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番外編:橘大樹の受難
旅の始まり
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俺が最後に聞いたのは異世界の創造主ヨセフの高笑いだった。
行方不明になった妹の所在を探し求めていたら、いつの間にか俺は異世界に紛れ込んでいた。そこは獣人達の支配する不思議な世界で、俺達『人』は男女を問わず彼らにとって庇護すべき弱者だった。
まぁ、確かに獣人達の体躯は見上げるほどに大きく、彼らにとって俺達はまるで赤子のように見えるのだろうが、それでも俺自身が彼らの『嫁』呼ばわりされるのはどうにも違和感を覚えてしまう。
既にすっかり獣人の嫁の位置に収まっている隣家に住まう大崎昴は、真っ白い狼獣人の腕に抱かれ、ついでに自身の腕の中には彼との子供まで抱いてこの世界に馴染んでいたが、俺の頭の中には男を「嫁に貰う」という選択肢はあっても自分が「嫁になる」という選択肢はなかったので、世界崩壊を食い止める為に仮にとは言え俺を抱き上げ、俺の事を嫁だと偽った狼獣人には少しもやっとした気持ちを抱いていた。
彼の名前はロウヤ、獣人の中でもまだまだ若者らしい彼は、俺を頭に乗せてにかっと笑った。
「よろしくな、ダイキ」
そう言って笑った狼獣人はそのもふりとした灰色の毛皮を纏ったその姿を除けば、何処にでもいるような普通の好青年だった。
「ああ、よろしく、ロウヤ」
行方をくらましていた妹の橘美鈴も探し出してみればこちらの世界にすっかり馴染み、この異世界を楽しんでいて頭が痛い。俺達家族がどれだけお前の心配をしていたと思っているんだ! と怒鳴りつけたいのはやまやまなのだが、現在こちらの世界はそれどころではなく崩壊寸前、美鈴に説教を垂れている場合ではない状況だった。
ロウヤに肩車をされるようにして赴いたヨセフのアジトには俺達と同じ『人』がたくさん暮らしていた。だが、そこにいた『人』は誰もが獣人達に擦り寄って、彼らに媚びへつらうさまはどうにももやっとする。
俺達が転がり込んだ自分達のアジトにいた人間達もそうだった。この世界では獣人が主人で人はそんな獣人達に守られるだけの存在。世界の危機になど目も向けず、ただ自分達が不便な生活を強いられている事に不満を述べるだけで何もしない奴らばかりで、俺はこの世界は本当に好きではないなとそう思った。
そこでは俺を頭に乗せていたせいか、ロウヤの元に人間達は寄ってはこなかった。俺が彼の嫁だと思われたんだろうな。他の仲間達は人に囲まれ鼻の下を伸ばしていたが、獣人達は無条件に人をそういう性的対象に見るというその感覚も俺にはよく分からない。
「俺がいるせいか寄ってこないな。まぁ、今は番相手を探してる時でもないし、ヨセフを倒してからその辺は改めて探してくれ」
俺がロウヤの顔を上から覗き込むようにそう言うとロウヤは「俺はああいうタイプは好きじゃないから別にいい」と笑った。
「うちは母親が獣人と肩を並べる美丈夫の半獣人で、ただ守られてるだけの『人』とは違う、ああいうタイプは正直言って得意じゃない」
「へぇ、そういうもんなんだ? この世界の獣人以外の奴は皆なよなよしてる奴ばっかりなんだと思ってた」
「はは、そんな事はないさ。まぁ、うちの母親みたいなタイプは珍しいのかもしれないけど」
そんな会話をロウヤとしているとスバルの兄のシリウスに改めてスマホの位置情報を確認された。俺がそれを確認すると、俺達はもう既に目的地に達していた。
「場所はこの辺で間違いない、とするとここの上か下か」
「まぁ、そんなこったろうと思っていたよ、上は人の居住区だ、許可がなければ上がれない。さて、どうするか……」
俺達がそんな会話をしていると、急に辺りが暗くなり目の前にヨセフが現れた。緊迫する空気、ロウヤが俺を頭からおろして威嚇の声を上げる。
ヨセフの背後から半透明の触手が伸びている、何だあれ? 気持ちが悪い。そんな事を思った刹那、ヨセフが何やら呪いの言葉を投げた。すると周りにいた獣人達の姿が急に俺のよく知る普通の獣の姿に変わっていく。それは傍らにいたロウヤも同じく、これは一体何が起こっているんだ? 彼等は仲間を仲間と認識出来なくなったのか、混乱したように暴れ出した。
俺の前に立ち塞がるロウヤが仲間を威嚇する。ってか、違うだろ!? 今、そんな仲間われとかしてる場合じゃないって!!
