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運命に祝福を
囚われ人と薬屋 ③
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貧民街で人攫いが出ると聞いたので暇つぶしを兼ねて成敗してやろうと思ったらツキノがその人攫いに攫われた……俺は宿屋のベッドの上でごろりと寝転がり、天井を見上げている。
ツキノが攫われ一晩が経過したわけなのだが、宿屋で大人しくしていろと各方面から釘を刺されて、俺は現在何もする事が出来ない。
昨日まで、ここにいたツキノが今は隣にいないのだ。俺はツキノにゴミ毛虫の如く嫌われていたが、こちらは彼に好意を持っていた。だから今のこの現状に俺はとても反省している。
まさか人攫いのアジトに乗り込んでツキノだけが連れて行かれてしまうとは思ってもいなかった。そもそも人攫いの悪党共は雑魚ばかりで、やられるなんて思っていなかったのに、思わぬトラブルで身動きが取れないうちに俺は外に放り出され、ツキノはそのまま連れ去られてしまったのだ。これは本当に失敗だった。
うっすらとした記憶の中、ずた袋に放り込まれる俺が見たのは、男達に上着を剥がれているツキノの姿だった。零れる胸が目に眩しかったのだが俺の記憶はそこまでだ、その後すぐに俺の放り込まれたずた袋の口は閉じられてしまったから。
担ぎ上げられ転がされ、蹴飛ばされたあたりでさすがに腹も立ったのだが、身体は思うように動かなくて、袋の口を開けてもらった時には本当に酷い有様だった自覚はある。
あの後、残された俺とウィルの番相手リリーの父親を名乗るリアンという名の男に何やら薬を飲まされて、しばらくしたら身体は普通に動くようになっていた。
リアンは『悪かった』とその一言だけを告げて、その後は何も喋らなかった。どうやらリリーに飲まされたあの薬をリリーに持たせたのはこの父親だったらしい。ホント、いい迷惑。
「ねぇ、誰か居ないの?」
声をかけても返事はない。この宿に一緒に泊まっているはずのツキノの護衛達もいつの間にか姿を消して、俺はぽつんと一人ここに残されている。確かにあの黒髪の人達はツキノの護衛なのだから俺の傍にいる訳もないのだ。
けれど小さな田舎町で育った俺は1人でいるのが寂しくて仕方がない。今までこんなに孤独に過した事がないのだ。町の人達は全員顔見知りで、皆気さくに声をかけてくれたし、挨拶もしてくれた、けれどこの街では俺はただの旅人で誰も俺の事なんて知りもしない。
孤独がこんなに寂しいものだという事を俺はここにきて初めて知る事になる。
何もしてはいけない、ただここで時間を潰している事しか自分にはできなくて、俺はまたベッドの上をごろりごろりと転がる。
俺は何の為にここへ来た? こんな風に時間を無駄にする為にきた訳ではないはずだ。俺はむくりとベッドから起き上がり、自分の手荷物を漁る。鞄の底には一通の封書、母に持たされた『友人への手紙』だ。
記された宛先の住所は恐らく街中の一番大きな通り、場所は『リングス薬局』だ。なんで薬屋? と思わなくもないのだが、そこに母の友人はいるらしい。
そこまで見て、あれ? と思う。『リングス』ってツキノの番相手、カイトの姓じゃなかったか? 母の友人の名は『ナディア・リングス』どう考えても親戚かなんかじゃなかろうか?
だったらこの手紙俺じゃなく、カイトに託しても良かったんじゃないのか? と思わなくもないのだが、俺はその厳重に封をされた封書を睨む。
『行く時には一緒に行きます』とユリウスさんには言われているのだけれど、現在俺にはする事が何もないし1人でここにいても落ち着かない。
「見に行くくらいなら、いいかな……」
全く知らない場所に突然行くのもどうかと思うし、下見くらいしても罰は当たらない。それにこのままこの宿屋に留まっていると嫌な考えばかりが頭を巡って精神を病んでしまいそうだ。
俺は簡単な手荷物を持って立ち上がる。そもそもこの街メルクードに着いてから俺は観光のひとつもしていないのだから、少しくらい出掛けたって怒られる筋合いはない。今度は危険な事をしようとしている訳じゃないし……と自分の心に言い訳をしながら俺は宿屋の部屋を出た。
貧民街を抜けてメルクードの街中へ入ると、途端に街は活気に満ち溢れ、まるで道を隔てて別世界に来たような気持ちにさせられる。
今日は自分1人なので田舎町のルーンでは珍しい俺の金髪もこの街では目立ちもしない。領主の息子としてちやほやされる事に慣れきっている俺にとっては、誰も彼もから総スルーされるのは、それはそれで変な感じだ。
「えっと……こっちか? いや、こっちか……?」
手紙から写し取った住所のメモと地図を片手に俺は道を右往左往、だって俺はこんなに大きな街に来た事がないのだ。人の数もルーンとは比べ物にならないし、街の規模がそもそも違う。俺はメモを片手に途方に暮れた。
「これ、どこだよ……」
何となく行けば辿り着けると思っていたのに、メルクードの街は俺が思っているより遥かに広かった。
「すみません、ここへ行きたいんですけど……」
道端の露天商に道を尋ねると、どうやら俺は道を行き過ぎていたらしく、目的地はもう少し戻った所だと言われてしまった。目の前には城が見える、ここランティス王国の王が住まうランティス城だ。
「でかいな……」
ルーンの町では我が家が一番大きいのだ、けれどお城はそんな我が家とは比べ物にならない程に大きかった。まぁ、たかが領主の屋敷と国を統べる国王の住居を同列に考える事がそもそも間違っているのだが。
その大きさに圧倒されるようにその城を見上げていたら「ロディ君……?」と聞き覚えのある声に名を呼ばれて俺は驚き振り向いた。
「あぁ、やっぱり! なんでこんな所にいるの!」
振り向いた先にいたのはミヅキさん、そしてイグサルさんにウィル、後は知らない人がもう一人。
「え……あ、えっと……」
大人しくしていろと釘を刺された昨日の今日だ、怒られるかと身を竦めたら、ウィルが「兄ちゃん暇?」とそう言った。
「えっと……まぁ」
「オレ達今から友達の家に遊びに行くんだけど、兄ちゃんも来る?」
そんな気軽に声をかけられても、その友達って誰だよ? もしかして、俺の見た事のないその人か? 全く一面識もない俺が押しかけて大丈夫な家なのか? ってか、そもそも社会常識的に駄目だろう!?
