84 / 107
番外編:橘大樹の受難
防衛隊
しおりを挟む
俺達はようやく目指していた土地に辿り着いた。けれどやはり郊外は人気が感じられず俺は市の中心部に車を走らせる。
魔物にダイレクトアタックをかまされた車の外装はぼこぼこで、気持ち走りも悪くなった気がする。どこかにメンテナンスが出来るような場所があればいいが……
暗雲は相変わらず頭上に渦巻いていて雨が降り出しそうな気配を漂わせているが、その渦の中心から何かが覗いている気配を感じて神経が逆立つ。俺にはこんな第六感のような物はなかったはずなのだが、魔物を狩って喰らって生活しているうちにその辺の感覚も研ぎ澄まされてきたのだろうか?
「ロウヤ、あれをどう思う?」
「動きはないが俺達を見ているな、いつ襲ってきても不思議じゃない」
ロウヤの頭の上に乗った耳がぴくぴくと揺れる。現在ロウヤの姿は手足が獣に耳尻尾という中途半端な獣人の姿に戻っている、なにせ大きな体躯のロウヤは本来の獣人サイズに戻ってしまうと車に乗れなくなってしまう。言ってしまえば今のロウヤの姿は半獣人の姿に近い。
昴は耳と尻尾だけだったが、ロウヤは手足がもふりとしていて、ちょっと触りたくなる。けれど、今その毛が威嚇する猫のように逆立っていて、身体が何かを察しているのだとそれだけで俺にも分かった。
道々遭遇する人達に危険があるから街の外へ逃げてくれと注意喚起をするのだが、一体何があるのか? と不審顔を見せる人々は俺達の話に耳を傾けない。大災害でこんな事になって、訳の分からない情報に踊らされ無駄な労力を割く事に疲弊している人々は根拠のない情報に難色を示す。ただ逃げろと言っても誰も信じてくれない、誰かこの土地で影響力のある人間に伝える事をしなければ駄目なのだと、俺は考えを切り替えた。
「それにしてもこのご時世にそんななりで旅をしているのか? 都会に住んでる奴等にはまだそんな余力が残っているのか?」
ロウヤの見てくれを頭から何かのコスプレだと思ったのだろう人は言う。人は自分の常識外の事を信じない、ロウヤの姿も然り、上空にいる魔物も然りだ。
この毛皮は本物だと言って無駄に混乱させるのもどうかと思うので、適当に誤魔化し俺達はその人にこの街を現在纏めているのは誰なのかと問うと、街の中心部に『防衛隊』の本部があると教えてくれた。
「防衛隊?」
「自衛隊と警察と役所、あとその他諸々公共機関が一纏めになって出来た組織だ。今は管轄だなんだと言っていられる時代じゃないからな」
そう言えばこの市には確かに自衛隊の基地があった記憶がある。聞いてみればその防衛隊の本部長は元自衛隊員なのだと教えて貰えた。
「一応当時の市長も生きちゃいるんだが、口先だけの人間は現場に出てくる事もしないからな、結局は行動で示してくれた人間にみんな付いて行く、人ってのはそういうもんだ」
「その防衛隊の本部長は何処に?」
「荒木さんは毎日あちこち回っているって聞くからな、何処にいるかまでは分からんよ」
「荒木さんって、本部長さんの名前ですか?」
「ああ、本部長が荒木さん、一応元市長が副本部長で五十嵐さん、こっちはたぶん本部にいると思う」
荒木本部長と五十嵐副本部長……俺はその名前を頭に刻む。
「ありがとうございます、行ってみます。あと、本当に今この地には危険が迫っているので逃げられるようなら逃げてください」
「忠告はありがたいがどうでもいいな……こんなご時世を生き延びてしまって運が悪かったと俺は思っていた所だ、苦しまずに妻子に会えるならそれもいい」
