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109.祖母の髪飾り①(怖さレベル:★☆☆)
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(怖さレベル:★☆☆:微ホラー・ほんのり程度)
あれは……そう。私がまだ、七歳の頃のことです。
両親はフルタイムで働いていたため、私が学校から帰って来て、
親が帰宅するまでの数時間、いつも祖母の家におじゃましていました。
祖母はおなじ町内に住んでおり、自宅からは徒歩十五分ほどの距離。
祖父が亡くなって久しく、さびしい思いをしていたという彼女は、
私のことをとてもかわいがってくれて。
友だちと遊んで、帰るのが遅くなっても怒らず、
いつも私のことを気遣ってくれていました。
そんな優しい祖母が――一度、豹変したことがあったのです。
その日。私がいつものように祖母の家へ行くと、
玄関にはカギが閉まっていました。
(あれ、買い物にでも行ったのかな)
滅多にない、祖母の不在。めずらしいなぁ、と思いつつ、
合カギは渡されていたので、そのままドアを開けてうちへと上がり込みました。
(……静か)
ふだんは、祖母が家のなかをチョコチョコと歩きまわる足音や、
つけっぱなしのテレビの音がBGMとして聞こえてくるのに、
今日の室内は、いっそつめたさを感じるほど、静けさに包まれていました。
私はわざと足音を立てるように、ドタドタと床を鳴らしながら、
居間へ移動しようとしました。
「痛ッ……!」
と、足の裏がなにか固いモノを踏みつけました。
廊下と居間の境目のところに、なにかが落ちていたようなのです。
「いったぁ~……これ、なんだろ?」
幸い、足の裏は切れなかったものの、ザクっとめり込んだそれは、
細くて長い、銀色の物体。
片方が箸のさきほどにとがり、反対側にムラサキの花飾りのつけられたソレ。
(これ……前に、おばあちゃんの写真で見たことある)
着物をまとい、銀色の髪飾りをつけた祖母の写真はとてもキレイで、
かなり以前に見たはずの写真でも、印象深く残っていました。
(欲しいなぁ、これ)
キラキラと宝石のように光る、銀とムラサキの髪飾り。
私は深く考えることなく、ヒョイと拾ってランドセルのなかへ放り込んだのです。
祖母には帰ってきたら言えばいいと、
居間のテーブルに置かれた菓子をたべつつ、ゲームに熱中していると、
すっかりあの髪飾りを拾ったことなど、頭から抜け落ちていました。
気づいたのは、母の車にのって自宅に向かう道中。
翌日は土曜日で、祖母に会うのは月曜日になります。
ほんの少しの罪悪感はあったものの、
あんな場所に放置されていたのだし、きっといらないものなのだろう。
そう思い、月曜日に改めて話せばいいやと、
私はたいして深く考えませんでした。
そして――その日、金曜日の夜。
いつものように夕食を終え、洗面所で歯磨きをしていた時です。
ジャー……
コップに水を注ぎ、歯ブラシをモゴモゴと口のなかで泡立たせながら、
ボーッと洗面台の鏡を見つめていました。
リビングの方からは、母が皿を洗う音と、かすかに聞こえるテレビのニュース。
ふだんとなんら変わりない光景に、ただただボーッと、
口のなかのミント味を味わっていると。
――シャン
「…………?」
耳に入る環境音のなかに、高い音が混ざりました。
皿のこすれ合う音でも、テレビの時報でもありません。
もっと涼やかで、透明感のある、いっそかわいらしいとさえいえる音色。
――シャン
「……!?」
いっそう近くで聞こえたそれ。
その音色は、洗面台と向きあった私のまっ正面――
まさに、鏡のなかから聞こえてきました。
「な……んの、音……?」
いつの間にかテレビの音は消え、母の皿を洗う音も止んでいます。
静寂に満ちた空間に、私は慌てて口のなかの泡をはきだしました。
自分で出した水の流れる音に、どこかホッとしていると。
――シャン
三度目の、音。
無意識のうちにこわばった眼球が、
目の前の鏡だけをジッと見つめて、動かすことができません。
銀板には、目を見開くように静止した自分の姿が、
まるきり写し取られています。
――シャン
はっきり。
聞き間違いとはとても思えぬほどの音量で、それは確かに聞こえました。
目前の――驚愕の表情を浮かべた自分の映る、この鏡から。
「……な、に?」
現実を映しとるその銀板の端に、
ふと、妙な揺らぎが生まれました。
「え……」
左下の、端。
ちょうど私の左腕があるそこから――ニョキリ、となにかが映りこみました。
(あ……! あの髪飾り……!)