「その人は?」
「ロディ兄ちゃんだよ!」
ウィルの紹介はまるで紹介になっていない、名前だけは分かるだろうけど、その紹介はホント無いわ……
「兄ちゃん……ウィル君のお兄さん?」
ほら、やっぱり困ってるじゃないか!
「違うよ、オレは一人っ子だよ」
いやいや、そういう答え求めてないから!
困った顔のその人に俺は「すみません、俺の名前はロディ・R・カルネ。ファルス王国ルーンからやって来た者で、ウィル君の友人です」とぺこりと頭を下げた。
「ルーン……え? カルネ?」
彼は俺のその自己紹介に少し驚いたような表情を見せる。
「カルネ領ルーン、ご存知ですか? ファルスでも田舎の方なので知名度は低いと思うのですけど」
「知ってる! うちの両親が、友達が住んでるって言ってた場所だ。君はカルネ領のカルネさん?」
「一応領主の一人息子です」
「わぁ! びっくり、貴族の人だ!」
なんだかこの人いちいち反応面白いな。落ち込み気味だった俺の気持ちが少しだけ浮上する。やはり孤独を抱えて自分の中に籠っているのは精神的にはよろしくないらしい。
「貴族とは言っても田舎貴族で、貴族を名乗るのも恥ずかしいくらいですよ」
俺が笑うと彼は「君、若そうなのにしっかりしてるねぇ」と言われてしまった。そう言った彼だって大して歳も変わらなさそうに見えるのだけど、幾つくらいなんだろう? 年上なのかな?
「これでいてウィル君と同い年とか言わないよね?」
あ……ウィルの友達と言ったから誤解されたか。ウィルは体格がいいのだ。見た目は俺と大差ないのだが年齢的には4つ下。
「年齢は15ですよ、ウィルよりは年上です」
「15なんだ、僕より3つ年下だ」
という事はこの人18歳か、歳のわりに少し幼く見えるのは身長が低いせいかな? 彼の背はミヅキさんとそう変わらなくて、俺達は彼を見下ろしてしまう。
「ファルスの人達って発育いいのかな? なんで皆そんなに背が高いの?」
「なんでと言われても……」
「あ! 僕、自己紹介してなかった! 僕の名前はメル・リングス、よろしくね!」
彼はぺこりと頭を下げて右手を差し出すので、俺はその右手を握り返した。そんな彼の動きのひとつひとつも小動物っぽくて、にっこり笑った笑みはやはり彼を幼く見せた。
それにしても『リングス』って、俺が向かっていた『リングス薬局』の関係者か? それともランティスではリングスという姓は多いのだろうか?
「もし良かったら君もおいでよ、我が家はお客様大歓迎な家だから遠慮はしなくていいよ」
彼の見せたその笑みはとても人懐っこく、安心感がある。俺は「それじゃあ」と頷いて彼等について行く事に決めた。
「今日はカイトとユリウスさんは?」
「あぁ、2人なら野暮用だ。叔父さんに呼び出されて、カイトの父親に会いに行った」
「え? じゃあ、お城?」
イグサルさんの言葉に反応して、くるりと振り向いたのはメルだった。あれ? この人、カイトの父親が誰なのか知ってる……?
「カイトは公にはしたくないみたいだから、その話しはあまり周りにしないでもらえると助かるんだが……」
「あぁ、うん。それは分かってる、お父さんが王子さまとか、ホント大変だよねぇ~そりゃあ、うちの伯父さんだって逃げだすよ」
俺が首を傾げていると、ミヅキさんが苦笑するように「彼はカイトの従兄弟だよ」と教えてくれた。なんと彼はカイトの母親の妹の子なのだそうだ。
「王家と縁戚ってなんか変な感じだけど、我が家は本当に普通の庶民の家だから安心して」と、メルは笑った。
あれ? これってもしかして、もしかする……? と、彼等に付いていくと、予想通り、辿り着いたのは大きな薬屋『リングス薬局』
「ここって……」
「僕の家だよ、入って入って!」
メルが「ただいま~」と、元気よく店舗に入っていくと、店内にいた彼の家族だろうか「お前は、いつも裏から入って来いって言っているだろう」と、呆れたように言われていた。
「だって、裏からだと遠回りなんだもん」
「道一本入るだけだろう、全く……ん? お客さんかい?」
「うん、ファルスから来てる人達、ウィル君、イグサル君、ミヅキさん、それにロディ君!」
「? カイトとユリウスは?」
「今日は来てなかったから、2人の友達連れて来た!」
店内にいた男の人は笑みを浮かべて「そうか」と頷いた。優しそうな人だけど迷惑じゃなかったかな? 俺なんかそれこそ通りすがりに付いて来ただけだしなぁ……
「そういえば父さん、この子、カルネ領のカルネさんだよ!」
突然メルは俺を指差し、男に言う。その人はどうやら彼の父親だったらしい。おじさんは「え?」と、驚いた顔でこちらを見やった。
「友達だって言ってなかったっけ? ファルスのカルネさん」
「それは……え? ロディ君? アジェの子?」
「うちの母をご存知ですか?」
「勿論だよ、本当にアジェのとこの子なんだ? 驚いた! ナディア、ナディア! ちょっとおいで」
店舗の奥が自宅になっているのだろう、おじさんは奥に向かって声をかけると、しばらくして「なぁに?」と、少し小太りの小柄で恰幅のいいおばさんが姿を現した。
「ナディア、この子、アジェのとこの子だよ! 一人息子のロディ君!!」
興奮気味に言ったおじさんに、おばさんも驚いた様子でこちらを見やり、2人でまじまじとこちらを見やるので、俺はなんだか居たたまれない。しかも、この人がもしかしなくても手紙の届け先、リングス薬局のナディア・リングスさんだ。母さんこの人と友達なの?