「そんな……」
「ここに生きる人間は皆、多かれ少なかれ大事な人を亡くしている、3年は長いようでいて短い……当時は必死に生き延びようとしたが、ふと思うんだ、なんでこんなに苦しい思いまでして生き続けなきゃならんのかな……ってな」
そう言って、男は掌を見つめる。
「自殺はできない、生き残った人間として、それはしては駄目だと思う、だけどな……」
なんと言葉を返していいか分からない。恐らく彼の妻子は3年前の災害で亡くなっているのだろう、そして3年経った今、ぽっかり空いた心の穴に気付いてしまったのだろう。これはとても危うい心の持ちようだ。
「おじさんにだってまだこれから良い事も楽しい事もたくさんあるよ!」
「ふふ、そうだといいがなぁ……」
「忠告だけは受け取っておく」と男は言って俺達の前から去って行った。その後ろ姿は寂しげで胸が締め付けられた。
「父ちゃんもやっぱり、もう死んじゃったのかな……」
サツキがそんな男の背を見てぽつりと零した。
「母ちゃんは父ちゃんは絶対生きてるって言って待ってたけど、本当は僕、もう父ちゃんの顔も忘れかけてる。僕はあの時まだ小さかったし、何が起こったのかもよく分かってなくて、でも母ちゃんがいたから……僕、母ちゃんに会いたいよ」
急にサツキが顔を顰めて泣き出しそうなのをぐっと堪える表情に変わった。ここまで、こんな顔を見せる事は一度もなかったサツキ、幼いのに意外と強いなと思っていたが、何の事はない、やはりずっとその寂しさを心の中で消化して我慢していたのだろう。
サツキの母親の中に入り込み、母親のふりでサツキを育てていた魔物のミヤビは『これでようやくミヤコを荼毘に付してあげられる……』と言っていた、サツキはもう二度と母には会えない、俺はそんな事実をサツキには伝える事も出来なくて「いい子で待っていれば必ず母ちゃんが迎えに来るからな」とそれしか言えなかった。
俺達は彼をここの孤児院に届けるのが役割であるのに、どの口がそれを……と心が重くなった。
「見かけない顔だな」という声に振り返る。
俺達がやって来たのは防衛隊の本部だ、そこは荒廃したこの世界でようやく自分の世界に帰ってきたと感じられる場所だった。そこには電気があり、ネットがあり、たくさんの人が行き交い暮らしていた。
俺は今まで、どこか夢の中を歩いているような感覚で日々を過ごしていた。
頭の中ではここが地球で日本だという事は分かっている、けれど俺はこの世界が崩壊した瞬間を知らない。この荒廃ぶりもどこか他人事で見ている自分を感じていた俺は、きっと元の世界に戻れば両親がいて俺を「おかえり」と出迎えてくれるのだと、そんな風に思っていた。
けれど目の前に掲示された大きな地図は確かに日本地図なのに、俺の暮らしていた町がそこにはなく、俺に現実を突きつける。
「そんな珍妙な姿で、お前達一体何処から来た?」
迷彩柄の作業服を着た男が俺達を訝し気に見やる。『珍妙な姿』というのは間違いなくロウヤの事だろう。ロウヤは現在完全に獣人の姿に戻っている。着ぐるみを着ているとでも思われているのか、子供達に興味深げにちらちらと見られているが、特に怖がられたりはしていない。
「俺達、ここの本部長の荒木さんに会いに来たんです」
「荒木本部長に? 何故?」
「大事なお話があるんです、荒木本部長に会わせて……って、うわっ!?」
突然背後からロウヤに抱き込まれて俺は慌てる、なんだよっ! こっちは真面目に交渉してるってのに邪魔すんな!
