運命に花束を

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運命に祝福を

それぞれの道 ③

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「ツキノぉ、おいちゃんと駆け落ちするか」

 晩飯時に、扉越しにそんな事を言われて俺はむせ込む。

「……はぁ? 何を突然」
「気が進まないんだよなぁ、お前の調教」
「それに関しては俺も同意だけど、それで何で駆け落ち? 普通に逃がしてくれたらよくね? そもそもあんた、声若いけど相当おっさんだろう? 永遠の20歳とかさば読みすぎだし、十代に手を出そうなんて犯罪だろ! ん……? そういえば誘拐犯の時点でおっさん既に犯罪者だったわ」
「うわぁ、おいちゃん傷付いた……」

 扉の向こうの男は嘆く。髭もじゃ男のリックは年齢不詳だったが、やはりそれなりに年齢は重ねているようで、酷い、傷付いた、責任取れ、と女々しい言葉を繰り返す。

「俺は自分を差し出してまであんたに助けてもらおうなんて思わねぇし、逃げたくなったら自力で逃げる。だから、おっさんはきちんと職務を全うしたら?」
「その職務がお前の調教な訳なんだが、ツキノはおいちゃんに好き勝手されてもいいのか?」
「そこは全力で抵抗させてもらう。怪我させたらすまん」

 加害者と被害者、変にコミュニケーションが取れてしまってどっちもどっちでやりづらい。逃げようと思えばいつでも逃げ出せるという心の余裕があるお陰で、俺の態度も大柄になりがちだ。

「お前のその自信は一体何処からくるんだ? 抵抗できると思っているのか?」
「普通にできると思ってるけど……おっさんは逆に犯れると思ってんの?」
「お前は囚われの身だって自覚はないのか? 足枷だって嵌ってるだろ?」
「あぁ、これね……」

 俺は自身の足に嵌る枷と長く伸びる鎖を見やる。けれどその足枷は形だけそこに嵌っているだけで、もうとっくに外れている。天窓もすぐに外せるようになっているとシキさんは言っていたし、いざとなったらすぐにでも逃げ出す準備は整っている。
 ただ、今は動くなと言われたので仕方なくここで待機をしているだけの俺は、扉の向こうの男の考える事がさっぱり分からない。彼のやるべき事は俺の調教なのだとしたら、別にそうすればいいのではないだろうか? そうすればこちらも全力で抵抗できるし、この男に怪我をさせたところで罪悪感も湧かないのに、こんな風に会話が成立してしまっているので、怪我させたら申し訳ないななんて逆にこっちが悪いような気持ちになってくる。

「おっさんもさぁ、こんな仕事してないでもっと真っ当な仕事探したら? その歳で犯罪者の下っ端なんて、この先だって碌な人生歩めないよ?」
「ツキノは辛辣だなぁ……」
「おっさんちょっといい人そうだから心配してやってるんじゃん、なんでこんな仕事してんの? おっさん料理人だろ? 飯旨いし、普通に飯屋だってできるだろ?」
「俺に経営は向かないんだよなぁ」
「だったら雇われだっていいじゃん、駄目なの?」
「ひとつの場所に留まるのが性に合わない」

 ああ言えばこう言う、面倒くさいおっさんだ。

「それにしたって、なんでここなんだよ? ひとつの場所が性に合わないって言うなら、もう足洗ったら?」
「ここ、金払いいいんだよなぁ……なんせ雇い主が公爵様だから」
「昼間のあの人?」
「うん? まぁ、そうだな」
「公爵様って通称? それとも本当に爵位のある人間なの? だとしたら、そんな人間に爵位を持たせてるこの国を幻滅する所だけど」
「残念な事に本物の公爵様だよ、お前もこの土地に暮しているなら聞いた事があるだろう? グライズ領のグライズ公爵」
「え? ここグライズ領?」

 俺は驚き思わず声を上げてしまう。グライズ領と言えばメリア王国と目の鼻の先、国境を越えればその向こう側はメリア王国という程にランティス王国内でも北方に位置する土地だ。
 首都メルクードはランティス国内でも中央よりやや南方寄りで、まさか自分がそんな遠くにまで運ばれているとは思わなかった。

