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運命に祝福を
魔窟の住人 ③
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「メリア王国は間もなく王政を廃止致します」
「王政の廃止……?」
「そうなれば、あなた様はもう王族ではなく、ただのメリアの一市民となられるのです。生活費ももう国から支給される事はありませんし、お屋敷も……」
「あの屋敷は私と母の物よ! 父さまが唯一残してくれた私達の……!」
「あの屋敷の所有権は王家にございます。お妃様と姫はそれを借り受けているに過ぎません。レオン国王陛下に頭を下げればそのまま継続して住む事も可能かもしれませんが、姫にそのお覚悟がおありですか? 姫の所有物のひとつひとつ全てが王家の所有物、あなたの手に残るモノは思いのほか少ないのですよ」
アレクセイさんの表情にはあまり感情が乗っていない。本当はこんな事を言いたくはないのだろうな。
「私アレクセイは姫の為ならば全ての生活を投げ打っても構いはしません、けれど私は老い先短い身の上です、例え私が生きている間はどうにか生活ができたとしても、その後の生活は姫自身で切り開かなければならないのです」
「それが、このお見合いなの……?」
アレクセイさんは静かに頷く。姫は困惑したように「少し考えさせて……」と部屋を出て行った。そして、それを慌てたようにグレンが追いかけて行く。
部屋に残された俺とアレクセイさん、彼は大きな溜息をひとつ零してこちらを見やった。
「悪い予感はしていたのです……」
彼が何を言い出したのか分からない俺は首を傾げた。
「こちら、あなたの身分証になります」
彼の差し出したその証書を受け取ろうと手を差し出すと、彼はそれをふいっと上へと掲げて「そんなに簡単に受け取れると思わないでいただきたい」と冷たい声で言い放った。
「あなたの言う事を信じるのであれば、あなたはこれが無ければこの国では何者にもなれないただの山の民です」
身分証を掲げたまま、老齢の執事はこちらを睨む。
「あなたは何者ですか?」
「何者って……」
「何故、エリオット王子がアルファである事を知っていたのですか?」
「それは……」
「グレンから話を聞いています、あなたはこの国が民主化へ向けて動いている事も知っていたのでしょう? その話しはまだ上層部に留まった話で、一般市民にまで公にされた話ではないはずです。確かに民主化運動は活発になっており、その風潮は強くなっている、けれど王家がそちらに舵を切っている事を知る者はまだ少ない」
この人は、姫のわがままですんなり俺を受け入れたように見えていたのだが、その実、俺の正体を探ってずっと観察していたのだという事がよく分かる。
「私はあなたの容姿にも見覚えがあるのです、あなたは母親似ですね。そもそもこんな所に現れる理由も分かりませんでしたから最初はただの他人のそら似だと思いましたが、容姿だけではなく中身まであなたはあの女によく似ている」
執事は瞳を細めて「理由は邪魔者の始末ですか……?」と、こちらを睨む。
「始末って、俺はそんな事考えてもいない!」
そもそも彼女に関わってしまったのは偶然の産物で、あの場に彼女がいなかったら、一生会う事もなかったと思う。
「カイト・リングス、その名前にも私は覚えがあります」
ぞくりと背筋に冷や汗が流れた、この人は一体どこまでの事を知っていて、今俺と相対しているのだろう? 得体の知れない恐怖、この人は危険だ。
「なんで、知って……」
「ファルスには何度も密偵を送っております、幾つかの情報の中にメリア王の子息と共に暮らす人間として、その名はたびたび上がって参りました。これは偶然でしょうか? 先だっての男、国境破りをしたあの男、名前は『ユリ』でしたか? 正式名称を当ててみましょうか? 彼の名前はユリウス・デルクマン、ファルスの第一騎士団長の息子です、違いますか?」
俺は青褪め後ずさる、この人は俺の正体に気付いている……
「メリア王のご子息達は幼少の頃より身体が弱く、王妃様の実家であるファルス王家に預けられた。これは、一般的に流布されている情報です。そして、ここに私の知り得た情報、ご子息の養育は何故かファルスの騎士団長に一任されている、という情報です。あなたは彼を兄と呼んだ、そして実の兄弟ではない、とそう言った。そうなると、あなたの正体はとても限られてくる」