しかも、どこからどう見てもこの人普通のおばさんなんだけど、この手紙重要な物なんじゃなかったっけ?
「あまりアジェに似てないのね……どちらかといえばお父さん似かしら?」
「父の事もご存知なんですか?」
「貴方が生まれる前までは家族ぐるみの付き合いだったのよ。貴方が生まれてすぐくらいに、貴方のお父さんがカルネ領の領主を継いで、そこからあまり行き来がなくなったのだけど、手紙のやり取りは続いているの。そういえば、手紙にはいつも貴方は父親似だって書いてあったわ」
そう言って彼女はころころと笑った。
「最近手紙が届かないけど、元気でやってる?」
「あ……俺、手紙、持ってきてます」
思わずぽろりと言ってしまった。いや、だってこの雰囲気で出さないの、おかしいだろ?
俺は鞄を漁って手紙を取り出し、彼女に手紙を手渡した。
「あら、ありがとう。中を見せてもらっても?」
俺が「どうぞ」と頷くと彼女は嬉しそうにその手紙の封を切って、その手紙を読み出したのだが、手紙を読み進めていくうちに、俄かに険しい表情を見せる。それを不審に思ったのだろう、彼女の旦那もその手紙を覗き込み、やはり同様に不審気な表情を見せた。
「なんだかアジェの方も少しきな臭い事になっているようね……嫌だわ、ただでさえメルクードでも最近嫌な噂ばかりが耳について仕方がないのに……」
そう言って彼女は大きな溜息を零した。
「こんな所でする話じゃなさそうだから、奥へどうぞ」
こんなおばさん宛ではやっぱりただの手紙なのかと思ったのだけれど、何か重要な事が書かれていたのか? それにしても、こんな普通のおばさんに一体どんな重要性があるというのか。失礼なのは分かるけど、母さんがこの手紙は俺にしか託させないと言っていた意味が分からない。
俺達は促されるままにリングス薬局の奥の客間へと通され、落ち着かない気持ちで彼女を見やった。
「さて、何から話しましょうね、本当はカイト君やユリウス君もいたら良かったのだけど……」
そう言って彼女が話し出した内容はこうだ。
手紙に書かれていたのはユリウスさんの叔父さんに関する疑惑、奴隷売買に関する記述だったのだけど、ナディアさんはそれに関しては「全て誤解よ」とそう言った。
「そういう噂が立っているのは分かっていたのだけど、義兄さんは何もしていないわ。確かに奴隷売買の闇市に顔を出したりしていたのは聞いている、だけどそれは彼等を救出する為で決して奴隷として買う為にそれをやっていた訳ではないの」
その話しは確かに昨日ユリウスさんも言っていた。彼女はその事を知っていたようだ。
「うちの旦那は何だかかんだで兄弟の中で義兄さんと一番仲が良くてね、彼の事情は私も聞いている、だからうちも義兄さんの考えに賛同して出来る限りの協力を惜しまなかった」
「……協力?」
「メリアの人達は皆生活に困っている、食べる物も食べられず生きていくので手一杯、病気をしても薬なんて手に入れられるはずもなくてね、流行り病で亡くなる人も大勢いたの、だからうちは薬屋でしょ? そんな人達に無償、もしくは格安で薬の提供をしているのよ」
点と点が繋がった。薬を売っていたリアンさん、何故か色々な薬を持っていて怪しげな薬を売っていると噂にもなっていた。リリーが持っていた薬、その後飲まされた解毒剤も一体どこから出てきているのかと思ったら、出所はここだったのか!
