運命に花束を

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運命に祝福を

宣戦布告 ②

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 民衆の歓声が聞こえる。たぶん間もなく俺の出番だ。不本意ながら、俺、ロディ・R・カルネはエリオット王子の隠し子、つまりカイト役を演じる事になっている。
 民衆に手を振るエリオット王子に呼ばれたら、いよいよ俺の出番……と、思っていたら、物凄い稲光と共に背後のランティス城に雷が落ちた。
 って、待て! 今の今までそんな天気じゃなかっただろう!? 歓声を上げていたはずの民衆の声が悲鳴に変わった。そんな民衆を落ち着かせようとエリオット王子も声を張り上げるのだが、その声は民には届かない。
 あぁ、幸先悪いな……さっきまで上手くいっていると思っていたのに……
 しばらくすると、王子が兵に囲まれるようにして戻って来てしまった。民の混乱が収まらなくて、演説半ばで引き上げとなってしまったようだ。
 俺の出番なかったな。安堵もするけれど、本当にこの国大丈夫なのか? と、不安にもなる。
 戻って来た王子に俺は「母さん、大丈夫?」と声をかける。すると彼は先程までの凛とした表情を崩して、いつものほにゃんとした笑みに変わった。

「緊張したよぉ、ロディぃぃ」
「別人みたいで格好良かったよ」
「ありがとう、でも、疲れたぁぁぁぁぁ」

 へばった母さんを受け止めて「よく頑張りました」と、労った。まぁ、そうだよね。母さんは普段こんな人前に立つような事ほとんどないし、しかもエリオット王子のふりで壇上に立つとか、最初聞いた時には冗談かと思ったもんな。
 母は兄であるエリオット王子のレイシア姫との婚約話を聞いて、居ても立ってもいられずにルーンを飛び出しここメルクードにやって来たのだそうだ。
 メルクードに着いたのは奇しくも嵐の翌日で、今後どうやって王家を立て直せばいいのか……と話し合っていた事情を知る者達は母の来訪に飛び付いた。

『今だけでいいのです。エリオット王子の意識が戻るまで、王子の影武者として立ってはいただけませんか!』

 その言葉に断れる雰囲気はまるではなく、母は「仕方がないね」と、頷いた。アルファとオメガの違いはあれど一卵性双生児である母と王子の顔立ちは本当によく似ていて、エリオット王子の服を着込み、髪を整え、少しばかりの化粧を施してしまえば母は本物のエリオット王子にしか見えなくなった。これには俺も少し驚いた。
 これだけ母とそっくりな双子の兄弟である伯父の息子カイトが俺に多少似ていていたとしても不思議はないな、と何とはなしに納得してしまった。

「それにしても、さっきの雷驚いたね。確かに天気は悪かったけど、まさか落ちると思わなかったよ。怪我人とか出てないといいけど……」

 そう言って、母は背後に聳え立つ城を心配そうに見上げた。

「兄さま」

 母の弟マリオ王子が駆けてくる。本来なら、今母が立っている立場にはこの人が立っていなければならないはずなのだが、少し見た目にも気弱そうな彼は母に飛び付いた。

「怖かったね、大丈夫だった?」
「ごめん、兄さま、僕が頼りないばっかりにこんな……」
「僕に出来ること、こんな事くらいしかないからね。それよりもマリオはあんまり無理しちゃ駄目だよ。今が大事な時期なんだから」

