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第二章

武流の過去

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 僕のこれまでの人生はあまり楽しいものではなかった。決して苦しいばかりではなかったし、後悔というほど後悔のある人生ではないのだけれど、僕のような人間の事を最近の言葉では「ヤングケアラー」と言うらしい。
 聞いた事がないって? うん、僕も最近知った。というか、最近できた言葉なんじゃないかな?
 ヤングケアラーというのは若くして家族の介護をしている若者をさす言葉なのだそうだ。40に手が届く自分をヤングだなんておこがましいと言われるかもしれないが、正しく言えば僕はようやくこの歳で介護から解放された元ヤングケアラーというのが正解だ。
 最初は同居の祖父が脳梗塞で倒れた所から、当時の僕はまだ中学生だった。祖父は一命を取り留めたものの身体に多少の麻痺が残り自宅で介護が必要になった。身体は不自由になったものの祖父の頭はしっかりしており、施設に入る事には難色を示した。両親は共働きで、家に居るのは年老いた祖母。食事の介護などはなんとかなるが移動や風呂には人の手がいる、僕は祖父母の事が大好きだったしそれまでたくさん面倒も見てもらっていた、だから僕は進んで祖父の世話をかって出た。
 休日にはもちろん両親も手伝ってくれたし、リハビリを続けていた祖父は必要最低限な身の回りの事は自分で出来ていたので、まだこの頃はそこまで大変ではなかったと思う。
 そんな生活を続けて数年、僕が高校を卒業する頃、今度は祖母が痴呆症を発症した。痴呆と言っても発症当時はいわゆるまだら呆けというやつで、物事が分ったり分からなかったり、しゃんとしている時は今まで通りなのだが、記憶が曖昧になってしまうと自分が食事をしたかどうも分からなくなってしまうような感じだ。
 身体のままならない祖父を痴呆の祖母が面倒を見る、さすがにそれには無理があり、この頃から母は仕事を辞めて祖父母の面倒を見るようになった。
 僕は地元の大学に進学して実家から学校に通うようになった。普段から母が介護をしている様子を見ていた僕は当然のように母を手伝った。
 けれど不幸というものは重なるもので、今度は母方の祖父の方に痴呆の気が現れ始める。幸い母方の祖母はまだしっかりしていたのでギリギリまで自宅で何とかしていたのだけれど、いよいよもって自宅では介護ができないとなった時には介護費用が一気に我が家に圧し掛かって来た。
 両親は共に一人っ子、親戚付き合いも活発な方ではなく祖父母の面倒は自分達が見るほかにはなかった。祖父母にもある程度蓄えはあったもののスズメの涙程度で、その頃は僕も就職していたので僕の稼ぎはそんな祖父母の介護費用に消えていった。
 我が家の家計は僕と父の二馬力だったが、まだそれでもその頃は余裕があったように思う。けれどそんな時、少しワーカホリックの気があった父が倒れた。末期のすい臓がん、気付いた時には既に手遅れで入院から亡くなるまで一ヵ月もかからなかった。
 働き手を一人失った我が家の家計は一気に火の車になった。父には生命保険がかけられていたのでその保険金のお陰で即座に困窮する事はなかったのだが、そのお金だっていつまでも残る訳ではない。
 母は父の遺した保険金で父方両親を施設に入れ、自分も働き始めた。
 今度は僕と母の二馬力だったが、長らく社会から離れ、年齢も重ねていた母に正社員で働ける職などあるはずもなく、朝はスーパー、昼は清掃員、夜はコンビニ店員という感じで母は幾つもの職を掛け持ちしていた。当然僕もそれに倣い本当は職場で禁止されている夜のバイトにまで手を出そうとした、けれど……