「こらっ、お前ら何やってんだ! 止めろって! お前ら皆仲間だろっ!」
俺がロウヤの首に抱きつき止めようとすると、どこからか触手が伸びてきて俺達を包み込む。ヨセフは高笑い、こちらを嫌らしい瞳で眺め回して言ったのだ。
「せっかくだから新しい世界に連れて行ってあげようかと思ってね、私が世界を創造するのを見届ける役割の者は必要だよ。神の御業を見せつける事で私の存在はより一層盤石なものになるだろう」
はぁ? はぁ!? はぁぁぁぁ!!?
全く意味が分からない、なんて思っている間にも体には触手が巻き付いて、俺とロウヤは2人纏めて触手に絡め取られてしまった。俺がその時の事を覚えているのはそこまでで、次に俺が気が付いた時には世界は一変していた。
鳥の囀りが聞こえる。なんだか眩しい上に少し肌寒く、掛布団に潜り込もうと思って辺りをぽんぽんと手で探すのだが見付からない。布団は柔らかく、もふっとしているのに掛布団はないのかと、ぼんやり薄目を開けたらべろりとその顔を舐められた。
「!?」
「うぅ、わう?」
「は? 何?」
目の前には大きな犬面、俺は思わず後ずさろうとして寄りかかっていたもふもふから転げてしたたかに頭を打った。
「いってぇ」
後頭部を抑えて涙目になっていると、俺を温めてでもいたのだろうその犬は「わぅぅ……」と心配そうな瞳でこちらを覗き込み、また俺の頬を舐めた。
状況がまるで掴めない。そこは建物の中ではなく、周りは木立に囲まれた森の中、四方を見渡しても樹々が連なり人の気配もしやしない。
俺の傍にいるのは一匹の大きな灰色の犬……いや、これ本当に犬か? どちらかと言えばその相貌は狼に似て……
「もしかして、ロウヤ……?」
俺の問いかけに目の前の犬、もとい狼は「わう!」と、頷いた。
「本当にロウヤなのか!? え? これどうなってんの!? ここ何処!?」
ロウヤは黙って首をふる。言葉を発する事はない。どうやら獣の姿になってしまったロウヤは喋る事ができないようだ。
「他の皆は!?」
それにもロウヤは首を横にふる。喋れはしないが俺の言う事はきっちり理解しているようなのがとてもありがたい。
「誰もいないのか? ここが何処だかも分からない?」
今度はロウヤはこくりと縦に頷く、どうすんだよこんな訳の分からない場所で俺達遭難かよ……
「時間はどのくらい経ってる? 俺はどのくらい寝てた?」
ロウヤは困ったような瞳をこちらへと向ける。あ、そうか彼は複雑な質問には答えられない、意味は理解しているのだろうが言葉にできないのだ。
「えっと、一時間くらい?」
ロウヤは首を横に振る、二時間、三時間と数を増やして質問していくと、どうやら俺は一昼夜気を失っていたようで、そんな俺を彼は傍らでずっと見守ってくれていたらしい。
「なんか悪かったな、叩き起こしてくれても良かったのに」
「わうう」
ロウヤはふるふると首を横に振る。意図はよく分からないのだが、安静にしておけとかそんな意味なのだろう、優しいな。
「それにしても、ホントここ何処なんだろうな? どっかの森? 心当たりある?」
ロウヤはやはり首を横に振る、やはり結局彼もこの状況については何も分かっていないという事なのだろう。
「これはちょっと探索に出た方が良さそうだな、飯もどうにかしないとだし」
ロウヤは今度はこくこくと縦に頷いたのだが「わう」と一声鳴いて、まず俺を見上げてから次に鼻面で地面をとんとんと叩く。
「? 何? 掘れって?」
ロウヤは首を横に振る。あぁもう、俺の言う事をロウヤは分かっているのに、俺はロウヤの意図を上手にくみ取とる事ができなくてもどかしい。