「メリアの人達は私達ランティスの人間を信じてくれない、酷い目に遭わされてきているから仕方がないのだけど、それはとても悲しい事よ。だからこんな事でもやって、少しずつでもお互い歩み寄れたらってそう思っているの」
彼女はそう言って微かな笑みを見せた。
「最近、メルクードでは得体の知れない薬も出回っていてね、物理的な痛みや精神的な苦痛を緩和する物で安価で出回っているから、そういう物にメリアの人達は飛び付いていた。だけど、その薬は限りなく麻薬に近いもので、常習性も高いの。一度飲んでしまえば飲まずにはいられなくなってしまう、そんな物は薬とは言えないわ、だから私達はこの活動を始めたの」
「麻薬、ですか……」
「えぇ、そう。その薬が一体どこから出回っているのか分からないのだけれど、それは元々うちの兄が作った物を改良した物だった、だから私達はそれを根絶しなければいけないのよ」
彼女はそう言って、悲し気に瞳を見せた。
「私は薬屋の娘として生まれた時から薬と関わって生きてきたわ。私はそんな薬が悪い事に利用されているのは本当に嫌なの。薬は病気や怪我を治す手助けをする物で、決して飲んでいる人間を操る物ではない、そんな物を私は薬とは認めない!」
俺は黙って彼女の言葉に頷いた。彼女には薬屋としてのプライドもあるのだろう、それはリク騎士団長の手助けもあって、今のこの活動なのだと合点がいった。
「義兄さんは不器用で、悪い噂を否定する事もしない。『何を言った所で言い訳にしか聞こえない』って、そう言って全ての汚名を背負っているのよ。だから彼を誤解しないで、彼は決して悪い人ではないの」
「そうだよな、リリーの父ちゃんが悪い人のわけないよ!」
話を聞いていたウィルがからりとそう言った。本当にお前はリリー中心に世界が回ってるんだな、それが『運命の番』というモノなのかもしれないけど、客観性の欠片もない。
「リリー? もしかして義兄さんの娘さん?」
「うん、オレの『運命』!」
ウィルの言葉に彼女は驚いたような表情を見せる。
「私はベータで、そういう話しはあまりよく分からないのよ、けれどここで薬を売っていて、番相手のいないオメガの人が総じて不幸になる姿を見てきているの。貴方が本当に義兄さんの娘さんを『運命』なのだとそう思うなら、彼女を守って幸せにしてあげて」
「そんなの当たり前だろ!」
「彼女は目が見えないと聞いているわ、それにメリアの子よ? それでも彼女を守ってあげられる?」
「当然! オレ、今までそういうの全然分からなかったけど、リリーは違う、リリーだけは違う! 特別だって分かってる、だからオレは全力でリリーを守るよ!」
今まで黙って話を聞いていたイグサルさんが「お前の口からそんな言葉を聞く日がくるとは……」と、ちょっと感慨深げだ。ナディアさんは嬉しそうに微笑んだ。
「ここランティスでは本当にメリア人差別が激しいの、髪が赤いというそれだけで、誰もが彼等を蔑むわ、そんな中であなたみたいな子はそうそう現れない、どうか彼女を幸せにしてあげて」
彼女の言葉にウィルは大きく頷く。その自信満々な表情と態度が俺には羨ましくもあり、なんとなく妬ましくもある。
俺の『運命』それが俺には分からない。ツキノは違った、ミヅキさんに多少の運命を感じているけど、俺にはウィル程の確信がある訳ではない。
まだこの世界のどこかに俺の『運命』はいるのだろうか? だとしたら一体どんな人が俺の『運命』なのだろうか? 『運命の番』には一生巡り合えない人もいるという話しを聞いた事がある、もしかしたら俺に『運命の番』はいないのかもしれない。そんな事を考えて、俺は小さく首をふった。今はそんな事を考えている時ではない。
「リク騎士団長の話しが誤解だという事は分かりました、お話ありがとうございます」
「誤解が解けて良かったわ。この話しはユリウスにもしておいてね、血を分けた兄弟で疑いあって生活するのは辛い事よ、きっとファルスの義兄さんも義兄さんの事は案じているでしょうからね」
イグサルさんが「それは必ず」と頷いた。本当は一緒に話を聞くはずだったユリウスさん、なんだか順番が狂って申し訳なかったな。
「母さん、ちょっといい?」
客間に通されてから姿を消していたメルがひょこりと客間に顔を出した。
「ちょっと、厄介なお客さんなんだけど」
どうやら彼は母親の代わりに店番にかりだされていたようで、少し困ったような表情で母親に告げる。
「どうしたの?」
「裏の方なんだけど『発情促進剤』を寄越せってお客が来ててさ、本人を連れてこなきゃ駄目だって言ってるのに聞かないんだよ……」
「アルファの人?」
「僕、そういうの分からないの知ってるだろ? 顧客名簿で分からなかったから、聞きに来たんだよ」
「お父さんは?」
「表で接客中」
「仕方がないわね」と、ナディアは立ち上がった。表と裏ってなんだろう? たぶん自分達が入ってきたのは表の店舗部分だと思うのだが、もしかして裏側にも店があるのか?
「この中でバース性の人いる?」
突然の質問に、首を傾げつつ手を上げた。手を上げたのは俺とウィルの2人だけ。あれ? ミヅキさんは?