「来るっ! 伏せろ!!」
サツキもろとも抱き込まれ俺はロウヤに潰されるようにして地に伏せた。完全に抑え込まれているので何が起こっているのか分からない、けれど何処か近くで何人かの悲鳴が上がるのが耳に届いた。
人々が逃げ惑う気配、上がる悲鳴と呻き声、続く何発かの発砲音、誰か銃を持っている人間がいるのか? 平和だった俺の世界では銃器の持ち歩きは禁止されていたはずだが、今はもうそんな事も言っていられないのだろう。
その襲撃は大した時間ではなかったと思うのだが、気が付くと辺りはしんと静まり返っていた。
「なに? 何が起こった……?」
「小さな魔物が集団で襲って来たんだよ。でも大丈夫だ、もういない」
そう言って俺とサツキを解放したロウヤはどしんと地に胡坐をかいて座り込む。
「どうした、ロウヤ?」
「少しばかり背中をやられた」
慌てて俺がその背中を覗き込むとロウヤの毛皮が黒く湿っている、そこに触れるとべたりと赤い血が付いて俺は慌てた。
「これ、血じゃないか!」
「ダイキ、落ち着け、かすり傷だ。舐めておけば治る」
「でも……」
「おい、お前のソレはなんだ? 血? それは着ぐるみなんじゃないのか?」
迷彩服の男が険しい顔でこちらを睨み付ける。そんな男の手足にも幾つかの切り傷ができていて、服には血が滲んでいるのが見て取れた。
「それにお前、今の攻撃なんで分かった?」
「何でって、普通に襲ってくるの見えただろう?」
「奴等の攻撃はいつも突然で俺達にはその姿は見えない、防ぎようがないんだよ! なのにお前達にはアレが見えるのか!?」
ああ……そういえば普通の人間には魔物の姿って見えないんだっけ。魔物を見る為には魔物を食べなきゃいけなくて、魔物を食べる為には魔物を狩らなければいけない。そしてそんな魔物を狩る為には魔物が見えなければいけない訳で……
「あなた達は今まで姿の見えない敵と戦ってきた?」
「ああ、その通りだ。いつ何処から現れるのかも分からない敵と戦い続ける、これがどれ程大変な事かお前達に分かるか? もしお前達にはアレが見えると言うのなら是非とも俺達の組織に入って欲しいものなのだが……そっちの着ぐるみ何者だ?」
「俺は『キグルミ』などと言う物ではない、俺の名はロウヤ、獣人だ」
「獣人……?」
男が訝し気な視線をこちらへと向ける。まぁ、そうだよな、こっちの世界には獣人なんて存在しないのだから。
「本部長の荒木さんに会わせてください、そこで全てお話します」
そう言った俺の言葉に「話を聞こうじゃないか」と男は答える。いや、だから俺は本部長の荒木さんと話したいって言ってんだけどな?
「ああ、そう言えば、まだ名乗っていなかったな。俺の名前は荒木孝蔵、ここ防衛隊の本部長だ」
「荒木……本部長?」
「おう!」
え? 待って? 荒木さんってここの一番偉い人なんじゃないのかよ!? こんなにラフにその辺で遭遇できるなんて想定外なんですけど!
荒木さんはロウヤの前にロウヤと同じように胡坐をかいて座り込み「で? 質問に答えろ、お前達は何者だ?」と、そう言った。
「だから俺は狼獣人のロウヤ、こっちが俺の嫁のダイキ、そっちはうちの子でサツキだ」
「んなっ!? お前テキトーな事言ってんじゃねぇぞ!」
「何がだ? 全部事実だろ!」
「いやいや、半分しか事実じゃなかったぞ! 俺とサツキは名前しか合ってない!」
「俺はもうそう思ってる!」
「お前の主観は事実じゃねぇからっ!」
荒木本部長が顎の無精ひげを撫でて「ふむ」とひとつ頷き「俺はそういう関係に差別意識は持っていないから安心しろ」と言うけれど、そういう問題じゃな~い!!!
「で、夫婦漫才はそこまででいい、こちらの質問に答えてもらおうか?」
「だから、夫婦じゃないって……」
「俺達はこの世界とは違う異世界からやって来た、俺の住んでいた世界は崩壊の危機に直面していて、その戦闘のさなか俺達はこの世界に飛ばされた」
「? ではお前達はこの世界の住人ではないと?」
「少なくとも俺は違う、そもそもこの世界に獣人という者は存在しないのだろう?」
「ああ、そうだな。だが得体の知れない化け物との戦闘を続けている今、そんな者達が存在していると言われたら、まぁ、そういうのが居ても不思議じゃねぇ、とは思うけどよ」
そう言って荒木さんは腕を組む。この防衛隊の本部長はずいぶん柔軟な頭の持ち主のようで、すんなりとロウヤの存在を受け入れたので俺は驚く。
