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91.合宿所の夜④(怖さレベル:★★☆)

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「ちょ……せ、狭いって……ゆ、ユッ……!」

なにか重いものに押しつぶされているような、
くぐもったなーちゃんの呻き声。

「もっ……ユキ……っ、ぐ、あ」

異常とも思えるほどの、むせぶような声。

固まっていた身体をハッと起こし、
私は声のする方へと近づこうとしました。

しかし。

「――うっ」

赤茶けた、なにか。

人の姿をかたどった、そのぼやけた煙のようなそれが、
布団を押しのけたなーちゃんの全身に、もやもやとまとわりついているのです。

「あ……! だ、だめ……っ!!」

私が上げた静止の声にその赤茶のモヤはなんの動揺もみせず、
じわじわと彼女の全身を包み込むように広がっています。

その上、煙はまるで腕のようにぐにゃりと伸びて、
彼女の首をぐいぐいと締め上げ始めました。

「だ……ダメ!」
「――ッ! ……う、ぐぇっ」

押しかかられているなーちゃんの顔は、
薄暗闇の中でも異常な程に目玉がとび出していて、
かなり危険な状態とわかりました。

振り乱される彼女の両手足が、パタ、パタ、と勢いを落とし、
ついにはビクン、と怪しい痙攣――、

「やっ……やめなさい!」

あまりの光景に大声を上げてそれに飛びかかろうとした、その時。

パチンッ

「もー、なにぃ?」

パッ、と一瞬で大広間に明かりが灯されました。

「り……リカ……!」
「どーしたのよ、ギャアキャア騒いで」

照明のスイッチをONにした彼女は半開きの目をしたまま、
だるそうに言い放ちました。

「あーあ、まだこんな時間じゃん。ほんと、どうし……な、なーちゃん!?」

と、リカがあの影に襲われていた彼女を見て、一歩後ずさります。
私も照明にとられていた気をなーちゃんの方へと戻すと、

「……あ……」

まるで、人が炎に焼かれているかのように。
逃れようのない痛みにのたうち回るかのように。

こうこうと照る明かりの下、全身を弛緩させた彼女の上で、
あの赤茶けた煙が、ぐるぐると身もだえしています。

「え、あ……あれ、何……?」

照明の電源に手を置いたままの姿で、リカはピシリと硬直しました。

私たちの視線の先で、それはグネグネと光を避けるように蠢き、暴れ――
いちばん手近な闇の中へ、身を潜めようと動きました。

そう、彼女の――なーちゃんの、口内へ。

「あ――」

ズルッ

瞬きの間に細長く形状を変化させたそれは、
目を剥いて気絶状態の彼女の薄く開いたその喉へ、
そのままヘビのように侵入して、そして。

「な……なーちゃん!?」

リカの絶叫すら届かずに。

彼女の喉が、ゾゾゾ、ゾゾゾ、とそれを飲み込むように振動しました。

「あ……あ……」

おどろおどろしい悪夢のごとき光景に、私は声を発することもできません。

ズロンッ

ハッ、と正気に戻るもすでに遅く。

その赤茶の煙は、なんの跡形も残すことなく、
彼女の体内の奥底へと消え去ってしまいました。

「なっ……なーちゃん……?」

こわごわとかけた声に、彼女はビクンと身体を跳ねさせます。

パンパンに腫れた顔に、白目となった眼球。

そんな異常な状態のまま、ギィ、と油のさされていない
ロボットのような不格好な動きで、なーちゃんは首をこちらに向けました。

そして、突如ぷくりと頬を膨らまして、

「あ……あァあぁぁァあああ」

身体の奥から染み出すような、おぞましい絶叫を発し始めたのです。

「がぁあ……あがががあぁぁあぁ」

だんだんと音量を増していくそれに、
私やリカが慌てて彼女を止めようと揺さぶっても、
まったく効果をなしません。

そうこうしているうちに、

「もー……なに!?」
「わっ……まぶし! ど、どうしたの!?」

眠っていた他のメンバーたちが、
異変に気づいて続々と起きだしてきました。

「なーちゃん!? ちょっ、大丈夫!?」
「目、覚まして! ねえ!」

何人かはいち早く彼女の異様さに気づいて、
布団をすっ飛ばしてパタパタと駆け寄ってきました。

「ヤバいよ、これ! 先生、先生よんできて!!」

他の皆に押しのけられた私は、
部屋の誰かに声をかけられ、慌てて部屋から駆け出そうとしました。

「ちょっと、リカ?!」

しかし、同じく押しやられた彼女は、ある一点を見つめて硬直しています。

「ほら、一緒に先生呼んでくるよ!」
「……ん、うん……」
「? なに、どしたの」

あまりにも普段の彼女とかけ離れた沈んだ態度に、
まさかリカまで変なものにとりつかれたんじゃ、と不安になった私は、
続いた彼女の台詞に心臓を貫かれた気持ちになりました。

「……壁の」
「壁……?」

リカは、唸るように低く呟いたのです。

「壁のシミ……消えてる」

と。



当然ながら、合宿はそこで終了。

救急車で連れていかれた彼女と、それに付き添った先生を残して、
私たち部員は皆、家へ強制送還となりました。

ちょうど夏休み中だったのでそれ以上詳細はわからず終い。

学期が始まってから入ったのは、
しばらく休む、という通達だけ。

なにもしらないクラスメイトたちは、
病気にでもかかってしまったのか、などとウワサしていました。

しかし、私とリカ……あの、妙な煙が彼女の中に入りこむのを目撃してしまった二人は、
そんな皆の推測に、ただただ沈黙を守るばかりでした。

あの夜の、なーちゃんとユキとの会話。
そして前の日の夜の、私とリカとの会話。

なーちゃんがユキと思って話したなにか。
私がリカと思って話したなにか。

それらは……もしかして、同じものだったのでしょうか。

先生方の見回りで、私たちの会話が中断されなかったら。
もしかしたら、私自身が救急搬送された彼女のようになっていたのでしょうか。

壁のシミから出てきた、赤茶色の煙にまかれ、
殺されてしまっていたのでしょうか。

……彼女は未だ、私たちの学校には帰ってきていません。
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