「なんだ、お前知らなかったのか?」
「俺が攫われたのメルクードだよ!」
「お前は丸1日寝ていたって聞いてるしな、気絶でもしてたのか?」
「なんか、抑制剤飲んだら眠くなった」
「それ睡眠薬だったんじゃねぇの?」

 そんな馬鹿な……リリーが俺にそんな薬を飲ませる意味が分からないし、そもそも彼女がそんな薬を持ち歩いていた意味も分からない。

「薬と言えば、今メルクードじゃ違法な薬物が幅をきかせてるらしいって噂を聞いたな。うちのご主人様も一口噛んでるような話を聞いたが、あの人、この国で一体何がしたいんだろうな? ただの金儲けだとしたら、金持ちはどこまでも強欲だなぁと思うけど、それ以外にも何か裏があったりしてな」
「裏?」
「ツキノの生まれはどこだ? ランティス? メルクードか?」
「いや、俺の生まれはファルスだ」
「ファルスかぁ、こんな国にやって来なけりゃこんな目にも遭わなかっただろうに、ご愁傷様。ファルスはうちと違って王様がしっかりしている、うちは今王族の力が目に見えて落ちてきていてな、そんな権力の座を虎視眈々と狙っているのがグライズ公さ、メルクードでそんな薬物を撒き散らしているのも、公爵が王家の信頼を国民から失墜させる為だろうな」

 リックがさらりと放った言葉、俺はその言葉に目を見開く。

「それ本当の話?」
「俺の憶測も入ってるけど、まぁ、間違いないないんじゃね? グライズ公爵は怖いよ~何を考えてるかもよく分からない。だけど、相当の実力者だ、長いものには巻かれろってな、ここであの人の仕事をしていれば俺の老後も安泰かなって思ってる」
「おっさん馬鹿じゃねぇの? こんな汚れ仕事させてる人間なんて上の奴等にとっちゃいつ切り捨ててもいい人間だよ、金払いは良くても都合が悪くなれば問答無用で殺されるぞ」
「……ツキノは頭の回転も早いんだなぁ……」
「あんた分かっててやってんのか!? 本気で馬鹿か!?」
「俺も長居をするつもりはないよ、だから駆け落ちするか? って聞いたのに」

 軽い口調でリックは返事を寄越す、その声は少し笑っているようでもあって俺は憮然とした。表情が見えない、声しか聞こえないせいで、余計に感情が見え難い。けれどこいつもどこか胡散臭い人間である事はきっと間違いない。

「普通に一緒に逃げようって言えばいい!」
「それじゃあ、おいちゃんにメリットがないだろ~」
「10代に手ぇ出そうとしてんじゃねぇよ、この犯罪者!」
「うわっ、おいちゃん傷付いたっ!そんな事言うツキノは明日の朝御飯抜きだぞ!」
「え、それは困る!」

 言葉の応酬に思わず2人でけたけたと笑い出した。出会う場所が違っていれば、きっとこの人とは仲良くなれた、なんでこんな人がこんな所でこんな仕事をしているのか俺には分からない。

「冗談抜きでツキノ、お前は明日から飯抜きだ、だから今はちゃんと喰っとけ。調教はもう始まってる、人を調教する時にまず初めにする事は弱らせる事、そして恐怖を植え付ける事だ、お前は人を怖がりそうもないからな、やる事は支配と暴力になる。覚悟しておく事だ」

 真面目な声でそう告げられ「じゃあな」と男は去って行った。まさか、と思う。気を許して何の疑いもなく晩飯を喰らっていたが、まさか何か薬を盛られたか? いや『薬を盛られるように指示を出された』が正しいのかもしれない。言葉どおりに飯が与えられない可能性もあるが、その飯に何か細工をされる可能性もある。
 これは明日以降の食事には気を付けろという警告だ、気安い言動をするくせに怖い男だ。けれど、そんな忠告を寄越す程度に優しい男でもある。