「で、その獣人のロウヤさんにはあの見えない敵の姿が見える、と?」
「お前達だって見ようと思えば見えるはずだ。事実ダイキは魔物が見える」
「何を言っている? そんな方法があるのなら俺達だって既にやっている。俺達にアレの姿は見えない。いや、そんな事はないか……稀に奴らを撃退すると奴らはその姿を露わす事がある、それもすぐに塵になって消えてしまうが……」
「それは攻撃の仕方が悪いんだ、魔物は核を潰さなければ倒れずに分裂するし、細かに粉砕してしまえば塵になる。上手く核を潰して肉を残す、それが狩りの方法だ」
「狩り?」
「狩って喰え、そうすればお前達にも見えるようになる」
ロウヤの最後の言葉に荒木さんは絶句したように口をぽかんと開けた。
「アレを喰え……と?」
「ああ、そうだ。どうやらこの世界の人間はそうやって見えるようになるらしい」
「あんたはアレを喰ったのか……?」
今度は俺の方を向いて荒木さんが少し引き攣ったような表情で俺に問う。確かに得体の知れない魔物肉を食べるだなんて発想、そうそう出てこないよな……そもそも、魔物は上手に狩らなければその姿も残らない上に彼等にはそもそもその姿が見えないのだから。
「普通に料理すれば食えますよ」
「感染症やら寄生虫の類は?」
え……そんなの考えた事なかったわ。どうなんだろう、その辺? とりあえず今まで腹を下したこともなかったけれど……
「魔物肉は新鮮なうちに喰うか加工してしまえば害はない。なんなら食ってみるか? 旨いぞ?」
困惑した様子の荒木さんが俺とロウヤを交互に見やる、まぁ食べてみるのが一番手っ取り早いと言えば手っ取り早いんだけど、躊躇する気持ちも分からんでもない。俺だって最初は躊躇った、でも背に腹は代えられないというか、見えないのは死活問題だったからな。
荒木さんはしばし唸りながら考え込み、しばらくすると「分かった」と頷いた。
魔物にダイレクトアタックをかまされた車の外装はぼこぼこで、気持ち走りも悪くなった気がする。どこかにメンテナンスが出来るような場所があればいいが……
暗雲は相変わらず頭上に渦巻いていて雨が降り出しそうな気配を漂わせているが、その渦の中心から何かが覗いている気配を感じて神経が逆立つ。俺にはこんな第六感のような物はなかったはずなのだが、魔物を狩って喰らって生活しているうちにその辺の感覚も研ぎ澄まされてきたのだろうか?
「ロウヤ、あれをどう思う?」
「動きはないが俺達を見ているな、いつ襲ってきても不思議じゃない」
ロウヤの頭の上に乗った耳がぴくぴくと揺れる。現在ロウヤの姿は手足が獣に耳尻尾という中途半端な獣人の姿に戻っている、なにせ大きな体躯のロウヤは本来の獣人サイズに戻ってしまうと車に乗れなくなってしまう。言ってしまえば今のロウヤの姿は半獣人の姿に近い。
昴は耳と尻尾だけだったが、ロウヤは手足がもふりとしていて、ちょっと触りたくなる。けれど、今その毛が威嚇する猫のように逆立っていて、身体が何かを察しているのだとそれだけで俺にも分かった。
道々遭遇する人達に危険があるから街の外へ逃げてくれと注意喚起をするのだが、一体何があるのか? と不審顔を見せる人々は俺達の話に耳を傾けない。大災害でこんな事になって、訳の分からない情報に踊らされ無駄な労力を割く事に疲弊している人々は根拠のない情報に難色を示す。ただ逃げろと言っても誰も信じてくれない、誰かこの土地で影響力のある人間に伝える事をしなければ駄目なのだと、俺は考えを切り替えた。
「それにしてもこのご時世にそんななりで旅をしているのか? 都会に住んでる奴等にはまだそんな余力が残っているのか?」
ロウヤの見てくれを頭から何かのコスプレだと思ったのだろう人は言う。人は自分の常識外の事を信じない、ロウヤの姿も然り、上空にいる魔物も然りだ。
この毛皮は本物だと言って無駄に混乱させるのもどうかと思うので、適当に誤魔化し俺達はその人にこの街を現在纏めているのは誰なのかと問うと、街の中心部に『防衛隊』の本部があると教えてくれた。
「防衛隊?」
「自衛隊と警察と役所、あとその他諸々公共機関が一纏めになって出来た組織だ。今は管轄だなんだと言っていられる時代じゃないからな」
そう言えばこの市には確かに自衛隊の基地があった記憶がある。聞いてみればその防衛隊の本部長は元自衛隊員なのだと教えて貰えた。