 そう言って母はマリオ王子の背を撫でた。
 『大事な時期』とは一体? って思うだろ? 実はこのマリオ王子、嵐の日に妊娠発覚したんだよ。父親の訃報にぶっ倒れて、そのまま担ぎ込まれた医師の元でそれが発覚したものだから、子供の父親であるジャン王子は喜びたいのに喜べなくて、滅茶苦茶複雑な表情で俺達にそれを報告してくれた。
 男性オメガの妊娠出産に関して、うちの母は先輩だし、それもあって余計に母はエリオット王子の影武者を引き受けざるを得なかったんだ。
 男性オメガの妊娠は圧倒的に事例が少ない、何か緊急事態が起こっても対処が難しく、そんな中で過度なストレスは母体に影響がありすぎると母はマリオ王子の負担を少しでも減らす為にこの場に立ったのだ。
 「戻ろうか」と母は弟を促す。その後ろに厳しい表情で続くのはジャン王子。こんな危険な場所に自身の子供を身篭った番相手を置いておきたくはないのだろう彼は始終厳しい表情を見せている。
 けれど、ファルスの世継ぎでもある彼は、現在ランティスという国がどういう状況に置かれているのかも分かってしまうのだ。だから、彼は無理矢理にマリオ王子を連れ出す事も出来ず、周りを警戒するようにマリオ王子に付き従っている。
 意識の戻らないエリオット王子は城の中で眠り続けている。そして、その傍らには、カイトの母カイルが居た。カイト曰く、「もう二度とランティスの地は踏まないって言っていたのに、どうして来たの?」だったのだが、自分の番相手がこんな状態で飛んでこないような『運命の番』なんていないんじゃなかろうか? しかも息子も意識ははっきりしているけれど大怪我を負っているのだから、その報を聞いて駆けつけた母親にその言葉はないんじゃないかと俺は思う。
 それにしてもこのカイルさん、事件の3日後にはここにいたんだけど、イリヤからここまでどうやって来たんだ? 空でも飛んで来たのか? 俺はそれが不思議で仕方がない。

「カイルさん、エリィの様子はどう?」
「アジェ君、戻られたのですね……容態は安定していますよ、ただ意識が戻らない、それだけです」

 「昔、同じような事がありましたよね」と、そう言って彼は王子の血の気の失せた手を取って、愛おしそうに撫でさする。

「その時は僕の意識が戻らなくて、きっと王子は今の僕と同じ気持ちで僕の寝顔を眺めていたのでしょうね。それを思うと、僕は胸の潰れる想いです。代われるものなら代わりたい、僕にとって王子は僕の全てです。こんな事になるのなら意地を張らずに王子の傍にいれば良かった……」

 泣きそうな顔でカイルさんは笑う。俺はこの人の事をよく知らない。けれど、彼のその姿を見ていると王子への愛情はひしひしと伝わってくる。何故彼はこんなに愛していながら王子の元を去ったのだろう? 何かよほど深い事情でもあったのだろうか?

「その言葉はエリィが目を覚ましたら直接言ってあげて。エリィはずっとカイルさんのその言葉だけを待っていたんだから」
「それでも僕が彼に相応しい人間でない事だけは変わりません」
「そういうのエリィには関係ないと思うよ。エリィは一生、カイルさんしか愛さない。エリィは頑固だからね。僕も結局エリィがレイシア姫と婚約した事情を本人からは聞いていないけど、それは決して貴方を諦めたからじゃないと思う。それはきっとこの国を思っての決断で、エリィ自身の望みじゃない。僕はそれが悲しくて仕方がないよ」

 カイルさんは王子の真っ白な寝顔を見やる。

「まだ、間に合うと思いますか?」
「人生はね、生きているかぎり遅すぎるなんて事はないんだよ」

 母の言葉にカイルさんは、静かに涙を零した。




 俺達がエリオット王子の部屋を辞して次に赴いたのは、謁見室だった。今日はそこにお客が来ているのだ。正直俺はあまり会いたくない。だってあの人、得体が知れなくて怖いんだ。
 傍目に見ているだけなら美人なんだけどなぁ……
 俺達が部屋に入っていくと、その美女は「あら、お元気そうね」と笑みを零した。部屋に居たのはレイシア姫と姫の執事のアレクセイさんだ。

