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番外編:橘大樹の受難
サツキと魔物
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ロウヤが首根っこを捕まえた相手、それは魔物ではなく人間だった。ようやく人に会えた、と思う反面、ロウヤが人型をしているうちに声をかけてくれたら良かったのに……と俺は思わなくもない。
「はっ、放せ化け物っ! 僕は食べても美味しくないぞっっ!!」
「いやいや、俺達人間は食べないから」
「そっ、そんな事言って騙すつもりだろっ、この化け物っっ!!」
首根っこを掴まれたその人間は恐らく小学生くらいの男の子、じたばたとわめき暴れているがロウヤの手からは逃れる事ができない。それにしてもこんな小さな子が一人でいる訳もないし、きっとどこかその辺に保護者がいると思うのだが……
「なぁ坊主、両親は?」
「言うもんか! 母ちゃんをお前らなんかに食わせて堪るかっ!」
「いや、だから俺達は人間は喰わないって言ってるのに……」
「嘘吐くな、化け物!」
「困ったな、そもそも俺達化け物じゃないし。まぁ、ロウヤは確かに少し変わっちゃいるが、俺は正真正銘人間だぞ?」
「そのうちそいつみたいに化け物に変わるんだろっ! 騙されないぞっ!」
男の子は全くこちらの言う事を信じてくれない。これは本当に困ったな。ようやくまともに会話のできる人間と遭遇できたと思ったのに、これでは会話になりゃしない。
「どうしたら信じてくれるのかな……」
「そもそもお前ら何者だよっ! 名を名乗れ!」
「え……俺は橘大樹、こっちは俺のツレのロウヤ」
「名前あんのかよっ!」
そりゃあ勿論あるに決まってる、それに名乗れと言われるのなら拒む必要もないしな。男の子の抵抗がぴたりと止まり「名前あるのかぁ……」と何やら考え込む様子に俺は首を傾げた。
「魔物には名前がないから、答えられなかったら魔物だって母ちゃん言ってたんだけど、兄ちゃん達本当に魔物じゃないの?」
「うん、違うよ。俺達ちょっと道に迷ってて、人里を探してたんだ。この近くに人が住んでる場所があるのかな?」
「…………今は、ない」
「え?」
「ここには僕と母ちゃんしか住んでない」
えぇ……そんな限界集落ありか? どんだけ人口少ないんだよ……よくよく見れば男の子はあまり綺麗な格好をしていない、まさに着の身着のまま、髪もざんばらで言ってしまえば野生児のような風体だ。子供特有のふくふくとした丸みもない彼は痩せ細り、母と二人で彼はここで一体どんな暮らしをしているのだろう?
「お母さんに少し話を聞きたいんだけど、いいかな?」
少年はまだ少しだけ疑わし気な瞳をこちらへと向けたのだが、それでも渋々といった体で頷いた。俺が少年を放すようにロウヤに言うと、彼は少し困惑の表情で「いいのか?」とそう言った。
「良いも悪いも、ようやく人に会えたんだ。少し話が聞きたい」
「いや、でも……」
「? 何を渋ってる? あ、お前はちゃんと人の姿に化けとけよ。で、坊主の名前は?」
「僕の名前はサツキだよ」
サツキ……五月生まれなのかな? と何とはなしに思いながら「良い名前だな」と俺は頷いた。
サツキに案内されて向かった場所はそこそこ大きな町だった。建物も幾つも残っているし、なんならスーパーもある。けれど人の気配はまるでない。スーパーも雨風に晒されっぱなしなのか、完全に風化したような感じで、俺は眉を顰めた。
「これ、どういう事だ……?」
「? 何が?」
「いや、だっておかしいだろう? ここは普通にちゃんと人が住んでた町だ、なのに住んでるのがサツキとサツキの母親だけって、明らかにおかしいだろ?」
建物の幾つかはまるで何かに破壊されたかのように壊れている、大きな災害でもあったのだろうか? 瓦礫はそのままに放置され、まるでゴーストタウンだ。
山と山に挟まれてはいるが、そこにはかつて多くの人が暮らしていた気配を感じる、けれど今はそんな生活の息吹を感じない。放置された車も幾つか見えるが、そのどれもが錆びついていて役に立ちそうにもない。
