俺が出会ったのは、淫魔だった

真白 桐羽

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第一章  忘れえぬ人

遠くに感じたもの2

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シモンヌはうっすらときれいな笑みを浮かべて、俺を見つめた。

「あなたは……お兄様が死んだら、どうするつもりですか?帰る場所がないと聞いていますけど」
「え?」
「私達淫魔の寿命はもうすぐ尽きます。私とお兄様のように、強い者はこうやって1000年以上生きてはいるけれど……だけどいずれは尽きるのです。だけど私達はついに子孫を残せすことが叶わなかった……我らに子孫があればあるいは……その者らにあなたの世話を言いつけることもできたでしょうが……」
「ちょっとまて、何の話だ?」

俺は慌ててシモンヌに一歩近寄った。
シモンヌはキリッとした顔で俺をなおも見つめた。

「私達淫魔は、自分たちで子は成せません。他種族から精をもらうか、あるいは注いで産んでもらうしか。だけど私たちの代はそれをしなかった。あなたに執着してしまったお兄様がそうするのならと……私達も子を産まずにひっそりと暮らしていたのです」
「……」
「お兄様は一族の長です」
「しらなかった……」
「そうでしょうね……」

シモンヌは地面に置かれた森のしずくの瓶を手に取って溜息をついた。

「我ら淫魔は自分達の子孫を残すことに協力してくれた他の種族のことを大切に扱います。心を壊さないように、別れ際も」
「別れ際……」
「はい……私達は全力で相手を甘やかし愛を与えます、彼らの理想とする暮らしを夢を覗いて知って、そしてそれを再現します。あなたもさぞかし、今の暮らしを気に入っていることでしょう」
「それは……」

俺はジルとの暮らしを心に思い描き、たじろいだ。
何一つ不自由のない森の中での暮らし。
たしかにそれは、快適すぎるものかもしれない。

「その記憶は甘く大切なもので、失くしたくないものでは?」
「……」

俺は、ジルに似た面差しの美しい顔を見つめ続けた。
どうしてかこの先を聞きたくなかった。

「だから、そのままでは別れないのですよ」
「……」
「記憶を奪うのです。それから、嫌な記憶を埋め込みます」
「そんな……待ってくれ……」
「自分はここで嫌な目にあった、散々な目にあったと思い込ませ、無事に、元いた場所に後ろ髪惹かれること無く戻れるよう……私達淫魔との別れで心が引き裂かれたりしないよう……そうやって別れるのです、だけどあなたには帰る場所がない……そうですね?」

俺は目の前が真っ白になるのを感じた。

「俺は忘れたくなんてない……たとえ買える場所があったって、忘れたくなんてない。ジルとの思い出は俺だけの大切なものだ」

シモンヌは困ったように微笑んで首をかしげた。

「だからこそ……大切だからこそ、危ないのです」
「どうすればそれを、免れる?たとえ、ジルが……いや俺が先に死のうとも、俺はあいつを忘れたくなんてない」
「……そうですか……兄は……あなたに催淫を使ってないと聞いています。本当ですか?」
「ああ、本当だ」

シモンヌは花のような笑顔になって涙を一筋流した。

「うらやましい……こんなふうに……本当の愛を手に入れたのですね、お兄様は」
「……うらやましい?」
「では……あなたが記憶を奪われないように、私があなたの心に鍵をかけてあげましょう」
「鍵?」

俺は必死にシモンヌを見つめた。

「どうやって?」

シモンヌは細く美しい人差し指を差し出してゆっくりと俺に近寄った。
顔から汗が流れ出ている。

「一瞬だけ、触ります」

俺の胸にシモンヌの冷たい指先が少し触れた。
その瞬間、チクリと何か棘が刺さったような痛みがあった。
俺は呆然とシモンヌを見つめた。

「これだけか?」

額から流れる汗を拭い、シモンヌは静かにうなずいた。

「いえ、これはほんのちょっとした仕掛けです。ですが……あなたの記憶をお兄様が奪おうとしたその瞬間に、きっと発動するでしょう。そしてあなたの大事な記憶はきっと守られる。だけど、覚悟してください。愛する人との別れに耐えなければならないのですから」
「……それは……違うよ、シモンヌ」
「え?」

シモンヌは怪訝な顔を俺に向けた。

「俺とジルはもう一心同体なんだ。どちらかが死んだとして肉体は滅んだとしても、その人の心の中できっと生き続ける。愛ってそういうものなんじゃないのかと、俺は思うんだ」

シモンヌは瞠目し、小さく震えた。

「……そう……ですか……」
「君のことも俺の記憶で生き続けるよ、大事なものを守ってくれたんだからね。シモンヌ」

シモンヌは眩しそうに目を細めて小さく頷いた。

「ありがとう……アラト……そして、お兄様を愛してくれて……本当にありがとう」




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