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第五章 アオアイへ
思い ー玲陽の兄視点ー
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私はソファに寝かされた半分血のつながった弟を見下ろした。
子供のころからこの男を見ると腹が立って仕方がない。
何の理由もなく、どうしようもなく憎い。
いつもおどおどとした目を私に向けて、何か話したそうにじっと見つめてきた。
汚らわしい。
その一言に尽きる。
こいつがまだ赤ん坊のころ、まだ幼子だった私は母に手を引かれ生まれたばかりの弟を見に行った。
母は表情を無くしたまま、まっすぐに廊下の奥を睨みつけ、こう言った。
「お前、あの女の息子に負けるようなことは許しませんからね」
私に視線をくれたわけではない。
だが、恐ろしかった。
大きくなって理解したのは、女たちの覇権争い。
愚かな……そうも思った。
しかし、それは仕方なかったのかもしれない。
それぞれ、どれほど美しい顔をもっていたとしても、年月には勝てない。
しょせん皆、老いる。
だが、子はどうか?
それこそが、戦力だった……それは、正しかったと、私は母の気持を理解している。
当時の私は実のところ、弟が生まれたと聞いてとても喜んだのだ。
嬉しさで笑顔さえ浮かべたのだ。
一番年下の私に弟が!きっと可愛いに違いない。
大切にしてあげなければと。
しかし、あの廊下に低く響いた母の声で、私の心は打ち砕かれた。
幼いゆえに全てを理解したとまではいかずとも、弟を可愛がっていては母の期待を裏切るのだと。
「きれいな顔だね、お前は」
私は小さな声でつぶやいて、弟の前髪をすくい、額を出した。
弟のきめの細かな肌はつややかで、まるで赤子のごとく手に吸いつくかのようだ。
当然、そこには角もなかった。
「あるわけ……ないか」
一度だけ弟の母の座敷牢を覗いたことがある。
広くはない格子に囲まれた部屋にその小さな後ろ姿はあった。
高い場所にある小さな明り取りの窓をじっと見上げる正座をした細い女性。
美しい艶のある長い髪を一つに結わえ、細い首をあらわにしていた。
「あの」
私が声を掛けると、弟の母は振り向いて、一瞬驚いてそして微笑んだ。
「こんな場所へおいでになってはいけませんよ。叱られてしまいますわ」
鈴を打ち鳴らしたかのような清らかな声だった。
まるで少女のような……
だがその声色は寂し気に響いて、それなのに慈悲深い微笑みは悲しくて、私は知らずに涙を流していた。
「お優しいのですね、私に同情してくださったのかしら」
「……」
幼い私は何も言えず、ただうつむくだけだった。
そして、その日の三時にもらった菓子を懐紙に包んだまま手渡した。
格子の中から細い白い手を出して、にこりと微笑んだあの人は、逆光の中で光り輝いていて、なんと美しかったことか。
前髪をかきわけるように生えていた角までも、彼女の美しさを引き立てるかのようだった。
私はハッと息をのみ、そして、その瞬間、母はこの人には叶わないと、そう理解した。
「ありがとう存じます。しかし、もう二度とここへは……あなたさまのお母さまが、お許しにはならないでしょうから」
私は小さくうなずき、そして、もう片方の手に握っていた庭に咲いていた花を、格子の内側にそっと置いた。
「ぼく……」
そうつぶやいた私をじっと見て、軽くうなずいてくれたあの人は、その花を大事そうに手のひらに乗せた。
「ここにいては花の一つも見れませんから、これは本当に、心が休まりますわ」
「はい……」
「でも、本当に……もうお行きになってくださいませ。ね」
その声をいつまでも、聞いていたかった。
それほどまでに、美しい声……いや……美しい人だった。
あれは……恋だったのだろうか?
月に照らされた弟の顔にあの人の面影を見て、私は目を閉じた。
子供のころからこの男を見ると腹が立って仕方がない。
何の理由もなく、どうしようもなく憎い。
いつもおどおどとした目を私に向けて、何か話したそうにじっと見つめてきた。
汚らわしい。
その一言に尽きる。
こいつがまだ赤ん坊のころ、まだ幼子だった私は母に手を引かれ生まれたばかりの弟を見に行った。
母は表情を無くしたまま、まっすぐに廊下の奥を睨みつけ、こう言った。
「お前、あの女の息子に負けるようなことは許しませんからね」
私に視線をくれたわけではない。
だが、恐ろしかった。
大きくなって理解したのは、女たちの覇権争い。
愚かな……そうも思った。
しかし、それは仕方なかったのかもしれない。
それぞれ、どれほど美しい顔をもっていたとしても、年月には勝てない。
しょせん皆、老いる。
だが、子はどうか?
それこそが、戦力だった……それは、正しかったと、私は母の気持を理解している。
当時の私は実のところ、弟が生まれたと聞いてとても喜んだのだ。
嬉しさで笑顔さえ浮かべたのだ。
一番年下の私に弟が!きっと可愛いに違いない。
大切にしてあげなければと。
しかし、あの廊下に低く響いた母の声で、私の心は打ち砕かれた。
幼いゆえに全てを理解したとまではいかずとも、弟を可愛がっていては母の期待を裏切るのだと。
「きれいな顔だね、お前は」
私は小さな声でつぶやいて、弟の前髪をすくい、額を出した。
弟のきめの細かな肌はつややかで、まるで赤子のごとく手に吸いつくかのようだ。
当然、そこには角もなかった。
「あるわけ……ないか」
一度だけ弟の母の座敷牢を覗いたことがある。
広くはない格子に囲まれた部屋にその小さな後ろ姿はあった。
高い場所にある小さな明り取りの窓をじっと見上げる正座をした細い女性。
美しい艶のある長い髪を一つに結わえ、細い首をあらわにしていた。
「あの」
私が声を掛けると、弟の母は振り向いて、一瞬驚いてそして微笑んだ。
「こんな場所へおいでになってはいけませんよ。叱られてしまいますわ」
鈴を打ち鳴らしたかのような清らかな声だった。
まるで少女のような……
だがその声色は寂し気に響いて、それなのに慈悲深い微笑みは悲しくて、私は知らずに涙を流していた。
「お優しいのですね、私に同情してくださったのかしら」
「……」
幼い私は何も言えず、ただうつむくだけだった。
そして、その日の三時にもらった菓子を懐紙に包んだまま手渡した。
格子の中から細い白い手を出して、にこりと微笑んだあの人は、逆光の中で光り輝いていて、なんと美しかったことか。
前髪をかきわけるように生えていた角までも、彼女の美しさを引き立てるかのようだった。
私はハッと息をのみ、そして、その瞬間、母はこの人には叶わないと、そう理解した。
「ありがとう存じます。しかし、もう二度とここへは……あなたさまのお母さまが、お許しにはならないでしょうから」
私は小さくうなずき、そして、もう片方の手に握っていた庭に咲いていた花を、格子の内側にそっと置いた。
「ぼく……」
そうつぶやいた私をじっと見て、軽くうなずいてくれたあの人は、その花を大事そうに手のひらに乗せた。
「ここにいては花の一つも見れませんから、これは本当に、心が休まりますわ」
「はい……」
「でも、本当に……もうお行きになってくださいませ。ね」
その声をいつまでも、聞いていたかった。
それほどまでに、美しい声……いや……美しい人だった。
あれは……恋だったのだろうか?
月に照らされた弟の顔にあの人の面影を見て、私は目を閉じた。
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