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運命に祝福を
魔窟の住人 ②
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「ちょっと、待て! なんで俺がこんな服を着なけりゃならん! ふざけんなっ!」
「カイ、言葉遣いがなってないわよ、俺じゃなくて『私』でしょう! それに言ったはずよ、あなたは私の侍女、すなわち私はご主人様! 私の言う事が聞けないようならこの話しは無しよ」
レイシア姫が女物の服を持って迫ってくる。しかもかつてないほどにシンプルとは程遠いフリル全開のお人形スタイル、叔父さんですら持ってこなかったそんな服を持って俺に迫ってくる彼女に俺は青褪めて後ずさった。
「なんでよりにもよってそんな服なんだよ! 女物でもせめてもう少しマシな服はあっただろう!?」
「私の趣味よ、文句ある!?」
開き直った! この姉さん完全に開き直ったよ! 趣味ってなんだよ! だったら自分で着ればいいじゃないかっ!!
「今あなた、自分で着ればいいと思ったでしょう? あのね、こういう服には年齢制限があるのよ、着られる期間は短いの、20代も半ばを過ぎると、こんなの着てると色々言われたりするようになるのよ、だからあなたは今、これを大人しく着ておけばいいのよ!」
「なんでだよ!?」
服の年齢制限ってなんだ!? そんなの聞いた事もねぇよ! しかも自分が着られないからって、他人に着せてどうすんだよ! 眺めるのか!? 眺めて満足するのか!? 俺は観賞用か!?
「ちょっとこの人何とかしてよ、グレン!」
「俺がご主人様に逆らえる訳ないだろ~諦めろ、カイ」
部屋の隅に控えるようにしていた男は苦笑しながらそう言った。国境が閉鎖されて2日、その間、俺は何故か姫に女性らしい立ち居振る舞いの勉強をひたすらさせられていた。
叔父さんにもイリヤにいた時、多少似たような事をされたけど、あんなの比じゃないレディ養成集中講義だ。そしてようやく近日中に閉鎖が解除されるという噂が流れた今日、姫は俺の目の前にそのいかれた服を持って現れたのだ。ホント勘弁してくれ!
「ほら、やっぱり似合うじゃないの! 私の目に狂いはなかったわ」
おほほほほ、と高笑いでもし始めそうなレイシア姫は無理矢理その服を俺に着せて、大層ご満悦な表情だ。なんなんだよこれ、めっちゃ動きづらい!
「こんなんで侍女の仕事が出来るかよ!」
「言葉遣い!」
「む……こんな格好では碌にお仕事もできませんわ、ご主人様」
「いいのよ、あなたは私の隣で座っているのが仕事ですからね」
やっぱり観賞用か! にっこり笑顔の姫は俺を玩具にする事を決めたらしい。これはランティスに入ったら早々にとんずらするにかぎるな。
「それにしてもアレクセイ、遅いわね」
アレクセイさんは姫の執事、この傍若無人な姫を育てた老人だ。姫の我がままを聞くのが自分の仕事とばかりに現在俺の身分証作成に奔走してくれている。こんな事、本来だったら彼がする必要もない仕事で、俺は大変申し訳ない気持ちになる。
「そういえば姫はランティスにお見合いに行くんだよな?」
「本当にあなたは言葉遣いが直らないわね、可愛い格好が台無しよ!」
そんな事を俺に言われても困るのだけど……と思いつつも俺は「姫さまはご結婚なさるんですか?」と可愛らしく小首を傾げてみたら、姫の機嫌は見る間に良くなる。この人分かりやすいな。
「したい訳ではないけれど、アレクセイの持ってきた縁談ですし、ランティス側から頭を下げてくるのであれば受けてやらない事もない、と言った所かしら」
「お相手、ランティスのエリオット王子ですよね?」
「えぇ、そうよ。ランティスの次期国王、私は王妃になるという事ね。けれど、ランティスとは知っての通り長い敵対関係にあるから、どうしてこんな話が降って湧いたのか、私にもよく分からないわ」
「でも、エリオット王子って、姫の大嫌いなバース性ですよ?」
瞬間姫の顔が強張って「なんであなたがそんな事を知っているの?」と引き攣ったような笑みで首を傾げた。あれ? これも公表されていない情報だったか? 本当に何を話していいか分からねぇな。
「メルクードに滞在している時に近くでお会いする機会があって、それで……」
「聞いてない! 聞いてないわよ! アレクセイ!!」
レイシア姫はこの場にいない執事に吠える。本当にこの人、姫らしくない姫だな。これならうちのヒナノの方がよっぽど姫のように見える。
「でもこれって、お見合いする上では割と重要な情報なんじゃないのかな? アルファのエリオット王子とベータの姫さまが結婚してもお世継ぎは生まれない訳だし、それってランティス王家としても困ると思うんだけど……?」
この話を最初に聞いた時、俺はてっきり姫はオメガなのだと思ったのだ、けれど蓋を開けてみれば彼女はバース性嫌いのベータで、こんなのそもそも見合い自体が成立する訳もない。
それに、よく考えたらエリオット王子にはカイルという番相手がいる訳で、この話がランティス王家から出てきた話だとは考えにくい。縁談自体は姫の執事が持ってきたようだけど、その話を執事に持ってきたのは一体誰だったのだろう?
