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運命に祝福を
それぞれの道 ②
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「ロディ君、もし良かったらうちに来る?」
リングス薬局をお暇しようとすると、ナディアおばさんにそう言われた。
「今は貧民街で宿を取っているんでしょう? こんなに近くにいるのに、もし万が一貴方に何かあったら私達アジェに申し訳が立たないわ。もし良かったら、メルクード滞在中は我が家に滞在したらいいと思うの」
「え……でも、そんなご迷惑……」
「迷惑なんかじゃないさ、今日は君にとてもお世話になったし」
マルクおじさんもおばさんと口を揃えてそう言った。元々貧民街に宿を取ったのはツキノが街中では宿を取れなかったせいで、ツキノがいない今、俺が貧民街に宿を取っている必要性はまるでない。
あの宿屋にはツキノやカイトの護衛の人達も一緒に居た筈なのに今となってはそれも怪しくて、ますますもって俺があそこに居続ける意味はないのだ。
「ね、良かったら、うちにいらっしゃいな」
「そうだな、できるのならば俺達もそれがいいと思う。ここなら俺達も行動範囲内だし、顔も出しやすい」
イグサルさんにまでそう言われて、俺は『いいのかな……?』と、思いながらも頷いた。正直あの宿に1人でいても滅入るばかりだと思っていたのだ。
この家の一人息子メルが俺の顔を覗き込んでにっこり笑みを零した。年上だと分かっているのだが下から満面の笑みを向けられ、その笑顔の無邪気さに少々戸惑う。やっぱりこの人小動物っぽい。
「僕、観光連れてってあげるよ!」
楽しそうというか、嬉しそうというか、人懐っこすぎて今日会ったばかりなのに、そんなに全開で懐かれるとどう反応を返していいか戸惑う。ウィルもそうだったが、どうやら俺は自分から行くのは平気だが、ぐいぐいこられると逆に戸惑ってしまうのだと初めて知った。
「膳は急げだな、荷物取りに行って、宿引き払うか」
イグサルさんはそう言って、俺に付き合い宿まで赴き、すぐに荷物を纏めて戻った俺は、現在リングス薬局の自宅部分でのんびり寛がせてもらっている。家の中にある人の気配がとにかく嬉しい。
思えば我が家には常に誰かがいたのだ。家族でなくても常に使用人達が働いていて、孤独を感じることなど一度もなかった。気が滅入っていたのはもしかしてホームシックか? そんな事に気が付いて苦笑した。
イグサルさん達が帰り、今俺の傍らには今日出会ったばかりの俺の従兄弟がにこにこ笑っている。
「ねぇ、ねぇねぇロディ君! ファルスってどんな国? 何があるの? 僕、ランティスから出た事ないからすごく興味あるんだよね!」
「どんなと言われても、俺もファルスを出たのは初めてで、俺の暮していたルーンは田舎だし、ここメルクードに比べたらたいした事ないですよ?」
「そう? そうなの? 僕にはファルスはすごく自由なイメージがあるんだけど?」
「自由?」
何を思ってそう思うのか分からない俺は首を傾げた。
「だってうちの国って窮屈だと思わない? 誰も彼もみんな、人の顔色窺って生活してる。全員とは言わないけど誰かを下に見る事でしか自分の立ち位置確認出来ない人が多くて他人の悪口ばっかり! 僕、そういうの本当に嫌い!」
確かにこの国は差別が酷い。それはこの国に入った瞬間から俺も感じていた事だ。
「なんでなんでしょうね? そんな風に他人を見下さないといけないほど、自分に自信がない人が多いんでしょうかね?」
「なんかそういう風潮? みんなが言うから言ってもいいみたいに思ってる友達もいるよ。でもさ、そういうの自分が言われたら嫌だろ? 自分がされて嫌な事、他人にしたら相手が嫌な事くらい分かりそうなものなのに分かってないんだよねぇ……なんでなのかな?」
「周りが見えてない? う~ん、気遣いが出来ない?」
「あぁ、そうかもねぇ……」
メルはそう言って溜息を零した。
