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91.治安の悪い地区①(怖さレベル:★★☆)
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(怖さレベル:★★☆:ふつうに怖い話)
いやぁ、あれはオレが大学生の時の話なんですけど。
オレが当時住んでいた地区は、
なんつーか……治安が悪くって。
空き巣、車上荒らしはしょっちゅう、
コンビニは不良のたまり場。
真夜中にやたらに歩いていると、
必ずといっていいほど絡まれる、やっかいな場所で。
えぇ……あるんですよ。
こんだけ治安がいいって言われてる日本でも、そんなトコが。
オレは田舎から大学進学のために出てきたばっかりで、
家賃の安さに目がくらんで、そんな地区の一角にアパートを借りちまって。
いざ引っ越して住み始めてみたら、
そんな惨状を目の当たりにしてしまい、
やっちまった、と後悔したモンです。
とはいえ、同じ家賃で暮らせるトコなんて限られてるし、
入居してすぐさま退去なんてしたら、それこそ金がかさんでしまいます。
だから、戸締りは厳重にして、夜はいっさい外に出ない。
大学のサークル活動に参加しても、遅くなりかけたら事情を話して帰らせてもらう。
そんなこんなで、おおいに不便な生活を強いられつつも、
なんとかそこで暮らしていたんです。
「ヤッベー……」
その日、オレは教授に課題を提出するのがギリギリになってしまい、
大学からの帰り道を、全速力で自転車を飛ばしていました。
すでに日は暮れ始め、カラスが
ギャアギャアとやかましく騒ぎ立てています。
昼間でも気を抜くと変人奇人にからまれるうちの地区。
日が落ちてしまえば、さらに凶悪なメンツがそろい踏みします。
そんな恐怖に苛まれつつ、全力で自転車を漕ぎまくったせいか、
自宅に近づくにつれて、どんどん息が続かなくなってきました。
「ハァ……っはあ。す、少しだけ、休憩……」
思わず自転車を止めて、目立たぬように自販機の端に寄せました。
キョロキョロと周囲を確認し、人影がないことを確認してから、
呼吸を整えようと深呼吸をくりかえします。
うす暗い夜の道は、どこからともなく怒鳴り声や
バイクの激しいマフラー音が聞こえてきました。
さっさと家に帰って一安心したい、と落ち着いてきた呼吸を吐き出し、
再び自転車のハンドルをがしりと握った、そんな時です。
グイッ
「ぅわっ」
不意に、足がもつれておれは転がりました。
ガシャン! と支えていた自転車が倒れ、
自分もみっともなく床に肩を打ち付けます。
「痛ってて……なんだ?」
足首にひっかかった、なにかの塊。
それは自販機の下、暗い隙間から突き出していました。
枝か、棒か。
きっと誰かが、適当に放っておいたものだろう。
まったくはた迷惑な、と、
おれが服にまとわりついた砂を払って立ち上がったその時。
「え……?」
ニュルッ、と。
足首に触れた、妙な感触。
ただの水ではない、粘着質な液体がズボンのすそを染めています。
その原因。
その粘液を垂れ流すのは、自販機の真下――つき出された、白い腕。
「ひ、っ……!?」
生白いそれに、おれは中腰のまま硬直しました。
ダラン、とひじの先がとび出したそれは、
たった今そこで切断されたかのように、
じわじわと赤い液体を地面に広げています。
「わあっ……うわ、わ」
ドサッと尻もちをつき、這いずるように後ずさりました。
腰が抜けてしまったらしく、力が入らず立ち上がることもできません。
(ゆ、ゆゆ……ゆう、れい!?)
さきほど躓いたのは、まちがいなくこれが原因でしょう。
かつて殺された人間の、腕。
自販機の下から伸びて、おれの足を掴もうとでもしたのでしょうか。
僅かばかりの街灯に照らされた白い腕と、
トロトロとアスファルトを濡らす赤い液体。
ジイィー……と、機械の作動音が、
ひどく場違いに響いていました。
「に、逃げ……逃げない、と」
倒れた自転車に必死で縋り付き、
おれはなんとか腰を立て直しました。
白い腕はだらん、と動かず伸びていますが、
その指先はまるで本物のようにリアルで、
いつ怪談にあるように動き出すかわかりません。
「かっ、帰ら、ないと」
地面に落下したカバンを自転車カゴにつっこみ、
震える足を必死で動かして、慌ててその場から離れようとした時――、
「……の野郎……なに……っだ!!」
「す……せ……!」
裏の路地の奥から、怒鳴りあう声が響いてきました。
こんなタイミングです。
どんな相手であっても、人の声というのはホッとするもの。
言い争う声に自分が現実世界にいることがわかって、
少しだけ取り戻した勇気を胸に、自転車に飛び乗って家に帰ろうとした瞬間。
「バッカ野郎が!! 知られたら終わりなんだよッ!!」
バゴッ
男性が一人、殴打音と共におれの目の前の路上にすっ飛んできました。
「すっ……すいやせ……あ、ニキ……」
頬が赤く腫れあがったその男性は明らかにただのサラリーマンではありません。
短く借り上げた頭に黒シャツ黒スラックスで、小太りの男。
そんな男が地面に転がって許しを請う人間の姿に、
おれは呆然と動きを止めました。
「きっちり探せッ! 隅々までだ。あれがなきゃオレたちが……ん?」
続いて路地から姿を現したのは、同じく黒スーツに
でかいガタイを無理やり押し込めた、チンピラ風の男でした。
「……兄ちゃん、通りすがりか?」