「貴方は意識が戻らないと聞いておりましたのに、いつ意識がお戻りに?」

 仮にもその意識不明の王子の婚約者を名乗っているはずの姫なのだが、そんな姫は王子の見舞いに来る事は一度もなかった。元々打算だらけの婚約で、愛情の欠片も持ち合わせていないのだから、当然といえば当然なのかもしれないが、それでも一度は結婚を考えた人間に対してこれほど冷淡な対応ができる彼女が俺は薄気味悪くて仕方がない。
 それと同時に、カイトにくっ付いたまま離れたがらないツキノからの情報『俺は姫に裏切られた』という言葉が俺の頭を掠めるのだ。
 ツキノは事件の直後、事の詳細を語る上で襲撃直前にあった出来事も語ってくれた。それが姫の裏切りだったと、ツキノはそう語るのだ。

『いつものように着飾らされて、いつも以上に動き難い服を着せられた。いつものように、姫と共に会場に向かおうとしたら、姫が忘れ物をしたと言うから俺は1人で取りに戻ったんだ、そしたら姫の部屋にはあの男が待ち構えていた』

 待っていたのはグライズ公爵。初めはただの偶然だと思ったツキノだったが、公爵はツキノが偽名で使っていた『ヒナノ』ではなくツキノという名を呼び、語り出した。その内容にツキノは姫の裏切りを知ったのだ。
 グライズ公爵はツキノを攫う為にそこにいた。そう、メリアの跡継ぎである『ツキノ王子』だと知った上でそこに待ち構えていたのだとツキノはそう言った。

『あの男は俺が両性具有だという事も分かっていた、それを知っている人間は限られている、俺は姫に切り捨てられたんだ』

 ツキノは苛々とした口調でそう語り『姫にはもう会いたくない』とそう言った。こんな事件が起こり、エリオット王子との婚約だって消滅寸前、それでも彼女は悠然と笑っている。俺はそんな彼女の得体の知れなさが気持ち悪くて仕方がないのだ。
 けれど母はそんなツキノの話を聞いて『姫に会いたい』とそう言ったのだ。そして今、姫は呼び出されてここにいる。

「お久しぶりです、姫」

 母の言葉に姫は「そんなに久しぶりだったかしら?」と不思議そうな表情だ。

「こうして直接お話しするのは初めてです、けれど僕は貴女が幼い頃に、少しだけ貴女と交流があったのですよ」
「? どういう意味かしら? それに『僕』? 幼い頃って? 王子は何かふざけておいでですか?」
「いいえ、ふざけてなどいませんよ、レイシア姫。僕は貴女の婚約者のエリオット王子ではありません、僕は彼の弟のアジェ、と申します」

 「弟……?」と、姫は言葉を無くし絶句する。確かに母の存在を知る者はほとんどいないのだから姫のその反応は至極当然なのだが、こんな重要機密この人に話しちゃって大丈夫なんだろうか?

「はい、見ての通り双子の弟です。そして僕は貴女と交流があったのですよ。覚えていらっしゃいませんか? 昔、まだ貴女の父上が存命だった頃です、お父上の誕生日を一緒にお祝いしませんか? と貴女に提案したのが僕ですよ」

 姫はその出来事に心当たりがあったのか、まじまじと母の顔を凝視した。

「確かに昔、お姉さまと仲の良かった捕虜の方とそんな事をした事もありましたけれど……」
「その捕虜が僕ですよ、レイシア姫」

 母はにこりと笑みを見せる。驚いた、母さん姫と知り合いだったんだ。

「僕は貴女と一度お話がしてみたかった」
「私と? 何故ですの? 貴方の言う事を信じるのであれば、貴方はあの頃メリア城に囚われていたという事ですわよね? 何か私に父への恨みでもぶつけるおつもり?」