「一応当時の市長も生きちゃいるんだが、口先だけの人間は現場に出てくる事もしないからな、結局は行動で示してくれた人間にみんな付いて行く、人ってのはそういうもんだ」
「その防衛隊の本部長は何処に?」
「荒木さんは毎日あちこち回っているって聞くからな、何処にいるかまでは分からんよ」
「荒木さんって、本部長さんの名前ですか?」
「ああ、本部長が荒木さん、一応元市長が副本部長で五十嵐さん、こっちはたぶん本部にいると思う」
荒木本部長と五十嵐副本部長……俺はその名前を頭に刻む。
「ありがとうございます、行ってみます。あと、本当に今この地には危険が迫っているので逃げられるようなら逃げてください」
「忠告はありがたいがどうでもいいな……こんなご時世を生き延びてしまって運が悪かったと俺は思っていた所だ、苦しまずに妻子に会えるならそれもいい」
「そんな……」
「ここに生きる人間は皆、多かれ少なかれ大事な人を亡くしている、3年は長いようでいて短い……当時は必死に生き延びようとしたが、ふと思うんだ、なんでこんなに苦しい思いまでして生き続けなきゃならんのかな……ってな」
そう言って、男は掌を見つめる。
「自殺はできない、生き残った人間として、それはしては駄目だと思う、だけどな……」
なんと言葉を返していいか分からない。恐らく彼の妻子は3年前の災害で亡くなっているのだろう、そして3年経った今、ぽっかり空いた心の穴に気付いてしまったのだろう。これはとても危うい心の持ちようだ。
「おじさんにだってまだこれから良い事も楽しい事もたくさんあるよ!」
「ふふ、そうだといいがなぁ……」
「忠告だけは受け取っておく」と男は言って俺達の前から去って行った。その後ろ姿は寂しげで胸が締め付けられた。
「父ちゃんもやっぱり、もう死んじゃったのかな……」
サツキがそんな男の背を見てぽつりと零した。
「母ちゃんは父ちゃんは絶対生きてるって言って待ってたけど、本当は僕、もう父ちゃんの顔も忘れかけてる。僕はあの時まだ小さかったし、何が起こったのかもよく分かってなくて、でも母ちゃんがいたから……僕、母ちゃんに会いたいよ」
急にサツキが顔を顰めて泣き出しそうなのをぐっと堪える表情に変わった。ここまで、こんな顔を見せる事は一度もなかったサツキ、幼いのに意外と強いなと思っていたが、何の事はない、やはりずっとその寂しさを心の中で消化して我慢していたのだろう。
サツキの母親の中に入り込み、母親のふりでサツキを育てていた魔物のミヤビは『これでようやくミヤコを荼毘に付してあげられる……』と言っていた、サツキはもう二度と母には会えない、俺はそんな事実をサツキには伝える事も出来なくて「いい子で待っていれば必ず母ちゃんが迎えに来るからな」とそれしか言えなかった。
俺達は彼をここの孤児院に届けるのが役割であるのに、どの口がそれを……と心が重くなった。
「見かけない顔だな」という声に振り返る。
俺達がやって来たのは防衛隊の本部だ、そこは荒廃したこの世界でようやく自分の世界に帰ってきたと感じられる場所だった。そこには電気があり、ネットがあり、たくさんの人が行き交い暮らしていた。
俺は今まで、どこか夢の中を歩いているような感覚で日々を過ごしていた。
頭の中ではここが地球で日本だという事は分かっている、けれど俺はこの世界が崩壊した瞬間を知らない。この荒廃ぶりもどこか他人事で見ている自分を感じていた俺は、きっと元の世界に戻れば両親がいて俺を「おかえり」と出迎えてくれるのだと、そんな風に思っていた。
けれど目の前に掲示された大きな地図は確かに日本地図なのに、俺の暮らしていた町がそこにはなく、俺に現実を突きつける。
「そんな珍妙な姿で、お前達一体何処から来た?」
迷彩柄の作業服を着た男が俺達を訝し気に見やる。『珍妙な姿』というのは間違いなくロウヤの事だろう。ロウヤは現在完全に獣人の姿に戻っている。着ぐるみを着ているとでも思われているのか、子供達に興味深げにちらちらと見られているが、特に怖がられたりはしていない。
「俺達、ここの本部長の荒木さんに会いに来たんです」
「荒木本部長に? 何故?」
「大事なお話があるんです、荒木本部長に会わせて……って、うわっ!?」
突然背後からロウヤに抱き込まれて俺は慌てる、なんだよっ! こっちは真面目に交渉してるってのに邪魔すんな!
