運命に花束を

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運命に祝福を

望まざる邂逅 ⑤

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 翌日も私の心に凪は訪れなかった。セイに貰った煙草を部屋が煙で霞むほど吹かしても心の中は荒れ狂い、自分ではどうにもできない感情に苛立ち何度も壁や床を拳で撃ちつけた。
 拳が己の血にまみれても止める事ができない焦燥感と喪失感は心臓をえぐるようで感情が制御できない。
 考えなくていい、何もかも忘れてしまえばいい、彼は私の何者でもなく、人生の中で通り過ぎて行っただけの人であると何度もそう思うのに、それは違うと囁く声が私を責め立てる。
 なにも違わない。私の運命の番はミーアだった、それは間違えようもない事実で疑いようもない。なのに何故だ、心の中に住まう誰かが私を責め立てる。
 ミーアに会いたい、彼女に会えばこんな感情は消えてなくなるはずなのだ、なのに私はそんな運命の相手にももう何か月も会えずにいる。
 何故だ? 何でこんな事になっている? 私は言われた通り、すべて上手くやれていたはずだ。
 私の頭を「いい子だ」と撫でるその手は誰のものだ? 私は本当にこれまでずっと「いい子」だったはずで、「いい子」にはいつも褒美が与えられてきた。
 それはとても幸福な感情で、けれど今はそんなものも感じられない。
 私は何処で間違えた? 私にはもう褒美を受け取る資格すらないのか? 今の私は「いい子」ではないからか? こんなにも皆の言う通りに過ごしているのにそれでも私は「いい子」ではないのか?
 目を閉じても開いても赤い血が見える。何故だ? 何故なのだ?
 叫び、暴れ、呻き、泣いて、それでも埋まらない孤独感に心は千々に引き裂かれる。

「ユリウス、ミーアに会いに行くぞ」

 暴れ、叫び疲れ、ぐったりした頃にかかった声に顔を上げた。

「本当に、会えるのですか……」
「ああ」

 セイの表情は逆光になっていてよく見えない。けれどその一言で私の乾いた心はようやく僅かに潤う。

「いつ! いつですか!? すぐに会えますか!?」
「ああ、明日には立つ。だからお前はこの嵐をどうにかしろ」

 淡々としたセイの言葉に私は何度も頷いた。ようやくだ、ようやく「いい子」の私には褒美が与えられるのだ。
 ようやく乾いた心が満たされる、私はそう思った……そう思っていた……

 連れて行かれたのは潜伏していた国境から随分離れた土地の、とある街の寂れた墓所だった。

「……セイさん、ここは?」
「ついて来れば分かる」

 そう言われて連れて行かれたのはその墓所の中でも端の端に位置する場所で、そこには周りよりも幾分か大きな碑が鎮座していた。
 碑に刻まれた文字は人名ではなく、それは個人の墓地ではないと分かるのだが、何故自分がそんな場所に連れて来られたのか意味が分からない。
 ざわざわと心がざわつく。先程まで晴れ間を見せていた空に鈍色の雲が立ち込める。

「セイさん」
「ミーアはここだ」

 石碑を見上げ、ぼそりと呟いたセイの言葉の意味が分からない。

「待って、セイさん、どういう……?」
「産後の肥立ちが悪かったそうだ。ここは共同墓地、ミーアの遺体は燃やされ灰にされてもうない」

 言葉が何も出てこない。崩れるようにその場にしゃがみ込み、頭の中は真っ白で何も考える事ができない。
 いない……いない……? 彼女がいない……?
 もうこの世のどこにも彼女がいない……そんな言葉が受け入れられる訳もなく呆然自失で動けない。

「あいつ等だ」
「…………」

 ぽつりと石碑に雫が落ちた。

「身重のミーアを無理やり連行してスランから連れ出した」
「誰が……」
「決まっているだろう、王国の連合軍だ。ミーアは奴等に殺されたんだ」

 殺された、彼女は国に殺された……

「ついて来い」

 セイはそう言うと私の腕を取り、無理やり立たせて引きずるように何処かへ連れて行こうとする。
 もう嫌だ、なんでだ……私には褒美が与えられるはずだったんじゃないのか? 何故いない? どうして彼女はいないんだ……
 引きずられるように連れて行かれたのは墓所に併設するように建てられた小さな教会。俄かに降り出した雨に庭の洗濯物を取り込もうとシスターらしき女性がバタバタと走り回っている。

「ママ、ママ、赤ちゃんが泣いちゃった!」
「えぇぇ、ちょっと待ってすぐに行くわ!」

 何処からか聞こえる幼子の声と赤ん坊の泣き声、それに応えるようにしてシスターは教会の中へと入っていく。

「俺達も行くぞ」
「…………何故」

 こんな場所へ私を連れて来て一体どうしようというのだ。ミーアは……私の運命の番はもういないのに、そんな彼女の冥福を神に祈れとでも言うのだろうか?
 私のこの力は神の力で、私は神から力を与えられた神の遣いだとアギトはそう言ったが、私はどこまでも無力で大事な彼女一人すら護れなかったのだ。
 神などいない、ノエルは私にそう言った。ああ、確かにそうだ。神の力を有する私が、ただ一人護りたかった相手すら護ってくれない神様なんて、この世界にいる訳がない。いや、いたとしても意味がない。
 でも、だったらこの力はなんだ? 彼女を護るためには何の役にも立たなかった私のこの力は一体何なんだ!!