 姫の言葉に母は驚いたように首を振って「僕は陛下を恨んでなんかいませんよ」と、そう言った。

「囚われていたと言っても、陛下は僕に酷い事は何もしませんでしたから」
「あの人は他人に興味がなかっただけですわ、父にとっては父の『運命』だけが唯一の関心ごとで、それ以外のモノに一切興味関心がなかった。それこそ我が子である私にすらも関心なんてなかったのですもの」
「それは違いますよ、姫」

 母は姫の顔を真っ直ぐ見つめ、静かに告げる。

「陛下は貴女に関心がなかった訳ではない、ただ、どう接していいのか分からなかっただけです。陛下は優しい方でした、けれど、陛下は愛し方も愛され方も知らない方だったのですよ。愛された事がないから、誰に対してもその愛情の返し方が分からなかったというそれだけの事なのです」
「そんなの嘘だわ! だって、あの時私が父上に書いたバースディカードに結局なんの返事も反応もありはしなかった、父は私なんて本当にどうでも良かったのよ!!」
「なんの反応も返さなかったのはあの人なりの愛情表現です。陛下は言っていました、自分は娘にどんな態度を取っていいのか分からない。もし父親としての態度を取るのならば、自分は自分の父親と同じ事をするだろう、と。陛下は父親に愛情を向けられる事もなく、ただ自分の後を継ぐためだけの人形として扱われていました、それが間違った親子関係だと陛下は気付いていましたが、それをどう正していいのかも陛下には分からなかったのですよ」

 姫は「知ったような事を!」と、ぎりりとこちらを睨みつける。美人が凄むと迫力が違うな……けれど、それでも母は穏やかな表情を崩さずに「貴女は陛下によく似ておいでですね」と、そう言った。

「陛下もよくそうやって僕を怒鳴りつけましたよ。けれどそれは大体僕が彼の図星を突いた時だった」
「そんな事、知りませんわ! 私、物心が付いてからほとんど父上さまにはお会いしていませんもの」
「そうですね、確かに彼もそう言っていた。彼は自分の世界に閉じ籠った孤独な王様だった。出会う場所が違ったら、出会う順番が違っていたらと、僕は思わずにはいられない……」

 姫が怪訝そうな表情だ。俺も母のその語り口には首を傾げざるを得ない。母は一体何を語ろうとしているのだろうか? そもそも母は何故そんなに詳しく姫の父親の事を知っているのだろう?

「姫は陛下を恨んでおいでですか?」
「別に……恨むほど興味もなかったわよ」
「けれど、陛下を死に追いやったメリアのセカンドは憎んでいる?」
「それは当たり前でしょう! 私がこんな風にランティスにやって来なければならなかったのも、母が自分の人生を儚んで泣き暮らしているのも、全部全部セカンドが父上を殺害したからよ!! 憎まない訳がないでしょう! あの人のお陰で私の人生は滅茶苦茶よっ!」
「それはセカンドも同じですよ、彼の少年期は陛下のせいで酷く暗いものだった、閉じられた部屋で監禁され、誰と話す事もなく人形だけが話し相手だった。そんな彼が自分の幸せを掴む為に陛下を殺害した事を責められる者は誰もいない。誰も彼に手を差し伸べなかった、彼等はお互いを殺しあう事でしか交われなかった、そういう悲しい関係だったのですよ」
「そんな話、私は知らない!」
「知らないのなら、今貴女はそれを知るべきです。そして、僕は分かって欲しいんだ。僕は憎しみあいたい訳じゃない、ただ仲良くなりたいだけなんだ」

 怒ったような表情の姫に対して母は淡々とした笑みを浮かべている。

「僕はずっと後悔していた。陛下を救う事ができなかった。もしかしたら僕にはできたかもしれないのに、助けられなかった。彼と出会う時期が遅すぎた、彼はもうあの頃には何もかもを諦めていた。陛下はね、セカンドに殺された訳じゃないのですよ」
「え…………」
「自分で窓から飛び降りた、セカンドの目の前でね。自殺だったのです、セカンドは陛下を手にかけてはいない」
「そんなっ! 嘘よっ!!」

