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第九章 永遠に
魂 葵衣視点
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風が強く日差しは強くなってきた、初夏が訪れようとしている阿羅国は緑が美しかった。
「葵衣様、本当にお上手です」
僕の手元をのぞいて、ユーチェン様は嬉しそうに微笑んだ。
僕は今、彼女の仕事である阿羅国産の布地のデザイン、そして、様々なものの特徴などを教えてもらっている。
植物の図案が多く、自然豊かなこの世界によく似合っていると思った。
それに、ロウで線が引かれている布地に彩色していく作業はとても興味深い。
左腕は相変わらずしびれているけれど、少しずつ握ったりすることができるようになってきた、筆をとる右手が無事でよかったと心から思った。
先生である彼女を見るーー今にも折れそうに細いが、肌の張り艶は悪くない、病気も阿羅彦様が手術されたと聞いた。
回復途上なのだろうが、早く元気になってほしいとそう思った。
「僕は、お勉強ができるほうではないのですが、こういう工作や絵が得意なのですよ」
その言葉に「まあ」と言って面白そうに眉を上げたユーチェン様は、ゆっくりと立ち上がり、戸棚から素晴らしい光沢の布地を取り出した、緻密に描かれているのは葉模様だ。
「これは、思い出の品なのです。この国を建国した阿羅彦様の2番目の恋人、イバン様に捧げたものなのです」
「……イバン様」
「ええ、あの方は、阿羅彦様にとっては特別なお方でした。この地ははじめ、水のない干からびた荒地でした。生命の息吹が感じられない、そんなところだったと聞いています」
「荒地……」
僕は思わず窓の外を見る、美しい木々が若葉をつけ、風にゆれている。
想像がつかずに戸惑った。
「阿羅彦様はまず、土地を耕し、川を引き、木々を植え、この土地に実りをもたらしました。その時に、植物の豊富な知識をお持ちだったイバン様が国中に緑を植えられたのです」
「……川を引く? そんなこと、できるのでしょうか?」
「ええ、私もそれは疑問に思いましたわ、ですけども、あの方のそばにいて、能力を見るに、ああ、この方ならば、枯れた土地に水をもたらすことも出来るに違いない、そう信じられるようになりました」
ユーチェン様は静かに微笑んだ。
「葵衣様も紗国のお嫁様としてこの世界に渡ってこられた方。きっと、阿羅彦様のように特殊な能力をお持ちのはず」
「い、いや、僕はそんな……平凡ですから」
ゆっくりと頭を振って僕の手をきゅっと握った。
細く白い手は暖かで、母を思い出して涙がでそうになった。
「いえ、これから発現していくのではないでしょうか? 阿羅彦様もそうなのです、ご自分でもいつのまにかあれもこれも出来るようになっていったと……」
「で、でも僕は……」
「私はね、紗国の出身なのです、耳を見てください。これは狐族の耳ですよ」
ユーチェン様のふさふさな灰色の獣耳を見つめた。
耳はくるくるっと動いた、それがとてもかわいかった。
「紗国では、お嫁様にまつわるいろんな伝説があります。それらは本当に、不思議なお話なのですよ」
「そうですか……でも、実感はありませんが……」
「大丈夫ですよ、万が一何も力がなくとも、あなた様の存在が阿羅彦様を勇気づけるでしょう」
悲し気にそう呟くように言うユーチェン様は、今にも消えてなくなりそうに見えて、焦った。
「あ、あの。ユーチェン様、どうしてそんなことを? 阿羅彦様の横にはすでにあなたがいるではありませんか?」
「……私が王妃なのは、形だけです、今あの方の最も近いところにいて支えているのは、玲陽様、そして、アレクシス様、それから、サリヴィス様に梢紗さま。まあクレイダ様は別格ですけどね、国興しの時からのお仲間ですから」
「ですが、王子様もいらして」
「……百合彦は確かに阿羅彦様のお子ですが、あの方は私のお腹にこう手を当てて、魔力を送っただけなのですよ、通常の夫婦生活ではないのです、一晩を共にしたことすらありませんよ」
「ええ?! 魔力を?手で送る?」
僕は本気でわからなくて、じっとユーチェン様のお腹を見た。
くすくすと笑ってユーチェン様はそのお腹に自分の細い手を当てた。
「あの方の魔力は暖かく感じました、すぐにわかりましたよ、命が宿ったなと」
「そうなんですか?」
「ええ、つまり……阿羅彦様は男性しか愛しません」
