運命に花束を

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運命に祝福を

囚われ人と薬屋 ②

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 顔にかかる日差しに目を覚ます。天窓から日が差して、それがもろに顔面を照らしていたようで、俺は瞳を細めて起き上がった。
 硬い床の上には申し訳程度の寝具、別にこういう状況で寝られないほど神経は細かくないのだけど、最近は柔らかいベッドで寝るのに慣れきっていたので体が痛い。
 寝惚け眼で首を回して大きな欠伸をした所で、外から「おい、起きてるか?」と声がかかった。
 「起きてるよ」と俺が返答を返すと「そうか、それは良かった」と陽気な男の声、たぶん昨日の男と同じ人。扉の小窓がひょこっと開いて、中を覗き込まれた。
 その小窓は向こう側からは開け閉めできるが、こちらから側からは出来ない仕様で、覗き込まれた俺は気分が悪い。

「何……?」

 不貞腐れたように俺が言うと男はまた笑ったのだろう、目元しか見えないのだが、その瞳は心底楽しそうに細められた。

「やっぱり心細くなって泣いてるんじゃねぇかと思ったんだが、そんな事はないみたいで安心した」
「こんな事くらいで泣く訳ねぇだろ」
「口の悪い小娘だな」
「小娘、小娘ってうるさいよ、俺の名前はツキノだ、ツ・キ・ノ!」
「気が強いと思っていたが、男勝りの俺っ娘か」

 そう言って、その小窓からは昨日と同様に食事が差し込まれる。昨日と同じパンに昨日よりは具沢山のスープ、心持ち量も多い。そして今朝はサラダもミルクも付いているから昨夜の晩飯とは比べものにならない程豪華な朝食と言っていいと思う、全然足りないけどな!

「肉食いたい……」
「お前、贅沢言うな」

 扉の向こうで男がまたおかしそうに笑う気配が伝わってくる。こいつは本当に笑い上戸だ。
 まぁ、今はこれしかないと言うのなら、勿論食べるに決まっている。手を合わせてから食事に手を伸ばすと「ツキノは意外と育ちが良さそうだな」とそう言われた。

「少なくとも犯罪に手を出すような育て方はされてない」
「それは俺に対する嫌味か?」
「あんただって、そこまで悪人っぽい感じしないのに、なんでこんな所でこんな事してんだよ?」

 俺はもぐもぐ食事をしながら返答を返す。本当は食べながら喋ると怒られる所だけど、誰も見てないからいいや。

「俺はこんな事をしていても悪事自体に加担してる訳じゃないからな。これでも俺は料理人なんだよ。そうは言ってもこの家で何をやっているか知っていて、食事を運んでるんだから加担してないとは言い切れないのかもしれないけどな」
「へぇ、そうなんだ。じゃあこれもあんたが作ってくれたんだ?」
「少ないって言われたから、要求に応えてみた。今は嬢ちゃん一人しかいないから特別だ」
「まだ、全然少ないけどな」

 「お前、どんだけ食べるんだよ」と、男はまたげらげらと笑う。

「ここに来るような娘達は皆、絶望顔で食事もろくすっぽしやしないってのに、お前は変わってるな」

 そういえば俺も一年前の事件の後はろくろく食事もできなくなっていたんだった。でもあの時と今では精神状態が全然違うし、何より今の俺は全然絶望してないからなぁ。

「俺、育ち盛りだから」
「どうやらそのようだ、仕方ない、晩飯はもう少し足してやるよ」

 お、マジか、言ってみるものだな。

「おじさん、サンキュ」
「おじ……いや、もうそこは否定できない歳だしなぁ……」
「幾つ?」
「永遠の20歳」
「ぶはっ! 男の癖に歳なんか気にする必要ないだろう?」
「独り身も長くなると周りにいた友人達も皆家庭を持って疎遠になっていく、いつまでも若い気でいても社会から置いていかれた気分になるもんなんだぞ……」

 しみじみ言った男に、今度は俺が笑ってしまった。

「だったら結婚すればいいじゃん」
「天涯孤独で定職にも就かない放浪癖のある男がそう簡単に結婚できると思うのか?」
「手に職就けて、放浪するのを止めれば万事解決だろ」
「それができれば苦労しない!」

 男がまた扉の向こうで苦笑している気配が伝わってくる。

「嬢ちゃん、助けてやったらおいちゃんちに嫁にくるかい?」
「え、やだよ。俺、もう結婚相手いるもん」
「なんと! まさかの既婚者か!?」
「既成事実的には、うん、そうだね」
「だったら旦那は心配してるだろうな」
「だね、心配しすぎて無茶な事してなきゃいいけど……」