 母は静かに首を振り「嘘じゃない」と、そう言った。

「直接見ていた人に聞いたのです、間違いじゃない。それに僕はあの時陛下に言ったんだ、グノーが来るから逃げてくれって、だけど彼は逃げなかった。逃げる気が最初からなかったんだ、陛下はグノーに殺されたがっていた……」
「セカンド……グノーシス……」
「助けられなかった、僕では陛下を助けられなかった。孤独な王様を孤独なままに死なせてしまった、僕は未だに後悔しているんだ。僕ならきっと彼を助けられたのに……」

 静かな表情の母の瞳からぽろりと一粒涙が零れた。母の泣き顔なんて見た事がない。母はいつでも笑っていて、周りを穏やかな空気に包んでくれる、そんな母が泣いている。

「あは、ごめんね、泣くつもりなんてなかったんだけど、やっぱり貴女は彼に似ている」

 母が頬に零れた涙を拭う。

「そんな訳ないわ、私は母親似よ、それに……」
「姫、そんな戯言に騙されてはいけません」
「あなたは、執事のアレクセイさんでしたよね。はじめまして。でも、僕は全て事実を述べています、僕の言葉に嘘はひとつもない」
「そんな事がある訳ない。陛下が自殺だなんて、そんな事は誰も言っていなかった。何故あなたがそんな事を知っているのかが分かりません。あなたはメリアの人間ではない、なのに何故、そんな事を知っているのです!?」
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 その言葉に「だったら貴方も私の父を殺害した人間の一味なんじゃないの!」と、姫は声を荒げる。

「言われてしまえば、その通りです。けれど僕は陛下を助けたかった、僕はその時伴侶を裏切ってもいいと思っていたのですよ。彼に助かる道があるのなら、僕は彼に付いて行こうとすらしていた、けれど駄目だった。陛下は僕に言ったんだ『私を一番に愛してくれる者しかいらない』とね。僕にはもうその時には番相手がいた、それが僕の今の旦那さん、僕はその当時から彼を愛していたけれど、だけどその時、陛下に惹かれるのも止められなかった……」

 姫がやはり怪訝な表情で「貴方、オメガなの?」と、疑わしげな表情を見せた。そんな言葉に母は静かに頷き笑みを見せた。だけど、待って……

「母さん、ねぇ、ちょっと待って! 母さん何を言っているんだ!?」
「ロディ、ごめんね。だけど、これは全部本当の話。僕はお父さんを愛してる、だけどあの時、あの瞬間、心の中でお父さんを裏切っていたのも本当の話、お父さんはその時の事も知っているよ、知っていて、それでも僕を愛してくれた。ロディ、僕達は運命の番じゃない、僕の『運命』の相手は陛下だった、それはたぶん間違いじゃない」

 しん、と部屋が静まりかえった。俺も何を言っていいのか分からない。両親が運命の番でない事は知っていた、何かの折にそう聞いていたから。父は『運命の番』にはとても懐疑的で『運命なんていうのは誰かに決められたものなんかじゃない、自分で選んで決めるものだ。俺はそんな曖昧な運命の番なんてものは信じない』と常々言っていたのだ。
 二人は運命の番だと言ってしまえば誰もが認めるだろう仲睦まじい両親なのに、何故頑なに父がその言葉を拒否するのかと思っていたら、その言葉の裏にはそんな過去があったのか……

「だったら……だったら何だって言うの!? 知らないわよ、そんな事! 私には分からないもの、あなた達の事なんて私には分かりはしない! 分かっているのは、あなた達がいたから私が不幸になったというその事実だけだわ!!」
「姫、そもそもこの男の言っている事には矛盾があります。そもそも陛下はアルファではなかった、陛下は自分でもそれは承知していたはずです」
「そうよ! そうだったわ! 父上は私と同じベータ性、そんな話がある訳ない!」

