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第六章 紗国
紗国王2
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遠くのほうから水の音が聞こえる。
小さなせせらぎの音だ。
この宿には、美しく整えられた日本式の庭園があるのだ。
きっとそこから聞こえてくるのだろう。
そんな、どうでも良いことを思わず考えてしまうほど、俺は動揺していた。
この地に来て何年になるのだろうか。
イバンは300歳を超えていた。
その前に共に暮らしたジルとの日々は正確には何年だったのか。
今更、同じ世界から来たかもしれない者との繋がりができようとしている。
何かわかるのかもしれない。
俺は動揺しているのだ、紗国王に返答ができないほどに。
「阿羅彦殿」
張りのある美しい声で呼ばれ、ハッとなって目の前を見た。
「汗をかいておられる。今の話がそれほどまでに恐怖に感じたのでしょうか?」
ほとんど表情を動かさず、しかし慈愛に満ちた声で語りかける紗国王は、穏やかな表情のままだ。
「いえ……そうではありませんが」
そういってこわばり握りしめていた拳を開いて、目の前に置かれていた茶を飲んだ。
「阿羅彦殿、よろしければ城においで願えませんか?……こちらの宿に紅葉を呼ぶこともできなくはないのですがね、まだ到着して間もないゆえに、こちらの世界にまだ慣れていないのです。それに、いくら治安が良いとされる紗国でもどのような悪意にさらされるかわからないのです、今はまだ彼を城より外には出せないと、そう思っているのです」
「くれは……と言うのですね、お嫁様は」
「はい、そうです。美しい名だとは思いませんか?」
妻の名を口にしただけで溶けるように甘い感情を漏らした紗国王は、光が強くなったと錯覚するような輝く笑顔を見せた。
「ええ、美しい名ですね」
もしも、俺の勘が当たっていれば、その「くれは」なるお嫁様は、おそらく日本人だろう。
なぜか強くそう、感じた。
胸に押し寄せる強い不安の正体は、色々な感情が折り重なっていて掴めない。
だが、おそらくその一つは、なつかしさ。
故郷の空気を纏う者に会えるかもしれないという淡い期待。
そして、今更知り合いでもないあちらの世界の人にあったところで、何が変わるのだという、疑問。
俺が必死に生きてきたこの年月が覆されるような、そんな不安。
「……そうですね、大したものも持ち合わせおりませんが、交易に使う色々な阿羅国の品もお持ちしましょう」
「ああ、良かった」
ようやく心からほっとしたように微笑んだ紗国王も、同じように茶を飲んだ。
「玖羅紗殿は、茶はお好きでしょうか?」
「ええ、もちろんですとも。まあ、酒も好きですが」
そういって片目を瞑り、悪戯っぽい姿を見せた。
「亡き父王がね無類の酒好きで、各国から集めた酒を貯蔵している蔵があるのですよ、大切にしすぎて飲み忘れていたのか、きれいに残っておりましてね、我はその酒を片づけるという役目も父から受け継いだと、そう勝手に解釈しているのです」
そういって懐かし気に、しかし晴れやかな顔で話す紗国王は少し幼い笑顔を見せた。
「阿羅彦殿は、いくつになられる?」
そう尋ねられた俺は、少し目を伏せ、そして視線をあげて答えた。
「同じくらいではないでしょうか?玖羅紗殿と」
どう応えるのが正しかったのか、俺にはわからない。
だが、おそらく1000年近く生きているだろう自分でも、感覚的にはまだ20代なのだ。
「ふむ……我は今、29になるが」
「ええ、同じですね」
俺は紗国王に微笑みを返した。
年齢など、あってないものだ、俺にとって。
1000年後もまた、問われて俺はこの年を言うのかもしれない。
どうやって年を取ればいいのか、もう、わからないのだ。
「思い切って訪ねてきてよかった。紅葉がどうしてもあなたと会いたいというのでね。願いを叶えることができました」
