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運命に祝福を
想いの行き先 ④
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ルイさんから貰ったフェロモンの抑制剤はよく効いた。まるでベータにでも擬態しているかのように自身のフェロモンが消える。ついでに存在感も消えてしまうのか、普通にそこに居るだけだと周りに「いたの?」という反応を返されてしまう。
俺の存在感って一体……モブか!? やっぱりモブなのか!?
町の中を散歩を兼ねて見て回るのは昔からの俺の習慣だが、いつもは挨拶をしてくれる町の住民達にも気付かれないくらいに俺の存在感は希薄で、これはこれでどうかと思う。
「あれ?」
目の端に赤い髪が揺れている、元々この町には赤髪はノエルしかいなかったのだが、この町にも赤髪の人間が増えた。それはルイさん達デルクマン一家の兄弟やメリアからやって来たダニエルさんもだ。
現在ダニエルさんはノエルの祖父コリーと共にメルクードに滞在しておりこの町にはいないのだが、いつの間にか俺は赤髪を珍しいとも思わなくなった。
現在俺の前を歩いている赤髪の人物は俺の幼馴染のノエル、そしてその横を俯きがちに歩いているのはヒナノさんだ。
俺の心がざわりと揺れる。よく分からない気持ちの悪い感情、俺は今までたくさんの女性に好意を抱いてきたが、こんな感情を抱いたのは初めてだ。
今までは好いた女性に想い人がいれば簡単に諦める事ができた、誰かと仲良く一緒に歩いていたとしても普通にその輪の中に自分も入っていけた。
だが今、俺の心の内を支配するこの黒い感情はなんだ? 何故彼女はノエルの横でそんなに嬉しそうに微笑んでいるのだ? ノエルも何故当然のように彼女の横を歩いている?
お前はその場所に相応しい人間ではないだろう? オメガの隣にはアルファ、アルファの隣にはオメガ、それが自然の摂理でそこにベータの入り込む余地などない、なのになんでだ?
疎外感、いや違う、これは嫉妬心だ。彼女を攫いたいという衝動、けれど今の俺にはその資格がないというどうしようもない現実。何故だ? その場所は俺のモノだろう?
俺はふらりと二人の後を追う、どうやら二人は河原の方へと歩いて行くのだが一体そちらに何がある? いや、むしろ何もないな、人気もない。そこはこの小さな町の中で恋人達が赴く事の多い数少ないデートスポットだ。
二人の様子はまんまカップルだし、誰もそれを不思議に思う者もいやしない。
二人はゆっくりゆっくり川辺を歩く、何を話しているのかまでは聞こえてこないのがとても歯がゆい。これ以上近付いたら気付かれるだろうか? だが、今の俺の存在感は幽霊とそう大差ない、俺はままよとばかりに二人の後をこっそりと追っていった。
「ノエル君」
「ん?」
「ノエル君の気持ちはやっぱり変わらないですか?」
「ん……ごめん、ヒナちゃん。変わらない」
二人が立ち止まり、俺は二人の会話が聞こえる距離まで近付き聞き耳を立てた。
ノエルの言葉に先程まで微かに微笑んでいたヒナノの表情が微かに翳ったのが見て取れる。彼女の両手がスカートをきゅっと握り込んだ。
「ユリ君はきっともう戻ってこないです」
「うん」
「ノエル君の所にもきっと戻ってはこないです」
「うん、分かってる」
ヒナノはノエルのその言葉に瞳を潤ませて俯いてしまう。そんな彼女にノエルは少しだけ困ったような表情で、ただ「ごめん」とそう言った。
「ヒナにはそんなに魅力がないですか?」
辺りにふわりと甘い香りが広がった。それはオメガのアルファを誘う誘惑のフェロモン。
ダメだ! そんな事をしては……!