「僕も他人の事が言えるほど視野が広いとは思わないけど、伯父さんがファルスにいたり、その奥さんがメリアの人だったり小さい頃から身近にいたから、その人達を全然知らない人が通りすがりに悪く言うのは意味が分からなくて気持ちが悪いんだよね。そういう事言う人って、身近にそういう人もいないし、内に内に籠って外を見ようともしないんだろうね。親戚のおじさんでメリア人に息子を殺されたって人がいて、それは気持ち的に分かるんだけど、悪いのはその殺した人であってメリア人全員が悪い訳じゃないだろ? でも全員一纏めに悪人って決め付けるの、どうかと思うんだよねぇ……」
メルは余程心に溜まっている物があるのか、話し続ける。
「それにさ、メリア人だけじゃないよ、オメガ差別とか山の民の差別とか、少人数で珍しい人達を叩いていくの、これって弱い者いじめだよね? 自分達は人数が多いから大多数で偉いって、もう本当に意味が分からない。それでいてさ、その中から少しでも弾かれたら同じように叩くの、叩かれるのは嫌だから同調圧力? みんな同じようにしなきゃいけないみたいな所があって、本当に窮屈なんだよ。ファルスはそういうのないんだろう?」
「え……? まぁ、確かにうちの町にはなかったですね」
「羨ましい! ホント羨ましい! この国本当に面倒くさい!!」
「メル……さんも、やっぱり同調したり?」
「呼び捨てでいいよ。僕はそういう時は黙っとく、下手なこと言うと叩かれるから」
不満そうにメルは頬を膨らませた。なんだかこの街……というか、この国? は本当に生きづらそうだ。
「こんな話、つまらないよね、ごめんね。ねぇ、ロディ君、もっとファルスの話を聞かせてよ」
メルは気を取り直したように笑みを見せた。俺はカルネ領を出た事がない、ファルスの事をと言われても、実はあまり語れる事もない。カルネ領は我が家の土地で、その話しを自慢気にすることはまるで自画自賛のようになってしまって、あまり行儀のいい事ではないと思うのだ。
こんな事なら嫌がらずにもっと自国の事を勉強しておくんだった! そんな事を今更思っても後の祭りだけれど。
「そういえば、ロディ君はアルファだよね?」
「え……まぁ」
「僕はベータ!」
言われなくても分かるけど……と、首を傾げた所で「なんで分かるの?」と逆に首を傾げられた。
「うちはバース性の薬も売ってるけど、両親も僕もベータで、バース性の人達の事ってよく分からないんだよね。匂いで分かるって言うけど、ホント?」
「それは、そうですね」
匂いに関して割と鈍感な俺は、自分のフェロモンが効くか効かないかで判断している部分もあるのだけど、それは間違いではない。
「どんな匂い?」
「アルファの匂いは果物の、特にオレンジに似たような匂い、オメガの匂いは甘いですよ」
「へぇ~そうなんだ。それは香水とは違う匂い?」
「香水は付けたらずっと匂ってますけど、フェロモンは感情で揺れるから匂う時と匂わない時があって、そういう所で違うって分かりますよ」
「へぇ~……それって項から出てるってホント?」
「そうらしいですね、あまり自分で意識した事はないですけど」
ふぅん、と頷きながらメルが俺に寄って来る。
「かいでみてもいい?」
「え……別にいいですけど、興味あるんですか?」
「それはもちろん! だって不思議だろ? 僕達には分からないんだよ? 何でかな? って思うだろ?」
俺の座った椅子の後ろに回って、メルが俺の首に顔を寄せてくる。バース性の人間ならばそこまで顔を寄せずともたぶん匂いが分かるはずで、やはり彼にはその匂いが分かってはいないのだろう。
首に彼の前髪がこしょこしょと当たってこそばゆい。
「分かります?」
「全然だよ! 本当にフェロモン出てるの?」
「出てますよ……って、ちょ……」
ふいにメルに項を撫でられ、ぞくりと肌が粟立った。
「バース性の人は項を噛んで番になるんだろ? これってどういう仕組み?」
「仕組みは分からないですけど……って、待って、何を……」
肩をがしっと掴まれ固定された。何か嫌な予感がする。
「何か特別変わってる風にも見えないんだけどなぁ、どうなってるんだろう? 噛んでいい?」
「待って! 駄目に決まってる!」
なんでどうしてそういう話になるんだよ!? さすがにそれは嫌だし困る! そもそも番契約はアルファがオメガの項を噛んでするもので、アルファである俺の項を噛んで何かが分かるとかないからな!