もったいぶった言い方だ、彼にはもうきっと何もかも分かっているのに。
「ただひとつ分からないのは、メリア王のご子息は双子でアルファの王子とオメガの姫だと聞いている、けれどあなたはアルファ、これはおかしい。双子はどちらも姫だったのか? それともオメガの姫という情報の方が間違っていたのか、さてどちらなのでしょうか? ヒナノ姫? それともあなたはツキノ王子なのでしょうか?」
「そこまで分かっていて、なんで……」
「全てが繋がるまでには時間がかかりました、他にも分からない事はあります。そして何より一番分からないのはあなたが姫に接触してきた理由です」
アレクセイさんは完全に俺を敵認定している、俺が彼女に何かをすると本気で思っているのだろう。
「俺がここに現われたのは完全なる不可抗力だ。ランティスから攫われて来たのも嘘じゃない。理由も何も、俺は何もしていないし、する気もない!」
「それをそのまま鵜呑みに出来るほど、私の頭はおめでたくはできていない。あなたにはこの身分証を差し上げましょう、それを受け取ったら自分のあるべき場所へとお帰りください。こちらも、そちらへと干渉するつもりはない」
彼は放り投げるように身分証を床へと落とす。俺は慌ててそれを拾い上げようと屈んだのだが、彼はそれを踏みつけ隠してしまう。
「ただしひとつ条件がございます」
「条件?」
執事は上から見下すようにこちらを見やる。
「あなたの現在知っている王家の情報、こちらに洗いざらい渡していただきたい」
「王家の……それはメリア王家の?」
彼は無言で首を振る。
「あなたはファルス国王の孫でもあるのでしょう、全ての王家の情報ですよ、こちらが知り得ない全ての情報をこちらに渡していただきたい。ファルスの情報収集能力は他国に比べて飛び抜けて高いと聞いておりますよ、国王陛下もずいぶんと喰えない御仁だと聞いている。渡したくないと言うのであればそれも結構、あなたはメリア王の子息なのですから、ご自身でどうにでも身の振り方は考えられるでしょう?」
俺は立ち上がり、目の前の男に向き直った。
「俺は王家の人間として育てられていない、俺の両親は俺が生まれた時からいずれこうなる事を見越して王族としての教育は一切施してこなかった。俺がファルスの騎士団長の家で育てられたのもそのせいだ」
「そんなに前からこの民主化の流れは決定事項だったのですね」
考え込むように執事は腕を組む。
「だから、俺はあんたが望むほどの情報なんて何も持ってやしないんだ」
「そんな訳はない、実際あなたはエリオット王子がアルファである事を知っていた訳で、ランティスから来たというのが嘘でないのであれば、ランティス王国に関する幾らかの情報も持っているはずです。メリアのこの流れはもう止められない、メリアにはもうこの先姫の居場所はない。私が今何より欲しているのはランティス王家の情報です」
「姫の見合いを成功させるために……?」
「その通りです」
この人の行動原理は何もかもが姫の為、その忠誠心は一体どこからくるのだろう……
「だったら最初から見合いなんて止めた方がいい。エリオット王子には番相手がいる、聞きかじり程度の話だが王子の性格上その番相手を裏切ってまで姫と結婚する事はありえない」
「番相手? 聞いていませんね」
「相手が拒否して逃げたから」
「番の契りは魂の契り、アルファ側から拒絶はできてもオメガからはできないはずです」
「番契約は生きている、物理的に逃げたという話でエリオット王子はいまだにその人を諦めていない」
「アルファというのは優秀さが売りだと言うのに、自身のオメガの前では本当に愚かな人間に成り下がる。私も数多の人間を見てきましたが、支配階級と言われるバース性の人間達のその本能的でしかない行動はベータの私から見ても愚者の行いだとしか思えない」
吐き捨てるように執事は蔑みの言葉を投げる。
「だったらそんな愚か者の所に大事な姫を嫁がせるのは止めた方がいいと思うけど?」
「そんな愚か者だからこそ、操る事ができるかもしれないと私は逆に考えますけどね」
「操る……」