「来るっ! 伏せろ!!」
サツキもろとも抱き込まれ俺はロウヤに潰されるようにして地に伏せた。完全に抑え込まれているので何が起こっているのか分からない、けれど何処か近くで何人かの悲鳴が上がるのが耳に届いた。
人々が逃げ惑う気配、上がる悲鳴と呻き声、続く何発かの発砲音、誰か銃を持っている人間がいるのか? 平和だった俺の世界では銃器の持ち歩きは禁止されていたはずだが、今はもうそんな事も言っていられないのだろう。
その襲撃は大した時間ではなかったと思うのだが、気が付くと辺りはしんと静まり返っていた。
「なに? 何が起こった……?」
「小さな魔物が集団で襲って来たんだよ。でも大丈夫だ、もういない」
そう言って俺とサツキを解放したロウヤはどしんと地に胡坐をかいて座り込む。
「どうした、ロウヤ?」
「少しばかり背中をやられた」
慌てて俺がその背中を覗き込むとロウヤの毛皮が黒く湿っている、そこに触れるとべたりと赤い血が付いて俺は慌てた。
「これ、血じゃないか!」
「ダイキ、落ち着け、かすり傷だ。舐めておけば治る」
「でも……」
「おい、お前のソレはなんだ? 血? それは着ぐるみなんじゃないのか?」
迷彩服の男が険しい顔でこちらを睨み付ける。そんな男の手足にも幾つかの切り傷ができていて、服には血が滲んでいるのが見て取れた。
「それにお前、今の攻撃なんで分かった?」
「何でって、普通に襲ってくるの見えただろう?」
「奴等の攻撃はいつも突然で俺達にはその姿は見えない、防ぎようがないんだよ! なのにお前達にはアレが見えるのか!?」
ああ……そういえば普通の人間には魔物の姿って見えないんだっけ。魔物を見る為には魔物を食べなきゃいけなくて、魔物を食べる為には魔物を狩らなければいけない。そしてそんな魔物を狩る為には魔物が見えなければいけない訳で……
「あなた達は今まで姿の見えない敵と戦ってきた?」
「ああ、その通りだ。いつ何処から現れるのかも分からない敵と戦い続ける、これがどれ程大変な事かお前達に分かるか? もしお前達にはアレが見えると言うのなら是非とも俺達の組織に入って欲しいものなのだが……そっちの着ぐるみ何者だ?」
「俺は『キグルミ』などと言う物ではない、俺の名はロウヤ、獣人だ」
「獣人……?」
男が訝し気な視線をこちらへと向ける。まぁ、そうだよな、こっちの世界には獣人なんて存在しないのだから。
「本部長の荒木さんに会わせてください、そこで全てお話します」
そう言った俺の言葉に「話を聞こうじゃないか」と男は答える。いや、だから俺は本部長の荒木さんと話したいって言ってんだけどな?
「ああ、そう言えば、まだ名乗っていなかったな。俺の名前は荒木孝蔵、ここ防衛隊の本部長だ」
「荒木……本部長?」
「おう!」
え? 待って? 荒木さんってここの一番偉い人なんじゃないのかよ!? こんなにラフにその辺で遭遇できるなんて想定外なんですけど!
荒木さんはロウヤの前にロウヤと同じように胡坐をかいて座り込み「で? 質問に答えろ、お前達は何者だ?」と、そう言った。
「だから俺は狼獣人のロウヤ、こっちが俺の嫁のダイキ、そっちはうちの子でサツキだ」
「んなっ!? お前テキトーな事言ってんじゃねぇぞ!」
「何がだ? 全部事実だろ!」
「いやいや、半分しか事実じゃなかったぞ! 俺とサツキは名前しか合ってない!」
「俺はもうそう思ってる!」
「お前の主観は事実じゃねぇからっ!」
荒木本部長が顎の無精ひげを撫でて「ふむ」とひとつ頷き「俺はそういう関係に差別意識は持っていないから安心しろ」と言うけれど、そういう問題じゃな~い!!!