俺は項に両手を回して断固拒否の姿勢を示す。
「やっぱり駄目かぁ……」
「当然です、これは俺達にとっては神聖な儀式なんですから、そんな気軽に試すことじゃない。それに俺はアルファで噛んだ所で何も起こらない」
「うん、だから噛んでもいいかって聞いたんだろ? さすがにオメガの人にはそんな事言わないよ。噛む事でフェロモンの変化とかあるのかな……? とか思ったんだけど、やっぱり駄目かぁ」
興味だけでやってみようって気になる所がもうなんかおかしいよ!
「ロディ君にはまだ番相手はいないの?」
「気になる人はいますけど、まだいないです」
ようやく解放された俺はほっと胸を撫で下ろす。番相手のいないオメガは項をチョーカーで隠している事が多い、よく考えたらそんな急所晒しておちおち歩ける訳ないもんな。あぁ、ドキドキした。
そこでふと思い出す、そういえばミヅキさん、チョーカーしてない……すらっとした少年体形のミヅキさん、首筋もすっと伸びてて綺麗なのだけど、飾り気のひとつもありはしない。
ナディアおばさんにバース性の人はいるかと問われた時も、そう言えばなんの反応も示さなかった……あれ?
「故郷に彼女がいるの?」
「いえ、今日一緒にいたミヅキさんなんですけど……」
「あれ? 彼女ベータだろう? 本人がそう言ってたけど?」
え? あれ……?
「何故か一緒にいた人、えっとイグサルさん? も同じように驚いてて、『お前は馬鹿か』って怒られてたよ?」
「え!? いつですか?!」
そんな会話聞いてない、聞いてないぞ! メルは俺の反応に驚いた様子で「君が裏の接客やってくれてた時だよ、君も彼女をオメガだと思ってたんだ?」と小首を傾げた。
「だって彼女からはオメガのフェロモンが……」
「それね、イグサルさんも同じような事言ってた。なんか、もしかしたらフェロモンの移り香だったんじゃないか? って、その時そんな話になってたんだけど、その会話を聞いてたから余計にフェロモンって香水に似てるのかな? って僕は思ったんだよ」
移り香? 移り香って……そこまで考えて、俺は思い出す。ミヅキさんからはっきりオメガの甘い匂いを感じたのは最初の出会いの時だった。彼女は親戚の家を訪ねて来たと言っていて、その訪ねた親戚というのはルーンの町では鄙に稀なる美女でもあるローズの家であったのだ。ローズのフェロモンは俺からすると嫌気が差すほどにキツイ、もしかして、もしかすると、そんなローズのオメガのフェロモンがミヅキさんに移っていただけ……?
