……)

おれは、ボリボリと頭を掻きました。

このままカギを閉めてしまったら、
逃げられなくなったキツネは、きっと死んでしまうでしょう。

かといって、請求書や納品書がしまわれている倉庫は、
明日まで開けっ放しにしておく、なんてこともできません。

「おーい、サッサと出てきてくれよ。ほら、キツネ。
 こんなところに食いモンなんてねーからさ」

パチパチと懐中電灯を点けたり消したりをくり返し、
なんとか反応がないかを試してみます。

しかし、無反応。
まったく、出てくる様子はありません。

「……ったく」

しょうがねぇなぁ、とおれはイライラしつつ、
大きい音でも出せば出てくるだろうと、
手にもった懐中電灯をゴンゴンと倉庫の壁にたたきつけました。

「あ、イテッ……!」

しかし、自分の指を壁の間にはさんでしまい、
手に持っていた懐中電灯を、うっかり床に落っことしてしまったんです。

「あいててて……っ」

けっこうな勢いでぶつけた指がじくじく痛み、
おれが指を抑えてその場でしゃがみこむと。

……フフッ……

小さくかすれた、女性の笑い声が聞こえました。

(……えっ……?)

夜の十時。会社の倉庫。

住宅地からも離れているこんな場所に、
他に人がいるわけがありません。

それなのに、聞こえた。
確かに、女の笑い声が。

まさか、という思いと、空耳じゃないか、という疑念で、
おれはピタリと体を硬直させました。

視線の先、床に転がったままの懐中電灯は、
倉庫の奥をぼんやりと照らしています。
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