「こっち、あそこが僕の家」
そう言ってサツキが指さしたのは山を背に、大きな鳥居の立った神社だった。町が荒れ放題なのとは対照的にその神社はまるで時が止まってでもいるかのように整然とそこに建っていた。そこは荒れた様子もなく、人の手が入っているのだと一目で分かる。
「ダイキ、ここは駄目だ」
不意にロウヤが俺の腕を引いた。
「ん? どうした? 何が駄目なんだ?」
「魔物の気配がする、しかもその辺を転がってるような雑魚じゃない」
人に変じたロウヤの腕には鳥肌が立っている、彼は何かを感じているようなのだが、俺にはさっぱり分からない。
「まさか、だってここにサツキは暮らしてるんだぞ?」
「サツキからは元々魔物の気配がしてた、あいつは……」
「あら、サツキ誰を連れて来たの?」
かけられた声、サツキは「母ちゃん!」と笑顔で駆けて行く。そしてその先に立っていたのはこのゴーストタウンのような町には似つかわしくない長い黒髪の儚げな女性だった。
「母ちゃん、寝てなくて大丈夫?」
「今日は少し調子がいいの、何故かしらと思っていたらお客様なのね」
女性がゆっくり顔を上げる。そして、瞳が合ったと思った瞬間、俺はロウヤに抱きかかえられていた。ロウヤの身体が獣人の姿に戻っていく。
「ちょ、ロウヤ! お前、何やって……」
「あいつは魔物だ!」
「あなた、この世界の者ではないのね」
「寄るなっ!」
俺を抱えてロウヤは後ずさる。サツキの母親はどう見ても人にしか見えないし、俺達に何かしようとしているようにも見えない。だけど、ロウヤのこの姿を見てもまるで動じないあたり常人でないのは何となく理解する。
「ロウヤ、少し落ち着け。例えアレが魔物だとしても別に敵意があるような感じはしないだろ?」
「喋る魔物は狡猾だ、絶対に近寄るなって言われてる!」
ロウヤの暮らしていた世界では獣人と魔物は敵対関係だった。魔物は獣人達を襲い、獣人達はその魔物を狩って喰らい生活している。そんな生活の中で得た教訓、それが『喋る魔物には近寄るな』なのだろうけれど、なんだか状況も違うしなぁ。
こっちの世界では人と魔物は特別敵対などしていない。クロームさん曰く、いい具合に共存しているらしく、基本的に魔物は人を襲ってはこないのだ。稀に先だってのような例外もあるが、それでもこちらが何か事を起こさなければ特に魔物には害がないというのが俺の見解だ。
ロウヤが威嚇の唸り声を上げると、サツキが怯えたように母親の背後に逃げ込んだ。
「ロウヤ! とりあえず落ち着け!」
「だが、ダイキ……」
「いいから! あんたと少し話がしたい、というか俺には聞きたい事が幾らもあるんだ、この世界は一体どうなっている? ここは本当に日本で間違いないんだよな?」
「ふふ、あなたはおかしな事を聞くのね」
サツキの母親が少し少女めいた可愛らしい笑みを見せた。
「仕方がないだろう、どうもここは俺の知っている日本と違うように感じる。何故この町にはこんなに人がいないんだ? 住民は何処へ消えた?」
「あなたは知らないの?」
「何を?」
「ある日世界各地で天変地異が起こったのよ、火山は噴火し大地は揺れて人々は逃げ惑ったわ」
「……え?」
それは一体いつの話だ? そんな事件を俺は知らない。どういう事だ???
「本当に知らないの? 3年前よ、何の予兆も前兆もなく世界は崩壊した。大勢の人が亡くなって、この町の住民も皆逃げて行ったわ」
「3年前……って、だって俺その頃普通に高校生で、だけどそんな話知らない。それにそんな事が起こっていたなら俺の住んでた土地だって何かしら起こってたはずなんじゃ……」
「あなた、お住まいは?」
「×〇県△△市」
サツキの母親は「そう」とひとつ頷いて「……今はもう、その土地には誰も住んでいないわ」とそう言った。
「誰も住んでないって、そんな馬鹿な……」
「正しく言えば存在していない。大きな地震と津波で土地がえぐれてこの大地の地形も変わってしまったのよ、あなたの住んでいたその辺りは大地震の震源地だったと言われているわ」
何を言われているのか分からなくて言葉が出てこない。俺はこの目の前の女性に騙されているのだろうか? それともからかわれている?