 あれ? 姫ってベータ? だっけ? なんかいい匂いすると思っていたんだけど……本当に俺の鼻、馬鹿だから分かんねぇな……

「姫、バース性の人間というのはピンからキリまでいるのですよ。そんな中で僕はと言えば出来損ないのオメガで、オメガらしい所なんてほとんどないオメガなのですよ。オメガ特有の色気もなければ振りまくフェロモンもごく少量、オメガの一番の特徴である発情期ヒートですら、僕にはほとんどその症状が現れない。僕は限りなくベータに近いオメガ。この子を生めた事だって奇跡に近い、そのくらいに僕は出来損ないのオメガなのですよ」
「だからそれが一体何だというの!」
「それは陛下も同じだったのです。彼もやはり出来損ないのアルファだった。彼自身も自分がアルファだと気付けない程に彼はベータ寄りのアルファだったのです。僕は他人のフェロモンの匂いがほとんど分からないのです、伴侶と番になってからは特に顕著で、もう全く分からないと言ってもいい。けれど、陛下のその匂いだけは僕にはとても鮮明だった」
「それは陛下の香水の香りでしょう。陛下は常にフェロモン入りの香水を付けていた、自身をアルファと偽る為に、陛下はその香水を常に身に付けておいででしたから」

 執事のアレクセイさんの言葉に母は静かに首を振る。

「僕も最初はそう思いました。ルネーシャ姫がそう言っていたので、だから僕にも分かるのかとずっとそう思っていたのです。だけど違う。ある晩、陛下は僕の部屋に泥酔した状態で現れた時がありました。お酒の匂いがとてもきつくて、香水の香りなんて吹き飛んでいた。それでも僕には陛下の匂いが分かったのです。そしてその時彼は言った、僕の匂いはひどく甘いと。僕は香水なんて付けていない、僕は元々フェロモンをほとんど発さない出来損ないのオメガです。そして番相手のいるオメガでもある。常識的に考えれば彼に僕の匂いが分かるはずもなかった、なのに彼には僕の匂いが分かったのです。陛下も同じ、番相手のいるアルファ、だけど僕には彼の匂いはどこまでも鮮明だった」

 母は少し息を吐き、沈んだ表情で瞳を伏せた。

「陛下は僕を抱こうとして結局それをしなかった。もうあの時、陛下は自身の終わりを察していたのだと思います。出会う場所を間違えた、出会う順番が違っていたらと僕は思わずにはいられない。陛下は優しい方でした、ただ愛する事にとても不器用な人だったのですよ」
「そんな事、今更言われたって……」
「姫はセカンドを憎み、レオン国王陛下を憎み、そしてツキノ君も憎んでいる? あの事件の直前まで、ツキノ君達とは仲良くやっていたと聞いているよ、なのに何で公爵にツキノ君を売るような事をしたの?」

 顔を上げた母が真っ直ぐ姫の瞳を見つめる。

「先に裏切ったのはあの子の方だわ。ツキノは私に言わなかった。自分がセカンドに育てられた子供だなんて、私に一言も言わなかった! そんな子の言う事を何故私が信じられると思うの!? 裏切られるのなら、先に裏切る、私はそういう世界で生きてきたのよ!」
「ツキノ君は貴女を裏切った訳じゃない、騙そうとしていた訳でもないよ。だって今、僕達のこの関係の中にグノーがどう関わっているって言うの? グノーは子供達に憎しみも恨みも一切植え付けてはこなかった、彼は今を大事に生きている。貴女はどうなの? そんな風に過去に生きていて幸せになれる?」
「な……」
「親が憎しみあっていたからって、子供が憎しみ合うなんてナンセンスだよ。ツキノ君とカイト君を見てごらんよ、メリアの子とランティスの子、だけど2人にはお互いがなくてはならない存在だ。姫は陛下と同じで愛を知らずに育ってしまった、でも今からでも遅くない、仲良くなろう? 僕はもう僕の大事な人達が憎しみあうのを見たくない」
「…………」