それは、今日の午後、
祖母の家で拾ってきた銀とムラサキの髪飾りそっくりでした。
それが、私の左腕のうしろから、
ムラサキの花と小ぶりな鈴を、チラリと覗かせていたのです。
(なんで……ランドセルに入れておいたのに……!!)
まだ入れっぱなしで、外に出してすらいないのです。
この場に、それが存在するはずもありません。
いや、もっと、根本的な問題。
鏡の端っこに、それは光っています。
私は正面を向いていて、腕を背中に回してもいません。
母は台所にいて、父はまだ仕事から帰ってきてもいない。
この状況で――いったい誰が、髪飾りをもっているのでしょう?
――シャン
目の前で、ゆらり、と飾りが揺れました。
それと同時に、響いた音色。
軽やかな、かわいらしい、まるで鈴のような音――。
(この……髪飾りの、音……!?)
鈍色の鈴が、視界のなかで震えています。
私の体は動けません。
体の芯が凍って、腕一本、いや、指の一本すら動かせないのです。
固まる私のうしろで、それは壁をはうナメクジのようなにぶい動きで、
ゆっくり、ゆっくりと鏡に全体を現してきました。
「ひっ、い……!」
引きつった声が、喉からこぼれました。
左下から伸びる、その髪飾り。
そして――その先端を掴むのは、青白い指。
うねうねと、間接を無視した気色わるい動きをしながら、
ジワジワと、鏡に姿を現してきました。
陸に打ち上げられた白魚のような、
土から掘り出されたミミズのような、ビチビチと跳ねまわる、動き。
――シャン
指が動くたび、あの涼やかで透明感のある音が聞こえてきます。
美しい髪飾りと、かわいらしい鈴の音。
それをつかんだ、おぞましい死人の指先。
恐怖の眼差しでそれを見つめていると、
その生白い手がぐんにゃりと伸びて――私の背後。左肩の位置に移動しました。
「え……っ」
指が、ぐにゃん、と形状を歪ませながら、
髪飾りの先端を――スッ、と左腕へ向けました。
(な……なに……!?)
その手は、ユラユラと指を曲げのばすと――
――シャン
「ぐっ……!!」
ザク! と左腕に、焼け付くような鋭利な痛みが走りました。
>>
あれは……そう。私がまだ、七歳の頃のことです。
両親はフルタイムで働いていたため、私が学校から帰って来て、
親が帰宅するまでの数時間、いつも祖母の家におじゃましていました。
祖母はおなじ町内に住んでおり、自宅からは徒歩十五分ほどの距離。
祖父が亡くなって久しく、さびしい思いをしていたという彼女は、
私のことをとてもかわいがってくれて。
友だちと遊んで、帰るのが遅くなっても怒らず、
いつも私のことを気遣ってくれていました。
そんな優しい祖母が――一度、豹変したことがあったのです。
その日。私がいつものように祖母の家へ行くと、
玄関にはカギが閉まっていました。
(あれ、買い物にでも行ったのかな)
滅多にない、祖母の不在。めずらしいなぁ、と思いつつ、
合カギは渡されていたので、そのままドアを開けてうちへと上がり込みました。
(……静か)
ふだんは、祖母が家のなかをチョコチョコと歩きまわる足音や、
つけっぱなしのテレビの音がBGMとして聞こえてくるのに、
今日の室内は、いっそつめたさを感じるほど、静けさに包まれていました。
私はわざと足音を立てるように、ドタドタと床を鳴らしながら、
居間へ移動しようとしました。
「痛ッ……!」
と、足の裏がなにか固いモノを踏みつけました。
廊下と居間の境目のところに、なにかが落ちていたようなのです。
「いったぁ~……これ、なんだろ?」
幸い、足の裏は切れなかったものの、ザクっとめり込んだそれは、
細くて長い、銀色の物体。
片方が箸のさきほどにとがり、反対側にムラサキの花飾りのつけられたソレ。
(これ……前に、おばあちゃんの写真で見たことある)
着物をまとい、銀色の髪飾りをつけた祖母の写真はとてもキレイで、
かなり以前に見たはずの写真でも、印象深く残っていました。
(欲しいなぁ、これ)
キラキラと宝石のように光る、銀とムラサキの髪飾り。
私は深く考えることなく、ヒョイと拾ってランドセルのなかへ放り込んだのです。
祖母には帰ってきたら言えばいいと、
居間のテーブルに置かれた菓子をたべつつ、ゲームに熱中していると、
すっかりあの髪飾りを拾ったことなど、頭から抜け落ちていました。