途端にまた機嫌が傾いたレイシア姫に俺は溜息を零す。分かりやすいけど、扱い難しい。悪い人じゃないのも分かるんだけど、それこそ彼女は『箱入り娘』という単語がぴったりな女性なのだと思う。まるで幼い幼女がそのまま大人になったような、彼女はそんな人なのだ。
「あぁ~あ、これじゃあ、私がこんな所にまで足を運んできたかいもないわね。こんなお見合い、破談よ、破談!」
「え……それは困る」
これで姫がランティス行きを止めてしまったら、それこそ俺の帰る術がなくなってしまう。いや、ぶっちゃけ執事さんが俺の身分証作ってくれたらそれでいい気もするけど、さすがにそういう訳にもいかないんじゃないのかな?
「何が困るの、もし生活に、というのならあなたもうちで仕えればいいわ」
「いや、俺、メルクードに番相手待たせてるから……心配してると思うし、早く帰らないと」
そもそもあのカイトが大人しく心配だけして待っているとはとても思えない、何かやらかし始める前に帰らないとヤバイ。
「あなた、番相手がいるの?」
「一応……」
照れ隠し半分そんな無愛想な返事を返すと、彼女「ふうん」と、また瞳を細めた。
「どんな人?」
「どんな? 別に普通、空気みたいな奴ですよ」
「空気?」
そういえばこの言い方はあまり良くないって前に説教された事があったな。
だけど、俺にとってカイトは居て当たり前の存在で、居なくなったら困ると言う意味では間違った表現ではないと思うんだけどな。だって空気だぞ? 無くなったら生きていけないだろ? それくらい当たり前にそこに在るって事なんだけど、どうも分かってもらえないんだよな。
「あなた、その人の事本当に愛しているの? それに空気みたいって、それって愛されてないんじゃないの?」
「さっき心配していると思うって言いましたよ。俺は彼の愛情を疑った事はないです」
「あなたの番相手は男なの? 男性オメガ? 男のオメガは珍しいって聞いているけど? それとも、バース性は関係なく選んだ相手?」
「相手は男性オメガですけど、俺とあいつは幼馴染で、気付いた時にはもうお互いがずっと傍にいるものだと思っていた。もしあいつがオメガじゃなかったとしても、俺はあいつを選んでいたと思う、それくらい大事な人ですよ……」
本人を目の前にしてはなかなか言えない台詞だが、これは俺にとっては本心だ。ようやく一年ぶりに再会できたというのに、またこんな事になって……でも、この会えない一年があったから耐えられている。
『運命の番』の絆は深い、無理矢理に離れ離れにされれば精神を病むとさえ言われているのだ。
お互いがお互いに依存していた昨年の事件から、俺はようやく立ち直り離れていた一年があったから今こうして立っていられる。俺達の一時期的な別れは無駄ではなかったと俺は思う。
部屋の扉をノックする音、姿を現したのは姫の執事アレクセイさんだ。
「姫、大変お待たせしまして申し訳ございません」
老齢のアレクセイはこちらをちらりと見やったのだが、すぐにレイシア姫へと向き直る。
「できたの?」
「はい、それは。しかし、何もこんな者をわざわざ同行しようとは……姫の気紛れも困ったものです」
彼は溜息を零しながら、またしてもちらりとこちらを見やった。うん、分かってる、俺の存在は迷惑だよな。だけどこれは全部姫が言い出した事だから、俺のせいじゃない!