けれど、その薫りを感じているのかいないのかノエルはまた「ごめん」と俯いた。そういえばノエルはバース性ではないただのベータだ、フェロモンの匂いなど恐らく分かりようもないのだろう。
「ヒナはノエル君が好きです」
「うん、知ってる。ありがとう」
「この気持ちは本物です、ユリ君のような紛い物の好きとは違う」
ヒナノの言葉にノエルが顔を歪ませ「あの時のユリ兄の言葉にだって嘘はなかったよ」と、彼女から瞳を逸らした。
「でもユリ君はノエル君を裏切りました! 運命の相手を見付けてユリ君はノエル君を裏切ったのです!」
ノエルは一瞬息を詰め、そして静かに吐き出す。
「でも、さ……それはヒナちゃんも同じだろ? いつか運命の相手を見付けたら、ヒナちゃんだってきっと俺を裏切る」
「ヒナはそんな事しませんです!」
「それでも嫌だよ、いつかまた裏切られるかもって怯えて暮らすことなんて俺にはできない、俺はそこまで強い人間じゃない」
「ヒナは……!」
「それにもう、俺の心は全部ユリ兄が持ってっちゃった、だからごめん、ヒナちゃんとは付き合えない」
ヒナノの潤んだ瞳からついに涙が零れ落ちた。
あぁ、もう! なんだよ、もう! 俺の『運命』泣かせんなっっ!!!
このまま出て行ってノエルの胸倉を掴んで殴りつけたいような気持ちだが、俺はその衝動をぐっと抑え込んだ。だって今の俺にはその資格がない、これはノエルと彼女の問題で俺が口を出す権利など何ひとつないのだ。
「送って行くよ」と言ったノエルの言葉に彼女は涙を拭いながら首を振り駆け出した。
俺はもちろんその後を追う。
あぁ、もうこのまま捕まえて抱き締めて「好きだ」と「俺だったら君を泣かせない」と、そう言って彼女を慰めたい!
ふいに彼女の駆ける足が緩む。そこは、黒の騎士団の隠れ家近く、町のはずれの森の中、ヒナノがくるりと振り向いて勢い余って俺は彼女の前に飛び出してしまった。
「付いてこないでくださいです!」
「あ……」
どうやら彼女は追いかけてくる俺の存在に気付いていたらしい。
「俺はたまたま通りかかっただけで……」
「嘘です! あなたはずっとヒナとノエル君のお話を盗み聞いていたじゃないですか!」
あぁ、完全にバレてら。おかしいな、今の俺はこんなにも存在感が薄くなっているというのに。
「あなたは満足ですか! ヒナがノエル君にフラれてどうせ喜んでいるのでしょう!? でも、ヒナの気持ちは変わらないです、ヒナはノエル君が好きなのです! ヒナが好きなのはノエル君なのです! ヒナの気持ちは変わりはしない!」
また辺りに甘い香りが広がった。けれどそれは誘惑するような薫りではなく、どこか刺々しく俺を拒絶した。
「そんな事、思っていない、ただ俺は……」
どうしようと思っていたのだろう? 心配のあまり追いかけて来てしまったが、特にこれと言ったプランがあった訳ではない。ただ彼女を慰めたかった、けれど俺にはどうやらそれすらも許されないらしい。
「ヒナは、あなたが嫌いです」
彼女がまた瞳を潤ませた。
「ヒナはノエル君が好きなのに……なのになんで……」
「君は俺の『運命』だ!」
「そんなの知らないっ!」
俺の言葉に彼女は顔を掌で覆って泣き出した。
どうしていいのか分からない。抱きしめたらきっともっと彼女を泣かせることになる。
恐らく彼女も気付いている、俺達は分かっている。出会う順番を間違えた。母さんの事を責められないな……
「ヒナはそのうち両親の元に帰ります。そうしたら、きっともうあなたには二度と会わないです」
「っつ……」
「ヒナは一生番相手は持ちません。ヒナの意志とは無関係に結ばれる関係なんて、そんなのおかしいのです、間違っているのです」
彼女の気持ちは頑なで、どうやら今現在彼女の心の中に俺の入り込む余地は一ミリもないらしい。俺はぎゅっと拳を握る。
「俺は……待つよ」
「あなたはこの領地の跡取り、そんな訳にはいかないでしょう? どうぞヒナの事はお気になさらず、お好きに他の方と番ってくださればいいのです」
完全なる拒絶、彼女は俺を受け入れる気はさらさらない様子で言い切った。
「それでは、ヒナは失礼しますです」
俺の脇を抜けて行こうとした彼女の腕をがしっと掴む。あぁ、ヤバい、細い。
「どうすればいい? 何をすれば信じてもらえる?」
「痛いです、放してくださいです。ヒナは乱暴な殿方は嫌いです」
俺は慌てて彼女の腕を放した。
「信じる信じないの問題ではありません。ヒナの気持ちは変わらないと言っているのです。ヒナはずっとノエル君が好きなのです。ヒナはノエル君がユリ君を忘れる日まで、諦めるつもりはないのです」
「だったら俺は君がそんなノエルを諦める日まで待ち続けるよ、俺は待てる」
「そんな日は一生こないです。あなたはもっと建設的に前を向けばいいのです。あなたはこの土地を背負う領主の一人息子なのですから」
領主の息子? そんな肩書くそ食らえだ、俺は領主の一人息子である前にロディ・R・カルネという一人の人間だ。俺は君を諦めるつもりはない!