「お前は自分の子に会いたくはないのか?」
「…………子……供?」

 またしても言われた言葉に頭が真っ白になった。子供? 誰の? 私の……? ミーアの、子供……?

「まぁ、会わないという選択肢もあるが……」

 ふらりと教会の方へと足を向ける。
 そうだ、確かにセイは彼女は産後の肥立ちが悪くてと言ったのだ。子供……生まれたのか……命を懸けて、彼女は、子を産んだのか……
 彼女は元々あまり体調が芳しくなかった、もしかしたら子を孕み産む事で彼女は更に命を縮めたのかもしれない。
 それをさせたのは誰だ? それは私だ……
 彼女の命を奪ったのは誰だ? それも、もしかしたら私なのかもしれない。
 こんな事になるのなら出会わなければ良かったのだ、出会わなければ彼女は子も孕まず、死なずにすんだかもしれないのに。
 彼女の命を奪った子供が憎い、そうさせてしまった自分がとても恨めしく悔しくて仕方がない。
 教会の中に足を踏み込むと何人かの子供に囲まれたシスターが愚図る赤子をあやしていた。

「ママァ、赤ちゃん見せて」
「僕も、僕もぉ」

 遥かに遠い記憶が脳裏をよぎる。シスターはどうやら子供達全員から「ママ」と呼ばれているようだ。子供達は兄弟というにはあまり似ていないし、瞳の色や髪色もバラバラなので恐らくこの教会は孤児院も兼ねているのだろう。

「はいはい、でもあんまり大きな声を出さないでね。赤ちゃんがビックリしちゃうからね」

 シスターは椅子に腰かけ、子供達に赤子の顔が見えるようにおくるみを少し広げた。彼女の腕に抱かれた赤子はまだ生まれてさほども経っていなさそうで、彼女の腕の中で大人しく寝ている。

「赤ちゃん、ちっちゃい!」
「赤ちゃん可愛い~」

 子供達が赤子の顔を覗き込んでは口々に嬉しそうに言った言葉に泣きそうになった。先程まで湧いていた憎いという感情が急激に萎れていくのを感じる。
 よろよろと覚束ない足取りで彼等に近付いて行くと子供の一人が私に気が付き「誰!?」と脅えたようにシスターにしがみついた。
 シスターも私を見ると赤子を守るように抱き直し「どちら様ですか?」と、努めて平静に問うてきた。

「子供を……」
「ええと、里子の申し入れですか?」
「こいつはその子の父親だ、赤ん坊を抱かせてやってはくれないか?」
「え……」

 背後から現れたセイの言葉に驚いたような表情のシスターはこちらへ幾つかの質問を投げて寄越す、それはミーアの名前や容姿に関する質問から私に対する幾つかの問いかけだった。恐らくこんな風に現れて子供を攫うような輩もいるのだろう、私はそんなシスターの質問にひとつひとつ丁寧に返事を返し、ようやく赤子を抱く事を許された。
 シスターから手渡された赤ん坊は真っ直ぐに私の瞳を見上げ、食い入るように私を見ている。そんな赤ん坊を私も食い入るように見詰め動けない。

「この子の母親はこの教会で息を引き取りました、ずいぶん衰弱していて、それでもこの子を抱いた時、それは嬉しそうに笑っていたのですよ」

 ミーアはこの子を産んだことに後悔はなかったのか……

「この子の名前はノーア、彼女が名付けたの。自分が残せるものはそれくらいしかないからとそう言ってね……」

 シスターはそう言って声を震わせた。

「シスター」
「はい、何でしょうか」
「必ず迎えに来ます、なので、もうしばらくこの子をここで預かっていただけますか?」
「それは構いませんが……」

 困惑したような表情のシスターに腕の中の小さな温もりを返し、もう一度その瞳を見やる。赤子の瞳を見ていたら虚ろに濁っていた心が妙に澄み渡った。
 ミーアはもうこの世にいないと告げられたのに、もう涙も出てこない。私はずいぶん薄情な人間なのだなと改めて思う。
 けれど赤子を見ていて思い出した。そもそも違うのだ、ミーアは私の番相手ではない。私の番相手はミーアを依り代として現れた何者か、そして『ソレ』はここにいる。
 何故忘れていたのだろう、あの頃から私の心はとても虚ろで、その何者かに告げられた言葉も何もかも忘れてしまっていた事を今はっきりと思い出した。
 ミーアには情があった。少なくともあの数か月間、彼女は私の番相手で妻だった。けれど今、私の心はとても凪いでいる。
 連れ合いを亡くせば人は悲しむものだ、いやそれは人に限らず、長年連れ添った相手ならば犬猫だとて同じだろう。けれど私の心はこれほどまでに凪いでいる。
 血に塗れたノエルを見た時にはあんなにも取り乱した自分が、一度は番として暮らしたミーアの死を知ってもこれほど凪いでしまっているという事実はあまりにも彼女に対して失礼だと思う。だからせめて、私は彼女の弔いだけはしっかりとしなければならない。

「行きましょう、セイさん」
「え? おい、ユリウス!」

 踵を返した私の態度に驚いたような様子のセイが「何処へ行く!」と私の肩を掴んだ。

「そんなの決まっているでしょう? ミーアの弔い合戦ですよ」

 セイは一瞬驚愕の表情を浮かべ、その後ふっと口角を上げて「それはいい」とそう言った。

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