その男は、細い目を爬虫類のようにさらに細め、
値踏みするようにジロジロとこちらを眺めまわしました。
>>
いやぁ、あれはオレが大学生の時の話なんですけど。
オレが当時住んでいた地区は、
なんつーか……治安が悪くって。
空き巣、車上荒らしはしょっちゅう、
コンビニは不良のたまり場。
真夜中にやたらに歩いていると、
必ずといっていいほど絡まれる、やっかいな場所で。
えぇ……あるんですよ。
こんだけ治安がいいって言われてる日本でも、そんなトコが。
オレは田舎から大学進学のために出てきたばっかりで、
家賃の安さに目がくらんで、そんな地区の一角にアパートを借りちまって。
いざ引っ越して住み始めてみたら、
そんな惨状を目の当たりにしてしまい、
やっちまった、と後悔したモンです。
とはいえ、同じ家賃で暮らせるトコなんて限られてるし、
入居してすぐさま退去なんてしたら、それこそ金がかさんでしまいます。
だから、戸締りは厳重にして、夜はいっさい外に出ない。
大学のサークル活動に参加しても、遅くなりかけたら事情を話して帰らせてもらう。
そんなこんなで、おおいに不便な生活を強いられつつも、
なんとかそこで暮らしていたんです。
「ヤッベー……」
その日、オレは教授に課題を提出するのがギリギリになってしまい、
大学からの帰り道を、全速力で自転車を飛ばしていました。
すでに日は暮れ始め、カラスが
ギャアギャアとやかましく騒ぎ立てています。
昼間でも気を抜くと変人奇人にからまれるうちの地区。
日が落ちてしまえば、さらに凶悪なメンツがそろい踏みします。
そんな恐怖に苛まれつつ、全力で自転車を漕ぎまくったせいか、
自宅に近づくにつれて、どんどん息が続かなくなってきました。
「ハァ……っはあ。す、少しだけ、休憩……」
思わず自転車を止めて、目立たぬように自販機の端に寄せました。
キョロキョロと周囲を確認し、人影がないことを確認してから、
呼吸を整えようと深呼吸をくりかえします。
うす暗い夜の道は、どこからともなく怒鳴り声や
バイクの激しいマフラー音が聞こえてきました。
さっさと家に帰って一安心したい、と落ち着いてきた呼吸を吐き出し、
再び自転車のハンドルをがしりと握った、そんな時です。
グイッ
「ぅわっ」
不意に、足がもつれておれは転がりました。
ガシャン! と支えていた自転車が倒れ、
自分もみっともなく床に肩を打ち付けます。
「痛ってて……なんだ?」
足首にひっかかった、なにかの塊。
それは自販機の下、暗い隙間から突き出していました。
枝か、棒か。
きっと誰かが、適当に放っておいたものだろう。
まったくはた迷惑な、と、
おれが服にまとわりついた砂を払って立ち上がったその時。
「え……?」
ニュルッ、と。
足首に触れた、妙な感触。
ただの水ではない、粘着質な液体がズボンのすそを染めています。
その原因。
その粘液を垂れ流すのは、自販機の真下――つき出された、白い腕。
「ひ、っ……!?」
生白いそれに、おれは中腰のまま硬直しました。
ダラン、とひじの先がとび出したそれは、
たった今そこで切断されたかのように、
じわじわと赤い液体を地面に広げています。
「わあっ……うわ、わ」
ドサッと尻もちをつき、這いずるように後ずさりました。
腰が抜けてしまったらしく、力が入らず立ち上がることもできません。
(ゆ、ゆゆ……ゆう、れい!?)
さきほど躓いたのは、まちがいなくこれが原因でしょう。
かつて殺された人間の、腕。
自販機の下から伸びて、おれの足を掴もうとでもしたのでしょうか。
僅かばかりの街灯に照らされた白い腕と、
トロトロとアスファルトを濡らす赤い液体。
ジイィー……と、機械の作動音が、
ひどく場違いに響いていました。
「に、逃げ……逃げない、と」
倒れた自転車に必死で縋り付き、
おれはなんとか腰を立て直しました。
白い腕はだらん、と動かず伸びていますが、
その指先はまるで本物のようにリアルで、
いつ怪談にあるように動き出すかわかりません。
「かっ、帰ら、ないと」
地面に落下したカバンを自転車カゴにつっこみ、
震える足を必死で動かして、慌ててその場から離れようとした時――、
「……の野郎……なに……っだ!!」
「す……せ……!」
裏の路地の奥から、怒鳴りあう声が響いてきました。
こんなタイミングです。
どんな相手であっても、人の声というのはホッとするもの。
言い争う声に自分が現実世界にいることがわかって、
少しだけ取り戻した勇気を胸に、自転車に飛び乗って家に帰ろうとした瞬間。
「バッカ野郎が!! 知られたら終わりなんだよッ!!」
バゴッ
男性が一人、殴打音と共におれの目の前の路上にすっ飛んできました。
「すっ……すいやせ……あ、ニキ……」
頬が赤く腫れあがったその男性は明らかにただのサラリーマンではありません。
短く借り上げた頭に黒シャツ黒スラックスで、小太りの男。
そんな男が地面に転がって許しを請う人間の姿に、
おれは呆然と動きを止めました。
「きっちり探せッ! 隅々までだ。あれがなきゃオレたちが……ん?」
続いて路地から姿を現したのは、同じく黒スーツに
でかいガタイを無理やり押し込めた、チンピラ風の男でした。
「……兄ちゃん、通りすがりか?」
その男は、細い目を爬虫類のようにさらに細め、
値踏みするようにジロジロとこちらを眺めまわしました。
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