※ ※ ※
俺は川辺に一人佇んでいた。先程ユリウスの妹、ヒナノに改めて好きだと告白されたのだが俺はそれを拒んでしまった。
ヒナノはとても可愛い娘だ、俺も最初に会った時にはドキドキしたし、こんな娘が彼女だったらと思った事だってあった。なのに、俺は彼女を受け入れる事ができなかった……
俺の事をユリウスとヒナノで取り合うようにして笑い合っていた頃がまるで嘘のようだ。俺は彼女の事を嫌いなわけではない、けれどアルファであるユリウスに裏切られた今、簡単にオメガである彼女の告白を受け入れる事は出来なかったし、そもそも俺の気持ちがヒナノにない現状、彼女の気持ちを受け入れる事なんて俺には出来ない。
川の流れに乗って俺のこのぐちゃぐちゃな感情も流れて行ってしまえばいいのに……けれど俺の感情は濁ったまま汚泥のように堆積していく一方だ。
「本当に貴方達くだらないわね」
かけられた声、ああ、あまり今聞きたい声じゃなかったな。
「盗み聞きですか、良家の子女がする事ではありませんね」
「私が盗み聞いていた訳ではないわよ、貴方達が勝手にここへ来て、私の前で痴話喧嘩をしていただけじゃない」
痴話喧嘩……俺にとってこれはそんな生温い感情なんかじゃない。
俺の前に現れたのはメリアのレイシア姫、いつも豪華なドレスを身に纏っている彼女だけれど、ずいぶん質素な服を着て、ばさりと自慢の赤髪を後ろへ流し意地の悪い視線を俺に向けた。
「恋愛なんて真面目にするから疲弊するのよ、そんな感情は人生において不要だわ。それに貴方を裏切った恋人はアルファ、そして貴方はベータなのでしょう、そんなおままごとなんて破綻して当然じゃない」
おままごと……俺のこのぐちゃぐちゃな感情を姫はその一言で片付ける。
「バース性の人間なんかに関わるからそういう事になるのよ、振り回されるこちらの方がいい迷惑よ。自分達を特別だと思うのなら、そちらはそちらで勝手にやっていてくれればいいのに、あの人達は勝手に私達を巻き込むの、本当に腹立たしいったらないわ」
「バース性の人間は別に特別な存在なんかじゃないですよ。皆同じ普通の人間です」
「発情期なんてモノがある人間の一体どこが普通なの? 優秀さを売りにしているくせに番相手にはとことん馬鹿になるなんて、どこまでも本能的で獣のようだとは思わない? 人間には本来理性があるのよ、それすら投げ打つような関係が普通だなんて可笑しいわ」
「その感情はバース性、関係ないです」
相手に焦がれる気持ちに性別なんて関係ない、本気で好きになったから傷付くんだ。本気で愛してるから渇望して狂うんだ。
「自分しか愛そうとしない貴女にはきっと一生分からない」
「そんなもの知ろうとも思わないし、生きていくうえで無駄な感情でしかないわ」
そうやってこの人は自分だけを愛してこれからも生きていくのだろう、けれどそれも人の生き方だ。自分は自分、他人は他人、俺は何も言わず踵を返した。
「なぁに、逃げるの?」
「は? 逃げる? 何から? 貴女からですか?」
「そうよ、言い返せないから悔しいのでしょう?」
何故か姫は勝ち誇ったような笑みを浮かべているけれど、彼女が一体俺の何に勝ったつもりでいるのかまるで分からない。