「ちょっとだけ、手伝って貰ってもいいかしら?」
不思議に思いつつ頷いて、ナディアさんの後ろを付いていくと、入ってきた時とは別の場所にも何故か店舗があるようで、同じ建物内で何故? と首を傾げつつ俺達はその店内を覗き込んだ。そこは表に比べて間口も狭く、店舗扉もまるで勝手口のような感じで、まるで店らしくない。
その店内には一人の男、不機嫌そうな顔で店内を見回していた。
「あの人のバース性、分かる?」
「んん? オレはベータだと思う、あんま自信ないけど」
「ロディ君は?」
「いやぁ、俺あんまり鼻は効かないほうで……」
「困ったわね」と、ナディアさんは困り顔だ。
「今日は分かる店の子がお休みで、うちの家族だけじゃ分からないのよ……常連さんじゃないみたいだし、無闇やたらに薬は売れないもの、やっぱり今日はお断りかしらね」
「バース性かどうか分かればいいんですか?」
「そうね、それとどういう理由でそれが欲しいのか、薬は薬を飲む本人に合わせて処方するから発情促進剤が欲しいなら、そのオメガの人も連れて来て貰わないと駄目なのよ」
「だったら俺、ちょっといってきます」
驚く彼女を後にして、俺は愛想笑いで店に出て行く。店内にいた男は胡乱な瞳でこちらを見やった。
ツキノが攫われ一晩が経過したわけなのだが、宿屋で大人しくしていろと各方面から釘を刺されて、俺は現在何もする事が出来ない。
昨日まで、ここにいたツキノが今は隣にいないのだ。俺はツキノにゴミ毛虫の如く嫌われていたが、こちらは彼に好意を持っていた。だから今のこの現状に俺はとても反省している。
まさか人攫いのアジトに乗り込んでツキノだけが連れて行かれてしまうとは思ってもいなかった。そもそも人攫いの悪党共は雑魚ばかりで、やられるなんて思っていなかったのに、思わぬトラブルで身動きが取れないうちに俺は外に放り出され、ツキノはそのまま連れ去られてしまったのだ。これは本当に失敗だった。
うっすらとした記憶の中、ずた袋に放り込まれる俺が見たのは、男達に上着を剥がれているツキノの姿だった。零れる胸が目に眩しかったのだが俺の記憶はそこまでだ、その後すぐに俺の放り込まれたずた袋の口は閉じられてしまったから。
担ぎ上げられ転がされ、蹴飛ばされたあたりでさすがに腹も立ったのだが、身体は思うように動かなくて、袋の口を開けてもらった時には本当に酷い有様だった自覚はある。
あの後、残された俺とウィルの番相手リリーの父親を名乗るリアンという名の男に何やら薬を飲まされて、しばらくしたら身体は普通に動くようになっていた。
リアンは『悪かった』とその一言だけを告げて、その後は何も喋らなかった。どうやらリリーに飲まされたあの薬をリリーに持たせたのはこの父親だったらしい。ホント、いい迷惑。
「ねぇ、誰か居ないの?」
声をかけても返事はない。この宿に一緒に泊まっているはずのツキノの護衛達もいつの間にか姿を消して、俺はぽつんと一人ここに残されている。確かにあの黒髪の人達はツキノの護衛なのだから俺の傍にいる訳もないのだ。
けれど小さな田舎町で育った俺は1人でいるのが寂しくて仕方がない。今までこんなに孤独に過した事がないのだ。町の人達は全員顔見知りで、皆気さくに声をかけてくれたし、挨拶もしてくれた、けれどこの街では俺はただの旅人で誰も俺の事なんて知りもしない。
孤独がこんなに寂しいものだという事を俺はここにきて初めて知る事になる。
何もしてはいけない、ただここで時間を潰している事しか自分にはできなくて、俺はまたベッドの上をごろりごろりと転がる。
俺は何の為にここへ来た? こんな風に時間を無駄にする為にきた訳ではないはずだ。俺はむくりとベッドから起き上がり、自分の手荷物を漁る。鞄の底には一通の封書、母に持たされた『友人への手紙』だ。
記された宛先の住所は恐らく街中の一番大きな通り、場所は『リングス薬局』だ。なんで薬屋? と思わなくもないのだが、そこに母の友人はいるらしい。
そこまで見て、あれ? と思う。『リングス』ってツキノの番相手、カイトの姓じゃなかったか? 母の友人の名は『ナディア・リングス』どう考えても親戚かなんかじゃなかろうか?
だったらこの手紙俺じゃなく、カイトに託しても良かったんじゃないのか? と思わなくもないのだが、俺はその厳重に封をされた封書を睨む。
『行く時には一緒に行きます』とユリウスさんには言われているのだけれど、現在俺にはする事が何もないし1人でここにいても落ち着かない。
「見に行くくらいなら、いいかな……」
全く知らない場所に突然行くのもどうかと思うし、下見くらいしても罰は当たらない。それにこのままこの宿屋に留まっていると嫌な考えばかりが頭を巡って精神を病んでしまいそうだ。
俺は簡単な手荷物を持って立ち上がる。そもそもこの街メルクードに着いてから俺は観光のひとつもしていないのだから、少しくらい出掛けたって怒られる筋合いはない。今度は危険な事をしようとしている訳じゃないし……と自分の心に言い訳をしながら俺は宿屋の部屋を出た。
貧民街を抜けてメルクードの街中へ入ると、途端に街は活気に満ち溢れ、まるで道を隔てて別世界に来たような気持ちにさせられる。
今日は自分1人なので田舎町のルーンでは珍しい俺の金髪もこの街では目立ちもしない。領主の息子としてちやほやされる事に慣れきっている俺にとっては、誰も彼もから総スルーされるのは、それはそれで変な感じだ。
「えっと……こっちか? いや、こっちか……?」
手紙から写し取った住所のメモと地図を片手に俺は道を右往左往、だって俺はこんなに大きな街に来た事がないのだ。人の数もルーンとは比べ物にならないし、街の規模がそもそも違う。俺はメモを片手に途方に暮れた。
「これ、どこだよ……」
何となく行けば辿り着けると思っていたのに、メルクードの街は俺が思っているより遥かに広かった。
「すみません、ここへ行きたいんですけど……」
道端の露天商に道を尋ねると、どうやら俺は道を行き過ぎていたらしく、目的地はもう少し戻った所だと言われてしまった。目の前には城が見える、ここランティス王国の王が住まうランティス城だ。
「でかいな……」
ルーンの町では我が家が一番大きいのだ、けれどお城はそんな我が家とは比べ物にならない程に大きかった。まぁ、たかが領主の屋敷と国を統べる国王の住居を同列に考える事がそもそも間違っているのだが。
その大きさに圧倒されるようにその城を見上げていたら「ロディ君……?」と聞き覚えのある声に名を呼ばれて俺は驚き振り向いた。
「あぁ、やっぱり! なんでこんな所にいるの!」
振り向いた先にいたのはミヅキさん、そしてイグサルさんにウィル、後は知らない人がもう一人。
「え……あ、えっと……」
大人しくしていろと釘を刺された昨日の今日だ、怒られるかと身を竦めたら、ウィルが「兄ちゃん暇?」とそう言った。
「えっと……まぁ」
「オレ達今から友達の家に遊びに行くんだけど、兄ちゃんも来る?」
そんな気軽に声をかけられても、その友達って誰だよ? もしかして、俺の見た事のないその人か? 全く一面識もない俺が押しかけて大丈夫な家なのか? ってか、そもそも社会常識的に駄目だろう!?