「そんな馬鹿な……」
「忘れもしない令和元年の秋口だったわ、そのせいで私のご主人様は山に入ったきり戻ってこない」
「ご主人様……? いや待て、令和元年?」
「日本は天皇陛下が交代して元号が変わったのよ? 知らないの?」
「!? いや、知ってる! それは分かってる、だけどそれが3年前……?」
「そうよ、今はもう令和で言ったら4年になるわ、今となってはそんな元号も既に生きているのかいないのか」
!? え? 嘘だろ? なんだそれ!? ここは俺の知ってる日本の未来の姿なのか!? しかも、その未来でこの国はこんなに荒廃してる……?
「ダイキ、大丈夫か?」
ロウヤが心配そうな瞳で俺を見つめる。大丈夫、ただちょっと混乱しているだけだ。
俺が向こうの世界に飛んだのはそれこそ令和元年の秋口だった。だとするとその天変地異は俺達が向こうの世界に飛んだ直後に起こったという事だ。そして、すでにそこから3年という月日が経過しているとそういう事か。
「天変地異の理由は分っているの、ただ人間達はそれを知らないけれど」
「どういう事だ? 何があった?」
「あなた達はどうやら私の存在が見えるようだから分かってもらえると思うのだけど、この世界には人ならざるものがたくさん存在していたのよ。人はそれを神とも悪魔とも妖怪とも呼んだわ。それこそ、そこのあなたが私を魔物と呼んだように、人は私達に名前を付けて敬い、時には恐れこの世界は成り立っていた」
彼女は静かに言葉を紡ぐ、その姿はこの荒廃した世界にはまるでそぐわない穏やかな口調だった。
「けれど、ある時そんな世界を壊す者が現れた。それは異世界からやってきて、微妙な均衡で支配されていたこの世界の人ならざる者達を喰らっていった……」
……ちょっと待て、ものすごく嫌な予感がする。
「その小さく黒い悪魔は世界中の『神』と呼ばれた我が同胞を喰らい、姿を消したのです。残されたか弱い同胞達は秩序を失い世界は荒れた、それがこの世界の荒廃の理由です」
何と言うか言葉が出ない、何故なら俺はその理由に心当たりがあり過ぎるからだ。俺は知っている、こっちの世界の魔物達が神と呼ばれていた事、そしてその神様が微妙な均衡でこの世界を守っていた事。その均衡を崩したらこの世界はヤバい事になると俺に教えてくれたのもたぶんその小さく黒い悪魔だったと思うのだ……
「ヒドイ奴もいたもんだな、その黒い悪魔ってのは一体何処に居るんだ?」
「それは私にも分かりかねます」
ずっと彼女を警戒し続けていたロウヤが彼女の言葉に同調を示した。まぁ、確かにそれだけ聞いたらこの世界を崩壊に導いたのはその黒い悪魔だもんな……そして俺はその黒い悪魔の名前を知っている。たぶんそれは間違いなく昴の父親、クロームさんだ。
「統率を失った我が同胞達は縄張り争いを繰り返し、現在も各地で暴れ回って災害が後を絶ちません。一部の者を除き、人間達には我が同胞の姿は見えない。彼等はその原因も分からぬまま逃げ惑うしか術がないのです」
「あんた達は逃げなくていいのか?」
「私はご主人様の命なしに、この土地を動く事が出来ません」
「あぁ、そういえばご主人様って? 旦那?」
「いえ、ご主人様はサツキの父親です」
? 確か目の前のこの女性はサツキの母親であるはずで、そのサツキの父親が彼女のご主人様だと言うのなら、それは即ち彼女の夫という事になると思うのだが、何故か彼女はそれを否定する。
「サツキ、お母さんもう少しお客様とお話があるの、おやつがあるから奥で食べていらっしゃい」
彼女が彼女の背中に隠れるようにしていたサツキに声をかける。サツキは不安そうに母親を見上げるのだが、「大丈夫だから」と彼女が穏やかな笑みを見せると、小さく頷き神社の奥へと駆けて行った。
「父親のことはサツキには聞かせたくない話?」
「サツキはまだ幼くて色々な事情が分かっていません。私のこの姿は確かにサツキの母親のものなのですが、私はあなた方の言う通りの『魔物』です、私はサツキの父親に仕えているただの『使い魔』なのです」
「じゃあ、サツキの両親は?」
女性は瞳を伏せて首を振る。
「ご主人様はあの3年前の災害の折に山神様の様子を見て来ると出掛けたまま帰ってきません、奥様はそんなご主人様の帰還を待ち続けていたのですが、元々病弱な方で昨年……」
「……死んだのか?」