 「ね?」と母が姫の瞳を覗き込むのだが、姫はふいっと瞳を逸らす。

「姫、絆されてはいけません、これも全てランティス王国の策略のうち……」
「アレクセイさん、貴方は姫の不幸をお望みですか?」
「それはあなたの方でしょう、姫を誑かすのは止めていただきたい。姫は強くあらねばならない、そうでなければ生き抜いていかれない」
「レオン国王陛下もルネちゃんも、姫には何度も手を差し伸べたはずだよ。特にルネちゃんは未だに姫と仲直りする気満々だからね」
「ルネ……ちゃん?」
「僕達幼馴染なんだよ、未だに連絡だって取り合ってる。ルネちゃんね、姫のことずっと可愛い可愛いって言ってたんだよ。嫌われたの凄くショックで、だけど、それでもいつか絶対仲直りするって、ずっとずっと言い続けているんだよ。今は忙しくて身動き取れないみたいだけど、きっと王家から解放されたら姫に会いに来るんじゃないかな」
「でも、私はお姉さまに裏切られた……」
「人を愛する事は裏切りかな? 好きな人に好きだと言う事が罪になるなら、そんな世界は間違っていると思わない?」

 姫はすっかり大人しく黙り込んでしまった。執事のアレクセイさんは少し苦々しげな表情だ。

「すぐに信用しろなんて言わないよ。まずはお話しよう? 僕、しばらくここにいるからいつでも訪ねてきて。行ってもいいなら僕が姫の所に行くのでもいい。僕はもっと姫と仲良くなりたいんだ」

 母の言葉に姫は困惑したような表情なのだが、母はぐいぐいと姫の滞在場所まで聞きだしてその日はお開き、姫は呆けたように帰って行った。

「母さん、さっきの話って……」
「全部本当の話だよ」
「マジか……」
「だけどね、ロディ、僕は決してお父さんを裏切ったりしていないし、生涯僕の伴侶はお父さんだけだと思ってる。確かにあの当時心が揺れたのは否定出来ない、だけど結局僕はお父さんを選んだんだ」

 母は瞳を伏せて「でもね……」と続ける。

「運命って本当に抗えない時には抗えないんだよ、だからもし、お父さんに本当の『運命の番』が現れたら、僕はきっとお父さんを引き止められない」

 へ? あ……そうか、母さんの『運命』が先代のメリア国王陛下なのだとしたら、親父にはまだ何処かに本当の『運命の番』がいる可能性がない訳じゃないんだな。

「親父はそれでも母さんの事、選びそうだけどな」
「ふふ、僕も実はちょっとそう思ってる。僕の番相手がお父さんで良かったって、僕は本当にそう思ってるんだ」

 そうやって笑った後に、母さんがくるりと俺を見上げた。

「ロディ、ひとつお願いがあるんだけど」
「何? 突然?」
「さっきの話、お父さんには絶対しないって約束して!」
「は? なんで? この話、親父も知ってるんだろ?」
「お母さんに別に『運命』がいた話しはしてあるんだよ、だけど相手は誰だか言ってないし、詳しい話も一切してない。相手が亡くなってる事も言ってあるけど、こんな話したら、お父さん絶対怒るから!」

 今更死んだ人間にそこまで嫉妬するものか? いや、親父ならするかもしれない……それくらい親父は母さんを溺愛している。

「僕が未だに陛下を気にかけてる事が分かったら、お父さん怒って僕の事、家から出してくれなくなっちゃう! 監禁されちゃう! だから絶対、絶対、お父さんには言わないでね!!」
「う、うん、分かった。でも母さんの考えすぎじゃない? さすがに親父だって監禁まではしないだろう?」
「するから! エディはそういうの平気だから! 今でこそ落ち着いたけど、お父さんは本当に嫉妬深いんだよ! だから、絶対言わないでね!」