「それよりも、アレクセイ、あなたに確認しておかなければいけない事があるわ」
「なんでございましょう?」
「ランティスのエリオット王子がアルファだと言うのは本当?」
途端にアレクセイの顔が強張った。あぁ、この人は知っていたんだな。知っていて姫に黙っていたのか? 姫がアルファやオメガを嫌っている事くらい彼ならば知っていただろうに。
「それは……何故?」
「やっぱり知っていたのね! 今、カイから聞いたのよ! なんで私にそんな話を持ってくるの!? 私は嫌よ、アルファの男性に嫁いで幸せになれる事なんて絶対にないもの!」
「姫! これは姫自身の為の縁談なのですよ!」
「私の為? 冗談じゃない! 私の幸せを願うのであればこんな縁談を持ってくる事自体が間違っているわ!」
アレクセイさんはひとつ息を吐き、レイシア姫をじっと見詰める。
「先方には姫はオメガであると伝えてあります。仮にも先代メリア国王の一人娘である姫を相手方も無下にはしない」
「そんなの私がオメガでないと分かってしまえば、何もかもお終いじゃないの!」
「隠し通すのです、姫にならできるはずです」
「無理を言わないでちょうだい、出来る訳がない!」
「姫にならできます、先代の国王陛下がそうであったように……そうしなければならないのです」
「ちょっと待って、どういう意味? あなたは父上がアルファではなかったと、そう言いたいの?」
アレクセイは瞳をそらした、彼は何かを隠している。
「私の家は長く王家に仕えてきた家系です。私も勿論若い頃から王家に仕えて参りましたし、私は姫のお父上の側仕えもさせていただいておりました。お父上は幼少の頃からお父上の父上、即ち姫のおじい様から賜ったある香水を愛用していたのです」
「香水? それが一体何だと言うの?」
「バース性の人間は匂いで相手を嗅ぎ分けます。それはフェロモンと言われる我々ベータには確認できない僅かな匂いです、父上が愛用していたその香水にはそのフェロモンが含有されていたのです」
姫が驚いたようにアレクセイを凝視する。
「私は過去その香水を調達する役目を担っておりました、これは誰にも言えない王家の秘密だったのです……」
「まさか……だって父さまは『運命の番』に出会って道を踏み誤ったのだと、あなたはそう言っていたじゃないの!」
「それは確かにその通りなのですよ、ただ陛下にとっては『運命』であっても相手にとってはそうではなかった、陛下自身それに気付いていながら、それでも陛下はご自身のその感情に身を委ねてしまった。分かるはずもなかったのですよ、陛下はアルファではなかったのですから。陛下が『運命』と呼んだ相手は陛下の弟君だったのですが、彼は誰よりも魅力的なオメガだった、それはベータの人間をも虜にするほどに魅惑的なオメガだったのです」
「知っているわ、セカンドでしょう?」姫は不機嫌な表情でぽつりと呟く。
「いつも父さまにこれ見よがしに引っ付いて、私、大嫌いだったわ」
「姫の知っているセカンド様は本物のセカンド様ではございません」
「え……?」
「あの者は偽者です、本物のセカンド様はあの日、あの暴動のあった日に城に乗り込んで来た者です。あなたのお父上を亡き者にしたのは、本物のセカンド様でございました。本物のセカンド様はそれ程までにあなたの父上を憎んでいたのです」
姫はそんな話しは寝耳に水だったのだろう、絶句したように言葉を無くした。
「愛故にセカンド様を閉じ込め束縛し、追い詰めた。その結果があの惨劇です。道を誤ったのは間違いではございません。自身をアルファと思い込み、魅力的過ぎるオメガの弟君を盲目的に渇望しすぎた、その愛がセカンド様には受け入れ難かったのでしょう……」