「別に愛されなくても良いのです、その王妃という立場さえあればいい。番相手に逃げられているとしても、向こうにだって体裁はあるでしょう、王妃は必ず必要で、姫はそれにうってつけだ」
「あんたは姫の幸せを望んでいるんじゃないのか!?」
「それは勿論願っておりますとも、けれどそれに必要なのは地位と権力とお金です」
この人が何を言っているのかが分からない、そんな物理的なモノよりも幸せを手に入れる為には優先すべきものがあると思うのに、彼はそれを信じて疑ってもいない様子なのがたまらなく気持ちが悪い。
「そんなモノで人は幸せになんてなれない!」
「ははは、おかしな事を言う。あなたは持っている人間だからそういう事が言えるのです、何も持たない人間にはそれが全てなのです。幸せは金で買えるのですよ」
「あんたは本当に姫を大事にしている訳じゃないんだな、姫の恩恵に預かって自分の生活を守りたいだけじゃないか!」
「そんな事はありません、私は先程も言いましたよ、姫を私の蓄えで養っていく事は可能である、とね。けれどその蓄えも姫の一生分には届かない。私の死後、蝶よ花よと甘やかされて育てられた姫が一体どうやって生活ができるとお思いですか? 姫は恐らくこの生活を変える事はできません。ですからご自身の為にも姫にはやっていただかなければならないのです」
「そんなの! だったらランティス王家じゃなくても良かっただろう? 他にも幾らでも金持ちはいるはずだ!」
「私だとてその辺は考えました。メリア国内ではもう『王家の姫』という肩書きは無用の長物、見向きもされないのです。ならばと声をかけたのがランティス王国グライズ領のグライズ公爵です。そして、彼は自分にはすぎた話だと、持ってこられたのが今回の王子との見合い話だったのです」
俺は執事の言葉に耳を疑う。
「グライズ公爵がこの見合い話に関わっている……?」
「それがどうか致しましたか?」
「もしかして、あんたこの見合い話に何か条件を出されたりはしなかったか?」
「どうしてそれを……?」
執事がこちらの表情を推し量るように瞳を細めた。
「そいつは俺を攫った奴だ、ランティス国内で人を攫っては奴隷売買を繰り返していると聞いている。そのターゲットの大半はメリア人で、あんた達の得に動くとは思えない」
「その話、詳しくお聞かせ願えますか?」
俺は自分が何故こんな所へやって来たのかを、改めて順を追い説明する。
騎士団長への疑惑や王家との確執、暗躍している闇商人の話など、彼はひとつひとつに頷いて「ランティス王国は思いのほかややこしい事になっているようですね」と呟き「それならば尚、好都合」と笑みを見せた。
「好都合って……」
「争いは人の目を曇らせます、そういう時こそ付け入りやすいのですよ」
「あんたって人は……!」
「あなたはメリア人を知らなさすぎる、ファルスの平和の中で育って駆け引きというものも知りはしないのでしょう? 自分が生き抜くために講ぜる策は全て取る。それがメリア人の生き方です」
俺がメリアに帰ると言い張った時に周りの大人達は言ったのだ、メリアには狐や狸が多すぎて、お前では手玉に取られて身を滅ぼす、と。まさに今目の前にいるこの老人こそがその狡猾な狐や狸であるのは間違いない。
「グライズ公爵の条件はひとつだけ、姫が王子の子を産む事です。彼はその子供の後見人になりたいのでしょうね」
「姫に王子の子供は産めない!」
「子供など、作ろうと思えばどうにでもなりますよ」
にっこりと凄みのある笑みに、また鳥肌が立った。
「それにはある程度、姫自身の演技力も必要となってきます。ある意味その心構えをさせる為にはちょうどいい機会でもあったのかもしれませんね」
執事は踏み付けていた身分証から足をどけ、さぁ、拾えとばかりに顎をしゃくる。俺はもう一度屈みこんでその身分証に手をかけると、男は「ふん」と鼻で笑い、またしても上から見下してきた。
「惨めなものですね、まるで物乞いのように足元に這いずって、そんなモノがなければ自身の身の証明も立てられない。あなたの両親に主人を殺され、一度は職を奪われた身としては溜飲の下がる思いですよ」
執事の物言いに腹は立つし、気分も悪い。俺は身分証を手に取って立ち上がる。
「あんたそのうちに身を滅ぼすぞ」
「老い先短い身の上です、そんな事はどうでもいい」