ロウヤは俺のズボンを軽く咥えて引っ張り、また鼻で地面を指す。
「ん? 俺はここで待ってろって事?」
ロウヤが「おん!」と頷いた。どうやらこれで正解らしい。それにしてもここで待ってろって言われても、こんな何もない森の中一人で待ちぼうけはちょっと嫌だな……
「どうしても待ってなきゃダメか? 一緒に行くんでも別にいいだろ?」
「うう」
ロウヤが少しだけ困ったような瞳をこちらへと向けた。これは俺は足手纏いという事だろうか? そうだよな、ここは俺の知っている世界じゃなさそうだもんな……
「悪い、分かった。大人しく待ってるから気を付けて行って来いよ」
俺の言葉に「わう」と頷いたロウヤは踵を返して行ってしまった。辺りに静寂が訪れる。
聞こえてくるのは風に揺られる木の葉の音と鳥の囀り。俺は樹の幹に背を預けるようにして座り込んだ。
「はあぁ……それにしても本当にここ何処なんだろ」
生えている樹木は日本に自生しているものと同じだと思う、特に違和感を覚えないから。けれど、だからと言ってここが日本かと言ったら先程まで異世界に居たわけだし、それは違うのではないかとも思うのだ。
樹々の隙間から空を見上げる。見上げた青空はどの世界でも同じなんだけどな……
「あ……そういえば俺のスマホ」
ポケットの中に入っているはずのスマホを取り出しその画面を見て絶望する。笑ってしまうくらい見事に画面に蜘蛛の巣状のヒビが入っている。電源は何とか入るがそれ以外はうんともすんとも、画面が壊れているから操作を一切受け付けない。もうこれ駄目だ。
「まだ代金の支払い終わってないのになぁ……」
大きな溜息と共にまた空を見上げると、目の端に何か動くものを見付けて瞳を凝らした。
小さな、たぶんそれは生き物だと思う。一瞬サルかな? と思ったのだが、サルほど手足は長くない。だったら何だ? と更に瞳を凝らすと、ソレも俺がいる事に気付いたのだろう、大きな口を開けた。
瞬間俺はヤバイと悟る、だってそんなデカい口を持つ生き物を俺は知らない。それが甲高い叫びを上げると、同じような生き物が次々と樹の上に姿を現したのだが、やはりその姿は俺の知っている生き物の姿をしていなかった。
「待て、俺は何もしないし食べても美味くないからなっ!」
きしゃー! っと群れで声を上げ始めたそいつ等がこちらを睨む、俺は冷や汗だらだらだ。これはヤバイ、この感じはどう考えても友好的な態度には見えない。
俺はじりじりと後ずさる、瞳を背けては駄目だと本能が告げる、だがもう既に囲まれてしまっていて逃げ道がない。これがクロームさんが言ってた魔物なのか? 確かに俺は異世界に来てから食事は三食向こうの食事を取らせてもらった、それで魔物が見えるようになった? でも、姿が見えても俺には抵抗の術が何もない。
「……っつ」
不意に頬にぴりっとした痛みが掠めた。何が起こったのかと俺がその頬に触れるとそこは微かに濡れていて、掌に付いた赤色に何らかの攻撃をされたのだと気が付いた。
「おいおい、何だよ物理攻撃じゃねぇのかよ……」
続けざまに風を切るような音と共に服が裂け血が滲む。どうやって攻撃されているのか全く分からないのだが、俺の知っている知識で言うのならこれは『かまいたち』だ。
相手は動いてはいない、だとしたらこれは魔法攻撃。俺には防御の術がない。だがここに留まっていてはただの的で、やられるのは時間の問題だと悟った俺は駆け出した。
どちらに向かって逃げればいいのか分からない、けれどただやられるのを待つだけなんて俺は嫌だ。