サツキの父親の使い魔だと名乗る魔物がこくりと頷く。
「サツキはまだ幼く1人では生きていかれません。けれど私はこの土地を離れられない。私は待っていたのです、サツキをここから連れ出してくれる方を。お願いです、サツキを連れて行ってください! サツキをここで育てるのはもう限界なのです。放置された店などから食料・雑貨を奪いなんとかここまで生き永らえてきましたが、食料は間もなく底をつきます、そしてサツキの母親のこの身体も、もう長くはもちません」
そう言って彼女は袖をまくりその腕を見せてくれたのだが、その腕の色は人の色をしていなかった。肉が腐敗するギリギリ手前で何とか身体を維持している、だがもう限界だと彼女は言った。
「あんたは来ないんだよな? サツキはそれで納得するか? そもそも何処に連れて行けばいい?」
「現在各主要都市には避難シェルターが設置されたと聞きました。この未曽有の大災害で身寄りを亡くした者は幾らでもいます、そんな子供を保護してくれる機関もあると風の噂に聞いております、どうかサツキを何処か安全なシェルターに連れて行ってください」
サツキの母親の姿をした魔物は深々と頭を下げる。それは子を案じる母親そのものに見えて俺は戸惑う。
「う~ん、突然そんな事を言われても……そもそも俺達は自分達の行き先も決まっていないのに……」
「そう言えば、そちらのあなたはこの世界の方ではありませんよね? 一体何処から?」
「ん? それが分かれば苦労はしないな」
「あなたは分からないままこの世界へ?」
「たぶん向こうの世界のあんたみたいな奴にこっちに飛ばされたんだ、こっちだって困ってるんだよ」
警戒心露わだったロウヤが警戒を解いて彼女の話に耳を傾け始めた。
「私のような……と言うと?」
「喋る魔物」
正しく言えばヨセフは魔物ではなく人なのだろうが、その身体は魔物であるカトリーヌが維持しているのだから、言ってしまえば半分は魔物だな。うん。
「この世界には幾つかの門があります」
「門?」
「はい、その門は多世界に繋がり私達はその門をくぐり世界を巡ります。私はご主人様と契約をし、この地に留まっていますが、本来私達はそういうものなのです」
「はっ、放せ化け物っ! 僕は食べても美味しくないぞっっ!!」
「いやいや、俺達人間は食べないから」
「そっ、そんな事言って騙すつもりだろっ、この化け物っっ!!」
首根っこを掴まれたその人間は恐らく小学生くらいの男の子、じたばたとわめき暴れているがロウヤの手からは逃れる事ができない。それにしてもこんな小さな子が一人でいる訳もないし、きっとどこかその辺に保護者がいると思うのだが……
「なぁ坊主、両親は?」
「言うもんか! 母ちゃんをお前らなんかに食わせて堪るかっ!」
「いや、だから俺達は人間は喰わないって言ってるのに……」
「嘘吐くな、化け物!」
「困ったな、そもそも俺達化け物じゃないし。まぁ、ロウヤは確かに少し変わっちゃいるが、俺は正真正銘人間だぞ?」
「そのうちそいつみたいに化け物に変わるんだろっ! 騙されないぞっ!」
男の子は全くこちらの言う事を信じてくれない。これは本当に困ったな。ようやくまともに会話のできる人間と遭遇できたと思ったのに、これでは会話になりゃしない。
「どうしたら信じてくれるのかな……」
「そもそもお前ら何者だよっ! 名を名乗れ!」
「え……俺は橘大樹、こっちは俺のツレのロウヤ」
「名前あんのかよっ!」
そりゃあ勿論あるに決まってる、それに名乗れと言われるのなら拒む必要もないしな。男の子の抵抗がぴたりと止まり「名前あるのかぁ……」と何やら考え込む様子に俺は首を傾げた。
「魔物には名前がないから、答えられなかったら魔物だって母ちゃん言ってたんだけど、兄ちゃん達本当に魔物じゃないの?」
「うん、違うよ。俺達ちょっと道に迷ってて、人里を探してたんだ。この近くに人が住んでる場所があるのかな?」
「…………今は、ない」
「え?」
「ここには僕と母ちゃんしか住んでない」
えぇ……そんな限界集落ありか? どんだけ人口少ないんだよ……よくよく見れば男の子はあまり綺麗な格好をしていない、まさに着の身着のまま、髪もざんばらで言ってしまえば野生児のような風体だ。子供特有のふくふくとした丸みもない彼は痩せ細り、母と二人で彼はここで一体どんな暮らしをしているのだろう?