「そんな馬鹿な……」
「ん? 何が?」
メルはきょとんと小首を傾げる。俺のフェロモンの感知能力はとても低い、それにしても、これは一体どうすれば……彼女は俺の運命ではなかったとはっきりきっぱり否定されてしまった。
いや、でも人を好きになるのは自由だろう? ユリウスさんだって、ベータのノエルを恋人に選んだのだ、そこは自分の感情を最優先に考えるべきだよな、うん。
けれど恋人選びはそれでいいとして、領主の嫁としては跡取りが出来ないのはとても困る。いや、そもそもそんな事を大前提に考えて恋をしようと思う方が間違っているのか? 人を愛するのは本人の自由だ、自分が誰を好きになろうと相手や周りに迷惑をかけない限り本人の自由意志……だけど――
俺の自問自答はどこまでも続き、答えは出ない。
リングス薬局をお暇しようとすると、ナディアおばさんにそう言われた。
「今は貧民街で宿を取っているんでしょう? こんなに近くにいるのに、もし万が一貴方に何かあったら私達アジェに申し訳が立たないわ。もし良かったら、メルクード滞在中は我が家に滞在したらいいと思うの」
「え……でも、そんなご迷惑……」
「迷惑なんかじゃないさ、今日は君にとてもお世話になったし」
マルクおじさんもおばさんと口を揃えてそう言った。元々貧民街に宿を取ったのはツキノが街中では宿を取れなかったせいで、ツキノがいない今、俺が貧民街に宿を取っている必要性はまるでない。
あの宿屋にはツキノやカイトの護衛の人達も一緒に居た筈なのに今となってはそれも怪しくて、ますますもって俺があそこに居続ける意味はないのだ。
「ね、良かったら、うちにいらっしゃいな」
「そうだな、できるのならば俺達もそれがいいと思う。ここなら俺達も行動範囲内だし、顔も出しやすい」
イグサルさんにまでそう言われて、俺は『いいのかな……?』と、思いながらも頷いた。正直あの宿に1人でいても滅入るばかりだと思っていたのだ。
この家の一人息子メルが俺の顔を覗き込んでにっこり笑みを零した。年上だと分かっているのだが下から満面の笑みを向けられ、その笑顔の無邪気さに少々戸惑う。やっぱりこの人小動物っぽい。
「僕、観光連れてってあげるよ!」
楽しそうというか、嬉しそうというか、人懐っこすぎて今日会ったばかりなのに、そんなに全開で懐かれるとどう反応を返していいか戸惑う。ウィルもそうだったが、どうやら俺は自分から行くのは平気だが、ぐいぐいこられると逆に戸惑ってしまうのだと初めて知った。
「膳は急げだな、荷物取りに行って、宿引き払うか」
イグサルさんはそう言って、俺に付き合い宿まで赴き、すぐに荷物を纏めて戻った俺は、現在リングス薬局の自宅部分でのんびり寛がせてもらっている。家の中にある人の気配がとにかく嬉しい。
思えば我が家には常に誰かがいたのだ。家族でなくても常に使用人達が働いていて、孤独を感じることなど一度もなかった。気が滅入っていたのはもしかしてホームシックか? そんな事に気が付いて苦笑した。
イグサルさん達が帰り、今俺の傍らには今日出会ったばかりの俺の従兄弟がにこにこ笑っている。
「ねぇ、ねぇねぇロディ君! ファルスってどんな国? 何があるの? 僕、ランティスから出た事ないからすごく興味あるんだよね!」
「どんなと言われても、俺もファルスを出たのは初めてで、俺の暮していたルーンは田舎だし、ここメルクードに比べたらたいした事ないですよ?」
「そう? そうなの? 僕にはファルスはすごく自由なイメージがあるんだけど?」
「自由?」
何を思ってそう思うのか分からない俺は首を傾げた。
「だってうちの国って窮屈だと思わない? 誰も彼もみんな、人の顔色窺って生活してる。全員とは言わないけど誰かを下に見る事でしか自分の立ち位置確認出来ない人が多くて他人の悪口ばっかり! 僕、そういうの本当に嫌い!」
確かにこの国は差別が酷い。それはこの国に入った瞬間から俺も感じていた事だ。
「なんでなんでしょうね? そんな風に他人を見下さないといけないほど、自分に自信がない人が多いんでしょうかね?」
「なんかそういう風潮? みんなが言うから言ってもいいみたいに思ってる友達もいるよ。でもさ、そういうの自分が言われたら嫌だろ? 自分がされて嫌な事、他人にしたら相手が嫌な事くらい分かりそうなものなのに分かってないんだよねぇ……なんでなのかな?」
「周りが見えてない? う~ん、気遣いが出来ない?」
「あぁ、そうかもねぇ……」
