運命に花束を

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運命に祝福を

見知らぬ男 ③

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 国境の町ヘルニドからメリアとランティスの国境線はさほど遠くはなかった。馬を走らせればほんの数分で、ますます自分が何処から来たのかが分からなくなる。国境線には警備兵が立っていてその境界線を見張っており、ここには警備兵がいるのに……と、やはり俺は思ってしまうのだ。
 自動車を操っていた男は言っていた、俺が指し示した方角は行けばランティス人に襲われる、と。ランティス側の国境線はグライズ領、あそこはグライズ公爵にとっては治外法権的な場所であったのかもしれない。
 国境を越えようとする人々が手続きの為に列を作る、俺もそれに倣って列に並ぶのだが、列は一向に進む気配を見せない。

「これ、全然進まないけど、何をやってんの?」

 俺が俺同様列に並ぶ男に尋ねると、男は面倒くさそうに返事を寄越す。

「あ? 検問だろ、ここはいつもそうだ。メリアからランティスへと流れる移民が多いのもあってここの検問は厳しいんだよ。最近は偽装の身分証を持ってやってくる人間も多いらしくてな、検問は厳しくなる一方だ」

 検問、身分証……来れば国境を越えられると思ってここへ来たが、ちょっと待て、俺、身分証持ってたか……? 金は靴に隠してあった小道具の中に一緒に潜ませていたからなんとかなったが、身分証、持ってねぇ。

「もしかして、ここに並んでいても身分証がないと向こうに行けない?」
「そりゃそうだろ、当たり前だ」

 詰んだ! これ、完全に詰んだわ! メリアから出られない! え? どうする!? もう一度あの監禁されていた屋敷に戻るか? あの近辺に警備兵はいないみたいだし、あそこからなら方角を間違えなければランティスに戻れる可能性もある。けれどそれは確実に、という話ではないのでリスクは高い。
 俺は列から外れて座り込み、その行列を眺めた。メリアからランティスへと渡ろうとする人間は存外多いのだなと、改めて思う。ランティスではメリア人は全員一纏めに差別の対象なのに、それでも向こうに行こうとする人の目的というのは一体何なのだろう?
 それにしても本当に困った、所持金にだって限りがある、服やら旅に最低限必要な物を揃えただけで、もう既に路銀は心許なくなっているのに、帰れないとなると本当に喰うにも困ってしまう。
 一応生まれはメリアの筈なのに、俺はメリアに知り合いもいないし、両親を頼ろうにも両親が俺に会ってくれる可能性は限りなく低い。
 どうする? どうすればいい……? しばらく考え込んでいたら、賑やかな騒音が聞こえてきた。顔を上げればそこにいたのは、先程別れたはずの『自動車』だ。あぁ、そういえばレイシア姫はランティスに見合いに行くんだったか? どうやらヘルニドには休憩に寄っただけだったらしい。
 列の手前で自動車が止まり、姫の従者と思われる老齢の男が降りてきた。運転手でもある、先程の男も自動車の調子を見る為か、自動車から身を乗り出してこちらを見て「おや?」という表情を見せる。

「坊主もいたのか、そんな所に座り込んで、どうした?」

 気さくな男は首を傾げて自動車を降りてくる。

「ランティスに帰りたかったんだけど、身分証持ってなくて、帰るに帰れなくなった……」
「そう言えば、お前攫われてきたって言っていたか? 役人に事情を説明すれば何とかしてくれるんじゃないか?」
「俺なんかの言う事、信じてくれるかな?」
「なんなら俺が付き合ってやろうか?」

 優しい、なんだかこんな所で人の優しさが身に染みる。ランティスでは散々な目に遭わされてきたから余計にだ。

「ちょっと、あなた! 私をこんな所に一人残して何処へ行く気!?」

 自動車の中からかかった声に、男がしまったという表情を見せる。少しきつめの女性の声、たぶんレイシア姫だ。男は慌てたように自動車の方へと戻っていく。
 やっぱり通りがかりの人間を頼ろうって方が間違っていたのだろう……

「すみません、俺、大丈夫なんで、1人で行ってきます」
「え、待って! 姫さまは話せば分かってくれる人だから!」

 それでもな……と戸惑っていると、自動車のドアが開き、声の主が降りてきた。20代半ばくらいの女性、髪はメリア人特有の赤髪だ。彼女は俺の顔を見て、少し瞳を細めた。

「あなた、男の子……?」
「そうですけど」

 彼女はつかつかと俺に歩み寄り、瞳を覗き込んで一言「黒いわね」と言い放ち眉を顰めた。
 メリアでも山の民である黒髪は嫌われていると聞いている、今は髪を隠しているし運転手の男は瞳の色など気にしなかったが、姫は俺のその黒い瞳を見やって不審に思ったのだろう、俺の布で巻いたターバンを剥ぎ取る。

「あ……」

 零れる黒髪に、彼女はますます眉を顰めて「やっぱり」と呟いた。

「どこか似ていると思っていたのよ、私、山の民は大嫌い!」

 似ている? 一体俺が誰に似ているというのだろうか、けれど山の民が嫌われている事を分かっている俺は剥ぎ取られた布を奪い返してもう一度頭に巻き直した。

「俺は山の民じゃねぇよ、だけど黒髪なのは間違いない。嫌いだというなら嫌って貰って結構だが、だったら俺に関わってくるんじゃねぇよ」
「まぁ! まぁ~!! なんて言い草かしら! 勝手に関わってきたのはそちらでしょう!? 厚かましいにも程があるわ!」
「俺はあんたに関わっていったりしていない!」

 運転手の男が俺と姫の間でおろおろしている、そもそも原因を作ったのはこの男だしな。俺も髪を隠していたし、こんなつもりではなかったのだけど、こんなに頭ごなしに悪意を向けられれば腹が立つ。そもそもわざわざ髪を隠していたのに、それを剥ぎ取ってまで言う事なのか! 本当に腹が立つ!