「別に悔しくなんてないです。議論の余地がないので貴女とは話す価値がないと判断しただけです。俺は自分のこの感情も行動も誰かに肯定してもらおうだなんて思ってない、俺は自分が納得できる生き方をしたいだけ、ただそれだけなんだ。貴女の戯言なんて俺には不要で聞く意味なんてない。貴女はそうやって誰彼構わず喧嘩を売っては相手を困らせているようですけど、それって自分の自信のなさを他人に押し付けて、自分が正しいと肯定して欲しいだけなんじゃないですか? そういうの周りはとても迷惑してるって分かりませんか? 貴女が何を考え、どう生きていこうと俺には関係ない事です、どうぞ好きなように御自分の持論に負けず生きてください。だけど、それに他人を巻き込むな」
「な……」
一気に畳みかけて俺は再び踵を返した。
彼女は自分の「姫」という立場上、誰も自分に反論をしてこない事を分かっているのだ。だからああやって高飛車に持論を展開してくるけれど俺には関係ない。ここはファルスでメリアではないし、俺はあの人の従者でもなんでもないのだから素直に姫の意見を聞いて肯定してやるいわれもない。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「まだ何か御用ですか? 俺にはもう貴女と話す事なんて何もない」
「私は見ていたのよ、貴方の恋人が他の女を抱いて、それは睦まじい様子で目の前を通り過ぎていく姿を確かに見たわ。貴方の愛がどれ程高尚なものか知りませんけど、所詮愛情なんてそんな薄っぺらなものでしかないじゃない!」
「………………」
拳を握り黙りこんだ俺にまた彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。その顔は美しい容姿とは裏腹にまるで内面の醜さを表したような醜悪さだ。
「……貴女の言う通り、彼の俺への愛情は薄っぺらな紙程度のものだったのかもしれません、けれどそれでも俺は構わない。俺があの人を愛してる、その気持ちだけで充分です。誰も愛さず誰にも愛される事のない可哀想なお姫様の言葉なんて俺には必要ない」
俺は三度踵を返す、まだ背後では何やらキーキーと叫んでいる姫の声が聞こえた気がしたけれど今度こそ俺は後ろも振り向かず歩き出した。
俺の存在感って一体……モブか!? やっぱりモブなのか!?
町の中を散歩を兼ねて見て回るのは昔からの俺の習慣だが、いつもは挨拶をしてくれる町の住民達にも気付かれないくらいに俺の存在感は希薄で、これはこれでどうかと思う。
「あれ?」
目の端に赤い髪が揺れている、元々この町には赤髪はノエルしかいなかったのだが、この町にも赤髪の人間が増えた。それはルイさん達デルクマン一家の兄弟やメリアからやって来たダニエルさんもだ。
現在ダニエルさんはノエルの祖父コリーと共にメルクードに滞在しておりこの町にはいないのだが、いつの間にか俺は赤髪を珍しいとも思わなくなった。
現在俺の前を歩いている赤髪の人物は俺の幼馴染のノエル、そしてその横を俯きがちに歩いているのはヒナノさんだ。
俺の心がざわりと揺れる。よく分からない気持ちの悪い感情、俺は今までたくさんの女性に好意を抱いてきたが、こんな感情を抱いたのは初めてだ。
今までは好いた女性に想い人がいれば簡単に諦める事ができた、誰かと仲良く一緒に歩いていたとしても普通にその輪の中に自分も入っていけた。
だが今、俺の心の内を支配するこの黒い感情はなんだ? 何故彼女はノエルの横でそんなに嬉しそうに微笑んでいるのだ? ノエルも何故当然のように彼女の横を歩いている?