メルはそう言って溜息を零した。
「僕も他人の事が言えるほど視野が広いとは思わないけど、伯父さんがファルスにいたり、その奥さんがメリアの人だったり小さい頃から身近にいたから、その人達を全然知らない人が通りすがりに悪く言うのは意味が分からなくて気持ちが悪いんだよね。そういう事言う人って、身近にそういう人もいないし、内に内に籠って外を見ようともしないんだろうね。親戚のおじさんでメリア人に息子を殺されたって人がいて、それは気持ち的に分かるんだけど、悪いのはその殺した人であってメリア人全員が悪い訳じゃないだろ? でも全員一纏めに悪人って決め付けるの、どうかと思うんだよねぇ……」
メルは余程心に溜まっている物があるのか、話し続ける。
「それにさ、メリア人だけじゃないよ、オメガ差別とか山の民の差別とか、少人数で珍しい人達を叩いていくの、これって弱い者いじめだよね? 自分達は人数が多いから大多数で偉いって、もう本当に意味が分からない。それでいてさ、その中から少しでも弾かれたら同じように叩くの、叩かれるのは嫌だから同調圧力? みんな同じようにしなきゃいけないみたいな所があって、本当に窮屈なんだよ。ファルスはそういうのないんだろう?」
「え……? まぁ、確かにうちの町にはなかったですね」
「羨ましい! ホント羨ましい! この国本当に面倒くさい!!」
「メル……さんも、やっぱり同調したり?」
「呼び捨てでいいよ。僕はそういう時は黙っとく、下手なこと言うと叩かれるから」
不満そうにメルは頬を膨らませた。なんだかこの街……というか、この国? は本当に生きづらそうだ。
「こんな話、つまらないよね、ごめんね。ねぇ、ロディ君、もっとファルスの話を聞かせてよ」
メルは気を取り直したように笑みを見せた。俺はカルネ領を出た事がない、ファルスの事をと言われても、実はあまり語れる事もない。カルネ領は我が家の土地で、その話しを自慢気にすることはまるで自画自賛のようになってしまって、あまり行儀のいい事ではないと思うのだ。
こんな事なら嫌がらずにもっと自国の事を勉強しておくんだった! そんな事を今更思っても後の祭りだけれど。
「そういえば、ロディ君はアルファだよね?」
「え……まぁ」
「僕はベータ!」
言われなくても分かるけど……と、首を傾げた所で「なんで分かるの?」と逆に首を傾げられた。
「うちはバース性の薬も売ってるけど、両親も僕もベータで、バース性の人達の事ってよく分からないんだよね。匂いで分かるって言うけど、ホント?」
「それは、そうですね」
匂いに関して割と鈍感な俺は、自分のフェロモンが効くか効かないかで判断している部分もあるのだけど、それは間違いではない。
「どんな匂い?」
「アルファの匂いは果物の、特にオレンジに似たような匂い、オメガの匂いは甘いですよ」
「へぇ~そうなんだ。それは香水とは違う匂い?」
「香水は付けたらずっと匂ってますけど、フェロモンは感情で揺れるから匂う時と匂わない時があって、そういう所で違うって分かりますよ」
「へぇ~……それって項から出てるってホント?」
「そうらしいですね、あまり自分で意識した事はないですけど」
ふぅん、と頷きながらメルが俺に寄って来る。
「かいでみてもいい?」
「え……別にいいですけど、興味あるんですか?」
「それはもちろん! だって不思議だろ? 僕達には分からないんだよ? 何でかな? って思うだろ?」
俺の座った椅子の後ろに回って、メルが俺の首に顔を寄せてくる。バース性の人間ならばそこまで顔を寄せずともたぶん匂いが分かるはずで、やはり彼にはその匂いが分かってはいないのだろう。
首に彼の前髪がこしょこしょと当たってこそばゆい。
「分かります?」
「全然だよ! 本当にフェロモン出てるの?」
「出てますよ……って、ちょ……」
ふいにメルに項を撫でられ、ぞくりと肌が粟立った。
「バース性の人は項を噛んで番になるんだろ? これってどういう仕組み?」
「仕組みは分からないですけど……って、待って、何を……」
肩をがしっと掴まれ固定された。何か嫌な予感がする。
「何か特別変わってる風にも見えないんだけどなぁ、どうなってるんだろう? 噛んでいい?」
「待って! 駄目に決まってる!」
なんでどうしてそういう話になるんだよ!? さすがにそれは嫌だし困る! そもそも番契約はアルファがオメガの項を噛んでするもので、アルファである俺の項を噛んで何かが分かるとかないからな!
