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123.井戸の怪異②(怖さレベル:★★☆)
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……ギッ
床のきしむ音で、ふと、目が覚めました。
薄く目を開けると、同期が寝間着の上に上着を羽織っているところです。
「……どした?」
「あ、悪い。トイレ行ってくるわ」
「ああ……」
トイレは外の為、一度玄関で靴を履き替えなくてはなりません。
古い合宿所は、こういうところも不便です。寝ぼけまなこで頷いて、
常夜灯だけともされた大広間で、ボーっと天井を見上げました。
(あ……そうだ。あの三人、どうしたかな……)
肝試しと称して出て行って、どれくらいの時間が経過したでしょうか。
もうとっくに戻って寝ているのだろうと、ふと横を見やると、
(……いない? 戻ってない、のか……?)
布団の上はまったいらで、人の姿はありません。
(オイ……これ、俺って今……一人、ってことか?)
同期もいない、あの三人もいない。
この広い大広間に、ポツンと一人。
それを認識してしまうと、今までなんとも思わなかったこの暗闇が、
とたんに不気味なものに思えてきます。
例えば、天井のうっすらとしたシミ。
真横の壁の、濃い部分。血の跡のように、見えないだろうか。
時折窓をたたく風の音。
あれは、ほんとうにただの風なのだろうか。
四人が誰もおらず、一人。
これからなにが降りかかってきても、対処できるのは自分だけ。
只一人の孤独さと夜の空気が、
いやな想像をどんどん膨らませていきました。
中途半端にかけていた布団をぐいっと引き上げ、
必死に目を閉じて眠ろうとしていると。
……ガタッ、カタン
大広間の入り口の方で、物音がしました。
(あぁ……あいつ、帰ってきたのか)
同期が用を足し終えて戻ってきたのでしょう。
これで一人ではなくなった、と俺は布団に包まれたまま
ホッと肩の力を抜こうとして、
ズルッ……ズルッ……
部屋の畳を擦る妙な音に、ゾッと身体を硬直させました。
その音は、いうなれば――水で濡れた裸足で床を這うような、
異質な音だったのです。
(い……いやいや。あいつが変な歩き方してるだけだって。
まさか、そんな……幽霊、なんて……)
浮かびあがる恐ろしい妄想をふり払い、俺は必死で寝たふりを続けました。
幸い、布団は頭まですっぽりとかぶっています。
周囲の物音さえ気にしなければ、きっと眠れる――。
ズッ……ズルッ……
(……ずっと、動いてる)
じわじわと、腹の底が冷えていきます。
例の足音は、いずれ止まるという願いむなしく、
畳の上をえんえんと歩き続けているのです。
右に、左に、同じところを。
(少し……少し、見てみようか)
重なる恐怖に混乱したのでしょう。
俺の疲れた脳が、ふと、そんなことを思いついてしまいました。
(布団の端から少し覗くだけなら……どうせ、なにも見えないだろ。
あの三人のイタズラかもしれないし……)
生まれてこの方、幽霊なんてものは一度たりとも見たことはありません。
もしアレがそうだったとしても、霊感のない自分が見ることなどないだろう、と。
それに、あの三人がバカにされた意趣返しに、
ビビらせようとなにか画策しているのかもしれない。
冷静に考えれば、音が聞こえてしまっている段階で異常に気付いてしまっているし、
イタズラだとしても俺が起きているタイミングをうまく図れるわけがありません。
あの時は一人の心細さと恐怖とで、頭がおかしくなっていたんです。
俺は布団という砦に守られている強みで、
そっと、そうっと、布の端をめくり上げました。
ズルッ……ズルルッ……
常夜灯のほのかな明かりを頼りに、音のする方向へと目を凝らします。
(……お、アレか。……ん?)
黒く動くもの。
空の三人の布団の傍を、
いったり来たりしているなにかが、目に入りました。
「…………ッ!!」
とっさに両手で口を抑え、俺は強く目をつむりました。
(見えた……見えた、見えた!!)