「その人は?」
「ロディ兄ちゃんだよ!」
ウィルの紹介はまるで紹介になっていない、名前だけは分かるだろうけど、その紹介はホント無いわ……
「兄ちゃん……ウィル君のお兄さん?」
ほら、やっぱり困ってるじゃないか!
「違うよ、オレは一人っ子だよ」
いやいや、そういう答え求めてないから!
困った顔のその人に俺は「すみません、俺の名前はロディ・R・カルネ。ファルス王国ルーンからやって来た者で、ウィル君の友人です」とぺこりと頭を下げた。
「ルーン……え? カルネ?」
彼は俺のその自己紹介に少し驚いたような表情を見せる。
「カルネ領ルーン、ご存知ですか? ファルスでも田舎の方なので知名度は低いと思うのですけど」
「知ってる! うちの両親が、友達が住んでるって言ってた場所だ。君はカルネ領のカルネさん?」
「一応領主の一人息子です」
「わぁ! びっくり、貴族の人だ!」
なんだかこの人いちいち反応面白いな。落ち込み気味だった俺の気持ちが少しだけ浮上する。やはり孤独を抱えて自分の中に籠っているのは精神的にはよろしくないらしい。
「貴族とは言っても田舎貴族で、貴族を名乗るのも恥ずかしいくらいですよ」
俺が笑うと彼は「君、若そうなのにしっかりしてるねぇ」と言われてしまった。そう言った彼だって大して歳も変わらなさそうに見えるのだけど、幾つくらいなんだろう? 年上なのかな?
「これでいてウィル君と同い年とか言わないよね?」
あ……ウィルの友達と言ったから誤解されたか。ウィルは体格がいいのだ。見た目は俺と大差ないのだが年齢的には4つ下。
「年齢は15ですよ、ウィルよりは年上です」
「15なんだ、僕より3つ年下だ」
という事はこの人18歳か、歳のわりに少し幼く見えるのは身長が低いせいかな? 彼の背はミヅキさんとそう変わらなくて、俺達は彼を見下ろしてしまう。
「ファルスの人達って発育いいのかな? なんで皆そんなに背が高いの?」
「なんでと言われても……」
「あ! 僕、自己紹介してなかった! 僕の名前はメル・リングス、よろしくね!」
彼はぺこりと頭を下げて右手を差し出すので、俺はその右手を握り返した。そんな彼の動きのひとつひとつも小動物っぽくて、にっこり笑った笑みはやはり彼を幼く見せた。
それにしても『リングス』って、俺が向かっていた『リングス薬局』の関係者か? それともランティスではリングスという姓は多いのだろうか?
「もし良かったら君もおいでよ、我が家はお客様大歓迎な家だから遠慮はしなくていいよ」
彼の見せたその笑みはとても人懐っこく、安心感がある。俺は「それじゃあ」と頷いて彼等について行く事に決めた。
「今日はカイトとユリウスさんは?」
「あぁ、2人なら野暮用だ。叔父さんに呼び出されて、カイトの父親に会いに行った」
「え? じゃあ、お城?」
イグサルさんの言葉に反応して、くるりと振り向いたのはメルだった。あれ? この人、カイトの父親が誰なのか知ってる……?
「カイトは公にはしたくないみたいだから、その話しはあまり周りにしないでもらえると助かるんだが……」
「あぁ、うん。それは分かってる、お父さんが王子さまとか、ホント大変だよねぇ~そりゃあ、うちの伯父さんだって逃げだすよ」
俺が首を傾げていると、ミヅキさんが苦笑するように「彼はカイトの従兄弟だよ」と教えてくれた。なんと彼はカイトの母親の妹の子なのだそうだ。
「王家と縁戚ってなんか変な感じだけど、我が家は本当に普通の庶民の家だから安心して」と、メルは笑った。
あれ? これってもしかして、もしかする……? と、彼等に付いていくと、予想通り、辿り着いたのは大きな薬屋『リングス薬局』
「ここって……」
「僕の家だよ、入って入って!」
メルが「ただいま~」と、元気よく店舗に入っていくと、店内にいた彼の家族だろうか「お前は、いつも裏から入って来いって言っているだろう」と、呆れたように言われていた。
「だって、裏からだと遠回りなんだもん」
「道一本入るだけだろう、全く……ん? お客さんかい?」
「うん、ファルスから来てる人達、ウィル君、イグサル君、ミヅキさん、それにロディ君!」
「? カイトとユリウスは?」
「今日は来てなかったから、2人の友達連れて来た!」
店内にいた男の人は笑みを浮かべて「そうか」と頷いた。優しそうな人だけど迷惑じゃなかったかな? 俺なんかそれこそ通りすがりに付いて来ただけだしなぁ……
「そういえば父さん、この子、カルネ領のカルネさんだよ!」
突然メルは俺を指差し、男に言う。その人はどうやら彼の父親だったらしい。おじさんは「え?」と、驚いた顔でこちらを見やった。
「友達だって言ってなかったっけ? ファルスのカルネさん」
「それは……え? ロディ君? アジェの子?」
「うちの母をご存知ですか?」
「勿論だよ、本当にアジェのとこの子なんだ? 驚いた! ナディア、ナディア! ちょっとおいで」
店舗の奥が自宅になっているのだろう、おじさんは奥に向かって声をかけると、しばらくして「なぁに?」と、少し小太りの小柄で恰幅のいいおばさんが姿を現した。
「ナディア、この子、アジェのとこの子だよ! 一人息子のロディ君!!」
興奮気味に言ったおじさんに、おばさんも驚いた様子でこちらを見やり、2人でまじまじとこちらを見やるので、俺はなんだか居たたまれない。しかも、この人がもしかしなくても手紙の届け先、リングス薬局のナディア・リングスさんだ。母さんこの人と友達なの?