風切り音がひゅんひゅんと耳を掠める。樹の上を付いてくる奴等もいるのだろう、樹がざわめき、赤く光る目玉が見える。足に痛みが走って思わず転げた俺の周りに何か丸いものが降ってきて、きーきーと喚きたてる。大きな口、その口内には鋭い牙、あれに噛まれたら一溜りもないな……と思った刹那、脇から大きな黒い動物が飛び出してその魔物と思われる丸い生き物に牙を立てた。
「グルルルル」
響く低い唸り声、魔物が少し後ろに下がった。獣は俺の前に立ち塞がるように魔物を威嚇する、あぁ、これロウヤだ。助かった。そう思った瞬間大きな口を開けた魔物が仲間にがぶりと齧り付いた。何事かとそれを見守っていたら、その魔物が一回り大きくなった。
「げ、共食いかよ……」
その大きくなった魔物は周りの小さな仲間を食い尽くし、ロウヤと同じくらいのサイズにまで成長する。姿も先程までの丸っこい姿から手足が伸びて醜悪な獣に変わる。これが魔物か……
ロウヤがその魔獣に飛び掛かり獣同士の戦いが続く中、俺は何も出来ずに樹の陰からそれを見守っていると数分で決着がついた。ロウヤが魔物の首根っこに齧り付き何度も何度も地面に叩きつけると、そのうち魔物は動かなくなった。
「やった、のか……?」
辺りに静けさが戻る。ロウヤが魔物を放り投げ今度は背中に齧り付いて、肉を噛み千切り咀嚼を始めた。それ食うのかよ……腹壊さないか? 大丈夫?
しばらくその光景を眺めていると、ロウヤが顔を上げてこちらにとことこやって来ると、俺の頬をぺろりと舐めた。呼気がちょっと生臭くて俺は思わずしかめっ面になってしまうのだが、助けられたのは間違いない。俺は「ありがとう」と礼を述べた。
「それにしても、これ……」と、俺が魔物の死骸に目をやった刹那、ロウヤから低い呻き声が漏れた。何事かとそちらを見やると、彼は何故か少し苦し気にしていて、やっぱりあんな得体の知れないモノ食べるからっ!! と俺は慌てる。
「おい、大丈夫か!?」
「う……ぐるぅぅ」
身体を強張らせるロウヤ、俺はそんな彼の背を撫でると不思議な事にその背中のサイズが広がった。驚いている間もなく彼の身体は膨らみ続け、先程の魔物の様子を思い出す。魔物は仲間を喰らう事で大きくなった、もしかしてその要領でロウヤも膨らんでる……?
苦し気なロウヤの呻き、しばらくすると膨張が止まり、そこには大きな獣が転がっていた。
「ちょ……なにコレ」
「うぅ……死ぬかと思った……」
「へ?」
むくりとロウヤが起き上がる。獣のように四つ足でではなく、普通に上体を起こして胡坐をかいたロウヤは自分の身体を眺めやり「酷い目に遭った」とそう零した。
行方不明になった妹の所在を探し求めていたら、いつの間にか俺は異世界に紛れ込んでいた。そこは獣人達の支配する不思議な世界で、俺達『人』は男女を問わず彼らにとって庇護すべき弱者だった。
まぁ、確かに獣人達の体躯は見上げるほどに大きく、彼らにとって俺達はまるで赤子のように見えるのだろうが、それでも俺自身が彼らの『嫁』呼ばわりされるのはどうにも違和感を覚えてしまう。
既にすっかり獣人の嫁の位置に収まっている隣家に住まう大崎昴は、真っ白い狼獣人の腕に抱かれ、ついでに自身の腕の中には彼との子供まで抱いてこの世界に馴染んでいたが、俺の頭の中には男を「嫁に貰う」という選択肢はあっても自分が「嫁になる」という選択肢はなかったので、世界崩壊を食い止める為に仮にとは言え俺を抱き上げ、俺の事を嫁だと偽った狼獣人には少しもやっとした気持ちを抱いていた。
彼の名前はロウヤ、獣人の中でもまだまだ若者らしい彼は、俺を頭に乗せてにかっと笑った。
「よろしくな、ダイキ」