お前はその場所に相応しい人間ではないだろう? オメガの隣にはアルファ、アルファの隣にはオメガ、それが自然の摂理でそこにベータの入り込む余地などない、なのになんでだ?
疎外感、いや違う、これは嫉妬心だ。彼女を攫いたいという衝動、けれど今の俺にはその資格がないというどうしようもない現実。何故だ? その場所は俺のモノだろう?
俺はふらりと二人の後を追う、どうやら二人は河原の方へと歩いて行くのだが一体そちらに何がある? いや、むしろ何もないな、人気もない。そこはこの小さな町の中で恋人達が赴く事の多い数少ないデートスポットだ。
二人の様子はまんまカップルだし、誰もそれを不思議に思う者もいやしない。
二人はゆっくりゆっくり川辺を歩く、何を話しているのかまでは聞こえてこないのがとても歯がゆい。これ以上近付いたら気付かれるだろうか? だが、今の俺の存在感は幽霊とそう大差ない、俺はままよとばかりに二人の後をこっそりと追っていった。
「ノエル君」
「ん?」
「ノエル君の気持ちはやっぱり変わらないですか?」
「ん……ごめん、ヒナちゃん。変わらない」
二人が立ち止まり、俺は二人の会話が聞こえる距離まで近付き聞き耳を立てた。
ノエルの言葉に先程まで微かに微笑んでいたヒナノの表情が微かに翳ったのが見て取れる。彼女の両手がスカートをきゅっと握り込んだ。
「ユリ君はきっともう戻ってこないです」
「うん」
「ノエル君の所にもきっと戻ってはこないです」
「うん、分かってる」
ヒナノはノエルのその言葉に瞳を潤ませて俯いてしまう。そんな彼女にノエルは少しだけ困ったような表情で、ただ「ごめん」とそう言った。
「ヒナにはそんなに魅力がないですか?」
辺りにふわりと甘い香りが広がった。それはオメガのアルファを誘う誘惑のフェロモン。
ダメだ! そんな事をしては……!
けれど、その薫りを感じているのかいないのかノエルはまた「ごめん」と俯いた。そういえばノエルはバース性ではないただのベータだ、フェロモンの匂いなど恐らく分かりようもないのだろう。
「ヒナはノエル君が好きです」
「うん、知ってる。ありがとう」
「この気持ちは本物です、ユリ君のような紛い物の好きとは違う」
ヒナノの言葉にノエルが顔を歪ませ「あの時のユリ兄の言葉にだって嘘はなかったよ」と、彼女から瞳を逸らした。
「でもユリ君はノエル君を裏切りました! 運命の相手を見付けてユリ君はノエル君を裏切ったのです!」
ノエルは一瞬息を詰め、そして静かに吐き出す。
「でも、さ……それはヒナちゃんも同じだろ? いつか運命の相手を見付けたら、ヒナちゃんだってきっと俺を裏切る」
「ヒナはそんな事しませんです!」
「それでも嫌だよ、いつかまた裏切られるかもって怯えて暮らすことなんて俺にはできない、俺はそこまで強い人間じゃない」
「ヒナは……!」
「それにもう、俺の心は全部ユリ兄が持ってっちゃった、だからごめん、ヒナちゃんとは付き合えない」
ヒナノの潤んだ瞳からついに涙が零れ落ちた。
あぁ、もう! なんだよ、もう! 俺の『運命』泣かせんなっっ!!!
このまま出て行ってノエルの胸倉を掴んで殴りつけたいような気持ちだが、俺はその衝動をぐっと抑え込んだ。だって今の俺にはその資格がない、これはノエルと彼女の問題で俺が口を出す権利など何ひとつないのだ。
「送って行くよ」と言ったノエルの言葉に彼女は涙を拭いながら首を振り駆け出した。
俺はもちろんその後を追う。
あぁ、もうこのまま捕まえて抱き締めて「好きだ」と「俺だったら君を泣かせない」と、そう言って彼女を慰めたい!
