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36.写真立ての中の女性②(怖さレベル:★☆☆)
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それからしばらくの日々が過ぎて、
私は論文の提出期限がせまった為に、
二週間ほどお休みをいただいていました。
無事に提出も終わり、
再びバイトに復帰した、その日のことです。
エプロンを着け、さっそく店に入ると、
「や、八木先輩! ちょっとお話が」
早々に、高校生バイトの安藤に呼び止められ、
裏に連れていかれました。
「なになに、どうしたの」
「あの……アレです。あの、ドッペルゲンガーさんなんですけど」
「え、あの人……また来たの?」
と、目をキラキラさせた彼女が語る話によれば、
私の休んでいた二週間の間に、また彼女が現れたというのです。
他のバイトからそっくりさんの話を聞いていたそうで、
好奇心旺盛なこの安藤は、
それとなく彼女にいろいろ質問をしたそうで、
「双子とか、姉妹かなって思って、聞いてみたんですよ。
そしたら、あの人、ひとりっ子だって。
親戚で同じくらいの年の人もいないっていうんです」
「はぁ……よく聞けたねぇ」
彼女のコミュ力の高さに私は感心しつつ、
続きを促しました。
「で、彼氏いるんですか、って聞いたら……いる、って。
彼女、ウキウキで写真まで見せてくれて。
そしたら……その男性、あの男の人だったんです」
「……はっ?」
「あの、いつも写真立てを飾る、あの人です。
正面じゃなくって横顔だったけど……間違いありません」
私は状況の整理がつかず、
ぐるぐる回る頭を押さえ、一つ深呼吸しました。
「えっ……ってことは、あの男の人、
自分の彼女が死んでたってウソついてたってこと?」
「たぶん……もうあたし、気味悪くて。
意味も分かんないし、急に怖くなっちゃって。
マスターにも話したんですけど、お客さんなんだし、
深入りしなければ平気だよ、って」
すでに十分深入りしている気もしましたが、
私も狼狽する気持ちをどうにか落ち着けつつ、
安藤の背をさすりました。
「そっか……私も混乱してるけど、めっちゃ怖かったよね。
マスターが言ってる通り、普段通りにしてれば別に
何かされるわけでもないし、大丈夫だよ」
後輩を励ましつつも、あたしはぐちゃぐちゃになった脳内に
整理がつかず、仕事中もずっとグルグルと安藤に聞いた話が
回っていました。
あの男性の意図はいったいなんなんだろう。
彼女が死んだと話して、写真を持ち歩いて。
でも、彼女本人は生きていて。
彼の意志を尊重していたうちのカフェのメンバーに
泥をかけられたようで、どこかクサクサとした気持ちまで
浮かんでくるのです。
「……ちゃん、八木ちゃん」
「は、はい!?」
「ベル鳴ってるよ。お客さん、案内してきて」
「す、すみません!」
考え事に没頭していたせいか、来店のベルを聞き逃し、
マスターに声をかけられてしまいました。
慌ててカウンターから出て入口へと向かうと、
「あ……い、いらっしゃいませ」
そこに現れたのは、件の男性です。
私はヒクつく営業スマイルを必死に保ちつつ、
空いている席へと案内しました。
「ホットコーヒーと、ホットカフェラテ」
いつも通りの注文をする彼に、
私は内心辟易しつつ、頷いてカウンターへ戻りました。
と。
チリン、チリン。
「あ、いらっしゃいませー」
再び鳴ったベルに、注文票だけマスターに手渡して、
すぐさま入口へ逆戻りします。
「……あっ」
私は小さく息を漏らしました。
なんと、恐ろしいタイミングで現れたのは、
あの――写真立てと瓜二つの女性であったのです。
「お席にご案内いたしますね」
と、私には意地悪い考えが浮かびました。
あの男性が偽っている彼女が死んだというウソ。
この女性を目の前にすれば、
さぞ慌てふためくだろう。
アイドルタイムで空いている時間帯、
私は意趣返しも含め、彼女の席をあの男性のすぐ隣に
案内しました。
「……あら?」
すると、どうやら女性が先にあの男性に気づきました。
「……ん?」
その声に男性が顔を上げ、彼女を見ました。
「あ」
そして、その単語を発した彼の表情が――
みるみるうちに、恐怖に染まっていったのです。
「お久しぶりですね。
……ずっと私のこと、避けていたみたいですけれど」
しかし女性はにこやかな笑みを浮かべて、
そっと男性の席に近寄りました。
「お前……お前は、よくもオレの前に顔を……」
「何を言ってるの。将来を誓い合った仲じゃない」
ざわついていた店内が、
シンと静まり返っています。
お客様たちまでもが、二人のその言い争いに、
そっと耳を澄ませているのがわかりました。
「ふざけるな……ふざけるなよ。
あいつを……エリを殺したお前が、それを言うのか!」
グッ、と男性が女性の襟首をつかみました。
「お……お客様、おやめください!」
慌てたマスターがなだめにやってきますが、
男性の勢いは止まりません。
「エリの髪型、服装、動きに至るまでそっくり
そのままコピーして……あげくに整形で顔まで変えて!