「お母さんに少し話を聞きたいんだけど、いいかな?」
少年はまだ少しだけ疑わし気な瞳をこちらへと向けたのだが、それでも渋々といった体で頷いた。俺が少年を放すようにロウヤに言うと、彼は少し困惑の表情で「いいのか?」とそう言った。
「良いも悪いも、ようやく人に会えたんだ。少し話が聞きたい」
「いや、でも……」
「? 何を渋ってる? あ、お前はちゃんと人の姿に化けとけよ。で、坊主の名前は?」
「僕の名前はサツキだよ」
サツキ……五月生まれなのかな? と何とはなしに思いながら「良い名前だな」と俺は頷いた。
サツキに案内されて向かった場所はそこそこ大きな町だった。建物も幾つも残っているし、なんならスーパーもある。けれど人の気配はまるでない。スーパーも雨風に晒されっぱなしなのか、完全に風化したような感じで、俺は眉を顰めた。
「これ、どういう事だ……?」
「? 何が?」
「いや、だっておかしいだろう? ここは普通にちゃんと人が住んでた町だ、なのに住んでるのがサツキとサツキの母親だけって、明らかにおかしいだろ?」
建物の幾つかはまるで何かに破壊されたかのように壊れている、大きな災害でもあったのだろうか? 瓦礫はそのままに放置され、まるでゴーストタウンだ。
山と山に挟まれてはいるが、そこにはかつて多くの人が暮らしていた気配を感じる、けれど今はそんな生活の息吹を感じない。放置された車も幾つか見えるが、そのどれもが錆びついていて役に立ちそうにもない。
「こっち、あそこが僕の家」
そう言ってサツキが指さしたのは山を背に、大きな鳥居の立った神社だった。町が荒れ放題なのとは対照的にその神社はまるで時が止まってでもいるかのように整然とそこに建っていた。そこは荒れた様子もなく、人の手が入っているのだと一目で分かる。
「ダイキ、ここは駄目だ」
不意にロウヤが俺の腕を引いた。
「ん? どうした? 何が駄目なんだ?」
「魔物の気配がする、しかもその辺を転がってるような雑魚じゃない」
人に変じたロウヤの腕には鳥肌が立っている、彼は何かを感じているようなのだが、俺にはさっぱり分からない。
「まさか、だってここにサツキは暮らしてるんだぞ?」
「サツキからは元々魔物の気配がしてた、あいつは……」
「あら、サツキ誰を連れて来たの?」
かけられた声、サツキは「母ちゃん!」と笑顔で駆けて行く。そしてその先に立っていたのはこのゴーストタウンのような町には似つかわしくない長い黒髪の儚げな女性だった。
「母ちゃん、寝てなくて大丈夫?」
「今日は少し調子がいいの、何故かしらと思っていたらお客様なのね」
女性がゆっくり顔を上げる。そして、瞳が合ったと思った瞬間、俺はロウヤに抱きかかえられていた。ロウヤの身体が獣人の姿に戻っていく。
「ちょ、ロウヤ! お前、何やって……」
「あいつは魔物だ!」
「あなた、この世界の者ではないのね」
「寄るなっ!」
俺を抱えてロウヤは後ずさる。サツキの母親はどう見ても人にしか見えないし、俺達に何かしようとしているようにも見えない。だけど、ロウヤのこの姿を見てもまるで動じないあたり常人でないのは何となく理解する。
「ロウヤ、少し落ち着け。例えアレが魔物だとしても別に敵意があるような感じはしないだろ?」
「喋る魔物は狡猾だ、絶対に近寄るなって言われてる!」
ロウヤの暮らしていた世界では獣人と魔物は敵対関係だった。魔物は獣人達を襲い、獣人達はその魔物を狩って喰らい生活している。そんな生活の中で得た教訓、それが『喋る魔物には近寄るな』なのだろうけれど、なんだか状況も違うしなぁ。
こっちの世界では人と魔物は特別敵対などしていない。クロームさん曰く、いい具合に共存しているらしく、基本的に魔物は人を襲ってはこないのだ。稀に先だってのような例外もあるが、それでもこちらが何か事を起こさなければ特に魔物には害がないというのが俺の見解だ。
ロウヤが威嚇の唸り声を上げると、サツキが怯えたように母親の背後に逃げ込んだ。
「ロウヤ! とりあえず落ち着け!」
「だが、ダイキ……」
「いいから! あんたと少し話がしたい、というか俺には聞きたい事が幾らもあるんだ、この世界は一体どうなっている? ここは本当に日本で間違いないんだよな?」
「ふふ、あなたはおかしな事を聞くのね」
サツキの母親が少し少女めいた可愛らしい笑みを見せた。
「仕方がないだろう、どうもここは俺の知っている日本と違うように感じる。何故この町にはこんなに人がいないんだ? 住民は何処へ消えた?」
「あなたは知らないの?」
「何を?」
「ある日世界各地で天変地異が起こったのよ、火山は噴火し大地は揺れて人々は逃げ惑ったわ」
「……え?」
それは一体いつの話だ? そんな事件を俺は知らない。どういう事だ???
