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121.大沼公園③(怖さレベル:★★☆)

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(水……水!?)

雨は降っていないのに。
水たまりだって、できていないはずなのに。

ぴちゃ、びちゃ、びちゃっ

「……ねー……だからさ……」
「……ハハッ……バカ……」

彼らの声は、だんだんと出口側、つまりアパートの方へと近づいてきています。

そして、それにつきまとうように、びちゃびちゃという湿った音も、
次第に大きくなってきました。

(なに、この音……アレといったい、どういう関係が……)

と頭をめぐらせたところで、ふと、私は思い至りました。

公園。大沼公園。
自殺の名所であるこの場所の、その曰くを。

今はない、底なしの大沼。それに魅入られた自殺者たち。
ごくまれに水死体が見つかるという、嘘みたいなオカルト話を。

『沼はまだ生きている』

インターネットでも見かけた文言が、
チカチカと脳内でネオンのように明滅します。

ぴちゃ、びちゃ、びちゃ

この泥のなかを裸足で歩くような、重い音は。

「……やっぱりさー……」
「……だよなー、わかる……」
「……んー、ダメだよねぇ……」

彼らの声はどんどん大きくなり、
いっそ不自然なほど明るくほがらかなその会話は、
薄く開いたままの窓を通して、はっきりと聞こえてきます。

「……ほら、見ろよ……」
「……うわっ、それ……」
「……だからそうなるんだって……」

街中や、カフェで耳にするなら、なんの変哲もない彼らの会話。

しかし、びちゃびちゃという重い水音が、
会話の合間合間に相槌のようにはさみ込まれます。

「……だからさ、オレはイヤだったんだよ……」

ぴちゃっ、びちゃっ

「……いまさら何言ってんの……」

びちゃ、びちゃっ

「……バカだなぁ、お前ら……もう……」

びちゃっ、ぐちゃっ

「……取り返しがつかねぇんだよ……」

――シン

(……音が……しなくなった……?)

男の台詞とともに、
それまでしつこいほどに反響していた水の音が、ピタリと消えました。

それどころか、彼らの話し声すらもすっかりと止んで、
深夜の空気に、静寂が戻っています。

(……終わっ、た?)

ゆっくりと時計に目を移すと、時刻は二時半を過ぎた頃合。

へなへなと崩れ落ちそうな足をなんとか叱咤して、
私はふう、と肺の奥から息をはきだしました。

(……なにをずっと、学生の話に聞き耳たててたんだろ。バカみたい……)

絶えず聞こえていた水音だって、彼らのイタズラかなにかでしょう。

話し声も消えたということは、さっさと帰ったか、
見回りの警官にでも見つかったのか。

ビクビクしていた自分が、なんだかむしょうに恥ずかしくなって、
私はハハ、と乾いた笑い声をもらしました。

(あっ……窓、閉めといたほうがいいよね)

開け放されたままの窓。

時期柄、風邪をひくことはないにしろ、
さっさとしめて眠りの体制に入ろうと、私は振り返りました。

振り返って、しまったんです。

「……あ?」

窓の向こう。
誰もいない、まっくらで静かな夜の風景。

ただ、それだけのはずでした。

「え……」

理路整然と立ち並ぶ、人の姿。
四対の眼球が、いっさいまばたきもせずにこちらを凝視しています。

つめたい、なんの感情も見いだせない無感情な瞳。

気をつけのような直立の姿勢でキレイに横にならび、
窓ガラスに顔をくっつけんばかりに近づいて。

「あっ……ああ……」

彼らの白い額に、頬に、ぐっしょりと濡れた髪からしたたった
水滴がとろとろと流れ落ちています。

すこし膨張した眼球が眼窩から押し出されて、
その頬に伝っているのは、涙だかしずくだかすらわかりません。

「ひっ……ひ、いぃ……っ!?」

間違いない。
間違いなく、この四人はあのときの学生たち。

その四人が、まるで死人のように――いや、死体そのものの生気のない顔で、
ジイッと私を、この部屋のなかを凝視していました。

「あ……あ……」

濡れた髪からしずくを滴らせ、顔にびっちょりと髪をまとわりつかせて。

頭がまっしろになった私と、彼ら。

無言のまま見つめ合い、
まさに数秒、時が止まって――

「う……わあぁぁあ!!」

たえきれなくなった私は、窓に背を向けて
敷かれっぱなしの布団の中へ飛び込みました。

ガタガタと震える全身。

四人の無機質な顔がまぶたの裏にくっきりと残されて、
目を閉じてもグルグルと脳内で再生されます。

耳を両手で塞ぎ、頭から布団をバッとかぶって、
私はもう、数年前に亡くなった祖父に助けを乞うことしかできませんでした。

そうして、恐怖に震えること数時間。
いつの間にか――夜は、あけていました。



「ちょっとー、ひどい顔してるけど、大丈夫?」
「……うん……」

友人が起きてきたタイミングで、私ものっそりと布団から這い出しました。

こちらの顔を見て眉をひそめる友人をそのままに、
まずまっ先に、窓の外を確認します。

(だれも……いない)

ガラス窓の向こう。

当然ながら、ひと気はまったくありません。

わずかに首を出して外の床部分を確認するも、
足跡ひとつ残されていませんでした。

(夢、だったのかな……)

まぼろしとも、現実にあったこととも言えない現象。
私がしぶい顔をしたまま、公園の方を睨んでいると、

「なにー? 外、どーかした?」

マナも気になったらしく、後ろから覗きこんできました。

「いっ、いや……昨日の夜、寝苦しくってさ。
 なんか幻覚みたいなのを見た気がして……」
「ああ、そうだったんだ? 幻覚ってなに? もしかして幽霊てきな?」
「うっ……ま、まぁそんな感じ……」
「ちょっとー、家主より先に幽霊みるとか、ズルくない?」

彼女はすっかり冗談と思っているらしく、
ケラケラと邪気のない笑い声をあげています。

「まったくー……ん、あれ?」

と、マナはふと顔を離し、
窓のアルミサッシの部分に指を伸ばしました。

「ここ……濡れてる。昨日、夜に雨でも降ったかな?」

彼女の指先は、たしかに湿っています。

陽ざしを受けて光る水滴に、
昨夜の記憶がブワっと芋づる式に思い出され、
思わず呼吸が止まりました。

「……っ!! そっ……そう、かもね」
「はぁ……せっかく梅雨も抜けたばっかだっていうのに。
 ジメジメは勘弁してほしいよねー」

彼女はあっけらかんと笑い、部屋のあと片づけを始めました。

爽やかな朝の陽ざしを浴びつつも、
ふとすると昨日の夜を思い出してしまい、
その後ずっと、上の空のままでした。

結局、私は片づけを手伝ったあと、そそくさと帰宅しました。
あの部屋にいると、否応なく思い出してしまうから。

それからしばらくして、マナと連絡をとった際、
おそるおそるあの公園で、大学生の集団自殺はなかったか尋ねると、

「うーん……あんまりにも救急車とか警察が来ることが多くて、
 どれのことだかわかんないや」

と、のんびりとした口調で帰ってきたので、
それ以上追及するのはやめました。

半年ほど住んで、彼女は無事に元の社宅へ帰り、
彼女との親交は続いていますが、あの夜のようなことはありません。

やはり、曰くつきと言われる場所には、それだけの理由があるのだなあ、
と思わされた一夜でした。

私の話は以上です。ありがとうございました。
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