アレクセイは淡々と話し続ける。
「国王の位は末弟のレオン様の元へ。レオン様は何度も姫さまに手を差し伸べられましたが、姫さまはそのことごとくを拒絶されました」
「そんなの当たり前じゃない! だってあの人が裏で手を引いていたのでしょう!? 父さまから王位を奪い取る為にセカンドと手を組んで……」
「そんな話を誰から入れ知恵されたのでしょう? おじい様ですか? それともお母上? レオン国王陛下は王位を欲してはおりません、いずれ王位を廃止する為に陛下は動いておられます、このままでは姫は完全に後ろ盾を失ってしまう、王家という後ろ盾のない姫は、ただの我が儘なお嬢様でしかない」
「な……」
「姫は自分の生きていかれる場所を見付けなればなりません、もっと強かに生きていかなければ今のままの生活はできないのです。その為には多少の嘘も必要であると私は考えております」
呆然としていた姫の表情がまた険しくなった。
「アレクセイ、あなたは私の執事のはずよね? 主人に嘘を吐くなんて酷い裏切りだわ!」
「私は姫を裏切るような事は決してした事はございません」
「私がバース性の人間を嫌っている事、あなたも知っているはずでしょう!?」
「それは勿論存じ上げております。ですから逆に姫にはかの国の王子を手玉に取る事もできると私は思っております」
え? え……ちょっと待て! それって、姫にランティスを乗っ取れと、そういう事を言っているのか?
「ここに、私があなたの父上に用立てていた物と同じ香水がご用意してございます」
アレクセイが差し出したのは綺麗なガラスの香水瓶。姫はそれを彼の手から叩き落した。
「冗談じゃないわ、私にそんなモノは必要ない」
香水瓶は割れたりはしなかったのだが、ころりころりと絨毯の上を転がっていく。老齢の執事は屈みこみ、そのガラスの香水瓶を拾い上げ、もう一度彼女の前に差し出した。
「カイ、言葉遣いがなってないわよ、俺じゃなくて『私』でしょう! それに言ったはずよ、あなたは私の侍女、すなわち私はご主人様! 私の言う事が聞けないようならこの話しは無しよ」
レイシア姫が女物の服を持って迫ってくる。しかもかつてないほどにシンプルとは程遠いフリル全開のお人形スタイル、叔父さんですら持ってこなかったそんな服を持って俺に迫ってくる彼女に俺は青褪めて後ずさった。
「なんでよりにもよってそんな服なんだよ! 女物でもせめてもう少しマシな服はあっただろう!?」
「私の趣味よ、文句ある!?」
開き直った! この姉さん完全に開き直ったよ! 趣味ってなんだよ! だったら自分で着ればいいじゃないかっ!!
「今あなた、自分で着ればいいと思ったでしょう? あのね、こういう服には年齢制限があるのよ、着られる期間は短いの、20代も半ばを過ぎると、こんなの着てると色々言われたりするようになるのよ、だからあなたは今、これを大人しく着ておけばいいのよ!」
「なんでだよ!?」
服の年齢制限ってなんだ!? そんなの聞いた事もねぇよ! しかも自分が着られないからって、他人に着せてどうすんだよ! 眺めるのか!? 眺めて満足するのか!? 俺は観賞用か!?
「ちょっとこの人何とかしてよ、グレン!」
「俺がご主人様に逆らえる訳ないだろ~諦めろ、カイ」
部屋の隅に控えるようにしていた男は苦笑しながらそう言った。国境が閉鎖されて2日、その間、俺は何故か姫に女性らしい立ち居振る舞いの勉強をひたすらさせられていた。
叔父さんにもイリヤにいた時、多少似たような事をされたけど、あんなの比じゃないレディ養成集中講義だ。そしてようやく近日中に閉鎖が解除されるという噂が流れた今日、姫は俺の目の前にそのいかれた服を持って現れたのだ。ホント勘弁してくれ!