「で、夫婦漫才はそこまででいい、こちらの質問に答えてもらおうか?」
「だから、夫婦じゃないって……」
「俺達はこの世界とは違う異世界からやって来た、俺の住んでいた世界は崩壊の危機に直面していて、その戦闘のさなか俺達はこの世界に飛ばされた」
「? ではお前達はこの世界の住人ではないと?」
「少なくとも俺は違う、そもそもこの世界に獣人という者は存在しないのだろう?」
「ああ、そうだな。だが得体の知れない化け物との戦闘を続けている今、そんな者達が存在していると言われたら、まぁ、そういうのが居ても不思議じゃねぇ、とは思うけどよ」
そう言って荒木さんは腕を組む。この防衛隊の本部長はずいぶん柔軟な頭の持ち主のようで、すんなりとロウヤの存在を受け入れたので俺は驚く。
「で、その獣人のロウヤさんにはあの見えない敵の姿が見える、と?」
「お前達だって見ようと思えば見えるはずだ。事実ダイキは魔物が見える」
「何を言っている? そんな方法があるのなら俺達だって既にやっている。俺達にアレの姿は見えない。いや、そんな事はないか……稀に奴らを撃退すると奴らはその姿を露わす事がある、それもすぐに塵になって消えてしまうが……」
「それは攻撃の仕方が悪いんだ、魔物は核を潰さなければ倒れずに分裂するし、細かに粉砕してしまえば塵になる。上手く核を潰して肉を残す、それが狩りの方法だ」
「狩り?」
「狩って喰え、そうすればお前達にも見えるようになる」
ロウヤの最後の言葉に荒木さんは絶句したように口をぽかんと開けた。
「アレを喰え……と?」
「ああ、そうだ。どうやらこの世界の人間はそうやって見えるようになるらしい」
「あんたはアレを喰ったのか……?」
今度は俺の方を向いて荒木さんが少し引き攣ったような表情で俺に問う。確かに得体の知れない魔物肉を食べるだなんて発想、そうそう出てこないよな……そもそも、魔物は上手に狩らなければその姿も残らない上に彼等にはそもそもその姿が見えないのだから。
「普通に料理すれば食えますよ」
「感染症やら寄生虫の類は?」
え……そんなの考えた事なかったわ。どうなんだろう、その辺? とりあえず今まで腹を下したこともなかったけれど……
「魔物肉は新鮮なうちに喰うか加工してしまえば害はない。なんなら食ってみるか? 旨いぞ?」
困惑した様子の荒木さんが俺とロウヤを交互に見やる、まぁ食べてみるのが一番手っ取り早いと言えば手っ取り早いんだけど、躊躇する気持ちも分からんでもない。俺だって最初は躊躇った、でも背に腹は代えられないというか、見えないのは死活問題だったからな。
荒木さんはしばし唸りながら考え込み、しばらくすると「分かった」と頷いた。
0
お気に入りに追加
933
あなたにおすすめの小説
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
左遷先は、後宮でした。
猫宮乾
BL
外面は真面目な文官だが、週末は――打つ・飲む・買うが好きだった俺は、ある日、ついうっかり裏金騒動に関わってしまい、表向きは移動……いいや、左遷……される事になった。死刑は回避されたから、まぁ良いか! お妃候補生活を頑張ります。※異世界後宮ものコメディです。(表紙イラストは朝陽天満様に描いて頂きました。本当に有難うございます!)
侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます
muku
BL
魔術師フィアリスは、地底の迷宮から湧き続ける魔物を倒す使命を担っているリトスロード侯爵家に雇われている。
仕事は魔物の駆除と、侯爵家三男エヴァンの家庭教師。
成人したエヴァンから突然恋心を告げられたフィアリスは、大いに戸惑うことになる。
何故ならフィアリスは、エヴァンの父とただならぬ関係にあったのだった。
汚れた自分には愛される価値がないと思いこむ美しい魔術師の青年と、そんな師を一心に愛し続ける弟子の物語。

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

黒豹拾いました
おーか
BL
森で暮らし始めたオレは、ボロボロになった子猫を拾った。逞しく育ったその子は、どうやら黒豹の獣人だったようだ。
大人になって独り立ちしていくんだなぁ、と父親のような気持ちで送り出そうとしたのだが…
「大好きだよ。だから、俺の側にずっと居てくれるよね?」
そう迫ってくる。おかしいな…?
育て方間違ったか…。でも、美形に育ったし、可愛い息子だ。拒否も出来ないままに流される。

悪役令嬢と同じ名前だけど、僕は男です。
みあき
BL
名前はティータイムがテーマ。主人公と婚約者の王子がいちゃいちゃする話。
男女共に子どもを産める世界です。容姿についての描写は敢えてしていません。
メインカプが男性同士のためBLジャンルに設定していますが、周辺は異性のカプも多いです。
奇数話が主人公視点、偶数話が婚約者の王子視点です。
pixivでは既に最終回まで投稿しています。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる