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74.ダムに寄り添う黒い影①(怖さレベル:★☆☆)

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(怖さレベル:★☆☆:微ホラー・ほんのり程度)
『20代女性 安田さん(仮)』

あ……どうも、こんにちは。
以前、ダムで起きたとある事件をお話させて頂いた者です。

今回も、別のダム――あの、湖で私の体験した出来ごとを
語らせて頂きたいと思います。

初めて行ったダムで……不慮の事故とはいえ、飛び降り自殺を目撃してしまい、
私はしばらくの間、あの友だちからの再三のお誘いを断っていました。

あんなコト滅多に起きることではないし、普段のダムはイベントでもない限り、
静かでとっても良いよ、と力説されるのですが、
あの瞬間がまぶたの裏にフィルムのように焼きついて離れなかったんです。

それでも、めげることなく彼女が誘いをかけてくるものだから、
まぁ少しだけなら、と最後には白旗を上げて、
二回、三回と、なんだかんだ同行するようになっていきました。

出かける回数を重ねていけば、なるほど、
あれだけの人が一気に集うというのはかなり稀で、
ふだんの土日くらいであれば、場所にもよりますがさほど混み合うこともありません。

鳥たちの会話の下、涼しい水辺でダムを眺めながら撮影したり、
食事を持ち寄ってピクニックしたりするのは、
非日常感も相まって思いのほか楽しいもので、

友だちに付き合う回数が十に届こうかという頃には、
あの一度目のダムのトラウマはだいぶ薄らいでいました。



その日訪れたダムは、観光地化されて久しい、
温泉街のそばにある場所でした。

木々の緑がいっそう濃くなる、初夏の頃合い。
厚い葉同士がこすれるそよそよとした音が
汗ばむ肌を涼やかに冷やしていきます。

「……ねぇねぇ、今度はボートの方行ってみない?」

例の友人が、ぼんやりと広大な湖を眺める私の背を叩きました。

「えっ……ボート?」
「そそ。料金はあたしが払うからさ。ここ、下におりると乗り場があって、
 好きに漕げるんだよ。……興味あるんじゃない?」

イタズラっこのように微笑む彼女は、すっかり行く気まんまんのようでした。

言われるがままにそっと下を覗き込むと、カラフルなボートが花咲くように
いくつも浮かんでいるのが、この場所からでもよく見渡せます。

今回訪れた場所は、湖が特に広大なことで知られていて、
それを間近で体験できる為、観光ボート業がかなり盛んだと聞いていました。

確かにそれに乗れば、その素晴らしさをより体験できるのでしょう。
でも――。

「わ、私、泳げないけどっ」

水泳が昔っから大の苦手の私。
もし万が一、ボートが転覆なんてしたら。

しかし、そんなこちらの焦りに、彼女は失礼なほど大口を開けて笑い声を響かせました。

「なーんだ、そんなこと。救命胴衣をつけて乗るからダイジョーブ。
 ボートだし、ぜったいひっくり返らないとはいえないけど……ま、平気だって、きっと」
「うー……」

胴衣を着るならば万が一があっても安心か、とは思いつつも、
こちらがしきりに視線をウロウロさせているのに気づいたのでしょう。

彼女はニコニコと手を握ってきました。

「まぁ、無理そうなら今回はやめとくよ。でも、下の水際でボート眺めるくらいならOKでしょ?
 けっこう子どももやってるみたいだし、見てみたいんだー」

そう譲歩されれば、断るわけにもいきません。

手を引かれるがままにダムをぐるりと下りて裏手に回ると、
それらしき受付の建物が見えてきました。

「わっ……賑わってる……!」

その前には、小学生ほどの子どもたちがわらわらと集っていました。

ちょうどボート教室かなにかの日だったのでしょう。
キッチリと救命具を身につけた少年たちは年齢に反し、
背筋をピンと伸ばして先生の前で整列しています。

「わーっ、かわいいねぇ」

友人は保育士をやっているせいか子どもが気になるらしく、
規則正しく並んで指導を受けている子どもたちに
キラキラとした視線を送っていました。

「すごいねぇ……あんな小さいのに、もうボート……」
「そーだよ。しっかり準備すれば、危険だって減るんだから」

隙をみてボートを勧めてくる友人に曖昧な笑みだけ返しつつ、
建物のすぐ隣の木製ベンチに腰掛け、ボートで漕ぎだす子どもたちの様子をそろって見守ります。

「のどかだねぇ……」

枝葉に遮られ和らげられた日差しの下、ゆっくりとした時間が流れていきます。

湖畔の上でゆらゆらと浮かぶボート、
恋の季節ゆえかピチチチと元気な小鳥たちのさえずり。

友人といくつもダムを巡り、自然の豊かさと水の美しさに魅了され、
私は、あの初めて訪れたダムでの衝撃的な事件を、
ようやく過去のものとして心の整理がつき始めていました。

――ダムの上で踊る、あの、不気味な黒い影たち。

幽霊か、魔物か、死神か。
人を死に引きずり込む、不穏な存在――。

「……あ、れ?」

呆、と。

過去の記憶をゆるやかに反すうしていた私の視界が、ふいに暗く陰りました。

上を見上げるも、木々はゆらゆらと揺れて薄く
カーテンを敷くくらいで、空には雲も見当たりません。

では、この薄暗さは一体――?

「…………」

シン、と。

あれだけにぎやかにさえずっていた鳥たちの声が、
ピタリと静まっています。

それどころか、湖の波のざわめきも、
子どもたちのキャアキャアという明るい声すら聞こえない。

全くの、無音。

耳がおかしくなったのではないかと疑うような静謐の中、
目の前の景色自体は、とどまることなく動きつづけているのです。

しかし、世界は未だ、うっすらと影の落ちたまま。

「……う」

私はある事実に気づいて、全身を硬直させました。

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