俺が出会ったのは、淫魔だった

真白 桐羽

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第八章  紗国の悪夢

クレイダ

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 紗国では、長い冬が過ぎようとしていた。
それよりも北にある阿羅国ではまだまだ雪深いが、この国の一番高い山を越えると、その先はすでに雪解けを迎えていた。

「こんなよい季節ですのに、楽しむ気分にもなれませんね」

玲陽の声は、雪解けの水音に消されるほど小さかった。

「この先、おそらく検問があります。私はまだ、顔が利くでしょう」

梢紗は手慣れた様子で馬上にあり、馬車に乗る俺に窓から声をかけてくる。

「しかし、梢紗が阿羅国に来たことを、そなたの兄が見逃すはずはない。ここにも知らせが来ていると見る方が自然だ」
「そうでしょうね、ですが、兄と私ならば、私を選ぶ。そういう勢力もありましょう」
「というと?」
「私は次兄に嫌われていました。いつも辺境に遣わされていたのです。つまり、このあたりには私は懇意にしている者が多いということですよ」

俺はその言葉にうなずく。

「ならば、先に行くか?」
「はい、工作して参ります。何人かお貸し願えますか?」
「ならば、イラフェ族を」

サリヴィスが精鋭だらけの草原の民の中でも、さらに選び抜いた者5名を梢紗に付けた。

「では……」

梢紗は馬を蹴る、瞬く間に6人は遠く小さくなった。

「彼がこちら側についてくれたこと、我らは感謝せねばなりませんね」
「そうだな」
「もしも、梢紗様が紗国にいたままであれば、我々は検問があるたびに、一騒動おこすしかないわけですしね」

玲陽もうなずく。

「しかし、梢紗にばかりは頼っていられない。深夜に飛翔するのはどうだろう」
「飛翔ですか」

玲陽は馬に揺られながら、考え込んだ。

「闇夜に乗して、都に入る……うまくいけば一番の近道ではあります」
「しかし、あちらもそれぐらいの予想はついているはず、罠があるかもしれません」
「罠があるのならそれを打破すればよい」

玲陽の横のサリヴィスはこくりと首を縦に振る。
「私はそれがよいと思う、こちらには阿羅彦様がおられるのだ、どんな罠があろうとも、負ける気はしない、それに、一刻も早くエクトル様を救出せねば」

皆は一斉に、クレイダを見る。
これまで、クレイダは難しい顔をして、一言も発していない。

「……アタシはね。それはおそらくエクトルもだが」
「なんだ」
「うちらが魔物だからとつるし上げられることよりも、阿羅国が戦闘国家と揶揄される方が嫌だよ」
「クレイダ様」

玲陽は心配げにクレイダの馬に近寄る。

「アタシや弟のことはもう、捨て置いてくれても良い。最初は頭に血が上り、何が何でも弟を助けたい。そう思ったけどね……道すがらよく考えたんだ」

クレイダは俺をじっと見つめた。

「クサリクなんだよ、アタシも弟も。人間なんかどんなに魔力が強い者が束になってかかってきても、痛くはない、負けるはずはないんだ……だが、おとなしく捕縛されたって言うじゃないか、あいつ」
「ああ、そうだな」
「つまり、阿羅国のためを思い、力を出さず、従ったんだ」
「うむ」
「なら、あいつの思いを無駄にせず。阿羅国のために」
「おまえは、阿羅国のためにエクトルを犠牲にしろと、そう言うのか?」

俺は馬車を止めさせ、外に出た。
クレイダの目の前に来て、腕を引き、馬から下ろす。
馬上になくとも俺よりも頭一つ半大きい、胸板は厚く、腕も太い。
そうだ、彼らは魔物、人など彼らの本気にかなうわけがない。
だが……

「俺は、クレイダ、エクトルだけじゃない。ほかの民も、阿羅国に属する者すべてを、愛しているよ。守りたいんだよ」
「だけど、守ることで、破滅してしまうかもしれない。せっかくうまくいきかけているじゃないか、阿羅国は、様々な国で受け入れられてきて……」
「そうじゃない。他の国に受け入れられなくとも。俺はおまえ達を守ることを優先させたい、それが阿羅国だ。国のために犠牲になるなど、そんな精神はごめんだ」
「アラト! おまえ……エクトルの気持ちをわかってやれないのか?」
「わかってる、わかっているからこそ、助けたい。俺は、阿羅国をそういう国にしたいんだ。国のために犠牲になどさせない」

玲陽もサリヴィスも、そのほかの者らも皆、右膝を地に着け頭を下げた。

「クレイダ、おまえの言うことはある意味では正しいだろう。だが、もう引き返したりはしないよ。私はエクトルを必ず助ける。そして、誰一人として欠けさせることなく、おまえ達と共に阿羅国に戻る、わかったな」

「御意……」

皆は口をそろえ、俺の言葉に賛同した。
クレイダは唇を噛み、涙を流した。
イバンが死んだ時以来、はじめて見る涙だった。

「アラト、アタシは」
「つらいのならば、ここに残れ。最北の町ならば、おまえをかくまってくれる」

クレイダは悲しい目で俺をじっと見つめた。

「……いや、一緒にゆく。アラト、あたし達は最初から一緒だったじゃないか、ずっと」
「ああ、そうだな」
「ならば、アタシも連れて行け」
「ああ」
「アタシの命がつきるまで、一緒だ、アラト」

クレイダは声をたてずに、微笑んだ。


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