ふいに彼女の駆ける足が緩む。そこは、黒の騎士団の隠れ家近く、町のはずれの森の中、ヒナノがくるりと振り向いて勢い余って俺は彼女の前に飛び出してしまった。
「付いてこないでくださいです!」
「あ……」
どうやら彼女は追いかけてくる俺の存在に気付いていたらしい。
「俺はたまたま通りかかっただけで……」
「嘘です! あなたはずっとヒナとノエル君のお話を盗み聞いていたじゃないですか!」
あぁ、完全にバレてら。おかしいな、今の俺はこんなにも存在感が薄くなっているというのに。
「あなたは満足ですか! ヒナがノエル君にフラれてどうせ喜んでいるのでしょう!? でも、ヒナの気持ちは変わらないです、ヒナはノエル君が好きなのです! ヒナが好きなのはノエル君なのです! ヒナの気持ちは変わりはしない!」
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「そんな事、思っていない、ただ俺は……」
どうしようと思っていたのだろう? 心配のあまり追いかけて来てしまったが、特にこれと言ったプランがあった訳ではない。ただ彼女を慰めたかった、けれど俺にはどうやらそれすらも許されないらしい。
「ヒナは、あなたが嫌いです」
彼女がまた瞳を潤ませた。
「ヒナはノエル君が好きなのに……なのになんで……」
「君は俺の『運命』だ!」
「そんなの知らないっ!」
俺の言葉に彼女は顔を掌で覆って泣き出した。
どうしていいのか分からない。抱きしめたらきっともっと彼女を泣かせることになる。
恐らく彼女も気付いている、俺達は分かっている。出会う順番を間違えた。母さんの事を責められないな……
「ヒナはそのうち両親の元に帰ります。そうしたら、きっともうあなたには二度と会わないです」
「っつ……」
「ヒナは一生番相手は持ちません。ヒナの意志とは無関係に結ばれる関係なんて、そんなのおかしいのです、間違っているのです」
彼女の気持ちは頑なで、どうやら今現在彼女の心の中に俺の入り込む余地は一ミリもないらしい。俺はぎゅっと拳を握る。
「俺は……待つよ」
「あなたはこの領地の跡取り、そんな訳にはいかないでしょう? どうぞヒナの事はお気になさらず、お好きに他の方と番ってくださればいいのです」
完全なる拒絶、彼女は俺を受け入れる気はさらさらない様子で言い切った。
「それでは、ヒナは失礼しますです」
俺の脇を抜けて行こうとした彼女の腕をがしっと掴む。あぁ、ヤバい、細い。
「どうすればいい? 何をすれば信じてもらえる?」
「痛いです、放してくださいです。ヒナは乱暴な殿方は嫌いです」
俺は慌てて彼女の腕を放した。
「信じる信じないの問題ではありません。ヒナの気持ちは変わらないと言っているのです。ヒナはずっとノエル君が好きなのです。ヒナはノエル君がユリ君を忘れる日まで、諦めるつもりはないのです」
「だったら俺は君がそんなノエルを諦める日まで待ち続けるよ、俺は待てる」
「そんな日は一生こないです。あなたはもっと建設的に前を向けばいいのです。あなたはこの土地を背負う領主の一人息子なのですから」
領主の息子? そんな肩書くそ食らえだ、俺は領主の一人息子である前にロディ・R・カルネという一人の人間だ。俺は君を諦めるつもりはない!