『タケルは本当に優しくて頑張り屋さんね、だけどそんなに頑張らなくてもいいのよ。タケルはタケルの人生をもっと楽しんで生きればいいんだからね』

 僕は何も言えなかった。僕なんかより母の方がもっともっと頑張っている、なのに僕が母の言葉に甘えていい訳がない。
 僕は副業を禁止されている職場で黙って副業をしてクビになるのは本意ではなかったため、比較的時間に都合をつけやすく副業も許されていた接客職へと転職した。
 僕が三十代になる頃、父方祖父母が相次いで亡くなった。僕たちは今度は母方の祖母と一緒に暮らす事となった。祖父は施設に入っているし、祖母は元気だと思っていたが、一緒に暮らしてみればやはり祖母もずいぶん弱っていて同居からすぐに介護が必要となった。
 その頃には僕にも彼女ができそうなタイミングが何回かあった、けれど祖母の介護を自宅でしている事、貯金があまりない事、すぐには結婚などは考えられない事を伝えると僕に好意を寄せてくれていたらしい女性たちはそれだけで「少し考えさせてほしい」と言って僕から離れていった。
 月日が流れ三十半ば、今度は母方祖父母が連れ添うように亡くなった。不思議なもので、長年連れ添った夫婦というものは連れ合いが亡くなってしまうと途端にがくりと生気を失ってしまう。
 けれどそこでようやく僕の長い介護生活は終わりを告げる、はずだった……両親の両親を全員見送った事で母は急に気が抜けてしまったのだろう、間もなくして過労で倒れた。
 父もそうだったが母も長年ため込んだ疲労の蓄積があったのか一気に老け込み、身体が思うように動かなくなってしまったのだ。
 母は僕の顔を見るといつも「ごめんね、ごめんね」と謝り続けていた。僕はそんな母の姿を見るのがとても辛かった。
 母はずっと頑張ってきた、僕なんかよりもずっと、ずっとだ。なのに母はずっと僕に謝り続けた。
 最期に母が亡くなった、僕の年齢は三十七になっていた。母を亡くした僕はとても悲しかった、けれど、僕は思ってしまったのだ……ああ、これで解放された、と。
 僕は家族の事が好きだった。祖父母も両親も僕にとってはとても大事な人達だった、だけど僕の失った時間は返ってこない。
 痴呆の祖母の徘徊が酷かった頃には祖母を見ていないといけないからと言い続けたら友人達から遊びの誘いもかけられなくなった。
 でも僕は分かってる、それは僕が選んだ選択で彼等には何の非もない事なのだ。
 母が亡くなってしばらくした頃、お節介な上司が僕に見合い話を持ってきた。彼女はとても気立ての優しそうな人だったが、立場が今までの僕とよく似た人だった。

「鈴木さんは今までご家族の介護をずっとされていたそうですね、うちの両親祖父母も最近少し調子が悪くて……これからは少し先を考えないといけないなと思っていた所なので、経験者の意見を是非聞かせて欲しいです」

 彼女に笑顔で言われて僕の頭はフリーズした。今までの経験を踏まえた上でアドバイスをするのは別に構わない、けれど結婚となったら話は別だ。
 僕はようやく家族の介護という名の牢獄から解放されたばかりだった、なのにまたそれを繰り返すのかと思ったら一気に気持ちが凍えた。無理だ、と。
 彼女はとても良い人だった、たぶんこんなうだつの上がらない三十路男にはもったいないくらいの良縁だったと思う、それでも僕は彼女と結婚する気にはなれなかった。
 二十代の頃に僕に好意を寄せてくれた女性たちもきっと今の僕と同じ気持ちだったのだろうなと今なら思う、自分の血を分けた家族ならともかく、他人の親の面倒なんて進んで見たがる人間などいやしない。もし居たとしたらその人はきっと聖人だ。
 自分の家族の面倒を見続けた僕は周りからそんな聖人のように思われていたのかもしれない、でも違う。本当はいつだって逃げ出したかった。でもそれができなかったのは僕がいなくなれば家族が困るだろうと考えられる程度の分別が僕にはあり、家族に情があったからだ。
 結婚すれば妻も妻の両親も家族になるんじゃないかと、言われるかもしれない。けれどあの過酷な日々をぽっと出来たばかりの家族相手に出来ると僕は思わない。
 それは実際に家族の介護をした事のない人間の考え方だ。
 金さえあれば面倒を施設に丸投げする事も出来る、けれど僕の稼ぎは決して良いとは言えない、自分の両親を見ていれば分かる、その金を捻出するのだって簡単な事ではないのだ、ましてや介護をしながらなんて余計に無理だ。
 僕は聖人などではない、ただその辺に転がっている路傍の石だ。路傍の石は路傍の石らしく身の丈に合った生活をすればいい、そう考えて迎えた四十の誕生日に僕の世界は一変したのだ。
 僕は聖人などではない、そんな事は自分自身で分かっている。こんな僕が聖者になんてなれる訳がないし、なりたいとも思わない。

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