一分の隙もないほどにエリそのものになりやがって……
エリはなぁ、お前のせいで死んだんだよ!!」
両手でガクガクと女性を揺さぶる男性の放った言葉に、
私たちは唖然と二人を見守ることしかできません。
「何言ってるの? エリは私。私がエリよ」
「いい加減にしろ! いくらお前がエリになろうとしたって、
オレはお前になんか興味ないんだ!!」
ダン! とテーブルを強打した男性が、
直も女性に詰め寄ろうとするのを、マスターが割って入ります。
「こ、これ以上はおやめください」
「…………ハッ」
マスターが入ったことで頭が冷えたのか、
男性は大きな舌打ちをその場に残し、
雑に紙幣だけテーブルに投げ置いて去って行ってしまいました。
「あの……だ、大丈夫ですか」
私が恐る恐る残された女性に声をかければ、
彼女は場に不釣り合いなほどにこやかな表情を浮かべ、
「ええ、お騒がせしてすみません。
あの人、病気してからおかしくなってしまって……いつものことなので」
と、ペコリと頭を下げてから、
店を出て行ってしまいました。
残されたのは、
呆然としている私たちバイトと、
状況が理解できないお客様方、
それに仲裁に入ろうとして失敗したマスターです。
「……仕事、戻りましょうか」
疲れたような表情で言ったマスターの一言に、
私たちはただただ頷くことしかできませんでした。
その後、あの男性と女性が、
再びうちのカフェに訪れることはありませんでした。
マスターや、バイト仲間たちといろいろ話ましたが、
結局、あの日の二人のあの言い争いの真偽は、
いまだわからないままです。
男性の言う、女性がニセモノというのが本当なのか、
女性の言う、男性が病気でおかしくなったというのが本当なのか――。
ただ、彼の持っていたのが女性の正面写真であったこと、
例の女性が安藤に見せた写真が彼の横顔であったことなどを考えると、
おのずと――どちらが正解なのか、わかるような気もするのです。
そして、あれから一年以上たっても、私の瞼の裏には、
あの時の男性の憤りに満ちた口調と悲しい表情、
女性のニコニコと奇妙にうれしそうなあの笑顔、
そのどちらもが、忘れられないほどクッキリと焼き付いているのです。
私は論文の提出期限がせまった為に、
二週間ほどお休みをいただいていました。
無事に提出も終わり、
再びバイトに復帰した、その日のことです。
エプロンを着け、さっそく店に入ると、
「や、八木先輩! ちょっとお話が」
早々に、高校生バイトの安藤に呼び止められ、
裏に連れていかれました。
「なになに、どうしたの」
「あの……アレです。あの、ドッペルゲンガーさんなんですけど」
「え、あの人……また来たの?」
と、目をキラキラさせた彼女が語る話によれば、
私の休んでいた二週間の間に、また彼女が現れたというのです。
他のバイトからそっくりさんの話を聞いていたそうで、
好奇心旺盛なこの安藤は、
それとなく彼女にいろいろ質問をしたそうで、
「双子とか、姉妹かなって思って、聞いてみたんですよ。
そしたら、あの人、ひとりっ子だって。
親戚で同じくらいの年の人もいないっていうんです」
「はぁ……よく聞けたねぇ」
彼女のコミュ力の高さに私は感心しつつ、
続きを促しました。
「で、彼氏いるんですか、って聞いたら……いる、って。
彼女、ウキウキで写真まで見せてくれて。
そしたら……その男性、あの男の人だったんです」
「……はっ?」
「あの、いつも写真立てを飾る、あの人です。
正面じゃなくって横顔だったけど……間違いありません」
私は状況の整理がつかず、
ぐるぐる回る頭を押さえ、一つ深呼吸しました。
「えっ……ってことは、あの男の人、
自分の彼女が死んでたってウソついてたってこと?」
「たぶん……もうあたし、気味悪くて。
意味も分かんないし、急に怖くなっちゃって。
マスターにも話したんですけど、お客さんなんだし、
深入りしなければ平気だよ、って」
すでに十分深入りしている気もしましたが、
私も狼狽する気持ちをどうにか落ち着けつつ、
安藤の背をさすりました。
「そっか……私も混乱してるけど、めっちゃ怖かったよね。
マスターが言ってる通り、普段通りにしてれば別に
何かされるわけでもないし、大丈夫だよ」
後輩を励ましつつも、あたしはぐちゃぐちゃになった脳内に
整理がつかず、仕事中もずっとグルグルと安藤に聞いた話が
回っていました。
あの男性の意図はいったいなんなんだろう。
彼女が死んだと話して、写真を持ち歩いて。
でも、彼女本人は生きていて。
彼の意志を尊重していたうちのカフェのメンバーに