老獪な狸は綺麗な笑みを零した。グレンやレイシア姫との出会いで見る目の変わったメリアだったが、それでもやはりここもランティスと同じ魔窟なのだと、改めて思い知った瞬間だった。
「王政の廃止……?」
「そうなれば、あなた様はもう王族ではなく、ただのメリアの一市民となられるのです。生活費ももう国から支給される事はありませんし、お屋敷も……」
「あの屋敷は私と母の物よ! 父さまが唯一残してくれた私達の……!」
「あの屋敷の所有権は王家にございます。お妃様と姫はそれを借り受けているに過ぎません。レオン国王陛下に頭を下げればそのまま継続して住む事も可能かもしれませんが、姫にそのお覚悟がおありですか? 姫の所有物のひとつひとつ全てが王家の所有物、あなたの手に残るモノは思いのほか少ないのですよ」
アレクセイさんの表情にはあまり感情が乗っていない。本当はこんな事を言いたくはないのだろうな。
「私アレクセイは姫の為ならば全ての生活を投げ打っても構いはしません、けれど私は老い先短い身の上です、例え私が生きている間はどうにか生活ができたとしても、その後の生活は姫自身で切り開かなければならないのです」
「それが、このお見合いなの……?」
アレクセイさんは静かに頷く。姫は困惑したように「少し考えさせて……」と部屋を出て行った。そして、それを慌てたようにグレンが追いかけて行く。
部屋に残された俺とアレクセイさん、彼は大きな溜息をひとつ零してこちらを見やった。
「悪い予感はしていたのです……」
彼が何を言い出したのか分からない俺は首を傾げた。
「こちら、あなたの身分証になります」
彼の差し出したその証書を受け取ろうと手を差し出すと、彼はそれをふいっと上へと掲げて「そんなに簡単に受け取れると思わないでいただきたい」と冷たい声で言い放った。
「あなたの言う事を信じるのであれば、あなたはこれが無ければこの国では何者にもなれないただの山の民です」
身分証を掲げたまま、老齢の執事はこちらを睨む。
「あなたは何者ですか?」
「何者って……」
「何故、エリオット王子がアルファである事を知っていたのですか?」
「それは……」
「グレンから話を聞いています、あなたはこの国が民主化へ向けて動いている事も知っていたのでしょう? その話しはまだ上層部に留まった話で、一般市民にまで公にされた話ではないはずです。確かに民主化運動は活発になっており、その風潮は強くなっている、けれど王家がそちらに舵を切っている事を知る者はまだ少ない」
この人は、姫のわがままですんなり俺を受け入れたように見えていたのだが、その実、俺の正体を探ってずっと観察していたのだという事がよく分かる。
「私はあなたの容姿にも見覚えがあるのです、あなたは母親似ですね。そもそもこんな所に現れる理由も分かりませんでしたから最初はただの他人のそら似だと思いましたが、容姿だけではなく中身まであなたはあの女によく似ている」
執事は瞳を細めて「理由は邪魔者の始末ですか……?」と、こちらを睨む。
「始末って、俺はそんな事考えてもいない!」
そもそも彼女に関わってしまったのは偶然の産物で、あの場に彼女がいなかったら、一生会う事もなかったと思う。
「カイト・リングス、その名前にも私は覚えがあります」
ぞくりと背筋に冷や汗が流れた、この人は一体どこまでの事を知っていて、今俺と相対しているのだろう? 得体の知れない恐怖、この人は危険だ。
「なんで、知って……」
「ファルスには何度も密偵を送っております、幾つかの情報の中にメリア王の子息と共に暮らす人間として、その名はたびたび上がって参りました。これは偶然でしょうか? 先だっての男、国境破りをしたあの男、名前は『ユリ』でしたか? 正式名称を当ててみましょうか? 彼の名前はユリウス・デルクマン、ファルスの第一騎士団長の息子です、違いますか?」
俺は青褪め後ずさる、この人は俺の正体に気付いている……
「メリア王のご子息達は幼少の頃より身体が弱く、王妃様の実家であるファルス王家に預けられた。これは、一般的に流布されている情報です。そして、ここに私の知り得た情報、ご子息の養育は何故かファルスの騎士団長に一任されている、という情報です。あなたは彼を兄と呼んだ、そして実の兄弟ではない、とそう言った。そうなると、あなたの正体はとても限られてくる」
もったいぶった言い方だ、彼にはもうきっと何もかも分かっているのに。
