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第九章 永遠に
阿羅彦という人
しおりを挟む時の過ぎる感覚が鈍い。
俺はそのことに焦るばかりだった。
最近は、その感覚がさらに鈍るどころか、記憶すらない時があって衝撃を受ける。
今、どれぐらい経ったのだろうか。
静かに、眠るように……皆が去った、あの頃から……
玲陽、アレクシス、葵衣すらも、すでにいない。
最後を迎える時に、手を握ってやること、それが俺の送り方となった。
ーーコンコンと扉が叩かれた。
かつて使っていた執務室より各段に大きな暗い部屋。
城の最上階に位置するそこに、自分専用のそれを作ったのはいつだったか。
窓からは都が一望できる、素晴らしい眺め、しかし、それを厚いカーテンで締め切り、ランプの光も最小限だ。
光が体を焼くようで、痛くなってきた、そんな人ではないような感覚が、恐ろしかった。
俺は、大きなソファーに身を沈め、ため息をついた。
「入れ」
俺の応答で、静かに大きな扉が開き、5人のマントを被った男たちが入って来た。
彼らは俺の子らで組織した魔導士たちだ。
「父上、お呼びですか?」
代表して話す息子はまじめな顔で俺を見つめた。
「俺はもう、夢と現実の境がわかりづらくなって久しい」
「……ええ、しかし父上、まだお体は壮健、大丈夫ですよ」
「いや、皆に迷惑をかけたくないのだ。俺は皆と一緒にここまで阿羅国を大きくできたことを感謝しているし、そしてこれからも発展していってほしいと、そう思っている」
「……父上……お気を確かに」
「それで、お前たちに頼みがあるんだ」
「頼みとは……」
使用人が運んできた茶を飲んだ。
喉が潤され、そのおいしさに微笑んだ。
「今年も良い茶が取れたな」
俺の言葉に使用人は喜んだ、こんな風に笑顔を向けられることの幸せをかみしめる。
「で、父上、頼み事とは何です?」
心配げにじっと見つめながら息子は俺に問うた。
「紗国の嫁がこちらに送られてきたとき、今まで俺が迎えにいっていたが、その役目をお前たちにしてほしいんだ」
「え?」
5人とも目を丸くして、口を開けた。
「いや、父上、無理ですよ、我らはそんな異変をこんな遠くから気取ったりできません」
「そうじゃない。その気配を関知したら、俺が即座にお前たちをそこへ送るよ」
「父上と我らが一緒というわけではなく、我らだけをそこへ?」
「ああ、そうだ」
「そんな、人だけを送ることなどできるんですか?」
「できる」
「……そうですか……まあ、父上ならば、できるでしょうが……」
「お前たちの手で、嫁たちが獣たちに襲われる前に、助けてやってくれ」
後ろに控えていた息子の一人が口を開いた。
「父上、なぜそこまでして、紗国を助けるんです? あちらは我らを敵視すれど、感謝などしておりませんのに」
「違うよ、俺が助けているのは嫁であって紗国ではない」
「……」
「ケガをしていれば、治してやれ、その時に話し、紗国と阿羅国のどちらを選ぶかを、必ず嫁本人に選ばせてやれ」
「父上ご本人に会う前に、その話を我らが?」
「ああ、そうだ」
「それでいいのですか?」
「それでいいさ、彼らが安全なら、それで」
息子たちは心配げに、なおも俺をじっと見つめていた。
◆
時は、さらに1000年過ぎた……
阿羅国という国は、澄川新人という日本人の少年が、魔物のクレイダ、蛇族のイバンと共に興した国だ。
阿羅国の役所には、建国記を書く部署がある。
彼らはクレイダが口伝で伝えたはるか昔のことから、きちんと管理し、美しい文字で書き記していた。
阿羅彦が執務の実権を、10代目の王である息子に譲った頃、その部署に尋ねて来た魔導士がいた。
名を静彦という、魔導士の頂点に立つ男だった。
その名からもわかる通り、阿羅彦の実子であり、現王の弟となる人だ。
すでに200歳を過ぎていた彼は、威厳たっぷりにこういった。
「阿羅彦様のご指示を通達する」
普段、王からの直接の指示など来るはずもない、どちらかというと暇な部署である。