 俺はカイトの姿を頭に想い浮かべる。今頃絶対心配しているだろうし、下手に暴走してないといいのだけれど……ここに黒の騎士団がいるのだから、俺が無事だという情報は向こうにも伝わっていると信じたい。

「おい! リッ~ク! いつまでかかってる! 仕事に戻れ!」

 どこからかかけられた声に男は「はいよ!」と返事を返した。どうやらこの陽気な男の名前はリックと言うらしい。まぁ、どうでもいいけどな。

「じゃあな、ツキノまた晩飯時に!」
「えぇ!? 昼飯は!?」

 男はまたぶはっと吹きだした。

「悪いが朝晩の2食だけだ、どうせ部屋から出られやしないんだ、腹も減らんだろう?」
「だから、俺は育ち盛りだって言ってんだろ!」
「さすがにそれでも持ってこねぇよ、お前は自分が囚われの身だって事を自覚した方がいい」

 それだけ言って男は笑いながら去って行った。
 ちっ、もっと情報聞き出そうと思ったのに……俺は朝の食事を再開する。食事は思いのほか美味しかったのでリックの料理の腕は悪くないのだと思う、けれどやっぱりカイトの作る料理の方が美味しいな、と俺はその食事を嚥下した。
 とりあえず、ここまでの彼との会話で俺に分かった事は、ここに囚われているのは現在俺一人しかいないという事、世話係的な人は分かる範囲であの人と、あの人を呼んだもう一人。常態的にここには娘が連れてこられては売られていくらしいという事。
 あと、リックという男の足音から察するに、たぶん並びで幾つか同じような部屋が並んでいそうな事、だけど現在自分一人しかいないせいか外までの扉からこの部屋はさほど離れていないと思われる。
 俺は朝食を食べ終えて、もう一度周りを見回した。まずはこの足枷を外す所からだ。昨日黒の騎士団が投げ入れてくれたナイフは薄くて隠し持つには最適なナイフだ。武器としては重宝なので有難くいただいておく。
 次に、俺は靴を脱ぐ。実はこれには仕掛けがあって、靴底に幾つかのお助けグッズが格納されている。養母お手製のこの仕掛けは普段は使われる事がないが、いざという時には役に立つ。

「靴、脱げたりしなくて良かったなぁ……」

 俺は靴底を空けて、細い金属棒を取り出すと、足枷の鍵の解除にかかった。そこまで特別な仕掛けではなかったようで、足枷は割と簡単に外す事ができた。次に、その足枷に外そうと思えばいつでも外せるように、きっちり鍵がかからないような細工を施して、もう一度足に嵌めなおす。

「うん、完璧」

 もう一度足枷を外して今度は伸びをして上を見上げる。次はあの天窓だ。簡単に開けば幸いだが、嵌め殺しだったらちょっと厄介。だけど晩飯時まで誰も来ないのは確認済みだし時間はいくらでもある。
 ここは牢屋で、こちらから外を窺い見る事が出来ないのだが、逆に向こう側からも中を見る事が出来ない。覗き込むには扉を開けるか先程のリックのように食事の搬入小窓から覗き込むしかないのだ、中で何をやっていようが基本的には気付かれもしないだろう。
 俺は穿いていたスカートを脱ぎ捨てて下着一枚でナイフを口に咥える。だって、壁を登るにはこのスカートは足に纏わりついて邪魔で仕方がない。こんな姿をカイトに見られたら怒られそうだが、今は誰もいないし、まぁ、いいよな。
 綺麗に壁紙が貼られた訳でもないレンガ積みっぱなしの壁は無骨で登るには最適だ。牢屋なだけに造りも雑で逆にとても登りやすかった。
 俺は天井まで登り、今度は天井の梁に手を伸ばす。そう言えばこのナイフはこの天井のどこかから投げ入れられたのだから、どこかに出入りできる場所、もしくは外から覗き込める隙間はあるはずだ。俺は太い梁によじ登り、座り込んで周りを見渡すと梁は幾つかの部屋に跨っているのだろう、壁と壁の間に隙間があった。隙間から覗き込めば隣室が見える、片側は俺が現在居る部屋と同じような作りの部屋、そして反対側は物置っぽい。角度的にナイフが投げ込まれたのは物置ではない方の隣室かな?
 そんな事を思っていたら、ふいに「待機していろと言っただろう?」という声と共に壁の隙間の向こう側ににゅっと見知った顔がこちらを見やった。