そう言って笑った狼獣人はそのもふりとした灰色の毛皮を纏ったその姿を除けば、何処にでもいるような普通の好青年だった。
「ああ、よろしく、ロウヤ」
行方をくらましていた妹の橘美鈴も探し出してみればこちらの世界にすっかり馴染み、この異世界を楽しんでいて頭が痛い。俺達家族がどれだけお前の心配をしていたと思っているんだ! と怒鳴りつけたいのはやまやまなのだが、現在こちらの世界はそれどころではなく崩壊寸前、美鈴に説教を垂れている場合ではない状況だった。
ロウヤに肩車をされるようにして赴いたヨセフのアジトには俺達と同じ『人』がたくさん暮らしていた。だが、そこにいた『人』は誰もが獣人達に擦り寄って、彼らに媚びへつらうさまはどうにももやっとする。
俺達が転がり込んだ自分達のアジトにいた人間達もそうだった。この世界では獣人が主人で人はそんな獣人達に守られるだけの存在。世界の危機になど目も向けず、ただ自分達が不便な生活を強いられている事に不満を述べるだけで何もしない奴らばかりで、俺はこの世界は本当に好きではないなとそう思った。
そこでは俺を頭に乗せていたせいか、ロウヤの元に人間達は寄ってはこなかった。俺が彼の嫁だと思われたんだろうな。他の仲間達は人に囲まれ鼻の下を伸ばしていたが、獣人達は無条件に人をそういう性的対象に見るというその感覚も俺にはよく分からない。
「俺がいるせいか寄ってこないな。まぁ、今は番相手を探してる時でもないし、ヨセフを倒してからその辺は改めて探してくれ」
俺がロウヤの顔を上から覗き込むようにそう言うとロウヤは「俺はああいうタイプは好きじゃないから別にいい」と笑った。
「うちは母親が獣人と肩を並べる美丈夫の半獣人で、ただ守られてるだけの『人』とは違う、ああいうタイプは正直言って得意じゃない」
「へぇ、そういうもんなんだ? この世界の獣人以外の奴は皆なよなよしてる奴ばっかりなんだと思ってた」
「はは、そんな事はないさ。まぁ、うちの母親みたいなタイプは珍しいのかもしれないけど」
そんな会話をロウヤとしているとスバルの兄のシリウスに改めてスマホの位置情報を確認された。俺がそれを確認すると、俺達はもう既に目的地に達していた。
「場所はこの辺で間違いない、とするとここの上か下か」
「まぁ、そんなこったろうと思っていたよ、上は人の居住区だ、許可がなければ上がれない。さて、どうするか……」
俺達がそんな会話をしていると、急に辺りが暗くなり目の前にヨセフが現れた。緊迫する空気、ロウヤが俺を頭からおろして威嚇の声を上げる。
ヨセフの背後から半透明の触手が伸びている、何だあれ? 気持ちが悪い。そんな事を思った刹那、ヨセフが何やら呪いの言葉を投げた。すると周りにいた獣人達の姿が急に俺のよく知る普通の獣の姿に変わっていく。それは傍らにいたロウヤも同じく、これは一体何が起こっているんだ? 彼等は仲間を仲間と認識出来なくなったのか、混乱したように暴れ出した。
俺の前に立ち塞がるロウヤが仲間を威嚇する。ってか、違うだろ!? 今、そんな仲間われとかしてる場合じゃないって!!
「こらっ、お前ら何やってんだ! 止めろって! お前ら皆仲間だろっ!」
俺がロウヤの首に抱きつき止めようとすると、どこからか触手が伸びてきて俺達を包み込む。ヨセフは高笑い、こちらを嫌らしい瞳で眺め回して言ったのだ。
「せっかくだから新しい世界に連れて行ってあげようかと思ってね、私が世界を創造するのを見届ける役割の者は必要だよ。神の御業を見せつける事で私の存在はより一層盤石なものになるだろう」
はぁ? はぁ!? はぁぁぁぁ!!?