「ほら、やっぱり似合うじゃないの! 私の目に狂いはなかったわ」
おほほほほ、と高笑いでもし始めそうなレイシア姫は無理矢理その服を俺に着せて、大層ご満悦な表情だ。なんなんだよこれ、めっちゃ動きづらい!
「こんなんで侍女の仕事が出来るかよ!」
「言葉遣い!」
「む……こんな格好では碌にお仕事もできませんわ、ご主人様」
「いいのよ、あなたは私の隣で座っているのが仕事ですからね」
やっぱり観賞用か! にっこり笑顔の姫は俺を玩具にする事を決めたらしい。これはランティスに入ったら早々にとんずらするにかぎるな。
「それにしてもアレクセイ、遅いわね」
アレクセイさんは姫の執事、この傍若無人な姫を育てた老人だ。姫の我がままを聞くのが自分の仕事とばかりに現在俺の身分証作成に奔走してくれている。こんな事、本来だったら彼がする必要もない仕事で、俺は大変申し訳ない気持ちになる。
「そういえば姫はランティスにお見合いに行くんだよな?」
「本当にあなたは言葉遣いが直らないわね、可愛い格好が台無しよ!」
そんな事を俺に言われても困るのだけど……と思いつつも俺は「姫さまはご結婚なさるんですか?」と可愛らしく小首を傾げてみたら、姫の機嫌は見る間に良くなる。この人分かりやすいな。
「したい訳ではないけれど、アレクセイの持ってきた縁談ですし、ランティス側から頭を下げてくるのであれば受けてやらない事もない、と言った所かしら」
「お相手、ランティスのエリオット王子ですよね?」
「えぇ、そうよ。ランティスの次期国王、私は王妃になるという事ね。けれど、ランティスとは知っての通り長い敵対関係にあるから、どうしてこんな話が降って湧いたのか、私にもよく分からないわ」
「でも、エリオット王子って、姫の大嫌いなバース性ですよ?」
瞬間姫の顔が強張って「なんであなたがそんな事を知っているの?」と引き攣ったような笑みで首を傾げた。あれ? これも公表されていない情報だったか? 本当に何を話していいか分からねぇな。
「メルクードに滞在している時に近くでお会いする機会があって、それで……」
「聞いてない! 聞いてないわよ! アレクセイ!!」
レイシア姫はこの場にいない執事に吠える。本当にこの人、姫らしくない姫だな。これならうちのヒナノの方がよっぽど姫のように見える。
「でもこれって、お見合いする上では割と重要な情報なんじゃないのかな? アルファのエリオット王子とベータの姫さまが結婚してもお世継ぎは生まれない訳だし、それってランティス王家としても困ると思うんだけど……?」
この話を最初に聞いた時、俺はてっきり姫はオメガなのだと思ったのだ、けれど蓋を開けてみれば彼女はバース性嫌いのベータで、こんなのそもそも見合い自体が成立する訳もない。
それに、よく考えたらエリオット王子にはカイルという番相手がいる訳で、この話がランティス王家から出てきた話だとは考えにくい。縁談自体は姫の執事が持ってきたようだけど、その話を執事に持ってきたのは一体誰だったのだろう?
途端にまた機嫌が傾いたレイシア姫に俺は溜息を零す。分かりやすいけど、扱い難しい。悪い人じゃないのも分かるんだけど、それこそ彼女は『箱入り娘』という単語がぴったりな女性なのだと思う。まるで幼い幼女がそのまま大人になったような、彼女はそんな人なのだ。
「あぁ~あ、これじゃあ、私がこんな所にまで足を運んできたかいもないわね。こんなお見合い、破談よ、破談!」
「え……それは困る」
これで姫がランティス行きを止めてしまったら、それこそ俺の帰る術がなくなってしまう。いや、ぶっちゃけ執事さんが俺の身分証作ってくれたらそれでいい気もするけど、さすがにそういう訳にもいかないんじゃないのかな?