行き来をくり返す黒い影。だいだい色の光に照らされて、
ハッキリとその姿がまぶたに焼き付きました。
猫背に背を丸め、藻のようにしどどに濡れた髪をべったりと床まで伸ばし、
指先から全身から水を滴らせながら歩行する、女の姿を。
(なんで……なんであんなのが……!!)
今までの五日間、影も形も見なかったのに。
先輩方からそんな幽霊話なんて聞いていないし、
肝試しに向かったのだって、あの三人の方なのに。
どうして、関係のない自分のところに――。
(……あの、三人)
そうだ。今のずぶ濡れの女は、あの三人の布団の傍をウロついていました。
もしかして、あのバカ三人が井戸を荒らしただかで、
祟りにやってきたのではないでしょうか。
(俺はなにもしてない。俺はなにもしていないんだ……っ!!)
なんの関係もないことに巻き込まれるなんてゴメンです。
俺は両目を痛いほどにつぶって、ガタガタと布団の中で震えていました。
ズッ……ズルッ……
足音はまだ続いています。
ズルッ……ズズッ……
足音はまだ、続いています。
(いなくなってくれよ……早く……!!)
ろくに祈ったこともない神に祈りつつ、
俺は息を殺して恐怖の権化が去るのを待ちました。
すると。
ザザッ……ズズッ……
その足音が、スルスルと移動を始めました。
(……帰る、のか?)
祈りが通じたか、と俺はガタガタ震える指先を握りつつ、
そっと息を吐き出しました。
ズルッ……
湿った足音が、ふいに止まり、室内に静けさが戻りました。
シン……と耳鳴りがするほどの静寂。
風の音も、虫の声も、なんの物音も聞こえません。
(消えた……か?)
どれだけ耳をこらしても、衣擦れの音一つありません。
(本当に消えた……んだよな?)
先ほど見た女性の姿が脳内から消えません。
>>
床のきしむ音で、ふと、目が覚めました。
薄く目を開けると、同期が寝間着の上に上着を羽織っているところです。
「……どした?」
「あ、悪い。トイレ行ってくるわ」
「ああ……」
トイレは外の為、一度玄関で靴を履き替えなくてはなりません。
古い合宿所は、こういうところも不便です。寝ぼけまなこで頷いて、
常夜灯だけともされた大広間で、ボーっと天井を見上げました。
(あ……そうだ。あの三人、どうしたかな……)
肝試しと称して出て行って、どれくらいの時間が経過したでしょうか。
もうとっくに戻って寝ているのだろうと、ふと横を見やると、
(……いない? 戻ってない、のか……?)
布団の上はまったいらで、人の姿はありません。
(オイ……これ、俺って今……一人、ってことか?)