※ ※ ※
俺は川辺に一人佇んでいた。先程ユリウスの妹、ヒナノに改めて好きだと告白されたのだが俺はそれを拒んでしまった。
ヒナノはとても可愛い娘だ、俺も最初に会った時にはドキドキしたし、こんな娘が彼女だったらと思った事だってあった。なのに、俺は彼女を受け入れる事ができなかった……
俺の事をユリウスとヒナノで取り合うようにして笑い合っていた頃がまるで嘘のようだ。俺は彼女の事を嫌いなわけではない、けれどアルファであるユリウスに裏切られた今、簡単にオメガである彼女の告白を受け入れる事は出来なかったし、そもそも俺の気持ちがヒナノにない現状、彼女の気持ちを受け入れる事なんて俺には出来ない。
川の流れに乗って俺のこのぐちゃぐちゃな感情も流れて行ってしまえばいいのに……けれど俺の感情は濁ったまま汚泥のように堆積していく一方だ。
「本当に貴方達くだらないわね」
かけられた声、ああ、あまり今聞きたい声じゃなかったな。
「盗み聞きですか、良家の子女がする事ではありませんね」
「私が盗み聞いていた訳ではないわよ、貴方達が勝手にここへ来て、私の前で痴話喧嘩をしていただけじゃない」
痴話喧嘩……俺にとってこれはそんな生温い感情なんかじゃない。
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「発情期なんてモノがある人間の一体どこが普通なの? 優秀さを売りにしているくせに番相手にはとことん馬鹿になるなんて、どこまでも本能的で獣のようだとは思わない? 人間には本来理性があるのよ、それすら投げ打つような関係が普通だなんて可笑しいわ」
「その感情はバース性、関係ないです」
相手に焦がれる気持ちに性別なんて関係ない、本気で好きになったから傷付くんだ。本気で愛してるから渇望して狂うんだ。
「自分しか愛そうとしない貴女にはきっと一生分からない」
「そんなもの知ろうとも思わないし、生きていくうえで無駄な感情でしかないわ」
そうやってこの人は自分だけを愛してこれからも生きていくのだろう、けれどそれも人の生き方だ。自分は自分、他人は他人、俺は何も言わず踵を返した。
「なぁに、逃げるの?」
「は? 逃げる? 何から? 貴女からですか?」
「そうよ、言い返せないから悔しいのでしょう?」
何故か姫は勝ち誇ったような笑みを浮かべているけれど、彼女が一体俺の何に勝ったつもりでいるのかまるで分からない。
「別に悔しくなんてないです。議論の余地がないので貴女とは話す価値がないと判断しただけです。俺は自分のこの感情も行動も誰かに肯定してもらおうだなんて思ってない、俺は自分が納得できる生き方をしたいだけ、ただそれだけなんだ。貴女の戯言なんて俺には不要で聞く意味なんてない。貴女はそうやって誰彼構わず喧嘩を売っては相手を困らせているようですけど、それって自分の自信のなさを他人に押し付けて、自分が正しいと肯定して欲しいだけなんじゃないですか? そういうの周りはとても迷惑してるって分かりませんか? 貴女が何を考え、どう生きていこうと俺には関係ない事です、どうぞ好きなように御自分の持論に負けず生きてください。だけど、それに他人を巻き込むな」
「な……」
一気に畳みかけて俺は再び踵を返した。
彼女は自分の「姫」という立場上、誰も自分に反論をしてこない事を分かっているのだ。だからああやって高飛車に持論を展開してくるけれど俺には関係ない。ここはファルスでメリアではないし、俺はあの人の従者でもなんでもないのだから素直に姫の意見を聞いて肯定してやるいわれもない。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「まだ何か御用ですか? 俺にはもう貴女と話す事なんて何もない」
「私は見ていたのよ、貴方の恋人が他の女を抱いて、それは睦まじい様子で目の前を通り過ぎていく姿を確かに見たわ。貴方の愛がどれ程高尚なものか知りませんけど、所詮愛情なんてそんな薄っぺらなものでしかないじゃない!」
「………………」
拳を握り黙りこんだ俺にまた彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。その顔は美しい容姿とは裏腹にまるで内面の醜さを表したような醜悪さだ。
「……貴女の言う通り、彼の俺への愛情は薄っぺらな紙程度のものだったのかもしれません、けれどそれでも俺は構わない。俺があの人を愛してる、その気持ちだけで充分です。誰も愛さず誰にも愛される事のない可哀想なお姫様の言葉なんて俺には必要ない」
俺は三度踵を返す、まだ背後では何やらキーキーと叫んでいる姫の声が聞こえた気がしたけれど今度こそ俺は後ろも振り向かず歩き出した。
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