俺が出会ったのは、淫魔だった

真白 桐羽

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第四章  阿羅国

淫魔の気配

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 普通の速度であれば、5、6日かかるであろう道のりを、俺たちは3日で飛んだ。
降り立った森の一角は、紗国の一歩手前だ。
国境に警備兵が立つわけでもなく、出入りに苦労はしない。

俺たちは影になる場所に天幕を張って、疲れた体を休めたり、乱れた服装を改めたりして、それぞれに身支度をした。

「これより先は紗国ですから、狐族の国となります。とはいえ、我々のように狐の耳と尾を持たぬ者も多少はおりますので、それほど目立ちはしないと思うのですが、クレイダ様達が国に入るのは初めてですので、多少……何といいますか……」

自らも蛇族で耳と尾は持たない玲陽だが、言いにくそうに小声でクレイダ一族の心配を伝えてきた。

俺は頷いてクレイダとクレイダの弟エクトルを呼んだ。

「ここから先はそなたらにとっては、魔物ということを隠さねばならない道のりになる。角まで切ってくれたんだ、俺は感謝しかないし、何かあっても必ず守ってやるから安心してくれ、だが……そなたらも最大限の努力をしてほしいのだ、あまり目立たぬよう、そして、魔物だということを気取られぬように」
「ああ、わかってるよアラト」

クレイダはカカカと笑って、弟とガチっと手を取り合った。

「任せてください、阿羅彦様。俺ら、ちゃんとおとなしくします」

エクトルも力強くそう答えてくれた。

「では、そろそろ参りましょう、都はわざと避けて、田舎道を行きます。港町までは馬車で5日ほど、馬なら3日、飛翔なら我々は一晩あれば到着する距離なのですが、目立ちすぎる上に、紗国は許可のない飛翔を禁止しておりますので無理なのです」
「ああ、わかっているよ、その辺りの説明は頭に入っている、それに、飛翔を警戒するのも理解できるからな」

玲陽はほっとした顔で頷き、そして出発するために皆に命令をしていく。

彼は優秀だ。
クレイダと共に俺の右腕として今やなくてはならない存在になった。





 俺は目を瞑り、自分の中にあるジルの気配を消すことに集中する。
クレイダと初めて出会った頃は、自分が淫魔のように催淫の匂いを振り撒いていることに気づいてすらいなかった。

しかし今は自分の中にジルがいつもいて、淫魔の気配をばら撒いていたことを自覚できる。
そしてそれを制御もできるようになった。

思えばクレイダやイバンに初めて会った頃、俺はまだそのことに気づいていなかった。
イバンは俺の催淫の匂いに酔いながら俺に愛を乞い、そして一晩中抱かれることを願った。

はじめはそれを俺を愛しているからだと思っていた。
だがそれは、俺の発する匂いに酔っているにすぎないと知って、落胆したのだ。

イバンは本当は、俺を愛してはいなかったのか?

勝手にそう思って俺は数日イバンを避けた。
そんな子供じみた行動と取るなど、今思えば恥ずかしいが、俺は自分のこの能力が心底嫌になっていた。

やがて彼は俺を探し当てて、抱きついてきた。
イバンは俺の胸を細く白い手でポカポカ叩いて怒ったのだ。

『嫌いになったの? 私が嫌い? なぜ何も言わずににどこかに行こうとしたの?』

その言葉に嘘がないのは明らかだった。

『嫌いとか好きとかじゃなくて。俺はお前を催淫の匂いで操っていたから……つまり、お前の本意じゃないだろうし、それはお前も嫌だろうから、それで、離れただけだよ』

イバンの眦に涙がうかんだ。

『勝手に! そんな勝手に私の心を推し測らないでほしい! 私はたしかにアラトの匂いにやられる時もあるけど、でも!アラトを好きな気持ちは本当なんだから! この気持ちは本物なんだから!』

森の奥深い水源の近く、そこに響いたイバンの叫び声に、驚いた小動物たちがカサカサと音を立てて逃げるのが聞こえた。

俺はイバンの体を引き寄せ、抱きしめた。

『すまなかった、イバン』

泣き止まないイバンを抱きしめて俺は幸せに酔った。

たとえ、初めは俺の能力に惑わされていたとしても、この言葉に嘘はない。
それが理解できたのだ。



 あれから俺はクレイダやイバンに教えを乞い、必死に魔力の操り方を習った。

今では集中しなくとも、周りを惑わすあの匂いは出ない。

しかし、ここから先は俺のことを知らぬ者たちばかりだ。
獣人たちは魔力や体臭などで、その者が何族であるのかわかるのだという。

俺の半分が淫魔でできていることを気取られぬようにしなければ。

俺が阿羅国の王なのだ。

淫魔の国だと、そう侮られてはいけない。
魔者の寄せ集めだと、そう言われるようではいけない。

俺は心の中の波を、平に凪いでいくように、そっと鎮めていった。

心の半分を占めるジルの気配を、他のものには決して見せまいと。

静かに吹いてくる風が額に垂れる髪をさらった。

目を開けると、他のものは皆整列し、そして膝を折り俺を見つめていた。

「さあ、行こうか」

俺の声だけが、その場に響いた。







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