「やっぱりいるんだ」
「当たり前だ、俺達はお前の護衛も兼ねながら潜入捜査をしているんであって、お前の護衛は最優先事項だ、安心して捕まっておけ」
「そういうの、俺、性に合わないんだよなぁ……」

 壁越しにぼそぼそと話す向こう側の相手は、ルイ姉さん大好きを公言する黒の三兄弟の末っ子シキさんだった。黒の騎士団のその活動内容や実体は本当によく分からないのだけど、この人だけはルイ姉さんに引っ付いてよく見かけていたので親しみがある。

「いつまでじっとしておけばいいんだよ?」
「捜査が終わるまでそう時間はかからないはずだから、大人しくしておけ」

 そんな事言われても、ただじっとしてるってなかなか退屈なんだけどな……

「そこの天窓はすぐに外れるように細工しておいた、いざという時にはそこから逃げ出せる。お前なら出来るだろう?」
「それは、まぁね」
「2・3日だ、頼むから大人しくしていろ」
「はいはい、分かったってば。でも出来れば早くしてよね。あと、カイトにもちゃんと俺は無事だって伝えといて」

 「分かった」と頷いてシキさんは姿を消した。俺は梁から飛び降りる。これで本格的にやる事が何もなくなった。
 2・3日か、本のひとつでもあれば暇も潰せるのだが、何もないこんな部屋では時間を潰す術もない。
 あの陽気なリックにねだってみようか、あの男ならもしかしたら差し入れてくれる可能性もなくはない。それとも、また肝が据わっていると笑われるだろうか?
 俺は元通りに靴を履いてスカートを穿くとぺたりと床に座り込んだ。後はもう寝るくらいしかする事がないのだから仕方がない。

「あぁ……暇」

 壁に寄りかかって瞳を閉じると、本当に微かにだが建物の外に人の気配を感じる。意識を集中してその気配を追っていたら、俺はまたいつの間にかうつらうつらと寝入っていた。


 次に目を覚ましたのはどのくらい時間が経った頃だっただろか、まだ陽は昇っていたのでそんなに長い時間寝ていた訳ではないと思うのだが、扉の外の人の気配に俺は目を覚ました。
 人の足音は複数人、気付けばがっちり締められていた部屋の扉が不気味な音を響かせてゆっくりと開いた。まだ晩御飯には早い時間だし、売りに出されるにしても昨日の今日では早過ぎるのではないのだろうか? あの陽気な男リックも来週くらいだと言っていたのにもう連れ出されるのか?
 俺はぼんやりと扉を見やる、最初に現れたのは痩せ型の目付きの悪い冴えない男、でもこの男には見覚えがある、こいつは俺とロディに貧民街で声をかけてきた男で間違いない。
 続いて姿を見せたのはその場にはあまりにも不釣合いな雰囲気の男。そもそも着ている服からして先に現れた男とは違う、どこか身分の高そうな気品を醸し出すその容貌はこんな場所にはあまりにも似合わなくて、俺は眉を顰めた。
 最後に入ってきた男は特にこれといった特徴もない一般的なランティス人。最初の男ほど悪人面でもないし、身なりも綺麗な訳でも汚い訳でもなく、唯一目に付くのは伸び放題の髭面で、あまりにももっさりしていて完全なる年齢不詳。けれどそんな人間はこの世の中にはいくらでもいて特徴と言っていいのか分からない程度の極々普通の男だった。

「なるほどこれは、黒いな」

 狭い部屋の中、ずかずかと入ってきた男の一人がむんずと俺の黒髪を掴む。

「な……痛ってぇだろっ!」

 俺がその手を振り払うと、その品のある男は少し驚いたような表情を見せ、手を引いた。

「さすがに野蛮な『山の民』だ、躾がなってない」

 そう言って男が目付きの悪い男の方に目配せをすると、心得たように男は俺を羽交い絞めにした。男達の背後の扉は開いているし、振り払って逃げる事もできるだろうが『大人しく待機だ』と言われた言葉が頭を巡る。

「ふむ、顔は悪くない……」

 顎に手をかけられ持ち上げられる。俺はぎりっと男を睨んだ。

「だがどうにも気は強そうだな、奴隷としては不合格だ。奴隷は見目麗しく従順でなければな」

 そう言って男はにやりと笑う。姿形は品も育ちも良さそうだったが、その男のその笑みは貴公子どころかここにいる誰よりも悪人面だった。男がぐいっと顔を近付けてくるのでぞわりと鳥肌が立った。制御出来ないフェロモンが湧き上がる。怖いというより気持ちが悪かったのだ。
 すると男は何かに勘付いたように「お前、アルファか……?」とそう言った。