全く意味が分からない、なんて思っている間にも体には触手が巻き付いて、俺とロウヤは2人纏めて触手に絡め取られてしまった。俺がその時の事を覚えているのはそこまでで、次に俺が気が付いた時には世界は一変していた。
鳥の囀りが聞こえる。なんだか眩しい上に少し肌寒く、掛布団に潜り込もうと思って辺りをぽんぽんと手で探すのだが見付からない。布団は柔らかく、もふっとしているのに掛布団はないのかと、ぼんやり薄目を開けたらべろりとその顔を舐められた。
「!?」
「うぅ、わう?」
「は? 何?」
目の前には大きな犬面、俺は思わず後ずさろうとして寄りかかっていたもふもふから転げてしたたかに頭を打った。
「いってぇ」
後頭部を抑えて涙目になっていると、俺を温めてでもいたのだろうその犬は「わぅぅ……」と心配そうな瞳でこちらを覗き込み、また俺の頬を舐めた。
状況がまるで掴めない。そこは建物の中ではなく、周りは木立に囲まれた森の中、四方を見渡しても樹々が連なり人の気配もしやしない。
俺の傍にいるのは一匹の大きな灰色の犬……いや、これ本当に犬か? どちらかと言えばその相貌は狼に似て……
「もしかして、ロウヤ……?」
俺の問いかけに目の前の犬、もとい狼は「わう!」と、頷いた。
「本当にロウヤなのか!? え? これどうなってんの!? ここ何処!?」
ロウヤは黙って首をふる。言葉を発する事はない。どうやら獣の姿になってしまったロウヤは喋る事ができないようだ。
「他の皆は!?」
それにもロウヤは首を横にふる。喋れはしないが俺の言う事はきっちり理解しているようなのがとてもありがたい。
「誰もいないのか? ここが何処だかも分からない?」
今度はロウヤはこくりと縦に頷く、どうすんだよこんな訳の分からない場所で俺達遭難かよ……
「時間はどのくらい経ってる? 俺はどのくらい寝てた?」
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「わうう」
ロウヤはふるふると首を横に振る。意図はよく分からないのだが、安静にしておけとかそんな意味なのだろう、優しいな。
「それにしても、ホントここ何処なんだろうな? どっかの森? 心当たりある?」
ロウヤはやはり首を横に振る、やはり結局彼もこの状況については何も分かっていないという事なのだろう。
「これはちょっと探索に出た方が良さそうだな、飯もどうにかしないとだし」
ロウヤは今度はこくこくと縦に頷いたのだが「わう」と一声鳴いて、まず俺を見上げてから次に鼻面で地面をとんとんと叩く。
「? 何? 掘れって?」
ロウヤは首を横に振る。あぁもう、俺の言う事をロウヤは分かっているのに、俺はロウヤの意図を上手にくみ取とる事ができなくてもどかしい。
ロウヤは俺のズボンを軽く咥えて引っ張り、また鼻で地面を指す。
「ん? 俺はここで待ってろって事?」
ロウヤが「おん!」と頷いた。どうやらこれで正解らしい。それにしてもここで待ってろって言われても、こんな何もない森の中一人で待ちぼうけはちょっと嫌だな……
「どうしても待ってなきゃダメか? 一緒に行くんでも別にいいだろ?」
「うう」
ロウヤが少しだけ困ったような瞳をこちらへと向けた。これは俺は足手纏いという事だろうか? そうだよな、ここは俺の知っている世界じゃなさそうだもんな……
「悪い、分かった。大人しく待ってるから気を付けて行って来いよ」
俺の言葉に「わう」と頷いたロウヤは踵を返して行ってしまった。辺りに静寂が訪れる。
聞こえてくるのは風に揺られる木の葉の音と鳥の囀り。俺は樹の幹に背を預けるようにして座り込んだ。
「はあぁ……それにしても本当にここ何処なんだろ」
生えている樹木は日本に自生しているものと同じだと思う、特に違和感を覚えないから。けれど、だからと言ってここが日本かと言ったら先程まで異世界に居たわけだし、それは違うのではないかとも思うのだ。
樹々の隙間から空を見上げる。見上げた青空はどの世界でも同じなんだけどな……
「あ……そういえば俺のスマホ」
ポケットの中に入っているはずのスマホを取り出しその画面を見て絶望する。笑ってしまうくらい見事に画面に蜘蛛の巣状のヒビが入っている。電源は何とか入るがそれ以外はうんともすんとも、画面が壊れているから操作を一切受け付けない。もうこれ駄目だ。
「まだ代金の支払い終わってないのになぁ……」