僕は思わず目を見開いて、そして固まってしまった。
「あなた方はお互い、強く惹かれあっておられる、違いますか?」
「えっと……いえ、それは……えっと」
焦っ僕は、手に持っていた筆で袖口を汚してしまった、ああ!っと小さく叫ぶと、ユーチェン様は笑いながら拭いてくれた。
「あなた様はまだまだお若い……けれども、阿羅彦様はもう、2000年近く生きておられます。親しい方との別れをたくさん重ねて、心がそのたびに傷ついて……」
僕たちはしばらくの間、静かに見つめあった。
不思議な時間だった。
言葉はなくとも、通じて来るものがあった。
彼女は確かに、肉体的に触れることも無く、そして女性としては愛されていないかもしれない、だけど、燃えるように熱くてそして深い愛を感じた。
阿羅彦様の幸せだけを祈り、そして信じて、彼女は生きているのだと、僕は知った。
「私は、自分が男であればどれほどよかったかと、はじめ、そう思ったんですよ」
「……」
「ですけど、命をお腹に宿せるのは女だから、そう思ったら、私が女に生まれてきたそのわけも理解できますよね……私は、あの方に王子を産んで差し上げるために、生まれてきたのです」
「……その、それだけというわけでは……」
「もちろん、私は私の地位を確立するために、今お教えしているような阿羅国の工芸の数々を生み出してまいりましたよ……ですけど、心の支えにはなれないのです、私はあの方の愛しい人にはなれませんから」
「愛しい人……」
「ええ、それに、寿命が短すぎます。阿羅彦様の永遠のような命を支えるには、私たち普通の者の命は短すぎるんですよ」
「でも、それは……僕だってそうかもしれません。寿命だなんてわからないじゃないですか」
「あなたの魂は、阿羅彦様のそばにあって、徐々に完全になりつつある、そう見えると、アレクシスが言ってました」
「魂?」
「ええ、魂の形で寿命がある程度わかるのですよ。はじめ出会ったとき無くなりそうだった魂が、再生してきていると、そう、言っていました」
「アレクシスには、見えるのですか?」
「ええ、彼は、エルフですからね」
僕はそっと手のひらを胸にやった。
とくとくと心臓が脈打つのがわかる。
魂と心臓は同じではないだろうけど……力強く感じた。
もう一度外を眺める。
爽やかな風、そして美しい緑。
僕にできることがあるならば、やってみよう。
そう思った。
「葵衣様、本当にお上手です」
僕の手元をのぞいて、ユーチェン様は嬉しそうに微笑んだ。
僕は今、彼女の仕事である阿羅国産の布地のデザイン、そして、様々なものの特徴などを教えてもらっている。
植物の図案が多く、自然豊かなこの世界によく似合っていると思った。
それに、ロウで線が引かれている布地に彩色していく作業はとても興味深い。
左腕は相変わらずしびれているけれど、少しずつ握ったりすることができるようになってきた、筆をとる右手が無事でよかったと心から思った。
先生である彼女を見るーー今にも折れそうに細いが、肌の張り艶は悪くない、病気も阿羅彦様が手術されたと聞いた。
回復途上なのだろうが、早く元気になってほしいとそう思った。
「僕は、お勉強ができるほうではないのですが、こういう工作や絵が得意なのですよ」
その言葉に「まあ」と言って面白そうに眉を上げたユーチェン様は、ゆっくりと立ち上がり、戸棚から素晴らしい光沢の布地を取り出した、緻密に描かれているのは葉模様だ。
「これは、思い出の品なのです。この国を建国した阿羅彦様の2番目の恋人、イバン様に捧げたものなのです」
「……イバン様」
「ええ、あの方は、阿羅彦様にとっては特別なお方でした。この地ははじめ、水のない干からびた荒地でした。生命の息吹が感じられない、そんなところだったと聞いています」
「荒地……」
僕は思わず窓の外を見る、美しい木々が若葉をつけ、風にゆれている。
想像がつかずに戸惑った。
「阿羅彦様はまず、土地を耕し、川を引き、木々を植え、この土地に実りをもたらしました。その時に、植物の豊富な知識をお持ちだったイバン様が国中に緑を植えられたのです」
「……川を引く? そんなこと、できるのでしょうか?」
「ええ、私もそれは疑問に思いましたわ、ですけども、あの方のそばにいて、能力を見るに、ああ、この方ならば、枯れた土地に水をもたらすことも出来るに違いない、そう信じられるようになりました」
ユーチェン様は静かに微笑んだ。
「葵衣様も紗国のお嫁様としてこの世界に渡ってこられた方。きっと、阿羅彦様のように特殊な能力をお持ちのはず」
