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84.風呂場の天井②(怖さレベル:★★☆)
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「う……ぐ、えぇ……」
吐き気を催すような、グロテスクなその光景。
照明に照らされたその異形は、
今や人の頭部ほどの集合体となり、未だ増殖を続けています。
逃げたい。逃げなくては。
小刻みに震える足を叱咤して、しかし視線だけはそらせず
その眼球たちに向けたまま、ゆっくりと後ろ手に扉に手をかけた、その時。
「おーい」
脱衣所の方から、声がかかりました。
(あ……兄ちゃん!)
長風呂好きの兄は、いつも最後、
僕の後にゆっくり浸かるのを楽しみにしていました。
今日は僕があまりにも遅いので、
どうやら待ちくたびれてやってきたのでしょう。
「まだかー?」
聞きなれた兄の声にホッと肩の力が抜けて、僕は正面の目玉を警戒しつつも、
すぐ出るよ、と返事を返そうとして――ハッ、と思い出しました。
今日は……土曜日。
兄は友人宅へ泊りに行っていて、今日は帰ってこない、はず。
(…………!)
ただでさえ不気味な目玉の出現に怯えていた心が、
さらに恐怖のドン底へと突き落されました。
兄の声に酷似したなにかが、
扉一枚を隔てた向こうに存在する。
それはいったい、何なのか。
「おーい。聞こえてるかー?」
すりガラス越しにうっすらと見える灰色の影。
それはやはり、兄と瓜二つの背格好。
思わずドアから離れ、四隅の端にドン、と背を預けました。
湯舟の上に浮かぶ黒い眼球の集団は、
そんな青い顔の僕の姿を、ボコボコと身を震わせながら観察しています。
同じ空間には目玉のバケモノ。
扉の向こうには、存在しないはずの兄のまがいモノ。
「う……うぅ……」
もはや意味のある言葉を発することすらできません。
どこにも逃げ場のない状況に、絶望的な境地で足を震わせていると。
ボチャンッ
不意に、水しぶきがあがりました。
つられるように浴槽に視線を向ければ、
ボチャッ、ボチャンッ
「わ……わわ、っ……」
濡れたタイルの上に、ベチャリと尻もちをつきました。
天井付近に存在していた眼球たち。
それが突然、次から次へと湯舟の中へ落ち、沈みー―ドロリ、と溶け始めたのです。
ボチャッ……ドロリ
ボチャンッ……ドロッ
「ひ、ひぃ……っ」
ガチガチと異常なほど震える奥歯は止まらず、
限度を超過した恐怖に、異様なほど心臓が脈打っています。
「おーい。おーい……」
畳みかけるようにして、ドアを挟んだ向こう側から
間延びした兄もどきの声が聞こえてきます。
「おーい……おーーい……」
その、異様にゆったりと伸ばされた声は、
人の声を無理やりスロー再生にかけたかのごとき、
不気味な不自然さをもって繰り返されています。
「おーーい……開けてくれーー……」
ゆらゆらと、すりガラスの向こうで動く影。
決して自らドアを開けようとせず、
ただ、そうっと吹き込むように声だけをかけてきます。
「開けてくれよ――……あ、開け、ろ」
ボソ、と。
底なし沼の深い泥の奥から響くような声とともに、
僕は極度の緊張と異常さとおぞましさに――
「うっ……ああぁぁああ!!」
バリッ……ガコン! ドタタンッ!!
もはや身体が自分の意志を越え、浴室の扉を蹴飛ばし
脱衣所の引き戸をすっ飛ばして、廊下に頭から飛び込みました。
その瞬間、ブワっと霧散した黒い影など、目にも入らずに。
「ちょっ……ど、どうしたの!?」
「おい……おい、起きろっ!」
両親の慌てたような声に今度こそ全身から力が抜けて、
僕はそのまま――昏倒しました。
そして。
僕はその後、焦った両親によって即座に救急車で運ばれたそうです。
なにせ、呼んでも揺らしてもなんの反応も示さず、
トドメにあの大絶叫&奇行。
両親は、心の底から肝が冷えた、などと言っていました。
僕がようやく意識を取り戻したのは運ばれてから三時間後で、
脳の精密検査もされたものの、特に異常もなく、
軽い処置のみで家に帰ることができました。
何があったのか、と親からは執拗に尋ねられました。
僕はあのできごとを洗いざらい話してしまおうか考えたものの――
結局、口をつぐむことにしたのです。
理由はもちろん、のぼせてみた夢だとか試験勉強に疲れてみた
幻覚だとかと言って、信じてもらえないだろうということもありますが――
母が、僕が家に戻ってから、ふと思い出したかのように言ったんです。
「そういえば、あんた、風呂場でなんかやった?