文官たちは慌てふためき、机においたインク壺を倒す者すらいた。
「これより改変を行う。阿羅彦王のついての大幅な改変だ」
静彦は暗い目でじっと文官たちを眺めた。
「あの……改変とは……なぜです? 我らの部署は起こったことを報告書に基づき、そのまま書いているにすぎません、まず間違いはございません」
「お前たちの意見はいらない。私の指示に従い、改変を行え」
「……」
文官らは口を一文字に引き結び、返事をしなかった。
だが、静彦はつらつらと、どう改変するかを話しはじめた。
一人の文官は慌てた。
きちんと記しておかねばと、机の上に紙を広げ、それらを懸命に記した。
内容のあまりのひどさに幾度も筆が止まった。
しかし、話すことをやめない静彦の声に、急き立てられるように、筆を走らせた。
……改変部分は、こうだった。
『異世界から森に降り立ち、ジルという美しい魔物に助けられ、そこで何百年も共に暮らし、そのあと旅たちクレイダと出会い、阿羅国となる荒地を見つけた』
この箇所は、全てが書き換えとなった。
『異世界より降り立った阿羅彦は魔物に鎖でつながれ、犯され続けた。
長い月日が経った頃、自分の体に魔力の芽生えを感じ、その魔物を殺し逃げることができた』
さらに、国興しの際、阿羅彦と苦労を共にした功労者、イバンとクレイダ両名の名を削除。
阿羅彦一人で開拓をしたとする。
そして、各国から女をさらい、子を産ませること多数。
体が壊れるまで子を産ませ続け、使い捨てにした。
そうやってようやく大きくしてきたのが、阿羅国だ。
静彦が去った後、建国記に携わる文官たちは皆言葉を失い、そして顔面蒼白だった。
「こんな改変をしてしまえば、阿羅彦様はとんだ悪人として印象付けられるではないか」
「しかし……静彦様のおっしゃることが本当だとすれば、このご指示自体が阿羅彦様からと……」
「だが、このようなことをして何の得があるというのだ、阿羅彦様ご自身のご指示とはとても思えない」
「しかし、我々は……言われたことをするほかない……静彦様がそうおっしゃるのならば……」
文官たちは互いの目を見合わせ、ため息をついた。
一人の文官は、阿羅彦を直接知っていた。
母が阿羅彦の世話係として身近にいたからだ。
優しいまなざしの美しい人だった、まだ幼かった自分に気軽に声をかけてくれ、菓子をくれた。
あの方がこんなことご指示されるだろうか……
静彦様は、何か、企んでおられる……そう察した。
彼は、書き換えられたひどい内容となった建国記にある細工をした。
後年、誰かが気づいてくれたら……と、一縷の望みをかけて。
阿羅彦が本当はどんなに優しい人だったかを、知って欲しかったのだ。
◆
あれから何年経ったのか、いや、何百年、もしや、千年単位か……
深い、深い眠りだった。
いったいいつ、俺は眠り、そして、目覚めているのか。
しかし、体にたまっていく膨大な魔力を時々放出しなければ、体中が痛かった。
明るい、春……
息子の一人が見た夢が脳内に広がった。
どうやら、今度生まれた息子は、予知夢を見る異能があるようだった。
ーー空を飛ぶ、二人の姿。
装束からして紗国の者……
一人は王だろう。
傍らに寄りそうにいるのは……黒髪、黒い目のきれいな顔の……ああ、どこかで。
ああ、あれは……
幼いころ、手をつないだ、一緒に、学んだ。
一緒に……
ああ、そうか。
俺はこの少年を知っている。
甘酸っぱい思いとともに、思い出される名前……そう、かおる……薫くん。
君も、来るのか?
辛い思いをしないよう、俺が助けるよ。
紗国の王が君に害をくわえないように、ね。
しわの刻まれた手で涙をぬぐった。
ニィシェ……
エルフの眠り巫女よ。
俺はそろそろ、逝かなきゃならないね。
君も、そろそろ、起きたらどうだ?
お互い長く……生きたね。
ああ、悪くはなかった、こんな風に長く生き、たくさんの人に出会えた。
ジル……ありがとう。
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