同期もいない、あの三人もいない。
この広い大広間に、ポツンと一人。
それを認識してしまうと、今までなんとも思わなかったこの暗闇が、
とたんに不気味なものに思えてきます。
例えば、天井のうっすらとしたシミ。
真横の壁の、濃い部分。血の跡のように、見えないだろうか。
時折窓をたたく風の音。
あれは、ほんとうにただの風なのだろうか。
四人が誰もおらず、一人。
これからなにが降りかかってきても、対処できるのは自分だけ。
只一人の孤独さと夜の空気が、
いやな想像をどんどん膨らませていきました。
中途半端にかけていた布団をぐいっと引き上げ、
必死に目を閉じて眠ろうとしていると。
……ガタッ、カタン
大広間の入り口の方で、物音がしました。
(あぁ……あいつ、帰ってきたのか)
同期が用を足し終えて戻ってきたのでしょう。
これで一人ではなくなった、と俺は布団に包まれたまま
ホッと肩の力を抜こうとして、
ズルッ……ズルッ……
部屋の畳を擦る妙な音に、ゾッと身体を硬直させました。
その音は、いうなれば――水で濡れた裸足で床を這うような、
異質な音だったのです。
(い……いやいや。あいつが変な歩き方してるだけだって。
まさか、そんな……幽霊、なんて……)
浮かびあがる恐ろしい妄想をふり払い、俺は必死で寝たふりを続けました。
幸い、布団は頭まですっぽりとかぶっています。
周囲の物音さえ気にしなければ、きっと眠れる――。
ズッ……ズルッ……
(……ずっと、動いてる)
じわじわと、腹の底が冷えていきます。
例の足音は、いずれ止まるという願いむなしく、
畳の上をえんえんと歩き続けているのです。
右に、左に、同じところを。
(少し……少し、見てみようか)
重なる恐怖に混乱したのでしょう。
俺の疲れた脳が、ふと、そんなことを思いついてしまいました。
(布団の端から少し覗くだけなら……どうせ、なにも見えないだろ。
あの三人のイタズラかもしれないし……)
生まれてこの方、幽霊なんてものは一度たりとも見たことはありません。
もしアレがそうだったとしても、霊感のない自分が見ることなどないだろう、と。
それに、あの三人がバカにされた意趣返しに、
ビビらせようとなにか画策しているのかもしれない。
冷静に考えれば、音が聞こえてしまっている段階で異常に気付いてしまっているし、
イタズラだとしても俺が起きているタイミングをうまく図れるわけがありません。
あの時は一人の心細さと恐怖とで、頭がおかしくなっていたんです。
俺は布団という砦に守られている強みで、
そっと、そうっと、布の端をめくり上げました。
ズルッ……ズルルッ……
常夜灯のほのかな明かりを頼りに、音のする方向へと目を凝らします。
(……お、アレか。……ん?)
黒く動くもの。
空の三人の布団の傍を、
いったり来たりしているなにかが、目に入りました。
「…………ッ!!」
とっさに両手で口を抑え、俺は強く目をつむりました。
(見えた……見えた、見えた!!)
行き来をくり返す黒い影。だいだい色の光に照らされて、
ハッキリとその姿がまぶたに焼き付きました。
猫背に背を丸め、藻のようにしどどに濡れた髪をべったりと床まで伸ばし、
指先から全身から水を滴らせながら歩行する、女の姿を。
(なんで……なんであんなのが……!!)
今までの五日間、影も形も見なかったのに。
先輩方からそんな幽霊話なんて聞いていないし、
肝試しに向かったのだって、あの三人の方なのに。
どうして、関係のない自分のところに――。
(……あの、三人)
そうだ。今のずぶ濡れの女は、あの三人の布団の傍をウロついていました。
もしかして、あのバカ三人が井戸を荒らしただかで、
祟りにやってきたのではないでしょうか。
(俺はなにもしてない。俺はなにもしていないんだ……っ!!)
なんの関係もないことに巻き込まれるなんてゴメンです。
俺は両目を痛いほどにつぶって、ガタガタと布団の中で震えていました。
ズッ……ズルッ……
足音はまだ続いています。
ズルッ……ズズッ……
足音はまだ、続いています。
(いなくなってくれよ……早く……!!)
ろくに祈ったこともない神に祈りつつ、
俺は息を殺して恐怖の権化が去るのを待ちました。
すると。
ザザッ……ズズッ……
その足音が、スルスルと移動を始めました。
(……帰る、のか?)
祈りが通じたか、と俺はガタガタ震える指先を握りつつ、
そっと息を吐き出しました。
ズルッ……
湿った足音が、ふいに止まり、室内に静けさが戻りました。
シン……と耳鳴りがするほどの静寂。
風の音も、虫の声も、なんの物音も聞こえません。
(消えた……か?)
どれだけ耳をこらしても、衣擦れの音一つありません。
(本当に消えた……んだよな?)
先ほど見た女性の姿が脳内から消えません。
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