大きな溜息と共にまた空を見上げると、目の端に何か動くものを見付けて瞳を凝らした。
小さな、たぶんそれは生き物だと思う。一瞬サルかな? と思ったのだが、サルほど手足は長くない。だったら何だ? と更に瞳を凝らすと、ソレも俺がいる事に気付いたのだろう、大きな口を開けた。
瞬間俺はヤバイと悟る、だってそんなデカい口を持つ生き物を俺は知らない。それが甲高い叫びを上げると、同じような生き物が次々と樹の上に姿を現したのだが、やはりその姿は俺の知っている生き物の姿をしていなかった。
「待て、俺は何もしないし食べても美味くないからなっ!」
きしゃー! っと群れで声を上げ始めたそいつ等がこちらを睨む、俺は冷や汗だらだらだ。これはヤバイ、この感じはどう考えても友好的な態度には見えない。
俺はじりじりと後ずさる、瞳を背けては駄目だと本能が告げる、だがもう既に囲まれてしまっていて逃げ道がない。これがクロームさんが言ってた魔物なのか? 確かに俺は異世界に来てから食事は三食向こうの食事を取らせてもらった、それで魔物が見えるようになった? でも、姿が見えても俺には抵抗の術が何もない。
「……っつ」
不意に頬にぴりっとした痛みが掠めた。何が起こったのかと俺がその頬に触れるとそこは微かに濡れていて、掌に付いた赤色に何らかの攻撃をされたのだと気が付いた。
「おいおい、何だよ物理攻撃じゃねぇのかよ……」
続けざまに風を切るような音と共に服が裂け血が滲む。どうやって攻撃されているのか全く分からないのだが、俺の知っている知識で言うのならこれは『かまいたち』だ。
相手は動いてはいない、だとしたらこれは魔法攻撃。俺には防御の術がない。だがここに留まっていてはただの的で、やられるのは時間の問題だと悟った俺は駆け出した。
どちらに向かって逃げればいいのか分からない、けれどただやられるのを待つだけなんて俺は嫌だ。
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「グルルルル」
響く低い唸り声、魔物が少し後ろに下がった。獣は俺の前に立ち塞がるように魔物を威嚇する、あぁ、これロウヤだ。助かった。そう思った瞬間大きな口を開けた魔物が仲間にがぶりと齧り付いた。何事かとそれを見守っていたら、その魔物が一回り大きくなった。
「げ、共食いかよ……」
その大きくなった魔物は周りの小さな仲間を食い尽くし、ロウヤと同じくらいのサイズにまで成長する。姿も先程までの丸っこい姿から手足が伸びて醜悪な獣に変わる。これが魔物か……
ロウヤがその魔獣に飛び掛かり獣同士の戦いが続く中、俺は何も出来ずに樹の陰からそれを見守っていると数分で決着がついた。ロウヤが魔物の首根っこに齧り付き何度も何度も地面に叩きつけると、そのうち魔物は動かなくなった。
「やった、のか……?」
辺りに静けさが戻る。ロウヤが魔物を放り投げ今度は背中に齧り付いて、肉を噛み千切り咀嚼を始めた。それ食うのかよ……腹壊さないか? 大丈夫?
しばらくその光景を眺めていると、ロウヤが顔を上げてこちらにとことこやって来ると、俺の頬をぺろりと舐めた。呼気がちょっと生臭くて俺は思わずしかめっ面になってしまうのだが、助けられたのは間違いない。俺は「ありがとう」と礼を述べた。
「それにしても、これ……」と、俺が魔物の死骸に目をやった刹那、ロウヤから低い呻き声が漏れた。何事かとそちらを見やると、彼は何故か少し苦し気にしていて、やっぱりあんな得体の知れないモノ食べるからっ!! と俺は慌てる。
「おい、大丈夫か!?」
「う……ぐるぅぅ」
身体を強張らせるロウヤ、俺はそんな彼の背を撫でると不思議な事にその背中のサイズが広がった。驚いている間もなく彼の身体は膨らみ続け、先程の魔物の様子を思い出す。魔物は仲間を喰らう事で大きくなった、もしかしてその要領でロウヤも膨らんでる……?
苦し気なロウヤの呻き、しばらくすると膨張が止まり、そこには大きな獣が転がっていた。
「ちょ……なにコレ」
「うぅ……死ぬかと思った……」
「へ?」
むくりとロウヤが起き上がる。獣のように四つ足でではなく、普通に上体を起こして胡坐をかいたロウヤは自分の身体を眺めやり「酷い目に遭った」とそう零した。
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