「ただひとつ分からないのは、メリア王のご子息は双子でアルファの王子とオメガの姫だと聞いている、けれどあなたはアルファ、これはおかしい。双子はどちらも姫だったのか? それともオメガの姫という情報の方が間違っていたのか、さてどちらなのでしょうか? ヒナノ姫? それともあなたはツキノ王子なのでしょうか?」
「そこまで分かっていて、なんで……」
「全てが繋がるまでには時間がかかりました、他にも分からない事はあります。そして何より一番分からないのはあなたが姫に接触してきた理由です」
アレクセイさんは完全に俺を敵認定している、俺が彼女に何かをすると本気で思っているのだろう。
「俺がここに現われたのは完全なる不可抗力だ。ランティスから攫われて来たのも嘘じゃない。理由も何も、俺は何もしていないし、する気もない!」
「それをそのまま鵜呑みに出来るほど、私の頭はおめでたくはできていない。あなたにはこの身分証を差し上げましょう、それを受け取ったら自分のあるべき場所へとお帰りください。こちらも、そちらへと干渉するつもりはない」
彼は放り投げるように身分証を床へと落とす。俺は慌ててそれを拾い上げようと屈んだのだが、彼はそれを踏みつけ隠してしまう。
「ただしひとつ条件がございます」
「条件?」
執事は上から見下すようにこちらを見やる。
「あなたの現在知っている王家の情報、こちらに洗いざらい渡していただきたい」
「王家の……それはメリア王家の?」
彼は無言で首を振る。
「あなたはファルス国王の孫でもあるのでしょう、全ての王家の情報ですよ、こちらが知り得ない全ての情報をこちらに渡していただきたい。ファルスの情報収集能力は他国に比べて飛び抜けて高いと聞いておりますよ、国王陛下もずいぶんと喰えない御仁だと聞いている。渡したくないと言うのであればそれも結構、あなたはメリア王の子息なのですから、ご自身でどうにでも身の振り方は考えられるでしょう?」
俺は立ち上がり、目の前の男に向き直った。
「俺は王家の人間として育てられていない、俺の両親は俺が生まれた時からいずれこうなる事を見越して王族としての教育は一切施してこなかった。俺がファルスの騎士団長の家で育てられたのもそのせいだ」
「そんなに前からこの民主化の流れは決定事項だったのですね」
考え込むように執事は腕を組む。
「だから、俺はあんたが望むほどの情報なんて何も持ってやしないんだ」
「そんな訳はない、実際あなたはエリオット王子がアルファである事を知っていた訳で、ランティスから来たというのが嘘でないのであれば、ランティス王国に関する幾らかの情報も持っているはずです。メリアのこの流れはもう止められない、メリアにはもうこの先姫の居場所はない。私が今何より欲しているのはランティス王家の情報です」
「姫の見合いを成功させるために……?」
「その通りです」
この人の行動原理は何もかもが姫の為、その忠誠心は一体どこからくるのだろう……
「だったら最初から見合いなんて止めた方がいい。エリオット王子には番相手がいる、聞きかじり程度の話だが王子の性格上その番相手を裏切ってまで姫と結婚する事はありえない」
「番相手? 聞いていませんね」
「相手が拒否して逃げたから」
「番の契りは魂の契り、アルファ側から拒絶はできてもオメガからはできないはずです」
「番契約は生きている、物理的に逃げたという話でエリオット王子はいまだにその人を諦めていない」
「アルファというのは優秀さが売りだと言うのに、自身のオメガの前では本当に愚かな人間に成り下がる。私も数多の人間を見てきましたが、支配階級と言われるバース性の人間達のその本能的でしかない行動はベータの私から見ても愚者の行いだとしか思えない」
吐き捨てるように執事は蔑みの言葉を投げる。
「だったらそんな愚か者の所に大事な姫を嫁がせるのは止めた方がいいと思うけど?」
「そんな愚か者だからこそ、操る事ができるかもしれないと私は逆に考えますけどね」
「操る……」
「別に愛されなくても良いのです、その王妃という立場さえあればいい。番相手に逃げられているとしても、向こうにだって体裁はあるでしょう、王妃は必ず必要で、姫はそれにうってつけだ」
「あんたは姫の幸せを望んでいるんじゃないのか!?」
「それは勿論願っておりますとも、けれどそれに必要なのは地位と権力とお金です」