気づいたのは、母の車にのって自宅に向かう道中。
翌日は土曜日で、祖母に会うのは月曜日になります。
ほんの少しの罪悪感はあったものの、
あんな場所に放置されていたのだし、きっといらないものなのだろう。
そう思い、月曜日に改めて話せばいいやと、
私はたいして深く考えませんでした。
そして――その日、金曜日の夜。
いつものように夕食を終え、洗面所で歯磨きをしていた時です。
ジャー……
コップに水を注ぎ、歯ブラシをモゴモゴと口のなかで泡立たせながら、
ボーッと洗面台の鏡を見つめていました。
リビングの方からは、母が皿を洗う音と、かすかに聞こえるテレビのニュース。
ふだんとなんら変わりない光景に、ただただボーッと、
口のなかのミント味を味わっていると。
――シャン
「…………?」
耳に入る環境音のなかに、高い音が混ざりました。
皿のこすれ合う音でも、テレビの時報でもありません。
もっと涼やかで、透明感のある、いっそかわいらしいとさえいえる音色。
――シャン
「……!?」
いっそう近くで聞こえたそれ。
その音色は、洗面台と向きあった私のまっ正面――
まさに、鏡のなかから聞こえてきました。
「な……んの、音……?」
いつの間にかテレビの音は消え、母の皿を洗う音も止んでいます。
静寂に満ちた空間に、私は慌てて口のなかの泡をはきだしました。
自分で出した水の流れる音に、どこかホッとしていると。
――シャン
三度目の、音。
無意識のうちにこわばった眼球が、
目の前の鏡だけをジッと見つめて、動かすことができません。
銀板には、目を見開くように静止した自分の姿が、
まるきり写し取られています。
――シャン
はっきり。
聞き間違いとはとても思えぬほどの音量で、それは確かに聞こえました。
目前の――驚愕の表情を浮かべた自分の映る、この鏡から。
「……な、に?」
現実を映しとるその銀板の端に、
ふと、妙な揺らぎが生まれました。
「え……」
左下の、端。
ちょうど私の左腕があるそこから――ニョキリ、となにかが映りこみました。
(あ……! あの髪飾り……!)
それは、今日の午後、
祖母の家で拾ってきた銀とムラサキの髪飾りそっくりでした。
それが、私の左腕のうしろから、
ムラサキの花と小ぶりな鈴を、チラリと覗かせていたのです。
(なんで……ランドセルに入れておいたのに……!!)
まだ入れっぱなしで、外に出してすらいないのです。
この場に、それが存在するはずもありません。
いや、もっと、根本的な問題。
鏡の端っこに、それは光っています。
私は正面を向いていて、腕を背中に回してもいません。
母は台所にいて、父はまだ仕事から帰ってきてもいない。
この状況で――いったい誰が、髪飾りをもっているのでしょう?
――シャン
目の前で、ゆらり、と飾りが揺れました。
それと同時に、響いた音色。
軽やかな、かわいらしい、まるで鈴のような音――。
(この……髪飾りの、音……!?)
鈍色の鈴が、視界のなかで震えています。
私の体は動けません。
体の芯が凍って、腕一本、いや、指の一本すら動かせないのです。
固まる私のうしろで、それは壁をはうナメクジのようなにぶい動きで、
ゆっくり、ゆっくりと鏡に全体を現してきました。
「ひっ、い……!」
引きつった声が、喉からこぼれました。
左下から伸びる、その髪飾り。
そして――その先端を掴むのは、青白い指。
うねうねと、間接を無視した気色わるい動きをしながら、
ジワジワと、鏡に姿を現してきました。
陸に打ち上げられた白魚のような、
土から掘り出されたミミズのような、ビチビチと跳ねまわる、動き。
――シャン
指が動くたび、あの涼やかで透明感のある音が聞こえてきます。
美しい髪飾りと、かわいらしい鈴の音。
それをつかんだ、おぞましい死人の指先。
恐怖の眼差しでそれを見つめていると、
その生白い手がぐんにゃりと伸びて――私の背後。左肩の位置に移動しました。
「え……っ」
指が、ぐにゃん、と形状を歪ませながら、
髪飾りの先端を――スッ、と左腕へ向けました。
(な……なに……!?)
その手は、ユラユラと指を曲げのばすと――
――シャン
「ぐっ……!!」
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