泥をかけられたようで、どこかクサクサとした気持ちまで
浮かんでくるのです。
「……ちゃん、八木ちゃん」
「は、はい!?」
「ベル鳴ってるよ。お客さん、案内してきて」
「す、すみません!」
考え事に没頭していたせいか、来店のベルを聞き逃し、
マスターに声をかけられてしまいました。
慌ててカウンターから出て入口へと向かうと、
「あ……い、いらっしゃいませ」
そこに現れたのは、件の男性です。
私はヒクつく営業スマイルを必死に保ちつつ、
空いている席へと案内しました。
「ホットコーヒーと、ホットカフェラテ」
いつも通りの注文をする彼に、
私は内心辟易しつつ、頷いてカウンターへ戻りました。
と。
チリン、チリン。
「あ、いらっしゃいませー」
再び鳴ったベルに、注文票だけマスターに手渡して、
すぐさま入口へ逆戻りします。
「……あっ」
私は小さく息を漏らしました。
なんと、恐ろしいタイミングで現れたのは、
あの――写真立てと瓜二つの女性であったのです。
「お席にご案内いたしますね」
と、私には意地悪い考えが浮かびました。
あの男性が偽っている彼女が死んだというウソ。
この女性を目の前にすれば、
さぞ慌てふためくだろう。
アイドルタイムで空いている時間帯、
私は意趣返しも含め、彼女の席をあの男性のすぐ隣に
案内しました。
「……あら?」
すると、どうやら女性が先にあの男性に気づきました。
「……ん?」
その声に男性が顔を上げ、彼女を見ました。
「あ」
そして、その単語を発した彼の表情が――
みるみるうちに、恐怖に染まっていったのです。
「お久しぶりですね。
……ずっと私のこと、避けていたみたいですけれど」
しかし女性はにこやかな笑みを浮かべて、
そっと男性の席に近寄りました。
「お前……お前は、よくもオレの前に顔を……」
「何を言ってるの。将来を誓い合った仲じゃない」
ざわついていた店内が、
シンと静まり返っています。
お客様たちまでもが、二人のその言い争いに、
そっと耳を澄ませているのがわかりました。
「ふざけるな……ふざけるなよ。
あいつを……エリを殺したお前が、それを言うのか!」
グッ、と男性が女性の襟首をつかみました。
「お……お客様、おやめください!」
慌てたマスターがなだめにやってきますが、
男性の勢いは止まりません。
「エリの髪型、服装、動きに至るまでそっくり
そのままコピーして……あげくに整形で顔まで変えて!
一分の隙もないほどにエリそのものになりやがって……
エリはなぁ、お前のせいで死んだんだよ!!」
両手でガクガクと女性を揺さぶる男性の放った言葉に、
私たちは唖然と二人を見守ることしかできません。
「何言ってるの? エリは私。私がエリよ」
「いい加減にしろ! いくらお前がエリになろうとしたって、
オレはお前になんか興味ないんだ!!」
ダン! とテーブルを強打した男性が、
直も女性に詰め寄ろうとするのを、マスターが割って入ります。
「こ、これ以上はおやめください」
「…………ハッ」
マスターが入ったことで頭が冷えたのか、
男性は大きな舌打ちをその場に残し、
雑に紙幣だけテーブルに投げ置いて去って行ってしまいました。
「あの……だ、大丈夫ですか」
私が恐る恐る残された女性に声をかければ、
彼女は場に不釣り合いなほどにこやかな表情を浮かべ、
「ええ、お騒がせしてすみません。
あの人、病気してからおかしくなってしまって……いつものことなので」
と、ペコリと頭を下げてから、
店を出て行ってしまいました。
残されたのは、
呆然としている私たちバイトと、
状況が理解できないお客様方、
それに仲裁に入ろうとして失敗したマスターです。
「……仕事、戻りましょうか」
疲れたような表情で言ったマスターの一言に、
私たちはただただ頷くことしかできませんでした。
その後、あの男性と女性が、
再びうちのカフェに訪れることはありませんでした。
マスターや、バイト仲間たちといろいろ話ましたが、
結局、あの日の二人のあの言い争いの真偽は、
いまだわからないままです。
男性の言う、女性がニセモノというのが本当なのか、
女性の言う、男性が病気でおかしくなったというのが本当なのか――。
ただ、彼の持っていたのが女性の正面写真であったこと、
例の女性が安藤に見せた写真が彼の横顔であったことなどを考えると、
おのずと――どちらが正解なのか、わかるような気もするのです。
そして、あれから一年以上たっても、私の瞼の裏には、
あの時の男性の憤りに満ちた口調と悲しい表情、
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