この人が何を言っているのかが分からない、そんな物理的なモノよりも幸せを手に入れる為には優先すべきものがあると思うのに、彼はそれを信じて疑ってもいない様子なのがたまらなく気持ちが悪い。
「そんなモノで人は幸せになんてなれない!」
「ははは、おかしな事を言う。あなたは持っている人間だからそういう事が言えるのです、何も持たない人間にはそれが全てなのです。幸せは金で買えるのですよ」
「あんたは本当に姫を大事にしている訳じゃないんだな、姫の恩恵に預かって自分の生活を守りたいだけじゃないか!」
「そんな事はありません、私は先程も言いましたよ、姫を私の蓄えで養っていく事は可能である、とね。けれどその蓄えも姫の一生分には届かない。私の死後、蝶よ花よと甘やかされて育てられた姫が一体どうやって生活ができるとお思いですか? 姫は恐らくこの生活を変える事はできません。ですからご自身の為にも姫にはやっていただかなければならないのです」
「そんなの! だったらランティス王家じゃなくても良かっただろう? 他にも幾らでも金持ちはいるはずだ!」
「私だとてその辺は考えました。メリア国内ではもう『王家の姫』という肩書きは無用の長物、見向きもされないのです。ならばと声をかけたのがランティス王国グライズ領のグライズ公爵です。そして、彼は自分にはすぎた話だと、持ってこられたのが今回の王子との見合い話だったのです」
俺は執事の言葉に耳を疑う。
「グライズ公爵がこの見合い話に関わっている……?」
「それがどうか致しましたか?」
「もしかして、あんたこの見合い話に何か条件を出されたりはしなかったか?」
「どうしてそれを……?」
執事がこちらの表情を推し量るように瞳を細めた。
「そいつは俺を攫った奴だ、ランティス国内で人を攫っては奴隷売買を繰り返していると聞いている。そのターゲットの大半はメリア人で、あんた達の得に動くとは思えない」
「その話、詳しくお聞かせ願えますか?」
俺は自分が何故こんな所へやって来たのかを、改めて順を追い説明する。
騎士団長への疑惑や王家との確執、暗躍している闇商人の話など、彼はひとつひとつに頷いて「ランティス王国は思いのほかややこしい事になっているようですね」と呟き「それならば尚、好都合」と笑みを見せた。
「好都合って……」
「争いは人の目を曇らせます、そういう時こそ付け入りやすいのですよ」
「あんたって人は……!」
「あなたはメリア人を知らなさすぎる、ファルスの平和の中で育って駆け引きというものも知りはしないのでしょう? 自分が生き抜くために講ぜる策は全て取る。それがメリア人の生き方です」
俺がメリアに帰ると言い張った時に周りの大人達は言ったのだ、メリアには狐や狸が多すぎて、お前では手玉に取られて身を滅ぼす、と。まさに今目の前にいるこの老人こそがその狡猾な狐や狸であるのは間違いない。
「グライズ公爵の条件はひとつだけ、姫が王子の子を産む事です。彼はその子供の後見人になりたいのでしょうね」
「姫に王子の子供は産めない!」
「子供など、作ろうと思えばどうにでもなりますよ」
にっこりと凄みのある笑みに、また鳥肌が立った。
「それにはある程度、姫自身の演技力も必要となってきます。ある意味その心構えをさせる為にはちょうどいい機会でもあったのかもしれませんね」
執事は踏み付けていた身分証から足をどけ、さぁ、拾えとばかりに顎をしゃくる。俺はもう一度屈みこんでその身分証に手をかけると、男は「ふん」と鼻で笑い、またしても上から見下してきた。
「惨めなものですね、まるで物乞いのように足元に這いずって、そんなモノがなければ自身の身の証明も立てられない。あなたの両親に主人を殺され、一度は職を奪われた身としては溜飲の下がる思いですよ」
執事の物言いに腹は立つし、気分も悪い。俺は身分証を手に取って立ち上がる。
「あんたそのうちに身を滅ぼすぞ」
「老い先短い身の上です、そんな事はどうでもいい」
老獪な狸は綺麗な笑みを零した。グレンやレイシア姫との出会いで見る目の変わったメリアだったが、それでもやはりここもランティスと同じ魔窟なのだと、改めて思い知った瞬間だった。
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