「ちっ、どうすっかな……」

 俺は自身の髪を掻き回した。分かった事は幾つもある、グライズ領のグライズ公爵、人攫いをして人身売買、薬物を撒き散らし、何かを企んでいる。リックの話をどこまで信用していいか分からないが、裏付けはきっと黒の騎士団が取ってくれる。

「悪いけど、調教されるのは趣味じゃないんだよな」

 俺は足枷を外して伸びをした。一口にグライズ領と言っても結構広い、ここがメルクードからどれだけ離れているのか分からないが、きっとカイトも心配している、下手に暴走する前に帰るに限る。あいつは俺がいないと何をし始めるか分からない男だ。
 前回同様壁を登って、梁に腰掛け天窓に手を伸ばす。天窓は少しの力で上へと外れた。窓はそこまで大きくないが、幸いにというべきか、俺もさほど大きくはない。今のカイトのサイズだとちょっともう通れないかもな、と苦笑をもらした。攫われたのが俺でよかった。

「よっ、と」

 屋根の上へとよじ登ると、薄暗闇に建物の全容が見えてくる。自分がいた建物はぱっと見に家畜小屋にも見えて、ここでは動物も飼育しているのだろう、一般的な農家の家のように見えた。
 母屋は中庭を挟んで反対側、窓から光が零れているのであそこにリック達はいるのだろう。
 家の周りは何もない。たぶん周りは畑なのだ、近くに民家も見えはしない。街を離れたこんな場所なら、確かに奴隷がどれだけ騒ごうが気付かれる事もないのだろう。

「さぁて、どっちに向かえばいいのかな……」
「行くのか?」

 ふいに声をかけられ、びくっ! と身を震わせた。振り返れば、そこにいたのは黒の騎士団の一人、この男はたぶん黒の3兄弟の一番上だったと思う。

「びっくりするだろ、驚かせんな!」
「そんなつもりはなかったんだが、どこへ行くつもりだ?」
「勿論、カイトの所に帰るに決まってるだろ、メルクードってどっち?」

 男が無言で指差した先に目を凝らしてみるのだが、その先には光も見えず、民家も街も遠いのだという事がはっきり分かる。

「そっちの調査はまだ終わらないの?」
「お前のお陰で大物が釣れたな」
「それは結構な事でした」

 その言葉はきっとグライズ公爵の事を指しているのだろう、きっと俺の動向もずっとどこかで見られていたに違いない。

「もう帰ってもいいだろう?」
「弟2人は公爵家へ向かった、俺はここを離れられない。送ってはやれないぞ」
「別にいいよ、自力で帰る。あんた達も大変だね、人数幾らいても足りないんじゃない?」
「人手不足は深刻だな、こういう特殊な仕事となれば人も選ぶ、誰でもいいという訳じゃない。信頼されて頼られていると言われれば聞こえはいいが、過度に使い潰されているというのが正直な所だ」

 男の言葉に少しだけ毒を感じて俺は首を傾げる。

「この仕事嫌なんだ? だったら辞めたら?」
「他に俺達みたいな人間が稼げる方法があると思うか?」
「黒髪だから?」
「そうだな。お前は環境に恵まれている、だがこの国に来て、この黒髪の生き辛さが分かっただろう?」
「確かに絡まれる事も、嫌な顔される事も多いけど、そんな人ばっかりじゃないし、話せば分かる場合もあると思うけどな」

 俺の言葉に男は「甘いな」と吐き捨てるように呟いた。

「お前はじいさんと同じ事を言う。庶民育ちでもやはり王族は王族だな、考えが甘すぎる」
「俺は結局王族だった事なんて一度もないし、きっと今後もないと思うよ」
「血筋は血筋だ、変えられはしない。行け、向こうに馬が用意してある。夜通し走り続ければ夜明け前には街に着くだろう」

 男の指し示す先には数頭の馬が静かに草を食んでいた。

「ありがとう、大変そうだけど、お兄さんも頑張って」
「は……呑気な事だな」

 男は苦笑うように皮肉な笑みを浮かべ、俺を追い払うように手を振った。俺が抜け出した牢屋の屋根から飛び降りると、ふわりと風に煽られスカートが捲れ上がる。その裾を押さえながら、どこかで服を調達しないと駄目だな……と俺は溜息を零した。