 何度も何度も念押しされて、俺は苦笑し頷いた。仲が良いとは思っていたけど、予想以上に親父の愛は重いらしい。
 そんな親父だからこそ『運命』と出会ったにも関わらず母さんを奪われずに済んだのか、それとも母さんの言う通り、出会う場所を間違えたのか……
 人の巡り合わせというのは本当に不思議なものだなと改めて思う。

「でも、これでツキノ君とレイシア姫を仲直りさせる足がかりは出来たと思う。あとはもう一人……」
「もう一人?」
「ユリウス君に僕は会いたい」
「!? 無茶だろ、それ! あの人完全に敵方だぞ! ってか、むしろこの事件の首謀者だぞ! 絶対無理、そもそもどこにいるのかも分からないのに!!」
「それは僕も分かっているよ、だけどね、僕は彼を幼い頃から知っている。彼が自分の意思でこんな事をするだなんてあり得ない。そこには必ず理由があるはずで、だから僕はそれが知りたい」

 母の瞳は真っ直ぐだ。けれど、母自身も彼の標的になり得るという事が分かっているのだろうか?

「理由なんて、番相手にそそのかされたんだよ。あの人は『運命』に出会っておかしくなった。それはもう明白だろう?」
「それは理由にならないよ、そこに彼の意思が感じられない。『運命の番』ってそういうものじゃないんだよ、ただ愛し愛されるだけの存在だと言うだけで、本人の意思を捻じ曲げるような、そんな力はないんだよ。だからね、ユリウス君が僕達を憎むのなら、そこには何かの理由があるはずなんだ、僕はそれが知りたいんだよ」
「王家を憎む理由……?」
「そう」

 果たして本当にそんな理由があるのだろうか? あの嵐の晩、俺が見た彼の姿はどこか常軌を逸した彼の姿だった。彼には何かがあったのか? そこに理由が隠されている?

「この世界ではいつでも誰かが争いを作ろうとしている。僕はそれが本当に悲しいんだ。でもね、これは好機でもある、こんな風に敵を作って纏まっているのはとても皮肉だけれど、ただひとつの敵を作って大陸中が纏まろうとしている。彼等を倒してこの世界が平和になるとは限らない、それでも憎しみあっていた者達が手を取り合ったのは、大きな一歩だと僕は思う。だから僕は彼等に宣戦布告をしたんだよ。僕達は倒れない、僕達は手を取り合える。争いたい訳じゃない、だけど、もしかしたらこの時代の流れの中で彼みたいな敵は必要だったのかもしれないなんて、僕はそんな風に思ったりもするんだよ」
「…………難しすぎて、よく分からない……」

 母は静かに笑みを零す。

「グノーには申し訳ないけれど、その敵役にお前が選ばれなくて良かったって僕は思っているんだよ、ロディ」

 母の言っている意味が全く分からないのだが、それでも母には何かこの事件の闇のようなものが見えているのかもしれないな、なんて、そんな事を俺はその時思ったんだ。

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隣の部屋のサラリーマンがしょっちゅう貢ぎにやって来る。 隣人のストレートな求愛活動に困惑する男子学生の話。 社会人×大学生の日常系年の差ラブコメ。 ※現時点で小説の公開対象範囲は全年齢となっております。しばらくはこのまま指定なしで更新を続ける予定ですが、アルファポリスさんのガイドラインに合わせて今後変更する場合があります。(2020.11.8) ■2024.03.09 2月2日にわざわざサイトの方へ誤変換のお知らせをくださった方、どうもありがとうございました。瀬名さんの名前が僧侶みたいになっていたのに全く気付いていなかったので助かりました! ■2024.03.09 195話/196話のタイトルを変更しました。 ■2020.10.25 25話目「帰り道」追加(差し込み)しました。話の流れに変更はありません。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

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