しかも、どこからどう見てもこの人普通のおばさんなんだけど、この手紙重要な物なんじゃなかったっけ?
「あまりアジェに似てないのね……どちらかといえばお父さん似かしら?」
「父の事もご存知なんですか?」
「貴方が生まれる前までは家族ぐるみの付き合いだったのよ。貴方が生まれてすぐくらいに、貴方のお父さんがカルネ領の領主を継いで、そこからあまり行き来がなくなったのだけど、手紙のやり取りは続いているの。そういえば、手紙にはいつも貴方は父親似だって書いてあったわ」
そう言って彼女はころころと笑った。
「最近手紙が届かないけど、元気でやってる?」
「あ……俺、手紙、持ってきてます」
思わずぽろりと言ってしまった。いや、だってこの雰囲気で出さないの、おかしいだろ?
俺は鞄を漁って手紙を取り出し、彼女に手紙を手渡した。
「あら、ありがとう。中を見せてもらっても?」
俺が「どうぞ」と頷くと彼女は嬉しそうにその手紙の封を切って、その手紙を読み出したのだが、手紙を読み進めていくうちに、俄かに険しい表情を見せる。それを不審に思ったのだろう、彼女の旦那もその手紙を覗き込み、やはり同様に不審気な表情を見せた。
「なんだかアジェの方も少しきな臭い事になっているようね……嫌だわ、ただでさえメルクードでも最近嫌な噂ばかりが耳について仕方がないのに……」
そう言って彼女は大きな溜息を零した。
「こんな所でする話じゃなさそうだから、奥へどうぞ」
こんなおばさん宛ではやっぱりただの手紙なのかと思ったのだけれど、何か重要な事が書かれていたのか? それにしても、こんな普通のおばさんに一体どんな重要性があるというのか。失礼なのは分かるけど、母さんがこの手紙は俺にしか託させないと言っていた意味が分からない。
俺達は促されるままにリングス薬局の奥の客間へと通され、落ち着かない気持ちで彼女を見やった。
「さて、何から話しましょうね、本当はカイト君やユリウス君もいたら良かったのだけど……」
そう言って彼女が話し出した内容はこうだ。
手紙に書かれていたのはユリウスさんの叔父さんに関する疑惑、奴隷売買に関する記述だったのだけど、ナディアさんはそれに関しては「全て誤解よ」とそう言った。
「そういう噂が立っているのは分かっていたのだけど、義兄さんは何もしていないわ。確かに奴隷売買の闇市に顔を出したりしていたのは聞いている、だけどそれは彼等を救出する為で決して奴隷として買う為にそれをやっていた訳ではないの」
その話しは確かに昨日ユリウスさんも言っていた。彼女はその事を知っていたようだ。
「うちの旦那は何だかかんだで兄弟の中で義兄さんと一番仲が良くてね、彼の事情は私も聞いている、だからうちも義兄さんの考えに賛同して出来る限りの協力を惜しまなかった」
「……協力?」
「メリアの人達は皆生活に困っている、食べる物も食べられず生きていくので手一杯、病気をしても薬なんて手に入れられるはずもなくてね、流行り病で亡くなる人も大勢いたの、だからうちは薬屋でしょ? そんな人達に無償、もしくは格安で薬の提供をしているのよ」
点と点が繋がった。薬を売っていたリアンさん、何故か色々な薬を持っていて怪しげな薬を売っていると噂にもなっていた。リリーが持っていた薬、その後飲まされた解毒剤も一体どこから出てきているのかと思ったら、出所はここだったのか!
