俺が出会ったのは、淫魔だった

真白 桐羽

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第一章  忘れえぬ人

僕の最愛 -ジル視点

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「ジルさま……」
「なんだ、ここには近づくなと言っただろう」

僕は焦った。
アラトが彼の姿を見てしまったら、僕の嘘がばれてしまう。
それでは彼を守れない。

「ジルさま……どうか……お怒りにならないでください」
「……で、何なのだ……」
「……リュシーさまがお亡くなりになりました」
「え?」

僕は水差しを持つ手から力が抜けた。
カランと乾いた音を立てて水差しは落ちていった。

「もう……この百年と少しの間に、残りの淫魔の一族は……ジルさまとフロランさま、そしてシモンヌさま……そして私のみとなりました。……他のものは……人を奪いに他所に行くも、逆に囚われ命を取られるものも多く……この世は、もう淫魔が生き残れる時代ではないのやもしれません」
「というのは?」
「人はもう、昔のようにただ純粋な生き物ではございません、文明を持ち、そして発展しております。魔力も年々強くなり、我らの催淫が効かないことも多いのです。……しかし、他の森にあるいは生き残る淫魔がいるかもしれません、今なら間に合います。どうか……一族が絶えることのないよう、他の淫魔を探し、そして……今ここにいる貴重な男のニンゲンの精をシモンヌさまにお与えください」
「何を!」
「そうせねば、子は生まれませんよ」
「……だめだ」

僕は静かにそう叱咤すると、落ちた水差しを拾うと、まっすぐに沢に向かって歩き出した。

「ジ、ジルさまっ」

エメは慌てたその拍子に地に転げ、そして土だらけになった。
僕は地に這ったエメを見やった。

「ジルさまとて……もう……それほどの寿命は残っておられないでしょう?」
「……おまえの知ったことか」
「関係はありますよ!このまま一族が滅びるのをじっと見てなんかいられません!」
「じゃあ……おまえが長になるか?」
「は?」

エメの顔が引きつった。

一族の末端でしかないエメが僕を負かすことはありえない。
力の差は歴然としている。
たとえ寿命が尽き果てるのが近くとも、僕は一族の長たる力を持っている。
それを痛いほど知るのがエメだ。

「そ……そんな大それたこと……」
「ならば、従え」
「しかし……ではどうするのです?」
「一族の血を絶やしたくないというのならば、今まで通り、適当に見繕った他族のメスに子を産ませるしかないだろう、我ら淫魔は子を自分らでは作れないのだから。……おまえが言うように、失敗するのならば他を当たれ、そうする以外にどうするというんだ」
「……」

絶望の表情を見せるエメは唇を噛み締め、地に伏せたまま拳を握った。

「このまま……我ら一族がなくなっても……いいと?」
「……エメ……おまえも自由になれ、無理に子を産ませ一族を作り血をつなげることにどれほど意味があるというのか、僕は元から疑問を抱いていたんだ……この身は残念ながら淫魔として生まれた……今更他の種に生まれ変わることはできない……だが、能力を封じ込め、催淫せずに暮らすことを覚えた。ただの人であるアラトを催淫せずに一緒に暮らし、そして今……」

エメは呆然として僕を見つめていた。
その瞳に恐怖が張り付いていた。

「……幸せなんだ……どうか、邪魔をしないでほしい」
「しあわせ?」

エメは噛みしめるように繰り返した。

し あ わ せ

そう、今……能力で無理強いしたのではない、穏やかな関係を手に入れて、僕は幸せなんだ。

たとえ誰かを抱かなくても、抱かれなくても……恋い焦がれる人と一緒に暮らせる今……今こそが1000年近く生きたどの時代よりも、僕は幸せなんだ。

「すまないね、エメ……」
「ジ……ジルさま……」

エメは泣いていた。
地面に伏して、声を押し殺して。

自分が信じていたことの根本を覆されて、さぞかし苦しく悔しくもどかしいだろう。

だが……自分の心に正直に……おもうがまま……生きる淫魔がいたっていいじゃないか。
それがこの世界最後の淫魔になろうとも。

フフ……僕は薄く微笑んで、沢から澄んだ水を汲んだ。

愛するひと……アラトのために。
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