「だったらどうした! 近寄んな、気持ち悪い!!」
「おい、これはどういう事だ? 私はオメガの女を集めてこいと命じたはずだが?」
「え……いや、でもこいつの項に噛み痕はちゃんと……」

 俺を抑えつける男はベータなのだろう、戸惑ったように俺の項を男に見せる。そこには確かに噛み痕が残っているのだろう。それは止めろと言っても止めないカイトの噛み癖で、ルーンにいる間俺は毎日のようにカイトに項を噛まれていたからだ。

「アルファの癖に所有印付きか、相手はアルファ? 物好きなアルファもいたものだな」
「うっせぇ」

 俺の悪態に男は瞳を細める。

「だが一説にアルファ同士の間に生まれた子供は飛び抜けて優れた子供ができると聞く、そもそも女のアルファは少ない上に居たとしても気位ばかり高くて扱いが難しい」

 男はにんまり笑みを見せ「お前、私の子供を産んでみるか?」と気持ちの悪い笑みを見せた。

「黒髪なのはいただけないが、こんな機会は滅多にあるものじゃない」
「誰がお前なんかの子供を産むかよ! そんなのどれだけ頭下げられたって願い下げだっ!!」
「分かっていないな……」

 男はまたしても俺の黒髪を掴んで顔を寄せてくる。

「お前に選択権なんてないんだよ」

 俺が男の顔に唾を吐くと男はその唾を拭って、問答無用で頬を張られた。

「妾にするにもこうも躾がなっていないと扱いづらいな。おい、お前達こいつを売るのは止めだ。来週までに俺の前では大人しく股を開くように躾けておけ」

 それだけ言って、男は踵を返した。目付きの悪い男も俺を放り出し、慌てたようにそれに付いていく。残ったのは髭面の男、しゃがみ込んで俺の顔を覗き込み「大人しくしてろって言ったのに……」と俺の張られた頬を撫でた。

「あんた朝の人か」
「そう。売りに出されれば助ける事もできたのに、気に入られちゃ助けるのも難しい」
「助けるってなんだよ?」

 「別に……」と、男は瞳をそらす。

「あぁ、今日から調教か、やりたくないけど仕事だからな。ホント今度こそ大人しくしていてくれよ、悪いようにはしないからさ」
「どういう意味だよ?」
「お前、結婚してるんだろ? 初めてじゃないなら大人しく我慢しておけって事、我慢してれば乱暴にはされないだろう。たぶんだけどな。なんてったってお前は公爵様のお手付きが決まったからな」
「公爵様?」
「さっきの人だよ、今後はお前のご主人様だ。可愛い顔してるんだから、イイコにしてれば可愛がられる可能性だってゼロじゃない」

 そう言って男はスカートの裾から手を入れて俺の太腿を撫で上げる。その手がするすると奥まで伸びてきて俺の股間を撫で上げた所で、男の顔が『ん?』という表情に変わった。俺は男の手を払い除けて後方へと後ずさる、足に嵌った足枷の鎖がじゃらじゃらと派手な音を立てた。

「生憎俺にも好みがある、大人しく我慢できるほど往生際は良くないんだよ!」

 男は驚いたように自身の手を見詰め「お前、男か……?」と呟いた。

「女だなんて一言でも言ったかよ!!」
「確かに聞いていないな、だがその胸だって本物だろ?」
「こういう身体で生まれちまったもんは仕方ねぇだろ! だけど、俺は男だっ!!」

 困ったように髭面のリックは息を吐く。

「男女? 両性具有か? これは公爵様もお気に召すかどうか分からないな……逆に売られればとんでもない高値がつきそうだ」
「ざけんなっ! 人の身体を金勘定すんじゃねぇよ!!」

 男は「確かになぁ」と呟いて、また息を吐いた。

「とりあえず、報告してくるか……」

 それだけ言って、リックは踵を返した。重々しい音を立てて、部屋の扉は閉まる。
 俺は大きく息を吐いた。

「公爵……一体どこの公爵様だよ、ホント趣味悪ぃ……」

 俺は壁を背にずるりと座り込む。調教されるのも真っ平だし、あいつ等の雇い主『公爵様』も現れたのだ、俺はもうお役御免でよくないだろうか?
 なんだかもう今のでどっと疲れた。

「ねぇ、もう帰っていい?」

 投げかけた言葉に返事は無い。俺の護衛達はさっきの男達を追って行ってしまったのだろうか? あの公爵と呼ばれた男が人攫いの黒幕? その爵位が本物なのか、それともそう呼ばれているだけなのか分からないが、俺は『もう帰りたい』と心底そう思っていた。



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