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「あなた、お住まいは?」
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サツキの母親は「そう」とひとつ頷いて「……今はもう、その土地には誰も住んでいないわ」とそう言った。
「誰も住んでないって、そんな馬鹿な……」
「正しく言えば存在していない。大きな地震と津波で土地がえぐれてこの大地の地形も変わってしまったのよ、あなたの住んでいたその辺りは大地震の震源地だったと言われているわ」
何を言われているのか分からなくて言葉が出てこない。俺はこの目の前の女性に騙されているのだろうか? それともからかわれている?
「そんな馬鹿な……」
「忘れもしない令和元年の秋口だったわ、そのせいで私のご主人様は山に入ったきり戻ってこない」
「ご主人様……? いや待て、令和元年?」
「日本は天皇陛下が交代して元号が変わったのよ? 知らないの?」
「!? いや、知ってる! それは分かってる、だけどそれが3年前……?」
「そうよ、今はもう令和で言ったら4年になるわ、今となってはそんな元号も既に生きているのかいないのか」
!? え? 嘘だろ? なんだそれ!? ここは俺の知ってる日本の未来の姿なのか!? しかも、その未来でこの国はこんなに荒廃してる……?
「ダイキ、大丈夫か?」
ロウヤが心配そうな瞳で俺を見つめる。大丈夫、ただちょっと混乱しているだけだ。
俺が向こうの世界に飛んだのはそれこそ令和元年の秋口だった。だとするとその天変地異は俺達が向こうの世界に飛んだ直後に起こったという事だ。そして、すでにそこから3年という月日が経過しているとそういう事か。
「天変地異の理由は分っているの、ただ人間達はそれを知らないけれど」
「どういう事だ? 何があった?」
「あなた達はどうやら私の存在が見えるようだから分かってもらえると思うのだけど、この世界には人ならざるものがたくさん存在していたのよ。人はそれを神とも悪魔とも妖怪とも呼んだわ。それこそ、そこのあなたが私を魔物と呼んだように、人は私達に名前を付けて敬い、時には恐れこの世界は成り立っていた」
彼女は静かに言葉を紡ぐ、その姿はこの荒廃した世界にはまるでそぐわない穏やかな口調だった。
「けれど、ある時そんな世界を壊す者が現れた。それは異世界からやってきて、微妙な均衡で支配されていたこの世界の人ならざる者達を喰らっていった……」
……ちょっと待て、ものすごく嫌な予感がする。
「その小さく黒い悪魔は世界中の『神』と呼ばれた我が同胞を喰らい、姿を消したのです。残されたか弱い同胞達は秩序を失い世界は荒れた、それがこの世界の荒廃の理由です」
何と言うか言葉が出ない、何故なら俺はその理由に心当たりがあり過ぎるからだ。俺は知っている、こっちの世界の魔物達が神と呼ばれていた事、そしてその神様が微妙な均衡でこの世界を守っていた事。その均衡を崩したらこの世界はヤバい事になると俺に教えてくれたのもたぶんその小さく黒い悪魔だったと思うのだ……
「ヒドイ奴もいたもんだな、その黒い悪魔ってのは一体何処に居るんだ?」
「それは私にも分かりかねます」
ずっと彼女を警戒し続けていたロウヤが彼女の言葉に同調を示した。まぁ、確かにそれだけ聞いたらこの世界を崩壊に導いたのはその黒い悪魔だもんな……そして俺はその黒い悪魔の名前を知っている。たぶんそれは間違いなく昴の父親、クロームさんだ。
「統率を失った我が同胞達は縄張り争いを繰り返し、現在も各地で暴れ回って災害が後を絶ちません。一部の者を除き、人間達には我が同胞の姿は見えない。彼等はその原因も分からぬまま逃げ惑うしか術がないのです」