「メリアの人達は私達ランティスの人間を信じてくれない、酷い目に遭わされてきているから仕方がないのだけど、それはとても悲しい事よ。だからこんな事でもやって、少しずつでもお互い歩み寄れたらってそう思っているの」
彼女はそう言って微かな笑みを見せた。
「最近、メルクードでは得体の知れない薬も出回っていてね、物理的な痛みや精神的な苦痛を緩和する物で安価で出回っているから、そういう物にメリアの人達は飛び付いていた。だけど、その薬は限りなく麻薬に近いもので、常習性も高いの。一度飲んでしまえば飲まずにはいられなくなってしまう、そんな物は薬とは言えないわ、だから私達はこの活動を始めたの」
「麻薬、ですか……」
「えぇ、そう。その薬が一体どこから出回っているのか分からないのだけれど、それは元々うちの兄が作った物を改良した物だった、だから私達はそれを根絶しなければいけないのよ」
彼女はそう言って、悲し気に瞳を見せた。
「私は薬屋の娘として生まれた時から薬と関わって生きてきたわ。私はそんな薬が悪い事に利用されているのは本当に嫌なの。薬は病気や怪我を治す手助けをする物で、決して飲んでいる人間を操る物ではない、そんな物を私は薬とは認めない!」
俺は黙って彼女の言葉に頷いた。彼女には薬屋としてのプライドもあるのだろう、それはリク騎士団長の手助けもあって、今のこの活動なのだと合点がいった。
「義兄さんは不器用で、悪い噂を否定する事もしない。『何を言った所で言い訳にしか聞こえない』って、そう言って全ての汚名を背負っているのよ。だから彼を誤解しないで、彼は決して悪い人ではないの」
「そうだよな、リリーの父ちゃんが悪い人のわけないよ!」
話を聞いていたウィルがからりとそう言った。本当にお前はリリー中心に世界が回ってるんだな、それが『運命の番』というモノなのかもしれないけど、客観性の欠片もない。
「リリー? もしかして義兄さんの娘さん?」
「うん、オレの『運命』!」
ウィルの言葉に彼女は驚いたような表情を見せる。
「私はベータで、そういう話しはあまりよく分からないのよ、けれどここで薬を売っていて、番相手のいないオメガの人が総じて不幸になる姿を見てきているの。貴方が本当に義兄さんの娘さんを『運命』なのだとそう思うなら、彼女を守って幸せにしてあげて」
「そんなの当たり前だろ!」
「彼女は目が見えないと聞いているわ、それにメリアの子よ? それでも彼女を守ってあげられる?」
「当然! オレ、今までそういうの全然分からなかったけど、リリーは違う、リリーだけは違う! 特別だって分かってる、だからオレは全力でリリーを守るよ!」
今まで黙って話を聞いていたイグサルさんが「お前の口からそんな言葉を聞く日がくるとは……」と、ちょっと感慨深げだ。ナディアさんは嬉しそうに微笑んだ。
「ここランティスでは本当にメリア人差別が激しいの、髪が赤いというそれだけで、誰もが彼等を蔑むわ、そんな中であなたみたいな子はそうそう現れない、どうか彼女を幸せにしてあげて」
彼女の言葉にウィルは大きく頷く。その自信満々な表情と態度が俺には羨ましくもあり、なんとなく妬ましくもある。
俺の『運命』それが俺には分からない。ツキノは違った、ミヅキさんに多少の運命を感じているけど、俺にはウィル程の確信がある訳ではない。
まだこの世界のどこかに俺の『運命』はいるのだろうか? だとしたら一体どんな人が俺の『運命』なのだろうか? 『運命の番』には一生巡り合えない人もいるという話しを聞いた事がある、もしかしたら俺に『運命の番』はいないのかもしれない。そんな事を考えて、俺は小さく首をふった。今はそんな事を考えている時ではない。
「リク騎士団長の話しが誤解だという事は分かりました、お話ありがとうございます」
「誤解が解けて良かったわ。この話しはユリウスにもしておいてね、血を分けた兄弟で疑いあって生活するのは辛い事よ、きっとファルスの義兄さんも義兄さんの事は案じているでしょうからね」
イグサルさんが「それは必ず」と頷いた。本当は一緒に話を聞くはずだったユリウスさん、なんだか順番が狂って申し訳なかったな。
「母さん、ちょっといい?」
客間に通されてから姿を消していたメルがひょこりと客間に顔を出した。
「ちょっと、厄介なお客さんなんだけど」
どうやら彼は母親の代わりに店番にかりだされていたようで、少し困ったような表情で母親に告げる。
「どうしたの?」
「裏の方なんだけど『発情促進剤』を寄越せってお客が来ててさ、本人を連れてこなきゃ駄目だって言ってるのに聞かないんだよ……」
「アルファの人?」
「僕、そういうの分からないの知ってるだろ? 顧客名簿で分からなかったから、聞きに来たんだよ」
「お父さんは?」
「表で接客中」
「仕方がないわね」と、ナディアは立ち上がった。表と裏ってなんだろう? たぶん自分達が入ってきたのは表の店舗部分だと思うのだが、もしかして裏側にも店があるのか?
「この中でバース性の人いる?」
突然の質問に、首を傾げつつ手を上げた。手を上げたのは俺とウィルの2人だけ。あれ? ミヅキさんは?
「ちょっとだけ、手伝って貰ってもいいかしら?」
不思議に思いつつ頷いて、ナディアさんの後ろを付いていくと、入ってきた時とは別の場所にも何故か店舗があるようで、同じ建物内で何故? と首を傾げつつ俺達はその店内を覗き込んだ。そこは表に比べて間口も狭く、店舗扉もまるで勝手口のような感じで、まるで店らしくない。
その店内には一人の男、不機嫌そうな顔で店内を見回していた。
「あの人のバース性、分かる?」
「んん? オレはベータだと思う、あんま自信ないけど」
「ロディ君は?」
「いやぁ、俺あんまり鼻は効かないほうで……」
「困ったわね」と、ナディアさんは困り顔だ。
「今日は分かる店の子がお休みで、うちの家族だけじゃ分からないのよ……常連さんじゃないみたいだし、無闇やたらに薬は売れないもの、やっぱり今日はお断りかしらね」
「バース性かどうか分かればいいんですか?」
「そうね、それとどういう理由でそれが欲しいのか、薬は薬を飲む本人に合わせて処方するから発情促進剤が欲しいなら、そのオメガの人も連れて来て貰わないと駄目なのよ」
「だったら俺、ちょっといってきます」
驚く彼女を後にして、俺は愛想笑いで店に出て行く。店内にいた男は胡乱な瞳でこちらを見やった。
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