「貴方が下賎の者に関わるからこんな事になるのよっ! さっさと車に戻りなさい!!」

 姫の怒りは飛び火して男へと向く。男は困惑顔でこちらを見るのだが、俺は行けとばかりに手を振った。別にこの男を困らせたい訳ではないのだ。少しばかりの事だったが優しくされたのは嬉しかったし、姫の機嫌を損ねるのは本意ではない。
 そこへ「姫さま、何かございましたか!?」と、慌てて戻ってきた老齢の男に一睨みされて、俺はむしろ自分が去る方がてっとり早いか、と踵を返した。
 検問待ちの行列の脇に、役人の詰所がある、とりあえずそこで話だけはしてみるか……と気が進まないなと思いながらも歩いて行くと、行列の先、国境の向こう側で何やら大きな叫び声が聞こえた。
 壁と建物に阻まれて、向こう側はよく見えない、けれどその叫び声は段々に近付いてきている。
 検問待ちの行列に並ぶ人々もその叫び声に不審顔を見せて、向こう側を覗き見るので、背の低い俺は尚更向こうが見え難い。

「なんだ……?」

 突如人の列が割れた。それと同時にその辺りに一気に漂うアルファのフェロモン、それは戦場でなら分からなくもないというくらいの敵意むき出しの怒りと威圧のフェロモンだ。
 びりびりと肌に直接刺さるような刺々しいそれは、バース性の人間に留まらず、その場に居た人々を混乱の渦へと叩き込んだ。
 行列の先頭にいた人間が悲鳴を上げて逃げ始めれば、その後に続いていた者達も訳も分からず逃げ惑い始め、場は大混乱だ。

「ちょ、落ち着け! みんな落ち着けってばっ!」

 我先にと逃げ惑う人達は何から逃げているのかも分かっていないのだろう、三々五々散り散りに駆けて行く、もうこれは完全にパニック状態だ。
 俺が振り向くと、レイシア姫とその従者達も戸惑い顔で、逃げる人達に揉みくちゃにされていて、俺はひとつ舌打ちを打って、そちらへ向かって駆け出した。

「あんた達はとりあえずその中に隠れてろ」
「ねぇ、君、何があったの? これ、どうしたの?!」
「分かんねぇ、でも……なんかヤバイ奴がいる」

 自動車の中に3人を押し込んで、俺は匂いの先を睨みつける。頭がくらくらする、本能的に逃げた方がいいという警報が頭の中で鳴っている、心臓も早鐘を打っていて止まってしまいそうだ。体には冷や汗が伝い落ちてきているのだけれど、そんな中でも冷静な部分が俺に呼びかけるのだ、この匂いをお前は知っているだろう? と。
 匂いはどんどんキツクなる、恐怖もかさを増して増幅していく、それでも俺は逃げずにそいつが現れるのを待っていた。
 国境線の向こう側、一人の男が歩いてきた。いや、一人じゃない、腕には誰かを抱いている、腕の中にいるのは女だ、男は恭しくその女を抱きかかえて、ただ静かに歩いて来た。
 俺はその男を知っている、けれどそれは本当に俺の知っている人間なのか……

「ユリ!!」

 俺が叫ぶと、男はふと顔をこちらへと向けたのだが、腕の中の彼女が彼の顔に手を伸ばすと、すぐに彼女の方へと向き直りそれは綺麗な笑みを見せた。
 辺りに漂うのは恐ろしいほどの威圧なのに、その彼の表情はまるでいつもと変わらない。

「どうして、ユリ!? そいつ、誰だ!!」

 その男はもうこちらを見もしない。姿形は幼い頃から一緒に暮してきた義兄ユリウスだが、違う、こんな男を俺は知らない。

「ユリ……」

 俺の目の前を男は悠々と歩いて行く、視線のひとつもこちらには寄越さずに、まるで俺の事など見えていないかのように彼は無言で俺の前を通り過ぎて行った。
 俺はずるりとへたり込む、こんな兄を見た事がない、一体何がどうしてこんな事になっているのか分からない。腕に抱えた女は誰だ? あんな女を俺は知らない。
 その出来事はとても短時間の出来事であったのだが、俺は冷や汗が止まらずにずっとがたがたと震えていた。ユリウスのフェロモン、デルクマン家の子供達は皆、一様にフェロモン過多の傾向で「そんなものは体質に過ぎない」と笑っていた彼と、今目の前を歩いて行った彼とが結びつかない。

「ねぇ、君、大丈夫?」

 運転手の男に顔を覗き込まれて、ずいぶん時間が経っていたのだと気が付いた、逃げ出した人々も不安そうな顔を覗かせながらも段々に戻って来ている。

「ねぇ、今の人、誰だったの……?」

 俺は力なく首を横に振る。俺はあれを自分の兄だと認めたくはなかった。促されるように立ちがろうとして、視界が揺れた。あぁ、こんな時に貧血だ……視界が歪む、目の前が帳を下ろしたように真っ暗だ。
 俺はそのまま意識を失った。慌てたように運転手の彼が俺の身体を支えたのが分かったのだけど、俺の意識はそこまでで、そこからの事を俺は覚えていない。

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