俺は項に両手を回して断固拒否の姿勢を示す。
「やっぱり駄目かぁ……」
「当然です、これは俺達にとっては神聖な儀式なんですから、そんな気軽に試すことじゃない。それに俺はアルファで噛んだ所で何も起こらない」
「うん、だから噛んでもいいかって聞いたんだろ? さすがにオメガの人にはそんな事言わないよ。噛む事でフェロモンの変化とかあるのかな……? とか思ったんだけど、やっぱり駄目かぁ」
興味だけでやってみようって気になる所がもうなんかおかしいよ!
「ロディ君にはまだ番相手はいないの?」
「気になる人はいますけど、まだいないです」
ようやく解放された俺はほっと胸を撫で下ろす。番相手のいないオメガは項をチョーカーで隠している事が多い、よく考えたらそんな急所晒しておちおち歩ける訳ないもんな。あぁ、ドキドキした。
そこでふと思い出す、そういえばミヅキさん、チョーカーしてない……すらっとした少年体形のミヅキさん、首筋もすっと伸びてて綺麗なのだけど、飾り気のひとつもありはしない。
ナディアおばさんにバース性の人はいるかと問われた時も、そう言えばなんの反応も示さなかった……あれ?
「故郷に彼女がいるの?」
「いえ、今日一緒にいたミヅキさんなんですけど……」
「あれ? 彼女ベータだろう? 本人がそう言ってたけど?」
え? あれ……?
「何故か一緒にいた人、えっとイグサルさん? も同じように驚いてて、『お前は馬鹿か』って怒られてたよ?」
「え!? いつですか?!」
そんな会話聞いてない、聞いてないぞ! メルは俺の反応に驚いた様子で「君が裏の接客やってくれてた時だよ、君も彼女をオメガだと思ってたんだ?」と小首を傾げた。
「だって彼女からはオメガのフェロモンが……」
「それね、イグサルさんも同じような事言ってた。なんか、もしかしたらフェロモンの移り香だったんじゃないか? って、その時そんな話になってたんだけど、その会話を聞いてたから余計にフェロモンって香水に似てるのかな? って僕は思ったんだよ」
移り香? 移り香って……そこまで考えて、俺は思い出す。ミヅキさんからはっきりオメガの甘い匂いを感じたのは最初の出会いの時だった。彼女は親戚の家を訪ねて来たと言っていて、その訪ねた親戚というのはルーンの町では鄙に稀なる美女でもあるローズの家であったのだ。ローズのフェロモンは俺からすると嫌気が差すほどにキツイ、もしかして、もしかすると、そんなローズのオメガのフェロモンがミヅキさんに移っていただけ……?
「そんな馬鹿な……」
「ん? 何が?」
メルはきょとんと小首を傾げる。俺のフェロモンの感知能力はとても低い、それにしても、これは一体どうすれば……彼女は俺の運命ではなかったとはっきりきっぱり否定されてしまった。
いや、でも人を好きになるのは自由だろう? ユリウスさんだって、ベータのノエルを恋人に選んだのだ、そこは自分の感情を最優先に考えるべきだよな、うん。
けれど恋人選びはそれでいいとして、領主の嫁としては跡取りが出来ないのはとても困る。いや、そもそもそんな事を大前提に考えて恋をしようと思う方が間違っているのか? 人を愛するのは本人の自由だ、自分が誰を好きになろうと相手や周りに迷惑をかけない限り本人の自由意志……だけど――
俺の自問自答はどこまでも続き、答えは出ない。
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