「あんた達は逃げなくていいのか?」
「私はご主人様の命なしに、この土地を動く事が出来ません」
「あぁ、そういえばご主人様って? 旦那?」
「いえ、ご主人様はサツキの父親です」
? 確か目の前のこの女性はサツキの母親であるはずで、そのサツキの父親が彼女のご主人様だと言うのなら、それは即ち彼女の夫という事になると思うのだが、何故か彼女はそれを否定する。
「サツキ、お母さんもう少しお客様とお話があるの、おやつがあるから奥で食べていらっしゃい」
彼女が彼女の背中に隠れるようにしていたサツキに声をかける。サツキは不安そうに母親を見上げるのだが、「大丈夫だから」と彼女が穏やかな笑みを見せると、小さく頷き神社の奥へと駆けて行った。
「父親のことはサツキには聞かせたくない話?」
「サツキはまだ幼くて色々な事情が分かっていません。私のこの姿は確かにサツキの母親のものなのですが、私はあなた方の言う通りの『魔物』です、私はサツキの父親に仕えているただの『使い魔』なのです」
「じゃあ、サツキの両親は?」
女性は瞳を伏せて首を振る。
「ご主人様はあの3年前の災害の折に山神様の様子を見て来ると出掛けたまま帰ってきません、奥様はそんなご主人様の帰還を待ち続けていたのですが、元々病弱な方で昨年……」
「……死んだのか?」
サツキの父親の使い魔だと名乗る魔物がこくりと頷く。
「サツキはまだ幼く1人では生きていかれません。けれど私はこの土地を離れられない。私は待っていたのです、サツキをここから連れ出してくれる方を。お願いです、サツキを連れて行ってください! サツキをここで育てるのはもう限界なのです。放置された店などから食料・雑貨を奪いなんとかここまで生き永らえてきましたが、食料は間もなく底をつきます、そしてサツキの母親のこの身体も、もう長くはもちません」
そう言って彼女は袖をまくりその腕を見せてくれたのだが、その腕の色は人の色をしていなかった。肉が腐敗するギリギリ手前で何とか身体を維持している、だがもう限界だと彼女は言った。
「あんたは来ないんだよな? サツキはそれで納得するか? そもそも何処に連れて行けばいい?」
「現在各主要都市には避難シェルターが設置されたと聞きました。この未曽有の大災害で身寄りを亡くした者は幾らでもいます、そんな子供を保護してくれる機関もあると風の噂に聞いております、どうかサツキを何処か安全なシェルターに連れて行ってください」
サツキの母親の姿をした魔物は深々と頭を下げる。それは子を案じる母親そのものに見えて俺は戸惑う。
「う~ん、突然そんな事を言われても……そもそも俺達は自分達の行き先も決まっていないのに……」
「そう言えば、そちらのあなたはこの世界の方ではありませんよね? 一体何処から?」
「ん? それが分かれば苦労はしないな」
「あなたは分からないままこの世界へ?」
「たぶん向こうの世界のあんたみたいな奴にこっちに飛ばされたんだ、こっちだって困ってるんだよ」
警戒心露わだったロウヤが警戒を解いて彼女の話に耳を傾け始めた。
「私のような……と言うと?」
「喋る魔物」
正しく言えばヨセフは魔物ではなく人なのだろうが、その身体は魔物であるカトリーヌが維持しているのだから、言ってしまえば半分は魔物だな。うん。
「この世界には幾つかの門があります」
「門?」
「はい、その門は多世界に繋がり私達はその門をくぐり世界を巡ります。私はご主人様と契約をし、この地に留まっていますが、本来私達はそういうものなのです」
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