「何が困るの、もし生活に、というのならあなたもうちで仕えればいいわ」
「いや、俺、メルクードに番相手待たせてるから……心配してると思うし、早く帰らないと」
そもそもあのカイトが大人しく心配だけして待っているとはとても思えない、何かやらかし始める前に帰らないとヤバイ。
「あなた、番相手がいるの?」
「一応……」
照れ隠し半分そんな無愛想な返事を返すと、彼女「ふうん」と、また瞳を細めた。
「どんな人?」
「どんな? 別に普通、空気みたいな奴ですよ」
「空気?」
そういえばこの言い方はあまり良くないって前に説教された事があったな。
だけど、俺にとってカイトは居て当たり前の存在で、居なくなったら困ると言う意味では間違った表現ではないと思うんだけどな。だって空気だぞ? 無くなったら生きていけないだろ? それくらい当たり前にそこに在るって事なんだけど、どうも分かってもらえないんだよな。
「あなた、その人の事本当に愛しているの? それに空気みたいって、それって愛されてないんじゃないの?」
「さっき心配していると思うって言いましたよ。俺は彼の愛情を疑った事はないです」
「あなたの番相手は男なの? 男性オメガ? 男のオメガは珍しいって聞いているけど? それとも、バース性は関係なく選んだ相手?」
「相手は男性オメガですけど、俺とあいつは幼馴染で、気付いた時にはもうお互いがずっと傍にいるものだと思っていた。もしあいつがオメガじゃなかったとしても、俺はあいつを選んでいたと思う、それくらい大事な人ですよ……」
本人を目の前にしてはなかなか言えない台詞だが、これは俺にとっては本心だ。ようやく一年ぶりに再会できたというのに、またこんな事になって……でも、この会えない一年があったから耐えられている。
『運命の番』の絆は深い、無理矢理に離れ離れにされれば精神を病むとさえ言われているのだ。
お互いがお互いに依存していた昨年の事件から、俺はようやく立ち直り離れていた一年があったから今こうして立っていられる。俺達の一時期的な別れは無駄ではなかったと俺は思う。
部屋の扉をノックする音、姿を現したのは姫の執事アレクセイさんだ。
「姫、大変お待たせしまして申し訳ございません」
老齢のアレクセイはこちらをちらりと見やったのだが、すぐにレイシア姫へと向き直る。
「できたの?」
「はい、それは。しかし、何もこんな者をわざわざ同行しようとは……姫の気紛れも困ったものです」
彼は溜息を零しながら、またしてもちらりとこちらを見やった。うん、分かってる、俺の存在は迷惑だよな。だけどこれは全部姫が言い出した事だから、俺のせいじゃない!
「それよりも、アレクセイ、あなたに確認しておかなければいけない事があるわ」
「なんでございましょう?」
「ランティスのエリオット王子がアルファだと言うのは本当?」
途端にアレクセイの顔が強張った。あぁ、この人は知っていたんだな。知っていて姫に黙っていたのか? 姫がアルファやオメガを嫌っている事くらい彼ならば知っていただろうに。
「それは……何故?」
「やっぱり知っていたのね! 今、カイから聞いたのよ! なんで私にそんな話を持ってくるの!? 私は嫌よ、アルファの男性に嫁いで幸せになれる事なんて絶対にないもの!」
「姫! これは姫自身の為の縁談なのですよ!」
「私の為? 冗談じゃない! 私の幸せを願うのであればこんな縁談を持ってくる事自体が間違っているわ!」
アレクセイさんはひとつ息を吐き、レイシア姫をじっと見詰める。
「先方には姫はオメガであると伝えてあります。仮にも先代メリア国王の一人娘である姫を相手方も無下にはしない」
「そんなの私がオメガでないと分かってしまえば、何もかもお終いじゃないの!」
「隠し通すのです、姫にならできるはずです」
「無理を言わないでちょうだい、出来る訳がない!」
「姫にならできます、先代の国王陛下がそうであったように……そうしなければならないのです」
「ちょっと待って、どういう意味? あなたは父上がアルファではなかったと、そう言いたいの?」
アレクセイは瞳をそらした、彼は何かを隠している。