 言われた通りに夜通し馬を駆けて、翌朝には俺は小さな寂れた街にたどり着いた。さすがに疲れて宿を取ろうと思ったのだが、よく考えたら俺のこの黒髪だ、宿に泊めて貰えるとは思えない。まずはそんな髪を隠す為と、いい加減足に纏わり付いて仕方がないこのスカートをズボンに履き替えたい俺は店を探す。
 まだ早朝という事もあってか街の人通りは少ない。けれど、そんな街を行き交う人々をみやり俺は微かな違和感を覚える、けれどその理由が分からない。
 知らない土地にいるのだから何を見ても目新しいのは当たり前なのだが、なんだろう? 俺はもやっとした心を抱えて首を傾げた。
 街の入り口近くに小さな雑貨屋があって、そこで服も調達できそうだ、と俺は店を覗く。

「あんた……」

 店の店主に胡乱な瞳を向けられた。

「言っておくが俺は山の民じゃないし、金もちゃんと持っている旅人だからな」

 先を見越して釘を刺す、言われそうな事は大体見当が付いている。
 手荷物類は攫われた時に全て没収されてしまっているが、足枷を外した道具の仕込まれていた靴には大金ではないがへそくりも仕込まれていて有難い事この上ない。こんなもの与えられた所でどうしろと……と、いつも思っていたが、まさかこんな風に役立つ日が来るとは思ってなかった。

「それはいいが、こんな場所に一人旅かい? あんた女の癖に物好きだな」

 好きで来た訳じゃない、と心の中で突っ込みを入れつつ、俺は服を物色する。髪を隠すターバンと、日用品も幾つか見繕い、最後に「おっちゃん、地図売ってない?」と店主に声をかけると、店の主人は一枚の羊皮紙の地図を差し出した。

「ねぇ、おっちゃんここって何処?」
「呆れたな、自分の今いる場所も分かってないのか?」

 そう言いながらも店主は地図の一部を指差した。

「この街はここ、メリア王国国境の町、ヘルニド」
「え……?」

 俺は驚いて店主の顔をまじまじと見やる。よく見れば店主の髪色は限りなく茶色に近いが赤髪だ。
 ここで俺はこの街に入った時に感じた違和感の正体に気付いた。街を行き交う人達の髪色の比率が俺の知っているどの土地とも違う。

「待って、ここメリア王国!?」
「なんだ? それがどうした?」

 確かにグライズ領はメリアと国境を面している、メリア王国が近いのは分かっていたけれど俺はメルクードに向けて馬を走らせていた筈なのだ、あの黒い男は確かにこっちに向かって走って行けと言ったのに、これでは完全に逆方向じゃないか!
 しかも国境どこにあった? いや、陸続きで地面に線が引いてある訳ではない、だとしても国境を警備している兵の一人や二人居ても良かったんじゃないのか?

「俺、メルクードに行きたいんだけど……」
「ランティスか? 悪い事は言わん、止めておけ。ランティスは酷い国だと聞くぞ。自国の人間以外はまるで犬畜生の扱いだとか、お前もそんな黒髪じゃ向こうではきっとやっていけない」

 止めておけと言い募る店主の言葉を上の空で聞きながら、俺は店の外に出る。ここがメリア王国。俺の両親が暮らす国。
 いつかは帰って来ようと思っていた俺の生まれ故郷。
 ランティスでは虐げられていた赤髪の人々が笑っている。それを不思議だと思う事自体がおかしいのだけれど、俺は何故だか不思議で仕方がない。
 まさかこんな思いがけない形で生まれ故郷の地を踏むとは思わなかった。
 見た目に何かが変わっているとも思えない、けれどここはファルスでもランティスでもなくメリア王国なのだ。
 人のざわめきが聞こえた。何かと思ってそちらを見やると、何か奇妙なモノがこちらへ向かってやって来る。それは、形は馬車の荷台にも似ているのだが、それに馬は付いていない、何故か荷台だけががたごとと道を進んでくる。
 意味が分からなくて、俺がまじまじとその不思議な物体を眺めていると、その珍妙な荷台は街の入り口でぴたりと止まった。


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