「い、いや、僕はそんな……平凡ですから」
ゆっくりと頭を振って僕の手をきゅっと握った。
細く白い手は暖かで、母を思い出して涙がでそうになった。
「いえ、これから発現していくのではないでしょうか? 阿羅彦様もそうなのです、ご自分でもいつのまにかあれもこれも出来るようになっていったと……」
「で、でも僕は……」
「私はね、紗国の出身なのです、耳を見てください。これは狐族の耳ですよ」
ユーチェン様のふさふさな灰色の獣耳を見つめた。
耳はくるくるっと動いた、それがとてもかわいかった。
「紗国では、お嫁様にまつわるいろんな伝説があります。それらは本当に、不思議なお話なのですよ」
「そうですか……でも、実感はありませんが……」
「大丈夫ですよ、万が一何も力がなくとも、あなた様の存在が阿羅彦様を勇気づけるでしょう」
悲し気にそう呟くように言うユーチェン様は、今にも消えてなくなりそうに見えて、焦った。
「あ、あの。ユーチェン様、どうしてそんなことを? 阿羅彦様の横にはすでにあなたがいるではありませんか?」
「……私が王妃なのは、形だけです、今あの方の最も近いところにいて支えているのは、玲陽様、そして、アレクシス様、それから、サリヴィス様に梢紗さま。まあクレイダ様は別格ですけどね、国興しの時からのお仲間ですから」
「ですが、王子様もいらして」
「……百合彦は確かに阿羅彦様のお子ですが、あの方は私のお腹にこう手を当てて、魔力を送っただけなのですよ、通常の夫婦生活ではないのです、一晩を共にしたことすらありませんよ」
「ええ?! 魔力を?手で送る?」
僕は本気でわからなくて、じっとユーチェン様のお腹を見た。
くすくすと笑ってユーチェン様はそのお腹に自分の細い手を当てた。
「あの方の魔力は暖かく感じました、すぐにわかりましたよ、命が宿ったなと」
「そうなんですか?」
「ええ、つまり……阿羅彦様は男性しか愛しません」
僕は思わず目を見開いて、そして固まってしまった。
「あなた方はお互い、強く惹かれあっておられる、違いますか?」
「えっと……いえ、それは……えっと」
焦っ僕は、手に持っていた筆で袖口を汚してしまった、ああ!っと小さく叫ぶと、ユーチェン様は笑いながら拭いてくれた。
「あなた様はまだまだお若い……けれども、阿羅彦様はもう、2000年近く生きておられます。親しい方との別れをたくさん重ねて、心がそのたびに傷ついて……」
僕たちはしばらくの間、静かに見つめあった。
不思議な時間だった。
言葉はなくとも、通じて来るものがあった。
彼女は確かに、肉体的に触れることも無く、そして女性としては愛されていないかもしれない、だけど、燃えるように熱くてそして深い愛を感じた。
阿羅彦様の幸せだけを祈り、そして信じて、彼女は生きているのだと、僕は知った。
「私は、自分が男であればどれほどよかったかと、はじめ、そう思ったんですよ」
「……」
「ですけど、命をお腹に宿せるのは女だから、そう思ったら、私が女に生まれてきたそのわけも理解できますよね……私は、あの方に王子を産んで差し上げるために、生まれてきたのです」
「……その、それだけというわけでは……」
「もちろん、私は私の地位を確立するために、今お教えしているような阿羅国の工芸の数々を生み出してまいりましたよ……ですけど、心の支えにはなれないのです、私はあの方の愛しい人にはなれませんから」
「愛しい人……」
「ええ、それに、寿命が短すぎます。阿羅彦様の永遠のような命を支えるには、私たち普通の者の命は短すぎるんですよ」
「でも、それは……僕だってそうかもしれません。寿命だなんてわからないじゃないですか」
「あなたの魂は、阿羅彦様のそばにあって、徐々に完全になりつつある、そう見えると、アレクシスが言ってました」
「魂?」
「ええ、魂の形で寿命がある程度わかるのですよ。はじめ出会ったとき無くなりそうだった魂が、再生してきていると、そう、言っていました」
「アレクシスには、見えるのですか?」
「ええ、彼は、エルフですからね」
僕はそっと手のひらを胸にやった。
とくとくと心臓が脈打つのがわかる。
魂と心臓は同じではないだろうけど……力強く感じた。
もう一度外を眺める。
爽やかな風、そして美しい緑。
僕にできることがあるならば、やってみよう。
そう思った。
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