「私の家は長く王家に仕えてきた家系です。私も勿論若い頃から王家に仕えて参りましたし、私は姫のお父上の側仕えもさせていただいておりました。お父上は幼少の頃からお父上の父上、即ち姫のおじい様から賜ったある香水を愛用していたのです」
「香水? それが一体何だと言うの?」
「バース性の人間は匂いで相手を嗅ぎ分けます。それはフェロモンと言われる我々ベータには確認できない僅かな匂いです、父上が愛用していたその香水にはそのフェロモンが含有されていたのです」
姫が驚いたようにアレクセイを凝視する。
「私は過去その香水を調達する役目を担っておりました、これは誰にも言えない王家の秘密だったのです……」
「まさか……だって父さまは『運命の番』に出会って道を踏み誤ったのだと、あなたはそう言っていたじゃないの!」
「それは確かにその通りなのですよ、ただ陛下にとっては『運命』であっても相手にとってはそうではなかった、陛下自身それに気付いていながら、それでも陛下はご自身のその感情に身を委ねてしまった。分かるはずもなかったのですよ、陛下はアルファではなかったのですから。陛下が『運命』と呼んだ相手は陛下の弟君だったのですが、彼は誰よりも魅力的なオメガだった、それはベータの人間をも虜にするほどに魅惑的なオメガだったのです」
「知っているわ、セカンドでしょう?」姫は不機嫌な表情でぽつりと呟く。
「いつも父さまにこれ見よがしに引っ付いて、私、大嫌いだったわ」
「姫の知っているセカンド様は本物のセカンド様ではございません」
「え……?」
「あの者は偽者です、本物のセカンド様はあの日、あの暴動のあった日に城に乗り込んで来た者です。あなたのお父上を亡き者にしたのは、本物のセカンド様でございました。本物のセカンド様はそれ程までにあなたの父上を憎んでいたのです」
姫はそんな話しは寝耳に水だったのだろう、絶句したように言葉を無くした。
「愛故にセカンド様を閉じ込め束縛し、追い詰めた。その結果があの惨劇です。道を誤ったのは間違いではございません。自身をアルファと思い込み、魅力的過ぎるオメガの弟君を盲目的に渇望しすぎた、その愛がセカンド様には受け入れ難かったのでしょう……」
アレクセイは淡々と話し続ける。
「国王の位は末弟のレオン様の元へ。レオン様は何度も姫さまに手を差し伸べられましたが、姫さまはそのことごとくを拒絶されました」
「そんなの当たり前じゃない! だってあの人が裏で手を引いていたのでしょう!? 父さまから王位を奪い取る為にセカンドと手を組んで……」
「そんな話を誰から入れ知恵されたのでしょう? おじい様ですか? それともお母上? レオン国王陛下は王位を欲してはおりません、いずれ王位を廃止する為に陛下は動いておられます、このままでは姫は完全に後ろ盾を失ってしまう、王家という後ろ盾のない姫は、ただの我が儘なお嬢様でしかない」
「な……」
「姫は自分の生きていかれる場所を見付けなればなりません、もっと強かに生きていかなければ今のままの生活はできないのです。その為には多少の嘘も必要であると私は考えております」
呆然としていた姫の表情がまた険しくなった。
「アレクセイ、あなたは私の執事のはずよね? 主人に嘘を吐くなんて酷い裏切りだわ!」
「私は姫を裏切るような事は決してした事はございません」
「私がバース性の人間を嫌っている事、あなたも知っているはずでしょう!?」
「それは勿論存じ上げております。ですから逆に姫にはかの国の王子を手玉に取る事もできると私は思っております」
え? え……ちょっと待て! それって、姫にランティスを乗っ取れと、そういう事を言っているのか?
「ここに、私があなたの父上に用立てていた物と同じ香水がご用意してございます」
アレクセイが差し出したのは綺麗なガラスの香水瓶。姫はそれを彼の手から叩き落した。
「冗談じゃないわ、私にそんなモノは必要ない」
香水瓶は割れたりはしなかったのだが、ころりころりと絨毯の上を転がっていく。老齢の執事は屈みこみ、そのガラスの香水瓶を拾い上げ、もう一度彼女の前に差し出した。
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