美しい紗国王は晴れやかに微笑んだ。
小さなせせらぎの音だ。
この宿には、美しく整えられた日本式の庭園があるのだ。
きっとそこから聞こえてくるのだろう。
そんな、どうでも良いことを思わず考えてしまうほど、俺は動揺していた。
この地に来て何年になるのだろうか。
イバンは300歳を超えていた。
その前に共に暮らしたジルとの日々は正確には何年だったのか。
今更、同じ世界から来たかもしれない者との繋がりができようとしている。
何かわかるのかもしれない。
俺は動揺しているのだ、紗国王に返答ができないほどに。
「阿羅彦殿」
張りのある美しい声で呼ばれ、ハッとなって目の前を見た。
「汗をかいておられる。今の話がそれほどまでに恐怖に感じたのでしょうか?」
ほとんど表情を動かさず、しかし慈愛に満ちた声で語りかける紗国王は、穏やかな表情のままだ。
「いえ……そうではありませんが」
そういってこわばり握りしめていた拳を開いて、目の前に置かれていた茶を飲んだ。
「阿羅彦殿、よろしければ城においで願えませんか?……こちらの宿に紅葉を呼ぶこともできなくはないのですがね、まだ到着して間もないゆえに、こちらの世界にまだ慣れていないのです。それに、いくら治安が良いとされる紗国でもどのような悪意にさらされるかわからないのです、今はまだ彼を城より外には出せないと、そう思っているのです」
「くれは……と言うのですね、お嫁様は」
「はい、そうです。美しい名だとは思いませんか?」
妻の名を口にしただけで溶けるように甘い感情を漏らした紗国王は、光が強くなったと錯覚するような輝く笑顔を見せた。
「ええ、美しい名ですね」
もしも、俺の勘が当たっていれば、その「くれは」なるお嫁様は、おそらく日本人だろう。
なぜか強くそう、感じた。
胸に押し寄せる強い不安の正体は、色々な感情が折り重なっていて掴めない。
だが、おそらくその一つは、なつかしさ。
故郷の空気を纏う者に会えるかもしれないという淡い期待。
そして、今更知り合いでもないあちらの世界の人にあったところで、何が変わるのだという、疑問。
俺が必死に生きてきたこの年月が覆されるような、そんな不安。
「……そうですね、大したものも持ち合わせおりませんが、交易に使う色々な阿羅国の品もお持ちしましょう」
「ああ、良かった」
ようやく心からほっとしたように微笑んだ紗国王も、同じように茶を飲んだ。
「玖羅紗殿は、茶はお好きでしょうか?」
「ええ、もちろんですとも。まあ、酒も好きですが」
そういって片目を瞑り、悪戯っぽい姿を見せた。
「亡き父王がね無類の酒好きで、各国から集めた酒を貯蔵している蔵があるのですよ、大切にしすぎて飲み忘れていたのか、きれいに残っておりましてね、我はその酒を片づけるという役目も父から受け継いだと、そう勝手に解釈しているのです」
そういって懐かし気に、しかし晴れやかな顔で話す紗国王は少し幼い笑顔を見せた。
「阿羅彦殿は、いくつになられる?」
そう尋ねられた俺は、少し目を伏せ、そして視線をあげて答えた。
「同じくらいではないでしょうか?玖羅紗殿と」
どう応えるのが正しかったのか、俺にはわからない。
だが、おそらく1000年近く生きているだろう自分でも、感覚的にはまだ20代なのだ。
「ふむ……我は今、29になるが」
「ええ、同じですね」
俺は紗国王に微笑みを返した。
年齢など、あってないものだ、俺にとって。
1000年後もまた、問われて俺はこの年を言うのかもしれない。
どうやって年を取ればいいのか、もう、わからないのだ。
「思い切って訪ねてきてよかった。紅葉がどうしてもあなたと会いたいというのでね。願いを叶えることができました」
美しい紗国王は晴れやかに微笑んだ。
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