浴槽のお湯が、見たことないくらい真っ黒に染まってたけど」
と。
僕は……アレを話してしまって、もし両親も同じ体験を
してしまったらと思うと、どうしようもなく怖くなりました。
今では風呂に入るときには、絶対に扉は半開きにして、
けっして長湯はしないようにしています。
吐き気を催すような、グロテスクなその光景。
照明に照らされたその異形は、
今や人の頭部ほどの集合体となり、未だ増殖を続けています。
逃げたい。逃げなくては。
小刻みに震える足を叱咤して、しかし視線だけはそらせず
その眼球たちに向けたまま、ゆっくりと後ろ手に扉に手をかけた、その時。
「おーい」
脱衣所の方から、声がかかりました。
(あ……兄ちゃん!)
長風呂好きの兄は、いつも最後、
僕の後にゆっくり浸かるのを楽しみにしていました。
今日は僕があまりにも遅いので、
どうやら待ちくたびれてやってきたのでしょう。
「まだかー?」
聞きなれた兄の声にホッと肩の力が抜けて、僕は正面の目玉を警戒しつつも、
すぐ出るよ、と返事を返そうとして――ハッ、と思い出しました。
今日は……土曜日。
兄は友人宅へ泊りに行っていて、今日は帰ってこない、はず。
(…………!)
ただでさえ不気味な目玉の出現に怯えていた心が、
さらに恐怖のドン底へと突き落されました。
兄の声に酷似したなにかが、
扉一枚を隔てた向こうに存在する。
それはいったい、何なのか。
「おーい。聞こえてるかー?」
すりガラス越しにうっすらと見える灰色の影。
それはやはり、兄と瓜二つの背格好。
思わずドアから離れ、四隅の端にドン、と背を預けました。
湯舟の上に浮かぶ黒い眼球の集団は、
そんな青い顔の僕の姿を、ボコボコと身を震わせながら観察しています。
同じ空間には目玉のバケモノ。
扉の向こうには、存在しないはずの兄のまがいモノ。
「う……うぅ……」
もはや意味のある言葉を発することすらできません。
どこにも逃げ場のない状況に、絶望的な境地で足を震わせていると。
ボチャンッ
不意に、水しぶきがあがりました。
つられるように浴槽に視線を向ければ、
ボチャッ、ボチャンッ
「わ……わわ、っ……」
濡れたタイルの上に、ベチャリと尻もちをつきました。
天井付近に存在していた眼球たち。
それが突然、次から次へと湯舟の中へ落ち、沈みー―ドロリ、と溶け始めたのです。
ボチャッ……ドロリ
ボチャンッ……ドロッ
「ひ、ひぃ……っ」
ガチガチと異常なほど震える奥歯は止まらず、
限度を超過した恐怖に、異様なほど心臓が脈打っています。
「おーい。おーい……」
畳みかけるようにして、ドアを挟んだ向こう側から
間延びした兄もどきの声が聞こえてきます。
「おーい……おーーい……」
その、異様にゆったりと伸ばされた声は、
人の声を無理やりスロー再生にかけたかのごとき、
不気味な不自然さをもって繰り返されています。
「おーーい……開けてくれーー……」
ゆらゆらと、すりガラスの向こうで動く影。
決して自らドアを開けようとせず、
ただ、そうっと吹き込むように声だけをかけてきます。
「開けてくれよ――……あ、開け、ろ」
ボソ、と。
底なし沼の深い泥の奥から響くような声とともに、
僕は極度の緊張と異常さとおぞましさに――
「うっ……ああぁぁああ!!」
バリッ……ガコン! ドタタンッ!!
もはや身体が自分の意志を越え、浴室の扉を蹴飛ばし
脱衣所の引き戸をすっ飛ばして、廊下に頭から飛び込みました。
その瞬間、ブワっと霧散した黒い影など、目にも入らずに。
「ちょっ……ど、どうしたの!?」
「おい……おい、起きろっ!」
両親の慌てたような声に今度こそ全身から力が抜けて、
僕はそのまま――昏倒しました。
そして。
僕はその後、焦った両親によって即座に救急車で運ばれたそうです。
なにせ、呼んでも揺らしてもなんの反応も示さず、
トドメにあの大絶叫&奇行。
両親は、心の底から肝が冷えた、などと言っていました。
僕がようやく意識を取り戻したのは運ばれてから三時間後で、
脳の精密検査もされたものの、特に異常もなく、
軽い処置のみで家に帰ることができました。
何があったのか、と親からは執拗に尋ねられました。
僕はあのできごとを洗いざらい話してしまおうか考えたものの――
結局、口をつぐむことにしたのです。
理由はもちろん、のぼせてみた夢だとか試験勉強に疲れてみた
幻覚だとかと言って、信じてもらえないだろうということもありますが――
母が、僕が家に戻ってから、ふと思い出したかのように言ったんです。
「そういえば、あんた、風呂場でなんかやった?
浴槽のお湯が、見たことないくらい真っ黒に染まってたけど」
と。
僕は……アレを話してしまって、もし両親も同じ体験を
してしまったらと思うと、どうしようもなく怖くなりました。
今では風呂に入るときには、絶対に扉は半開きにして、
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